妖異金瓶梅の配列

 近所の図書館に「妖異金瓶梅」が入ったので早速借りてきた。「妖異金瓶梅」とは中国四大奇書のひとつ「金瓶梅」をミステリーとして翻案した連作短編集だ。山田風太郎忍法帖でブレイクする前、探偵作家だった時代の代表作である。ここ数年、角川文庫で編纂されている山田風太郎ベストコレクションというシリーズの一冊で、半年ぐらい前に出たばかりの本だ。かつて扶桑社文庫から出た完全版と同じ内容になっているそうだ。
 何を隠そう俺は学生時代に山田風太郎研究会というサークルを主催していたほどの山田マニアである。当然「妖異金瓶梅」も昔の角川文庫版を持っている。十年前に未収録作品を補完した完全版が出たときも、早速その未収録部分を拾い読みした。しかし完全版を通して読んだことはまだないので、記憶もだいぶ薄れてることだし、今回図書館に入荷したのを機に再読してみようと思ったのだ。
 それで久しぶりに読んでみたらやっぱり面白かった。改めてこれは凄い小説だと思った。どう凄いかはググればいくらでも出てくるので俺は書かない。この記事で書きたいのは感想ではなく別のことだ。今回読んでみてどうも所々引っかかるところがあったのだ。もともと山田風太郎の連作短編というのは、毎回独立していて、しかもあとでつなぐと長編になる形式のものが多い。これを連鎖短編という。「妖異金瓶梅」もたしかに後半はそうなっているけど、前半部分は故意に連鎖を断ち切る感じの不自然な配列になっている。たとえば伏線が後のほうに来たり、妻妾の合計人数が合わなかったり。
 巻末の書誌を見ると、前半部分をまとめた最初の単行本からすでにこの配置だったようだ。まだ完結してない時点で出された最初の単行本は、それまで発表された作品を季節ごとに編集しなおしたもので、以降の版はすべてこの配列を踏襲している。しかし春夏秋冬で季節は一巡するものの、作品内では明らかに一年以上の時間が経過しているので、かえっておかしなことになっている。旧角川文庫版を読んだときも首をかしげた覚えがあるけど、作品が増えたためにより違和感が拡大してしまった感じだ。こうなったら作品集の最適な配列を見つけたくなるのが人情というもんだ。そこで俺は収録作品を発表順に並べなおして、作者の執筆意図を探りつつ、作品ごとのつながりを検証してみた。

「赤い靴」冬
 記念すべき第一作。西門慶の妻妾の数は八人からスタートする。この話は元宵節、つまり旧暦一月十五日前後の出来事である。冒頭に「見物にゆく主人夫妻や娘」という記述があるので、これは娘の西門大姐が都に嫁ぐ前の事件だろう。西門大姐は六月に輿入れして、二年後にまた実家に戻ってくる。次の事件の被害者である画童と琴童もちらっと登場する。

「美女と美童」冬
 前作で第七夫人の宋恵蓮と第八夫人の鳳素秋が死んだので、妻妾の数は現在六人。本作では西門慶の寵童である画童と琴童が被害者になる。不気味な占い師の劉婆がレギュラーになりそうでならなかった。俺は「麝香姫」で武松を目撃した王婆を彼女と混同していた。しかしよく考えると劉婆は盲目なので武松を目撃するのは不可能である。

「銭鬼」初夏
 妻妾の数は前作に引き続き六人だけど、途中から手代の妻で豚のように肥った揺琴が第七夫人に納まる。夏至の日から三度目の庚の日だから七月中旬の話である。琴童の羅刹事件が「この冬」の出来事という記述があるので、やはり「美女と美童」の次の話はこれだろう。前作の冬から夏に飛んでるけど、その間に第六夫人の李瓶児が妊娠している。

「変化牡丹」夏
 引き続き李瓶児が妊娠中の出来事。作中で西門慶と応伯爵が梁山泊の群盗の話をしているけど、あまり切迫感がない。この部分は明らかに次回作「閻魔天女」の伏線だろう。だから本作は「閻魔天女」より前の出来事である。前作で死んだ揺琴の後釜として第七夫人に納まったのが楊艶芳。かつて彼女のために三人の男が死に、二人の男が発狂したという魔性の女だ。どうせこいつも殺されるんだろうなあ、と思ったら案の定である。

閻魔天女」晩春
 娘の西門大姐が二年ぶりに夫を連れて帰ってくる。そして前作「変化牡丹」でちらっと話題にでた梁山泊の群盗が西門慶に深く関わってくる。新たに第七夫人となったのが娘の嫁ぎ先からついてきた侍女の朱香蘭。彼女はすばらしい声の持ち主である。本作までは第七夫人以下に納まった女性が殺されるというのが基本パターンだったけど、次からはそのパターンに変化が見られる。

「漆絵の美女」十月
 第六夫人の李瓶児がすでに死んでいる状態から話がスタートする。記述によると、子供を生んだのが去年の六月。その子が今年の八月末に死に、子供を追うようにして李瓶児も九月十七日にこの世を去る。七月中旬に妊娠中だった人が六月に子を生んだ事になっているのは作者のミスだろう。不動の第六夫人と思われていた李瓶児が死んでしまうのは原典の「金瓶梅」がそうなっているから。ここから作者の構想が揺らぎ始める。

「麝香姫」初秋
 さかのぼって李瓶児が死ぬ直前の出来事。話に棺桶がどうしても必要だったのでこうなったのだろう。当然「漆絵の美女」より前に配置しなくてはいけない。これまでちょくちょく話題になっていた西門慶お気に入りの娼妓、李桂姐が本作でようやく被害者になる。そして武松が町に帰ってくる。作者もそろそろ幕引きを考え始めたのだろう。ラストの台詞に見られるように、潘金蓮のキャラも微妙に変化している。

「妖瞳記」晩夏
 死んだ李瓶児の後釜として美しい瞳の劉麗華が登場する。半年ばかりまえ新しく第六夫人となったとあるので、西門家に来たのは春の初めごろと思われる。本作では小間使いの龐春梅がクローズアップされる。これも幕引きを意識してのことだろう。ちょうど単行本一冊くらいの分量になってきたから。しかし結末の構想が固まるのはもうしばらく後である。この短編が最初の単行本からもれたのは、おそらく季節ごとにまとめたとき浮いてしまうからだ。結果的にそれが幸いしたようだ。

「西門家の謝肉祭」春
 ここまで発表した時点で最初の単行本がまとめられた。妻妾五人という記述があるので、作者は前作の第六夫人劉麗華をあのまま退場させるつもりだったのだろう。しかし後述のように劉麗華は復活するので、本作を執筆順に配置すると「五人」という記述に矛盾が生じてしまう。この矛盾を解消するには先代第六夫人が死んだ「漆絵の美女」の直後に配置するしかない。ほかに妻妾が五人になる時期はないからである。

「人魚燈籠」夏
 この短編は「邪淫の烙印」のプロトタイプとなった作品だ。これを見るとやっぱり劉麗華は退場していて、その代わり新たに四人の美女が投入されている。どうして急に大量投入したかというと、幕引きのためにはこの人数が必要だったからだ。つまりこの時点で結末の構想がほぼ出来上がったと見て間違いない。しかし増え方があまりにも不自然すぎるせいか、初出以降はお蔵入りとなる。本作の設定は次の「邪淫の烙印」ではリセットされているけど、「おっそろしく肌のきれいな」憑金宝は次作に登場する。

「邪淫の烙印」冬
 ちょっと切支丹ものの味わいがある作品。ここで作者は新しく妾になった憑金宝のことを第七夫人と記述している。第七夫人がいるということは、第六夫人が存在するということだ。明らかに劉麗華を復活させる可能性を視野に入れている。作者はここでようやく、必ずしも死んでない人間を退場させる必要はない事に気がついたのだろう。だから本作の憑金宝もあえて殺さなかったのだ。もう少し早く気付いていれば「閻魔天女」の朱香蘭も再利用できたはずである。

「黒い乳房」初秋
 退場したはずの第六夫人劉麗華が復活する。作者がこの人を引っ張り出してきたのはトリックに盲人が必要だったからというのもあるけど、何より妾の頭数を揃える必要があったからだ。劉麗華が第六夫人とハッキリ書かれているのに、本作から登場した香楚雲と葛翠屏には序列が明記されていない。これは前作の第七夫人憑金宝を再登場させるためと思われる。だから本作の時点で妻妾の合計は九人ということになる。ちょうど「人魚燈籠」のときと同数だ。作中に「ひとりの男をめぐる七人の妻妾」という記述があるが、これは作者のミスだろう。

「凍る歓喜仏」晩秋
 本作からは妾の数が増えない。これから以下四作品にわたって残った妾を順番に片付けていく作業に入るのだ。まず「麝香姫」以来しばらく遠ざかっていた李桂姐が死ぬ。続いて「おっそろしく肌のきれいな」憑金宝もあえなくお陀仏となる。憑金宝が死んだあとは、前作「黒い乳房」で初登場した香楚雲が第七夫人に昇格したはずである。作中にそういう記述はないけど。

「女人大魔王」正月 「蓮華往生」早春 「死せる潘金蓮」初夏
 この三作は特に検証の必要はない。作者が悪戦苦闘しながら妾を増やしたおかげで、我々は見事なエンディングを読むことができる。残った妻妾はあと七人。第一夫人はお堅い呉月娘、第二夫人は豊満な李嬌児、第三夫人は小麦色の孟玉楼、第四夫人は夢遊病の孫雪娥、第五夫人は希代の妖婦潘金蓮、第六夫人は盲目の劉麗華、第七夫人は新参の香楚雲。

 今まで見てきた通り、この連作は執筆順に並べるとかなり前後の関連性を意識して書かれていることが分かる。だから「赤い靴」から「閻魔天女」までの五作品はやはり執筆順に配置するのが望ましい。「邪淫の烙印」以下の六作品は初版以来一貫して執筆順に配置されてるので問題ない。並べ替えたほうがいいのはその間の四作品だけである。そこで俺の考える正しい配列を以下に記す。
 1赤い靴 2美女と美童 3銭鬼 4変化牡丹 5閻魔天女 6麝香姫 7漆絵の美女 8西門家の謝肉祭 9妖瞳記 10邪淫の烙印 11黒い乳房 12凍る歓喜仏 13女人大魔王 14蓮華往生 15死せる潘金蓮
 もっとも、この配置にも若干の問題がなくはない。「黒い乳房」によると劉麗華が失明したのは「この夏」という記述がある。そうすると夏が舞台の「妖瞳記」と秋が舞台の「黒い乳房」の間に冬が舞台の「邪淫の烙印」が挟まるのはちょっと具合が悪い。しかし「邪淫の烙印」はこの二作の間から動かせないのだ。なぜなら「妖瞳記」以前に配置した場合、憑金宝は第六夫人になってないとおかしいし、「黒い乳房」以後だと香楚雲がいるので憑金宝の序列はその次の第八夫人にしなくてはいけないから。だから劉麗華の失明は「去年の夏」とすべきところをうっかり「この夏」と書き間違えてしまったのだ、と解釈するしかない。以上の点をふまえて計算すると「妖異金瓶梅」は全体でおよそ五年半の物語ということになる。原典の「金瓶梅」が冒頭から西門慶の死まで六年だから、まあそんなもんだろう。