価値の尺度−希少性−に関する考察
こんばんは。
まず、冒頭、今回の震災でお亡くなりになられた方に
ご冥福をお祈りさせていただきます。
僕が貢献できることは、浮き足立って何かをするより、精一杯頭を使って、この社会に役に立つことができる人間になることなんだと思う。
そして、僕はどんな人間になればいいのだろうと思考を重ねてみた。その一遍をここに記せればと思う。
さて、今まで、「ハゲタカ」の映画を見ていた。
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このドラマは僕の一橋入学への思いを強く駆り立てた映画でもあるのだが、その話はまた今度させてもらえばと思う。
この映画の中で、以下のような言葉がある。
「世の中には二つの悲劇がある。
それは、金のない悲劇。
もうひとつは、金のある悲劇。
世の中、金だ。」
ホントそうなのだろうか?
つまり金が世の中の価値尺度なのだろうか?
確かに一般的に解釈するとそうなるのだろう。
市場において、高価なもの、高額を稼ぎ出すものが、一般的に価値のあるものとされる。
でも、金ってなんだろう?
僕は、金は、アウトプットの対価、つまり、そのものへの評価が可視化されたものだと思う。
では、価値の評価が得られるものとはなにか?
そのキーワードが、「希少性」だ。
フェラーリは、とっても高価。
ただエンジンは日産のGTRの変わらない。
フェラーリとGTRを分かつものは、限定生産や、有名人が多く乗るといった、希少性だ。
他にも、たとえば、僕の前にブランデーとタオルがある。
ブランデーは、フランスの一部でしかとれず、年代物で、確かに高価だろう。
一方で、一般的にタオルなど、100円で買える無価値なものだろう。
ただ僕が、びしょ濡れでいたら、希少性の高いもの、それは、タオルだ。
ビショビショで寒くて、寒くて、死にそうだったら、タオルに千円払ってもいい。
つまり、特定のコンテキストの中で、希少性を持つもの、それこそが価値を持つものなのだ。(希少性が高まりすぎて、投機的になるとバブルが起きてしまうけど・・・)
なにを当たり前のことを、と思う人もいるだろう。しかし、こうしたことを一つ一つ自分の頭でゼロから考え確認していく作業は、とっても大事だと思っている。
さて、また、話に戻ると、かつての中田英寿は非常に希少性が高く、価値の高い選手だった。
でも、いま日本人選手がペルージャ(中田が始めにいたイタリアの弱小チーム)にいっても、マスコミにも取り上げられず、代表にも呼ばれないだろう。おそらく。
これは、僕がこれから目指すビジネスパーソンの世界でも同じだ。
1000万円もらってルーチンなオペレーションを行う社長よりも、300万円で、革新的な新サービスを生み出す、IT若手社員の方がよっぽど価値がある。
希少性がある。
つまりそれは、多くの人に必要とされること。
現在の社会の中で、希少性のあることとは、なんだろう。
そして、その希少性を身につけ、多くの人に必要とされるためには、どうすればいいのだろう。
そんなことを数日、自問自答したいと思う。