カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

我が家業の一日の現在と過去

今のウチの仕事は昔のウチのブラック企業ぶりに比べたら相当楽にはなってはいるんだが、現在の繁忙期の一日をざっと書いてみる。

1

午前7時半頃起床、午前8時頃出勤。
午前9時半頃まで、朝の店舗清掃、チェックアウトの対応、バーベキューハウスの掃除など。
午前9時半頃、バイトのおばさまがいらっしゃるので清掃の割り振りを渡す。チェックアウトは規定では午前10時なのだが、わりとしょっちゅう1時間ぐらい延ばされる。
日帰りバーベキューの客が来るとその対応。
昼頃まで、ゴミステーションの整理とか、段ボールゴミの整理とか、屋外トイレの清掃とか、バーベキューの鉄板や網の清掃とか、屋内住居部分の清掃とか。
通常、昼12時半頃昼食。昼食中に電話問い合わせは複数来るし、ボートの客も来るし、日帰りバーベキューの客も来る。
昼食後、運よく人手が足りていたら1時間くらい仮眠できる。人手が足りなくてボートの客などが来たりするともちろん休めない。
バイトのおばさまの掃除は通常、午後2時には終わる。掃除のみのバイトのおばさまは仕事が終わり次第帰宅する。
バーベキューの鉄板や網の清掃はけっこう手間を食うので、だいたい午後3時くらいまでかかる。
午後3時には日帰りバーベキューは終了なので、バーベキューハウスの清掃。
午後3時からチェックイン開始なのだが、1時間以上早く客が来ることはわりとしょっちゅうあるので、実質、午後2時頃から順次チェックインの受付をする。
受付がムダに狭く作ってあるので、チェックイン客が複数来ると、複数で応対してもけっこうきつい。そこにボート客とか電話とか来るとさらにきつい。
通常、午後3時半頃休憩のお茶。
その日までの予約受付状況の確認を、チェックイン対応が空いた時間にだいたい行う。
午後5時にバイトは皆帰宅する。
通常、夕食が午後6時半頃。
運がいいと午後7時くらいに全てのチェックインが終わるのだが、運が悪いと午後10時くらいまでチェックインを待つことになる。
チェックインが全て終わり、宿泊客への応対が一通り済むと、その日の売上の確認と計算をする。
翌日の掃除の割り振りと、日払いしているバイトの給与計算を前日のうちにしておく。
運が良いと、午後9時に仕事を終了して帰宅できる。通常は午後10時頃帰宅。運が悪いと午後11時帰宅。

2

現在のウチの仕事は家族経営でできる宿泊業としては一応これ以上楽にはできない程度に内容がシンプルになっている。
昔、民宿と食堂とキャンプ場と釣舟屋を併設してしていた頃はものすげえきつかった。
釣舟屋は朝の仕事で、だいたい朝4時半〜5時頃起床して、釣舟客の対応をする。
民宿は食事付だから、朝6時頃から8時頃まで朝食の準備があり、朝食の片づけがだいたい9時半頃までかかる。
食堂は昼から夜9時頃まで稼働している。
本来のキャンプ場というのは団体幹事一人をだけ相手にすれば済むのだが、昔のウチのキャンプ場は小口客ばかりだったのと、レンタル用具をムダにこちゃこちゃ貸していてしかもレンタル用具置き場がムダに遠いところにあったので、300円の商品一つ貸すために毎回300mくらい走らされた。
バンガロー時代には布団貸出という作業があって、来客数分の布団を貸出したのだが、この布団置場も無駄に遠く置いてあり、来客数とほぼ同数の布団をすっ飛んで行って上げ下ろしした。他の作業をしながら。
釣舟は昼過ぎから徐々に戻るので、それを周期的に確認する。ボートはしっかり引き上げておかないとすぐに波で水没する。あるいは風に流され漂流する。流されたボートがないか確認し、水没したボートの水をかき、引き上げる。この引き上げるという作業がかなり重労働で、夏の終わりにはいつも体調を崩した。ボート管理はだいたい夜8時くらいまで続く。
日中のうちにバンガローの清掃をし、屋外トイレの清掃をする。現在のウチのトイレは洋式で清潔だが、バンガロー時代の屋外トイレは和式で必ず客は的を外していた。夏の初め頃は的が外れた糞便を掃除するのが嫌で堪らないのだが、夏の中盤以降になると客の対応をするのが嫌で堪らなくなるので、トイレ掃除の方がマシになる。
現在のウチの客の質はかなり向上しておとなしい客ばかりになったが、バンガロー時代は客の質が悪くて、ヤンキー率が高かった。夜中までたいがいバカ騒ぎしていた。
現在は自動販売機の売上は微々たるものになり、販売機の管理も半数は業者がするようになったが、20年くらい前までは二日で空になるくらいの勢いで売れ、夏の間は毎日俺が毎日自動販売機を詰める作業をしていた。
30年前は毎晩キャンプファイヤーの要望があり、炎天下の中、それを組んだ。木の廃材を軽トラに積み、その重い木の廃材を組み上げる。ボート管理とかしながら。
民宿の夕食準備は午後5時頃から始まり、客の夕食は午後9時頃まで続き、その後食器洗いなどの片付け作業に入る。だいたい午後10時頃まで片付け作業が続く。
夜10時頃だと昔はバンガロー客が泥酔して大騒ぎしている時間で、だいたい真夜中まで騒々しい。店はだいたい夜10〜11時頃まで開けていた。なので就寝は12時近かった。そして起床は午前4時半だった。
俺が小学生の頃から、マンガ家になるまでの20歳代後半までと、13年ほど前にマンガ業を畳んで一年だけ田舎に戻ってきた時のウチはそういう労働環境だった。
我が老母様は自分だけが苦労したかのように記憶なさっているが、俺は主戦力としてボロ雑巾のようにこき使われた。地獄とはそこにあった。当時は地獄はもっとひどいだろうからここはまだましだろうしここを辛いと思っている自分は甘ったれていると自分に思い聞かせていたが、今にして思うと、たいがいのブラック企業に負けない程度には劣悪な環境だった。我が老母は児童労働をさせるのに躊躇がないし、児童労働を課していることを俺から感謝されてしかるべきだと俺が小中学生の頃は思っていたし、俺が受験勉強をしている時間の間家の過酷な重労働をしていないことに関して俺に感謝を求めた。

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