Hatena::ブログ(Diary)

カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版 RSSフィード Twitter

Tweet
オタクちゃんねる2 オタクの政治プラス オルタナティブ@政治経済 予備ブログ
河口湖通信  ピアプロ pixiv ブクマ twitter tinamix
 twilog 読書メーター  はてなブログ版

2017-01-30

kamayan2017-01-30

[]始皇帝の夫人たちと、劉邦についてのおもいつき 22:39 始皇帝の夫人たちと、劉邦についてのおもいつきを含むブックマーク 始皇帝の夫人たちと、劉邦についてのおもいつきのブックマークコメント

今、藤田勝久『項羽と劉邦の時代』を再読している。kindleで。

32%位置No.1156に以下記述があった。

史記』には、なぜか始皇帝の夫人について、まったく記されていない。しかし始皇帝までの秦王の婚姻をみれば、すでに昭王と孝文王が楚から夫人を迎えており、趙に人質であった荘襄王(子楚)が、趙姫を夫人としていた。

筆者は、始皇帝の長子扶蘇は楚の王室につながり、末子で二世皇帝となる胡亥は戦国趙の王室につながるんじゃないかと推測している。

ところで以下はカマヤンのおもいつきなんだが、始皇帝の夫人について『史記』で記されなかったのは漢王朝でのタブーに触れていて、たとえば劉邦呂后がともに扶蘇の母親である楚の王室の付き人の家系だったとかそんなことがあったんじゃないかなとか想像するんだけど、だから劉邦は若かりし頃ヤクザみたいな生活していて亭長という役職にやっとこさ就いたのに豪族である呂氏から夫人を娶り、県の役人である蕭何から目をかけられていた理由じゃないかなとか想像するんだけど、同時に漢王朝時代に始皇帝の夫人について語られなくなった理由じゃないかと想像するんだけど、以上思い付きを忘れてしまうのはもったいないと思い記す。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし

2017-01-24

kamayan2017-01-24

[]我が嫁の箴言 22:17 我が嫁の箴言を含むブックマーク 我が嫁の箴言のブックマークコメント

1

既婚女性は、旦那か、舅姑か、小姑に苦労する。

いかに苦労しているかが、既婚女性間のコミュニケーションツールであり、いかに苦労しているかが勲章である。

まれに三重苦がある。

2

上記存在に対して嫁は従属するべきもの、という社会圧力があるため、既婚女性はきつい思いを強いられる。

3

我が家の場合、我が老母がかかあ天下の道を開いたので、旦那への苦労は比較的少ないようだ。

だがその表裏で、姑による苦労はひどい。俺が我が老母が死ねばいいのに感じるより少し柔らかい程度に。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし

[]『沈黙』に寄せて、96年遠藤周作追悼文 23:15 『沈黙』に寄せて、96年遠藤周作追悼文を含むブックマーク 『沈黙』に寄せて、96年遠藤周作追悼文のブックマークコメント

1

遠藤周作が亡くなった頃になんか書いたな、と思い、webアーカイブを探していたら以下出てきたのでここに残す。

2

追悼遠藤周作

(以下は、パソコン通信「NANAYAツインシテイツマンション」に発表したものです)

96-10-03 Thu 21:24

   レポート ;遠藤周作のイエス像(遠藤周作逝去によせて)

 私はまともな文学に殆ど触れていない文学音痴ですが、遠藤周作作品は愛読書もありますので、追悼の意を含めて、駄文を綴ります。

 「現代」の不幸は、人々が、信ずるべき拠り所を失っているところにある。…私はこのように考える。現代を生きる私たちにとって、信じることができるものは、あまりに少ない。しかしながら人にはその信ずるべき拠り所が必要なのである。世界の中で、背中を預けるものなく、寒風にさらされることは、人には耐え難いのだ。いわゆる「現実世界」という代物は、見ることはできても、知ることはできても、信じるに値するリアリティを持っているようには思えない。説得力がないのだ。頬に風を感じない。肌に体温を感じない。そして自分がここにいていいのかわからない。自分の心は人に伝わらない。そのことは耐えられないのだ。人は弱いのだ。徹底して弱いのだ。心はいつも貧しいのだ。それを必要とするが故に、人は「本当に信じられるもの」の代替品を誤って選びとる。ある人にとってはそれがオウムであった。或いは別なカルト宗教だった。或いはそれは陰謀論という世界の見方であった。或いは何かの政治運動だった。或いは現実を打開する「指導力」をもつカリスマであった。現実世界の救世主だった。

 しかし、遠藤周作がたどりついたキリスト像・イエス像は、「現実世界において全くの無力な人間」であった。彼のイエスは、何一つとして「奇跡」を起こすことはできない。超能力など何もない。彼は非力な人間にすぎない。

 『キリストの誕生』のなかで、遠藤周作はイエスをこう言う。

 …イエスは同時代の全ての人間の誤解にとりかこまれて生きねばならなかった。短い生涯の間、民衆も敵対者も、弟子達さえも彼を全く理解していなかった。味方である者も勝手な夢と希望とをイエスに託そうとした。イエスは自分の意志とは根本的に違った大衆の期待の中で孤独だった。庶民たちは彼に愛よりは現実的な効果を求め、大衆は彼をローマに蹂躙されたユダヤを再び「神の国」に戻す地上的な救世主だと守り立てようとした。こうした身勝手な期待と興奮は一時はガリラヤの春と呼ばれる熱狂的な人気を生んだが、やがてイエス自身に大衆の考えるような地上的救世主の意志がないことを知ったとき、彼らは反転してイエスから去って行った。大衆の目には無力な存在としてしか彼は映らなかった。弟子達ですら彼を見捨てたのは、彼が自分達の夢に値しない、何もできぬ師として映ったからである。だが聖書の深い問題はそこから始まる。無力だったこのイエスが何故その死後、神の子と見なされたのか。彼が十字架にかけられた時、見捨てて逃亡したあの弟子達がその後何故、命をかけてイエスの教えを広めようとしたのか。イエスは何故無力なるイエスから栄光あるキリストに変わったのか。弱虫だった弟子は何故、強い信念と信仰の持ち主になったのか。(『キリストの誕生』より)

 イエスは、出会った人々の心に深い影を残した。彼がなし得た奇跡はそれだけだった。遠藤周作は、『イエスの生涯』で、さらにこう述べる。

 …イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は彼らを愛する者がいないという事だった。彼らの不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独観と絶望とがいつもどす黒く巣くっていた。必要なのは「愛」なのであって、病気を治す「奇跡」ではなかった。人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみをわかちあい、共に涙を流してくれる母のような同伴者を必要としている。(『イエスの生涯』より)

 永遠に人間の同伴者となるため、愛の存在証明をするためにイエスは最も惨めな形で死なねばならなかった。人間の味わう全ての悲しみと苦しみを味わわねばならなかった。そうでなければ、彼は人間の悲しみや苦しみを分かち合うことができぬからである。

 「アガペー」(愛)という言葉は「共に」ということを意味する。共に喜び、共に泣く。遠藤周作のなかでイエス像は、「永遠の同伴者」として、母親的なものとして結晶していき、それがために従来のカトリックからは非難すら受けた。しかし彼の説くイエス像は、日本人の心にしっとりと染み込む慈愛に満ちている。

 確かサルトルだったか。「飢えた子供の前で文学は何が出来るか」という命題を立てたのは。遠藤周作作品は、それに一つの回答を与えている。飢えた子供の前には、美味しい食べ物の他は、全くの無力だ。だが、人は、食べ物を持っていないときでも、その子供の手を握り、背中を撫でてやることはできる。そしてそれは無駄ではない。

 余談ながら、私の祖母は非常に病弱で生前幾たびも生死の境にいたことがあった。そして祖母は、こう言ったことがある。

「病気で本当に苦しいときに欲しいものは、誰かが手を握ってくれていることだ。それがあるだけで、どれだけ安心することか」

 遠藤周作のイエス像は、大事な示唆を与えているように思う。人が人に出来ることは、苦しいとき、手を握ってやる事だけなのだ。イエスですらそうだったのだ。そしてそれが最も大事な事なのではないかな。と。 

誰かさん記す

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20170124

2017-01-11

kamayan2017-01-11

[][]目標の喪失、「憧れ」の不在 20:52 目標の喪失、「憧れ」の不在を含むブックマーク 目標の喪失、「憧れ」の不在のブックマークコメント

1

kindle購入し直した。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20161229/1483021780 そういうことが可能な俺は運が良い。

ふと気づくと結構な量の本を読んでいるが、全然身についていない。目標ないまま漫然と書痴趣味していても得るところがないのだなあ、とか思う。

これは書痴趣味だけのことではなく、目標ないまま余生を生きても全然充実感なく不満ばかり募るのだなあ、とかそんなこと感じたり。

もっと若かりし頃常に思っていた「いつかマンガに描こう」という漠然たる意識はそれなりにこの漫然に対し一定の方向付けがあったのだなあとか思ったり。そのこと自体忸怩たる感情が拭えなくてどうにも。

2

俺は幼少期から20歳代に至るまで「憧れの感情」を抱く対象がなかった。これがつらかった。

ロールモデルの不在という言い方が最も近いが、どういう方向に自分自身を育てればいいか、その手本が全然なかった。

俺の幼少期は酷いものだった。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20170107/1483796973

酷い環境で無駄に頭の回転が速くて、回転する脳を無駄に持て余した。空回転する脳は、「ここではないどこか」での生活を無駄に希求した。夢想するための材料の貧弱さに我ながら泣けた。その貧弱さを嘆くことで俺の4歳から15歳までの季節は全て費やされた。自己憐憫だけが習い性となった。何かもっとマシな何かがありえたと思うが、貧困とはこういうことだ。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし

banzaicbanzaic 2017/01/17 20:34 kamayan先生こんにちは。貴方のブログが好きです。憧れです。本の感想楽しみにしています。
神戸大の経営学教授加護野忠夫の話―ファンシーグッズでおっさんをよけるミスドの戦略―が貴方の経営に生きていることを喜んでおります。今、わたくしは文化人類学者岸政彦とその朋輩を批判しております。北杜市に学者が一般社団法人ライフストーリー研究所をつくっている事をを発見しました。自らの山荘を知識人の宿泊文化交流施設にしています。先生も、政治やオタクの資料を置いて文庫とし、マンガ学科や法学・社会学の研究者の夏季の研修施設とされるのはいかがですか。おもいつきですいません。後、加護野忠夫はなぜ神戸が洋菓子の聖地となったかを分析しています。例えばモロゾフがプリンで有名だったら、そこで修行を積んだ弟子はチョコケーキを売りにする。絶対プリンで勝負しない。孫弟子はイチゴケーキで売り出す。後続を育てつつ、バッティングさせない経営戦略で、全体として神戸市がスイーツの街としてブランド化し観光客でにぎわう…。お役にたてれば。
 見田宗介は家柄が良く一流の学者すが、その息子達はロリコンマンガ家等です。見田竜介のHPで下半身がカマキリの女の子のロリ絵をみました。彼は配偶者と籍を入れてないとのwikiの記述が過去ありました。http://mauzoun.hatenablog.jp/まうどん氏の幼少期のコミックエッセイ、沖田×華「蜃気楼家族」のマンガは。貧困の地方の親のネグレクト。

2017-01-07

kamayan2017-01-07

[]小中学校時代の自分へのメッセージと大学生時代の自分へのメッセージと 22:49 小中学校時代の自分へのメッセージと大学生時代の自分へのメッセージとを含むブックマーク 小中学校時代の自分へのメッセージと大学生時代の自分へのメッセージとのブックマークコメント

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20170105/1483615838の続き

小中学校時代の自分へのメッセージ

お前のいる環境ははっきり言って地獄だ。柔らかに言って地獄に隣接している。そのことをお前は知っている。地獄そのものだと言ってさほど誇張ではない。刑務所によく似ている。

内戦時代のカンボジアやベトナム戦争時代のベトナムよりはマシだろうから、地獄そのものよりは少しマシなはずだとお前は考えて、4歳から15歳までの幼少期11年間耐えたが、お前のいる其処は地獄に程近い。お前はそのことを薄々知っている。そしてお前の周囲の大人は誰も気づかない。大人は子供を理解しようとは毛ほども思っていない。「君たちは人生の一番いい時代にいる」とか朝礼で抜かした町会議員は死ね。とっくに老衰で死んでいるが。

お前に非は何もないが、お前の環境は最低だ。

生まれた場所とタイミングが悪かった。

内戦の現場よりマシっていう比較を先進国日本の小学生がせざるを得ない時点でおかしい。

お前を救う方法は50歳になる今の俺にもちょっと見当がつかない。転校させるくらいが関の山だ。転校先も似たようなところだろうが、転校させるに至る経緯が少しはお前の父母に心の痛みを与えたかもしれない。そういうものを感じない父母だが。お前の父母には共感能力がない。お前はそのことを想像できないが、お前の父母はそういう狂人であり特に母親は狂人度合いが酷い。

転校に至るためには、少なくともお前は数週間レベルの家出くらいはする必要がある。きつい話だが、家出しろ。それで事態が好転するとは今の俺でもさほど思わないが。お前が家出して飢え死にしても状況はさして悪化しない。だから家出するほうがだいぶマシだ。

お前があと4日早く生まれれば、地獄からかなり遠いところで育つことができた。

お前が好きだった祖父が早生まれだったことが生涯の桎梏で、俺の生誕に際し、「早生まれで生まれるな」と願い、それゆえ俺が出産予定日より一週間遅れて生まれたというエピソードを我が老母が嬉しそうに語るのがつらい。

もしも小学受験とか中学受験とかの選択肢があったら多少は話が違うが。そんな選択肢はない。

狭い範囲で考えると受験は人を救う手段だ。秘境レベルの田舎にはそんな選択肢はない。

大学生時代の自分へのメッセージ

大学で得た知識でその後の人生を乗り切るのだということをお前は知らないが、知れ。

専攻選択をしくじったことを1年生1学期で知り、専攻変更のための試験等をすることを父母に相談しようとしたという点は同情できるが、後者は無意味な作業だ。お前が勝手にやれ。お前の父母はともに語るに値しないし報告するに値しない。お前の母親は過干渉だが、狂人ゆえの過干渉なのであって、忖度する必要はない。というか忖度は罪悪だ。学費を払っているのは彼らだがフリーライドしろ。責任を感じるな。向こうもお前に責任など、正味のところ何も感じていない。狂人なのだから。

大学一年生の時にお前の母親が狂人だという事実をこれ以上なく突きつけられてお前は心が折れたが、狂人から逃げるためのチャンスは大学時代に得られるはずだった知識にある。お前の母親は狂人だからお前の心を挫くために全力を尽くした。そしてそれは叶った。お前の母親は狂人だからお前が心を折ったことに憤慨した。狂人の狂人たる理不尽論理。狂人の論理に付き合うのは身内レベルでは生涯の損失だ。

お前が進んだ大学はお前の生活感覚的には上層過ぎて居心地が良すぎることに背徳感を激烈にお前は抱いたが、そういう感覚を与えようとお前に呪いをかけ続けた母親の狂気から離脱する戦略をお前は立てるべきだった。

常人には無理なのだが。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。

2017-01-05

kamayan2017-01-05

[]高校生の頃の自分へのメッセージ 20:30 高校生の頃の自分へのメッセージを含むブックマーク 高校生の頃の自分へのメッセージのブックマークコメント

高校時代は俺の人生の中ではわりと安楽な時代だったが、色々選択を間違えた時期で、息子がいたらとくとく語るのだが、息子は生まれそうにないのでここに記す。

自分を好いてくれる子が登場することもある。その子のことを誰に対しても悪く言うな。

絵が好きなら素直に美術部に入れ、誘われても体育会系の部になんぞ入るな。体育会系に向いていないのは自分でよくわかっているだろう。

進路相談は一人二人に相談するだけではなくて教員全員に相談しろ。いっそ親族全員に相談しろ。お前の父母は想像しうる限り最も相談相手に向かない。

高校での文系と理系というのは、「英語が得意か、数学が得意か」という意味なのだということをまず理解しろ。

英語が壊滅的に判らないことを、できるだけ早く英語教師に伝えろ。

お前の苦しみの半分は大学進学で正しい選択をすれば消えることをお前に誰一人伝えないし、何が正しい選択なのか誰一人ヒントもくれない。誰かヒントよこせと全力でもがけ。おまえはまだ認めたがらないが、お前の母親は狂人だからお前は母親の心情を察しようとする努力を全力で放棄しろ。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。