カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『いじめの構造』内藤朝雄

読書中にブログにその本について書くのは避け、読了したものについてのみ記述したいと原則としては思っている。今回はその原則を曲げる。この本は読書中だ。
本を読むにはタイミングが必要だ。体が必要としているか否か、は、私の場合、自身の読書能力を大きく左右する。それは自分にとり有利なことではなく、とくに大学での授業を受けている時には物凄くマイナスだったのだが、常に平常心で書物に当たるというのは難しいことだ。内面に抱える問題が酷く重く意識される時は、それを幾分かでも解析してくれる本でなくては、気が鬱々としすぎて、文を追うことができない。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090506#1241622089 で挙げた本を読了した後、いくつかの本に当たるが、 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090506#1241611662 に絡む事柄が内面を支配し、文を追うことができず、往生した。文を追えない時というのは辛い。切実に何かを求めている時であり、その切実な何かを題材としていない本は、その時には全く読み進めることができない。
購入しておいた何冊目かで、内藤朝雄『いじめの構造』に当たり、ようやく読み進むことができた。視界が、さっと開ける感覚。読書に求める最も重要な機能の一つ。
いじめとは内藤朝雄によれば以下のようなものだ。

秩序の生態学モデルに従って、〔「いじめ」を生きる〕生徒たちが生きている小世界の秩序を考えてみよう。「いま・ここ」のノリを「みんな」でともに生きるかたちが、そのまま、畏怖の対象となり、是(よし)/非(あし)を分かつ規範の準拠点になるタイプの秩序である。これを、群れの勢いによる秩序、すなわち群生秩序〔原文でも太字〕と呼ぶことにしよう。(35p)
以下では群生秩序を、正反対のタイプの秩序(市民社会の秩序)と対比しながら、浮き彫りにしよう。
群生秩序に対して、その場の雰囲気を超えた普遍的な理念やルールに照合して、ものごとの是(よし)/非(あし)を分けるタイプの秩序を普遍秩序としよう。(36p)
〔略〕つまり純粋形の群生秩序は、群れの付和雷同のなかで全能を配分することによって、是(よし)/非(あし)(たとえば、ノリがよい、すかっとする/ムカつく、嫌われ者、死ね!)を分かつ、情動の共振から生じる秩序である。〔略〕これを規範的な言い方で表すとすれば、「ノリは神聖にしておかすべからず」、あるいは「空気を読め」となる。(38p)
〔略〕もっとも「悪い」のは、「いま・ここ」を超えた普遍的な次元への「チクリ」と、個人的な高潔さである。そういう者は徹底的に苦しめなければならない。(40p)
〔略〕彼らの小社会では、ノリながらやるのであれば、何でも許されるが、「みんなから浮いて」しまったら、何をやっても許されない。(41p)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

ここの文章を読むだけで、様々なことへの連想が広がり、色々な事象の意味への解析の手がかりとなる。たとえば「ネット右翼」「珍右翼」の行動の解析にこれほど適しているモデルはない。
ここ数日私は狭い事柄に心が占められ鬱々としていたが、さっ、と視野が広がった気がした。それゆえ、ここにそれを記す。

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画像はhttp://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=4127828から。