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2011-03-22 「反石原慎太郎」勢力はなぜ常に無力なのか
■[政治][選挙]「反石原慎太郎」勢力はなぜ常に無力なのか

以下、整理や検討をしないまま書き置く。
1;「反石原慎太郎」勢力は、常に分断されている。
「反石原慎太郎」勢力は、自分たち以外の「反石原」勢力の政治テーマについて無関心であり、相互の政治テーマについて基本的知識を有していない。
たとえば「表現規制反対」勢力と「セクシャルマイノリティ」勢力を例にする。
この両者は、大雑把には、「敵」は同じ、投票先も同じ。しかし、たいがいは相互に基本的知識を欠き、相互に無理解だ。だから相互に協力もほとんどしていない。
石原慎太郎は「無知に付け込む」のが基本だ。我々は「無知に付け込まれ」、ムダに分断されている。石原慎太郎は「無知に付け込み、偏見を助長させる」ことで一定の力を保持している。
我々表現規制反対派の基本戦術は、事実を積み上げ、我々の主張が正当であることを伝えること、ですね? 我々の趣味主張に関心のない第三者に対し、我々の主張のほうが妥当であることを繰り返し繰り返し、丁寧に説明すること、ですね? この基本戦術は常に重要だ。この文脈において「関心のない他者にわかりやすく伝わる表現」というのを、私たちは常に鍛え続けつむぎ続けなくてはならない。ここまで同意いただけますね?
2;私たちは常に「偏見」を持つよう煽られている。
大学教養課程レベルの「常識」から私たちは疎外されている。大学教養課程レベルの情報は、さして難解ではないが、ふつう、有料である。
私たちが日常得ている情報はある程度常に加工されている。私たちが日常得ている情報、とくに無料の情報は、スポンサーの都合などから常に「情報操作」されている。この場合の典型的無料情報は地上波テレビ、特にワイドショーの類だ。
無料情報は、常に偏見を煽る傾向がある。大きく2つの理由がある。
無料情報は、発信者が怠惰となり易い。怠惰な発信者はたやすく偏見を温存し、偏見を煽る。表現規制するのが当然だよね、という言説は知的怠惰の産物だ、という点に読者諸姉諸兄は賛同いただけるだろうと思う。
無料情報は、ふつう、スポンサーや情報源が後ろにいる。その無料情報を広報することで得るもののある者が無料情報を発信する。よって、スポンサーや情報源の意向に沿う形となる。たとえば東京電力というスポンサーの意向に沿い原発に関する情報は従来抑えられてきたし、警察という情報源の意向に沿う形でオタク誹謗はなされてきた。
少し話がずれるが、「ネットウヨク」が偏見の塊であるのは、無料情報と情緒だけで社会を解釈しようとしているからだと私はこの頃思う。逆に言うと無料情報はネットウヨク的偏見を背景音的に伝えている。ネットウヨクはその背景音を脳内再構成して「真実」を発見したと錯覚していると思われる。
私たちも常に無料情報に晒され、自分自身が詳しいわけではない事柄は、自分が得た無料情報を元に判断する。判断は知識と情報に制約される。よって私たちはふつう、自分が詳しいわけではない事柄については、「偏見」に満ちた判断をしがちだ。
3;「池上彰的」に、自分の主張を説明する必要がある。
かつて70〜80年代は「難解なことを知っている俺は凄い」「俺の知っていることを知らないお前はバカ」という偏見ヒエラルキーがあった。政治に秘密が今より多かったのが一番大きい原因だろうと思う。道理を尽くしても「冷戦」という政治事情から潰され曲げられたことが多く、今よりも政治に不条理が多かった。不条理を内面的に処理するために「事情通」の説明を必要とし、それが偏見ヒエラルキーを強めていた。「知らないことは恥ずかしい」「しかし自分の知らないことがたくさんある」「その事実を全力で隠蔽しなくては恥ずかしい」という偏見に日本人が縛られていた。
80〜90年代に、これが崩壊し、「どうやら誰も知らないらしい」に至った。たぶん冷戦という「現実」がなくなることをほとんど誰も予想していなかったことがインパクトとして大きかったんじゃないかな、と思う。
以降、「知らないことは恥ではない」という意識が低きに流れていったが、「いいかげん誰か教えてくれ、この新聞記事に載っている言葉をほとんど誰も知らないことは知っている。それはわかったから、言葉の意味を誰か教えてくれ」という意識が広がった。
「池上彰的わかりやすさ」が00年代になって評価されるようになった。大学教養課程レベルの事柄を、子どもにも理解できる言い方をする「プレゼン能力」が「人気」となった。
「池上彰的わかりやすさ」が登場するまで、「わかりやすさ」とは「偏見に沿うこと」「偏見を煽ること」「無知を助長すること」という意味だった。
石原慎太郎は「池上彰的わかりやすさ」が登場する以前の意味の「わかりやすさ」を体現している。
「池上彰的わかりやすさ」は私たちにとって良き手本だ。前提が違う者へ対して伝えるのが「池上彰的わかりやすさ」だ。
「石原慎太郎的わかりやすさ」は、お前も同じ偏見を持っているだろう? と煽る、前提を同じくする者へのものだ。
「反石原慎太郎」勢力は、前提の異なる相手に自分の主張を懇切丁寧に伝える、という努力を、どの勢力もわりと怠り、前提の異なる相手の主張を知ろうとする意思もわりと怠っていた。そのため、「仲間内」、つまり初めから共感しあうもの同志の中だけで鬱憤を発散する、という愚行を、延々していた。
この「鬱憤の発散」は、「仲間内」意識を持たない者からは、初めは戸惑いを、そして説明への渇望を求められる。だが「池上彰的わかりやすさ」でもって「仲間内ではない」相手に説明する、ということの大切さを知る者は少なく、実践できる者はさらに少なかった。
「君たちは石原慎太郎の何について憤っているのか?」という疑問へは、理性的に事実を積み上げることが解答として正解だ。それも中学生に理解できる程度に噛み砕いて正確に伝える必要がある。我々が自分自身詳しくない事柄について持っている知識などたいがい中学生レベルであるからだ。
「君たちは石原慎太郎の何について憤っているのか?」という疑問へ、「この激情に共感せよ」と解答するのが、今まで「反石原慎太郎」勢力がそれぞれ行なってきたことだ。それゆえ、反石原慎太郎勢力は今まで常に無力だった。
我々「反石原慎太郎」勢力は、少なくとも自分自身の政治的立場を、「池上彰的に」判り易く、他者へ伝えることから常に始めなくてはならない。他の「反石原慎太郎」勢力の声に真摯に声を傾け、共感せずとも理解しようとしなければならない。これがアルファでありオメガであると思われる。
4;余談
以上から石原慎太郎の「失言」を情緒的に責めるというのは戦術として愚策だと個人的には思う。http://form1.fc2.com/form/?id=643405 しかしながらその勢力を理解し協力することは有益だと思う。
本日のリンク 遺体安置所の写真がニューヨークタイムズに載ってるぞ | ニュース2ちゃんねる http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1375.html
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――都知事選で小池晃は「防災」を争点に石原慎太郎を倒せ――というのがありました。
「かつて共産党が国会で福島原発の危険性を訴えてきた事は大々的に全面に打ち出すべきだろう」の見解もあります。
「東京湾に造ったっていいくらい日本の原発は安全だ」の発言をしています。
動かない事を指摘していた。しかしながらそこでは、檀上に上がった人達ですら
小池あきらを積極的に押す様子が無く
れんほう(漢字変換できずにスマナイ)に投票したいが、ただもれ状態だった。
締め切り 3月23日の17時まで。
http://www.tokyo-jc.or.jp/2011/business/prefelectionforum.html
「市民の政策志向を問うアンケート」内のQ5に、【東京都青少年健全育成条例】に関するアンケートもあります(他にも築地移転についてもありました)。
お時間がある方はぜひともアンケートに答えてください。
よろしくお願いいたします。
大概はこれを嫌って身内で篭る。
表現規制問題で言えば業界関係者は特に顕著だった。
彼らは彼ら内でしか通じる言葉・理論でしか語ろうとしなかった。
これでは勝てない。
かなり面白く参考になるものがあります。
私の主観だけど、これを読むと子どもの成長を促すつもりが、ふたを開けてみると
成長を必要とした大人のファンの為のアニメだったという見えてきますね。
TWITTERで森川嘉一郎が
今回の震災がマンガ・アニメ・ゲームなどの表現にどのような変化をもたらすか、
については、短期的かつ表層的な自粛を除けば、わかりません。
多分、5年か10年経た後でないと見えてこないと思います。
敢えて何かを予測するなら、現実によって超えられたフィクションは失効してしまう、ということです。
――(略)――
おたく文化は、永続する強固な日常(とその閉塞感)を基盤にして成り立ってきた。
80年代のアニメはハルマゲドン願望が大きな柱だったし、オウム事件でそれに傷が付くと、
重心を近未来から「近過去」のリセットに移して構築されてきた。
ところが今や、永続する日常という基盤自体に亀裂が走っている。
――――をつぶやいています。
90年代後半に中西新太郎が教育雑誌でオウムや神戸事件を引き合いに
「社会学では事件が解決しても事件そのものが文化として残る」と言っていた。
例えが違うかもしれないけど、戦争が終結しても戦後に戦時が残り続けるのと同じように、
これと同じ事がオタク文化にも尾を引いて残るということなんでしょうね。