カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

太平洋戦争中の生活

最も犯罪が少なかった時代は太平洋戦争中である、という話をしばしば聞くが、清沢洌(きよし)『暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)』の中に、以下の記述があった。

1943(昭和18)年六月一八日(金)

〔略〕近頃、最も増した犯罪は強姦だそうだ。(45p)

日本人の性格について、以下の記述もあった。

1943(昭和18)年七月二十五日(日)

〔略〕日本人の美徳は《あきらめ》にあり。しかし積極的建設はとうてい不可能である。馬鹿な国民にあらざるも、偉大な国民にあらず。(67p)

その他、面白い部分を拾ってみる。

1943(昭和18)年八月十九日(木)

〔略〕右翼連中は、日本人を殺すよりも、敵を殺すべきだ。〔略〕彼ら〔右翼〕の考えは目前的で歴史的でない。(78p)

同胞をばかり狙って危害を加えるのは右翼の戦中からの習性であるようだ。今の右翼がダメで戦中戦前の右翼は立派だったというのは幻想もしくは神話あるいは自己宣伝である。

1943(昭和18)年十月五日(火)

問題がなくなると「統制強化」をやるのが日本人の特徴だ。(99p)

1943(昭和18)年十月二十一日(木)

〔略〕日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。たとえば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。
英米人は干渉嫌いだ。
しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考え込んでいると、「何を探すんですか」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何を目がけて?」という点に帰する。(103p)

ベタベタとした「思想への干渉」(行動における冷淡)は、リベラリズムの対極にあるのだな、と思った。
ところでものを知らないバカなネット右翼と彼らを煽る悪意ある扇動者たちは、戦中戦前の日本を思いやりのある暖かい社会だと宣伝しているようだが、もちろんそんなことはない。旧憲法下でも日本人は行動において冷淡だった。

1943(昭和18)年十一月八日(月)

警察は泥棒を捕まえるためではなしに、良民を捕まえるものになった。事実、その方が楽でもあるのだ!
日本は、英国を東亜の舞台から引きあげしめるべきではなかった。英国が居れば、相共に米国をけん制することが出来た。英国は恐ろしくない。しかるにこれを追ったために英米は握手してしまった。
排英運動は素人の外交運動の最悪なる見本であった。(108p)

21世紀の外交も典型的素人外交だよね。理性を欠いた意味不明な北朝鮮強硬論とか、盲目的従米路線とか。

1943(昭和18)年十二月五日(日)

軍人は教育を憎む。しかし自身は陸大、銀時計というようなことを誇りとするんだから教育そのものを排斥するのではないことは明らかだ。

ここで言う「軍人」とは、軍人官僚・軍部官僚のことである。高級軍人とは官僚すなわち上級役人である。

1943(昭和18)年十二月六日(月)

日本が宣伝下手であるという事実が、日本人がアドミットする唯一の弱味である。他は総て日本人が優れていると思っているのに。
我らから見れば、日本人ほど自家宣伝する国民は他にない。(117p)

1943(昭和18)年十二月八日(水)

大戦争二周年廻り来たる。〔略〕
大東亜戦争には(一)戦争そのものを目的な人と、(二)これを機会に国内改革をやろうという人と、(三)それによって利益する人とが一緒になっている。そしてその底流には武力が総てを解決するという考え、また一つの戦争不可避の運命観を有している民衆がある。〔略〕
二年に気付く現象は、コソ泥の横行である。物を盗まれない家とてない有様だ。玄関に置いた外套、靴、直ぐとられる。(118p)

1943(昭和18)年十二月六日(月)

〔略〕今度の戦争で、日本人は、少しは利口になるだろうか。教育を根本的に変えなければ。(124p)

1943(昭和18)年十二月三十日(木)

〔略〕考え方が違っても愛国者であり得、また意見が相違しても団結することができる。そう我国の「愛国者」は考うることができぬ。
日本的な政策では、他民族などは決して治めることができない〔略〕。(126p)

1944(昭和19)年二月十日(木)

〔略〕外務省の役人が正直であるところは買うべきだ。彼らは学問あり、対手の立場を知るものとして、事実を事実として認識するフェアネスを持つ。しかし進んで敵を打つ積極性を持たぬ。そこで僕は「議論的に日本の立場の困難は認めており、その点は同感だ。しかし彼ら〔米国国民〕の二割でも三割をでも日本も理屈があると考えればそれでいいんで、その努力をするんだ」といった。
〔略〕青山女学院では弁当をストーブであたためることを中止した。ドシドシ盗まれるからだ。〔略〕

清沢洌は相手国世論を動かすことが戦争の上では非常に重要だということを深く理解していた。日本の当時の全ての為政者はそのことにまったく無頓着であり、現在も無頓着である。現在の日本の海外世論工作能力は南米諸国家並のレベルである。日本は太平洋戦争からすら何も学ばなかった。

1944(昭和19)年三月十二日(日)

〔略〕大東亜戦争は総ての研究――人文科学を殺した。世界機構の問題の研究すらも危険なり、赤化なり、敗戦主義なりと迫害された。〔略〕(151p)

1944(昭和19)年三月十三日(月)

大東亜戦争の思想的背景が極端なる封建主義であることはいうまでもない。〔略〕同時に戦争に対する態度も、日清戦争日露戦争よりは一層反動的だ。〔略〕
一、大東亜戦争の思想的な根流は「仇討ち思想」である。「仇討ち貯金」というものが、各常会で行なわれている。〔略〕
「買い出し取締り」「横流れ禁止」「闇の絶滅」――役人がやっているだけに取締りはあらゆる方面において強化されている。しかし生産方面については、ほとんど何らの考慮が払われていない。〔略〕物は自然に産れると〔役人は〕考えるのだ。(152p)

「生産方面については、ほとんど何らの考慮が払われていない」のは現在のオタクコンテンツ政策においてもそうだね、とか思う。

1944(昭和19)年三月十六日(木)

この戦争において現れた最も大きな事実は、日本の教育の欠陥だ。信じ得ざるまでの観念主義、形式主義である。樺太その他の漁業場で、ありあまって困るにしんや魚を統制するのである。統制そのものが目的なのである。また一つの命令に対しては、ゆとりのない画一的実行だ。
生産部面を考えないこと――物は自然に出来て来て闇に横に流されさえしなければありあまるはずだといった考え方であるから、その方面については無責任だ。〔略〕(155p)

1944(昭和19)年三月二十一日(火)

先頃、避難荷物の検査があった。その検査官は、出入りの大工梅村であった。我らの隣組長を従えて、挙手の礼をして「よくできました」と讃めて行ったそうだ。〔略〕
ここに問題は二つある。一つは大震災の時もそうであったが、今、秩序維持の責任が、大工や植木屋、魚屋に帰したことだ。彼らはちょうどいい知識と行動主義の所有者である。第二は自己の持物をも、警察の代表者等によって検査するという干渉主義の現れだ。新聞には疎開の荷物の中にカンカラ帽があったとか、ピアノがあったとかと、そんなことばかり書いてある。荷物の分量を決めて、何が大切であるかはその人の裁量に委せればいいではないか。その人によって「最も大切なもの」の観念が違うのだ。

丸山眞男は「日本ファシズムの思想と運動」で十五年戦争の国家組織の末端の担い手になった人々を「擬似インテリ」と呼び、いくつかの職業を列挙した。それを「ファシズム運動の担い手について断定しながら、国家主義団体の構成員の職業や学歴構成などを示す実証的データの裏付けが本文中にはまったくない」と『丸山眞男の時代』(中央公論社、2005年、116p)で竹内洋が指摘・批判した。この清沢洌の記述から類推すると丸山眞男の世代には、誰が国家組織末端・国家主義団体末端であるのかは日常あたりまえに見ていた事柄だったんだろう。竹内洋の世代(1942年生まれ)はそれを自分自身が直接見聞しなかったから実証データを欲するのだろう。もちろん実証データはあったほうがいい。私もそれを知りたい。が、それは丸山眞男に求めることではなく、後の世代が再検証・再調査・再確認するべき事柄なのだろう、と私は思った。

現代政治の思想と行動

現代政治の思想と行動

 「日本ファシズムの思想と運動」収録。

ぽちっとな