天才謀略家・賈ク

今回は賈クさんを取り上げて語らせていただきます。

賈クさんといえば三國志の中でも有数の天才謀略家だと思います。純朴な謀略家だよね、寧ろ(笑)


そんな賈クさんも私がハマっている某三國志ゲームの第六シリーズから漸く登場してまいりましたが、いやぁ、堪らんですね。あれが大人の色気というやつですね。


なんて話はどうでも良くて・・・賈クさんと言ったらその処世術とも言うべき巧みな生き様を見せてくれた方だと思います。ただし、乱世の火種を撒き散らした根本的な要因もまた彼にあることを考えると、評価も賛否両論に分かれてくるでしょうな。


例えば、三國志に注釈をつけたことで知られる蠔元紹なんかは賈クさん大っ嫌いですよね。賈クさんに対して彼が何といっているかといえば、「乱世を全土に再び撒き散らした史上最悪の謀略家」みたいなレッテル貼ってるものね。


確かに董卓呂布によって殺された後、賈クさんはあたふたする李傕に「帝を保護せよ」なんてことを言ったおかげでさらに混沌を招いたわけですが、それにしても彼は逃げるのがうまいですね。

董卓の下でもそれなりにやってたのに捕われるどころか新たな主君にさらっと乗り換える感じが(笑)


李傕が死ぬと今度は放浪しながら静かに暮らしていたのに張繍に助けを請われて仕えるようになったと記憶してますがこのあたりは曖昧です、すみません(汗)



からのあの宛城の戦いがあるわけです。賈クさんが最も活躍した場所ですね、多分。


お得意の謀略を以て曹操様をハメ、親衛隊の典韋曹操様の甥である曹安民・息子の曹昂らを打ち取りました。この戦いは映画でも漫画でも小説でも・・・どれを以てしても泣ける戦いです。


しかし、曹操様は賈クさんを結局最終的には捕えてその傘下に下しました。それはまさに、曹操様の器と人格がよく現れているものと思います。


でも曹操様は良くても他の純粋な武人などは彼を認めるはずがないですよ、当然です。典韋を殺し、曹操様の大事な身内まで殺されて、その仇と仲良くせよなんて急には無理な話です。


凌統甘寧のように、生涯まともに交際することが出来ずに主君の孫権も頭を抱えた例もありますしね。因みにこの二人の因縁は凌統の父・凌操が、かつて敵として見えた甘寧に殺された。つまり甘寧凌統の仇という関係です。


それが普通だとしたら、曹操様のそれは全くもって正気じゃないのは誰の目から見ても明らかです。息子を殺され、甥っ子を殺され、最も愛していた重臣まで殺され、誰が黙っておりましょうか。


とにもかくにも、賈クさんは曹操様からは厚遇されますが古参の将、殊に武人からは大いに敬遠されることになりました。


賈クさんもそれを知ってか、曹操様が崩御されてからは特に、下野してひっそりと生活し、それから三年後の223年、一人静かに永久の眠りに就きました。



賈クさんの人生はなかなかに波乱万丈でした。曹操様のような波乱万丈さではないですが・・・。めまぐるしく彼の世界は転化してゆき、漸く一人の主の元に落ち着いたと思ったら周りの目はどこまでも冷たい。なかなかキツい人生ではなかったでしょうか。自分だったらどうでしょうね、抑董卓とか李傕とかに仕えるなんて考えたくないですね。


賈クさんは77歳と、大変長寿ではありましたが、その人生の半分以上はまさに刻一刻のペースで世界が変わっていく人生。しかし、こんな人生の生き方は珍しくないです。

ただ、彼の場合は主君がコロコロ変わっていくにも関わらず、まるで何事もなかったように次の主君を見つけたら尽くす。他にこれと似た人が居るとするならば張遼さんとかはそれに近いものはあるかもしれませんね。生き様は全くと言って良い程違いますが(笑)



私は賈クさんも好きです。何故かって、あの潔さが好きです。曹丕とかは特に逆にねちっこくて嫌い(笑)

性格には難癖はありますが、彼のあのドライさは堪らなくそそります。賈クさんももっと勉強したいね、出来るなら。

さーて、次は誰を書こうかな・・・。合肥トリオでも書こうかな・・・・。