何故演義だと五将軍は冴えないのか・・・。

三国志・・・といえば・・・・・。

まぁそこまでではないですが、蜀に五虎将軍と呼ばれる五人の武将が居る様に、魏にも五将軍と呼ばれる五人の武将が居ます。


この名称の由来は、正史の列伝に由来するそうですが、ネット情報なので真実の程は分かりません。ただ、官職名などではないですし、当時の人々が本当にそう呼んでいたのかと言われたらんー、それは多分無いとは思います(笑)

皆さんご存知の通り、蜀の五虎将軍関羽を筆頭に、張飛趙雲馬超黄忠の五人です。ただ、末席は演義と正史で違います。正史は趙雲が末席、演義黄忠が末席だったと思います。すみません、ちょっとあやふや(笑)

一方、魏の五将軍と言えば、張遼を筆頭に、徐晃于禁楽進張郃の五人が挙げられます。魏の五将軍の特徴は、楽進以外は全て他の勢力から曹操軍に加わった将ばかりであるということ。張遼丁原董卓呂布と仕えて呂布曹操様に処刑されて以来、曹操様に仕える様になりました。徐晃は元々楊奉の配下です。于禁さんは鮑信に仕えていましたが、董卓討伐の折、鮑信が戦死したために曹操様の陣中へ。張郃袁紹との官渡決戦の折、兵糧を焼き払われた上に郭図の讒言にハメられて高覧と共に曹操様に投降します。

因みに楽進は李典と同時期の旗揚げの際に曹操様の元に兵を連れて参入します。


とまぁここまではいいんです。良いんですが・・・・。前にも色々書いたかもしれませんがここからが問題・・・。


特に演義での各将の死に方が酷い。


唯一まともに書かれている張遼さんは出陣の折に矢傷を受けてそれが元で亡くなる・・・。徐晃は突っ込んで矢喰らって死ぬ。于禁さんは曹丕の皮肉行為に憤死、楽進は気づいたら居ない・・・。というか存在が空気・・・・(笑)張郃司馬懿の止めを聞かずに突っ込んで孔明の策にはまって戦死・・・。


正史通りに描かれているの于禁さんのみという始末です。

楽進のみはちょっと演義の方が分からないですが、病死扱いなら同じですね・・・。

ただ、正史だと張遼さんは病死、徐晃も病死、張郃演義と正史では逆で、気の進まない張郃司馬懿が追撃命令を下して已む無く出陣して戦死する、といったようになってます。


だからといって正史が全て正しいわけではないですし、ただ信憑性としては一番高いというだけなのであれですが、私は毎回演義の話を読むと魏への異様な嫌がらせをしているとしか思えないのです。でも、私は明らかに美化されている方がずっと嫌いなので蜀がたまたま嫌いになっただけでの話で。


劉備なんかも正史でいうところの劉備は割と好きなんです。でも演義劉備は嫌いなんです、あの偽善者っぷりが(笑)

関羽は武と義心に関しては言うことなしですが、それ取ったら何も残らないですし、正直神格化される意味が未だによく分からない。

諸葛亮は言わずもがな、蜀で好きな将を聞かれたらやはり演義だとあまり主立った感じはしないですが、法正さんとかまぁ趙雲もそれなりに好きですし、関興張苞のセットとか、馬岱とか・・・。マニアックなキャラになるとあまり詳しくはないのであれですが、蜀にもそれなりには好きな武将が居たりします。


ただ、やはり演義のやり過ぎようには少し呆れも感じる。確かにあれだけの大著はすごいのかもしれないけど・・・。やはり私の求めるものとは大きくかけ離れている。初めから演義は好きではなかったけど、宮城谷さんの小説のあとがきを読んで、自分の求めるそれが分かった気がします。なので私自身も、そのような方向性を持って色々と学んでいきたい。


話を戻して何故魏の五将軍はあんなに演義では冴えないのか・・・。最早言うまでもなく、蜀の活躍の土台に過ぎないからかもしれません。最早悪意しか感じない。逆に考えれば、それだけこの五人はそれだけの才を持っていたということなんでしょうが、解せないですねー、ホント。


演義も蜀の視点だけではなく、魏の視点から見れば、その真意がもっと見えてくるかもしれませんし。私はとりあえず魏で研究したいのでその点も考えていけたらなぁって思ってます。