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稀な晴れ-読書と短歌のブログ- このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2015-05-10

2015年5月の短歌日記

2015/5/18(月)

 一身上の都合によりしばらく日記の更新を不定期更新にします(実質的には休止状態になるとおもいます)


2015/5/3(日)

 明日は東京に行く。その前に神々のたそがれという映画を見る。知らない星で知らないひとが知らない理由により殺し合いをしている。だれがだれであり、どこがなになのかもよくわからない。そして面白い。世界とはそもそも「わからない」ものであったはずだ。目の前にある文字が読めるということはひどく不自然なことなのかもしれない。わたしたちは、教育されたことにより、世界を自らの理解力まで縮減させながら生きている。決して縮減され得ない、ひどくぶきみなかたまりとしての世界をそのままぶつけられたかのような、こういう映画をわたしは好む。

 そして、だから、映画ではなく土を見ていればそれでも十分なのかもしれない。

   踏むならば土は崩れて水分と空気をきみは追い出すだろう


2015/5/2(土)

 ひどくよく眠った日だった。カレーを食べにいって、恋人のひとはキーマカレーを頼んだのだけれども、ひき肉の入った普通のインドカレーという感じであり、募金箱に1000円を入れていた。掃除をしてまた眠った。

   ねむりにおちることならいつでもすればいい 氷ひとつぶほどの休暇を


2015/5/1(金)

 医者に行ったりゼミに行ったりすると時間だ。もう全部直して欲しいとおもう。

 最近読んだ本の話をすると、panpanyaさんのまんがはとにかくよく歩いて、海の生きものがたくさん登場する。地球が陸地、海域、そして空に三分割される。それはたとえばわたしたちが「地図」を見るときの見方に近い。わたしたちの眼がある場所が空であり、陸地と水域はどちらもひとしい面積にすぎない。「地図」には、生物は登場しない。すべてがただない。そしてある。

   動物を載せてどこかへ去っていく時間があった それを見ている

2015-04-29

「北大短歌 第三号」紹介企画第二弾:会員作品の紹介

「隣町にうまい老舗カレー屋がありますよ」

「隣町? ニュータウンの中じゃないんだ」

「ニュータウンに老舗があるわけないじゃないですか」

「なるほど」

  ――panpanya「NEWTOWN」――


 こんにちは。北大短歌会のブログでも告知がでましたが(こちら)、前回に引き続き「北大短歌」第三号の紹介を個人的な視点からゆるゆるとしてゆきたいとおもいます。

 今回は会員作品の紹介です。


 学生短歌会の機関誌の目玉はなんといっても会員の短歌作品だとおもいます。ここに力を注がない短歌会はカレーが有名なそば屋みたいなものであって、それもまたそれですてきなお店です。もちろん、ただ「優れた歌」「おもしろい歌」を読みたいのであれば有名な歌人の有名な歌集を読んでいくほうが圧倒的に効率はいいんですが、学生歌人の(あるいはそのほか若いまだ有名でない人の)短歌を読むことには、また別の、独特の魅力がある気がします。

 今回の「北大短歌」の第三号には会員作品として七首連作、十二首連作、三十首連作が掲載されます*1。短歌会によってこの掲載枠というのはまったくばらばらで、歌数がひとりひとりまったくの自由だったり、逆にみんな統一されていたり、違う首数の連作を同じひとがいくつも書いていたり、読み比べるとけっこうおもしろい部分なのですが、今回の「北大短歌」は会員それぞれが七首、十二首、三十首のうちどれかひとつを自由に選択する、というかたちを採用しました(ページ数の関係から七首連作のみふたつ書けるようになっています)。

 原稿を提出した人数は十八人。そのうち七首連作が九つ、十二首連作が六つ、三十首連作が五つというけっこうな量となりました。すごい。


 さて今回の記事は会員作品の紹介なのですがどこまで作品を紹介するかというのはむずかしくて、というのも短歌というのは一首それ自体がひとつの作品であると同時に、それを集めた連作もまたひとつの作品であるというふしぎな文芸形式となっています。連作を読むというのは小説で言うなら短編集を読むことに近いのかもしれません。短篇集もまた「連作短編集」というひとつの作品なのです。そのなかでわたしは一首=短編か、連作=短篇集か、どちらを紹介するべきでしょうか。

 さいきん短歌関係の同人誌の宣伝では短歌を連作ごとに一首ずつ引用してそれでおしまい、鑑賞は連作を読んだ読者にまかせるというスタイルが基本となっているようです。詩や韻文の鑑賞に正解はない、というのはよく言われることですが、紹介文をすこしでも書いてしまうと読者の読解を制限してしまい自由な鑑賞のさまたげになるかもしれない、ゆえに紹介においてはあまりつっこんだことを書かない、、一首ずつTwitterに引用してFav & RTの数に一喜一憂する、ということが局所的にブームになっているようです。

 そういう配慮の行き届いたちゃんとした紹介は北大短歌会の公式のほうでいろいろやってくれるとおもいますが、わたしはそういうのは読んでいてあまり楽しくないので、今回はそれをしないで勝手に全二十連作のなかから、これは、とおもった連作をいくつか紹介しようとおもいます。なのでここから先はネタバレ注意です。

 それでは、えい。

 いまサイコロを振ったところ四の目が出たので四つの連作を紹介してゆこうとおもいます。

 どれにしようかな。


続きを読む

*1:連作というのは短歌を複数集めてひとつの作品としたものです

2015-04-27

「北大短歌 第三号」紹介企画第一弾:ゲスト寄稿の紹介

 こんばんは。わたしが所属している短歌会が北海道大学短歌会なのですが、今春、その機関誌の第三号が発行されます。

 初のおひろめは2015/5/4(火)に開催される第20回の東京文学フリマです。その後、通販なども行う予定です。くわしくは今後北大短歌会のブログを要チェックです。

 さいきんはほかの学生短歌会の機関誌や同人誌の紹介をTwitterでぼちぼち見かけるのですが、北大短歌会の機関誌もかなりエッジが効いてるのに、宣伝をみないな、まだしないのかな、まだかな、まだかな、とおもっていてもなにも始まらないので編集長に断らずわたしがします(編集長、ごめんなさい。変なところがあったらあとで直します)。

 ゲストの紹介、会員作品の紹介、特集の紹介などを会非公認という立場からゆるゆる、内部情報を漏らしながらやっていきたいところです。

 今回はまず、すてきなゲストのみなさまからご寄稿いただいた作品や原稿を紹介します。


 北大短歌第三号の記念すべき巻頭をかざるのは、北山あさひさんの新作12首「ハワイ」です。


   午前二時の鏡の中の乳首二つもうやめるんだ ハワイ行きたい

     北山あさひ「ハワイ」


 ああ、わかる。やめたい。なにもかもやめたい。学校なんて行きたくない。現代を生きるのはなんでこんなにつらいんだろう、とおもいます。乳首なんてなければいいのに。こんな紹介文なんか書くのをやめよう。紹介なんか意味ないんだ。はい終わり。帰った帰った、というのは嘘ですが、でもはやくみなさんも北山さんの作品を読めばいいのに、とおもいます。

 北山さんは北海道在住の歌人で、札幌市内で開かれる超結社の歌会「らっこ歌会」などでのご縁から、今回、新作12首とエッセイを機関誌に寄稿していただくことになりました。

 さらに。北大短歌第三号には北山さんのご厚意により、かつて「短歌研究」誌上に部分掲載されたあの作品が、特別掲載というかたちで、全て掲載されることになりました。

 昨年の短歌研究新人賞の候補作になった「グッドラック廃屋」の、全30首です。


   いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい

     北山あさひ「グッドラック廃屋」


   夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円

     


   変わりたい壊れるのではなく 朝のスプリングスペシャルジャム祭り

     


 言葉の跳躍力、という言葉を穂村弘さんは批評で使いますが、それでいうなら言葉がホッピングで跳ね続けているような、なんなんだこれは、という見たことのない詩情に満ちた30首、激やばです。

 グッドラック廃屋、全30首。もちろんここでしか読めません。ぜひ手にとって確認をしてほしい一連です。


 そして、北大短歌第三号に前号評を書いてくださるのが、未来の黒瀬珂瀾さんです。

 「短歌」二〇一四年七月号掲載の時評「属性を生きること」で珂瀾さんは「土地性」という観点から北大短歌の第二号について言及してくださいましたが、今号掲載の前号評では、土地性ではなく個々の歌人に着目してていねいな評を書いてくださいました。ありがとうございます。

 わたし、三上春海については《三上さんは詩情が美しく乱反射した歌と、言葉が空転した歌の差が激しくて、たぶん作者も自覚している》《己の優しさが故に外界を拒否する心》などを見出してくれて、よく見てくれているなあ、うれしいなあ、とおもいます。以前歌会たかまがはら5月号 黒瀬珂瀾さんへの質問 - 歌会たかまがはらで《三上春海くんの歌はついつい探してしまいます。》と書いてくださったり、珂瀾さんにはたびたびよくしてもらっていて、いつか恩にむくいたいなあと、そういう活動をしてゆきたいなあとおもいます。話がそれました。いいだろー、と自慢におもいます。話をそらしました。ごめんなさい殴らないで、殺さないで。話を戻しますと、また北大短歌第三号には、北大短歌会の顧問である阿部嘉昭先生から、「性愛的に――、初期の大辻隆弘」という評論を寄稿していただいています。こちらは北大短歌第三号の特集「短歌と性愛」の紹介をするときに、一緒に紹介してゆきたいなとおもいます。


 そして、巻頭ゲストのふたりめが、みなさんご存知穂村弘さんです。

 山田さんが穂村さんに寄稿の約束をとりつけてから数ヶ月、編集長がここには書けないさまざまな苦心・苦労を経験したすえの、穂村さんから寄稿いただいたSPECIALな短歌作品と、北大短歌会会員有志からの無記名の質問に穂村さんが答えてゆくという、誌上ask.fmこと穂村弘に20の質問」が第三号には掲載されます。

 わたしたちが穂村さんに投げかけた質問の一例を挙げるとこんな感じです。


1、〈降りますランプ〉〈世界音痴〉のような造語を穂村さんは得意としていますが、なにか流行らせたいここだけの造語がありましたら教えてください。

5、『シンジケート』の収録歌数が246首なのは、塚本邦雄『水葬物語』の収録歌数が245首であることを意識していましたか。

8、投稿欄などで、人の歌を選ぶときに大事にしていることはなんですか。

11、「短歌の未来」、また「未来の短歌」という言葉にどんなイメージをもたれますか。

15、Twitterをご覧になっていると噂で伺いましたが、どんなものを観測していますか。

16、会ったことのない人に恋をしたことがありますか。


 インタビューとはまた異なった不思議な読み味の企画となりました。はぐらかしたりまじめに答えたり悩んだり、穂村さんの真摯な回答はぜひ誌面でご確認ください。


 と、ゲストからの寄稿の紹介は以上になります。次回はわたしに余裕ができ次第、会員作品の紹介をしようかなー、とおもいます。どうぞよろしくお願いします。


 北大短歌のブースはE-52(@平和島文フリ20)です。お待ちしています。

2015-04-09

2015年4月の短歌日記

2014/4/30(木)

 そういえば先日観た。

 面白かった。

 アルバイトのほうはしばらく週2で入っていた結果仕事にようやく慣れてきて、間が開くと記憶は古びてしまう、楽器は一日やらないと一ヶ月戻るというような話を聞いたことがあるけれど、ただ長くやるのではなく、毎日やることが重要なのだという当たり前のことに気づく。こういう「当たり前」のこと、明文化されない暗黙知のようなものを、Twitterばかりやっているとわたしたちは忘れてしまう。身体的な知 がどこかに消えてゆく。

   身体を欲しがっているその風は木の枝に切り裂かれているが


2015/4/29(水)

 この日もいろいろと書き物をしていた。評論のことを考えていろいろな本を借りたりした。お昼にからあげサラダうどんを食べた。揚げては食べ揚げては食べで、揚げたてのからあげがすごくおいしい。

 大学では最近あまり研究をしないことによって研究室のひとたちになじまなくなってきているような気がしないでもないのだけれども、開き直りたい。

   ぼんやりと詩人がそこに光りつつ立つ 夕暮れの藤棚だった


2015/4/28(火)

 なんだかいろいろと書き物をしていて、電子化の作業を進めたりしていた。はやく作業を完遂したいのだけれども。

   目に見える部分だけある 新しく開封をしたプラモデルには


2015/4/27(月)

 恋人のひとが会社の説明会で大学に来たので特にまったく入社をするつもりもなく説明会を聞きに行ったら入社をしたくなった。

 まんがを買った。

枕魚

枕魚

駄目な石

駄目な石

   駄目な石 わたしが石になるときはそういう風に呼んでください


2015/4/26(日)

 散髪にいった。あたらしい美容室に言ったら美容室のひとが「へー、そうなんだ!」という教育テレビのお兄さん的な語調を駆使しておもしろかった。それから、そばと豚丼を食べたりした。

法哲学入門 (講談社学術文庫)

法哲学入門 (講談社学術文庫)

 読んでいる。インターネットに書かなければいけないことがたまっていて、書く。

   夏の光がそろそろ降るよ 梅の木が梅を散らして見えなくなって


2015/4/25(土)

 本を買いに行ったり赤レンガテラスに立ち寄ったりした。夕ご飯の買い物をしたら荷物がとても多くなった。桜の花が咲き始めたので桜の花を見て歩いた。

 最近は目がよく疲れる。

 人権の話を聞いた。

   さくらさくら知らない人についてゆく子供は暗いことをおもって


2015/4/24(金)

 留学生のひとが病院にゆくのでつきそって病院にゆく。カレーを食べる。それから研究室の掃除をする。

 家に帰ってきて、恋人のひとが「お酒を飲む!」とゆったので、冷蔵庫のなかにあった塩豆腐を、オリーブ油をかけたりわさび醤油をかけたり、キャベツを味噌でもんだりして食べて、「ぼくは晩御飯はずっとこれでいいな」と恋人のひとはゆう。うつぶせになっていたら恋人のひとが上からのしかかってきてぞもぞもしてきて、そのままなにかを挿入されてしまいそうなセックスな感じがあった。

   ふとももをゆするととてもよくゆれるあなたが好きな春なのだった


2015/4/23(木)

 急にあたたかくなって桜の花が咲き始めた。さくらの花がそこにあるとき、さくらの木の存在感はいや増すようで、しかし、わたしたちは本当に木を見ているのか疑わしい。

 ティーチングアシスタントがあってそれからアルバイトがある。人間にはひとと会話をすることによって回復する人間と、疲弊する人間がいて、わたしは後者なのだけれども、留学生のひとと会話をしなければならないことがおおくて、英語がうまく話せなくてどんどん疲弊する、ということをこの日記に書いていたのは去年なのだった。

 わたしは成長をしていない。成長を否定しよう。

   焦点をずらしてゆけば花は消え真昼の細い月 ほの白い


2015/4/22(水)

 穴をほったりする。研究室の飲み会がある。研究室のことを研究室にあたらしく配属になったひとに教えてゆくのだけれども、わたしはあまり去年のことを覚えていないので、あまりうまく教えることができない。ひとに「教える」立場にたつということの難しさをおもう。

 なんであれ「わたしはあなたよりものを知っている」という立場を仮構することが「教える」ためには必要であり、知識というよりも、その態度をこそが「教える」ことを可能にする。なにかを「教える」というよりも、「わたしはあなたよりもものを知っている」という態度が相手に「教わる」ことを可能にさせるのだ。だとして、わたしはうまくそれを演じられないのだけれども。

 龍が街を襲う。

   警察がそこにいるときぼくたちは 春で 駐輪場を探そう


2015/4/21(火)

 なにをしていたのか思い出せないのでなにもしていなかったのだとおもう。家系というラーメンを食べた。

 恋人のひとが仕事で帰ってくるのがおそい。家でカレーのおひめさまがつくっておいたカレーをチンして食べる。

   手をとればあなたは消える夢だった 壁の向こうを奔る水流


2015/4/20(月)

 動物の消しゴムを積む遊びを今週末にしてたのしむのが楽しい。

 おすすめです。

 それとアルバイトが急に入って手伝いにゆく。あたらしくバイトにはいったまだあまり日本語がうまく話せないひとに仕事を教えながら仕事をするという仕事があって、仕事を教えていたら仕事が遅いといわれ、仕事をしていたらちゃんと教えろと言われるので死だと思った。

   簡単な答えであった まっすぐに空から降りおろすわたくしを


2015/4/19(日)

 昨日買ったカラーボックスを組み立てるとき、差金をあててもらったのでちゃんと垂直になったりした。スーパーで半額だった黒毛和牛を買ってきて焼き肉にして食べたけれど、以前給料日に買ってきてもらった短角牛のほうがおいしくて、ぼくらは舌が肥えすぎてしまったね、と言われたのでうなずいた。部屋の本を整理したり、午前中ずっと眠っていたりした。すこし疲れてしまって、恋人のひとはお腹が痛くなったので、ゆたんぽを出した。

   あなたの靴であなたはうまく歩けない 濃い紫のすてきな靴で


2015/4/18(土)

 しろくまの赤ちゃんを見に行った。おかあさんのおっぱいを飲んですぐに眠った。ひとだかりがあった。それから、スローロリスを見たり、それから、オオハシを見たり、オランウータンを見たりした。パンを食べた。ニトリでカラーボックスを買った。そのころにはもう歩き疲れてへとへとになっていた。

 わたしのこと、好き? と聞かれるので、 すきだよ。と答えた。あと何万回ぼくたちは同じことを確認しあうだろう、確認しあえるだろう、とおもった。

   しろくまの寿命はおよそ三十年、人間の半分にみたない


2015/4/17(金)

 恋人のひとが絶望をして帰ってきた。〈男〉の真顔に意味が無いように、〈女〉の笑顔に意味はない。ある種の女は笑顔を浮かべながら、つねに、絶望し続けることができる。

   絶望が遠いところで海になる 海があなたの故郷を覆う


2015/4/16(木)

 最近夜遅くまで研究室でパソコンをかたかたと打ち込んでいるし、恋人のひとも夜遅くまで仕事をしているので、家に帰ると食べ物がなにもない、ということになるので、夜にコンビニに行く。来週は食べ物に充実した生活を送りたい。プログラミング言語について学ぶ必要があるかもしれなくてC言語の本を図書館でかりる。いや、エクセルのマクロで事足りるのかもしれないけれど。

   その国の言葉をだれも聞くことがないまま息が絶えるのだろう


2015/4/15(水)

 原稿をぱちぱちと書いたり、鈴木ちはねの短歌を翌日に読んだりする。それから、次の日曜日には北大路翼さんの句集『天使の涎』が届く。ピンク色で、俳句がたくさん入っていて、世界にたいして誠実なひとでなければこういう本は作れない、とおもう。

 《セックスでわかってることは、しないよりした方がいいってことだけだ。》(北大路翼)

   強姦のように大きな国がある すてきな夢をみて欲しいだけ


2015/4/14(火)

 なんでこんなに日記を放置しているのかわからない。午前中には起きれない。学校ではずっと数式をこねくり回している。そろそろ実験計画をもう一度建てなおさなければならないのだけれども、自分が何をしているのか、いまいち判然としない。頭のなかにある世界をいちから作りなおさなければならないような気がする。

 ひとまえでなにかを話す時、自分になにができるかを伝える時、「わたしは〜ができる」と語る時、そこにあるうそくささをおもう。わたしは水になりたい。なにもしたくない。わたしはなにもできない。無力であることを褒め称えたい。力の側には属したくない。

   水になったらあなたのなかを巡りたい そこに留まることはできない


2015/4/13(月)

 エクセルで数値解を求める。恋人のことを考える。わたしにはいまもまだ恋人がいて、一緒に住んでそろそろ一年がたとうとしている。すごいとおもう。いつまでいっしょにいられるかはわからない(わたしが死ぬかもしれないし、わたしが殺すかもしれない)。殺すかもしれない、というこの可能性を、わたしは捨てるべきではないとおもう。常に、命をかけあいながら、生きること。たましいを焼け焦がしながら生きたい。

 わたしにはそんなに才能がない。ひとつの中学校にひとりしかいない、程度の、日本に400万人くらいしかいない、程度の、この権能を武器にしてなにかをなすとして、せめて、だから、この「ない」ことを、捨て去ってはならないとおもう。わたしは俗な人間だ。わたしは「聖」なるものではない。詩人にはなれない。だからこそ、この「俗」を捨ててはならないとおもう。

   火のなかに新しく立つ塔だった 夜に見にゆくいくつかのもの


2015/4/12(日)

 北大短歌会の歌会があったんだったけか。ゲラの確認をしたような気がする。

 マイスターエックハルトの説教集を読む。

エックハルト説教集 (岩波文庫)

エックハルト説教集 (岩波文庫)

 《天国においても地上においても、神が驚くべきしかたで創造したみごとな被造物すべてのうちでも、人間の魂ほど神に等しきものは何ひとつとしてない》[p.12]

 同感だ。

   人間が大きな悪をなすころにひとりにひとつ戦車 かわいい


2015/4/11(土)

 この週のうちに『小さな恋のメロディ』という映画を観る。

小さな恋のメロディ [DVD]

小さな恋のメロディ [DVD]

 爆弾ですべてが解決される話だった。嘘だ。男の子が女の子を好きになって、結婚したいと言って、でもおとなに反対をされるという話なのだけれども、思春期の、息がつまる感じがあって、よかった。

   向き合ってふたりはずっと跳ねているおおきな春の手押しトロッコ


2015/4/10(金)

 ネパールのカレー屋さんでカレーを食べる。勉強をする。そろそろ、勉強が次の段階に進めそうだ、とおもう。

   てのひらに手紙を載せているあいだきみに無力を感じてほしい


2015/4/9(木)

 アルバイトから帰ってきたら恋人のひとがキーマカレーをつくってくれていておいしい。それから、部屋にはかすみそうとなでしこが飾られていた。

 花を飾る生活。

辻 (新潮文庫)

辻 (新潮文庫)

 立ち読みして文章のうまさにうなって買った。

   砂埃巻き上げぬとき透明な風は階下のきみを追い抜く


2015/4/8(水)

 夜更かしをしたせいで精神が落ち着かなくて気がついたら歌ったりしてしまってよくない。そばパスタにさばトマトをかけて食べるやつをやった。買ってきてもらったレタスを食べました。朝起きるときにわたしが起きているとうれしいというので、早くねて、はやく起きようと思った。健康が大切だ。

 学校でこまづかいに勤しんだ。勤しみたいとおもった。

僕たちの前途

僕たちの前途

 古本屋で売っていたので買ってしまった。

   大日本帝国憲法発布後に北海道旧土人保護法


2015/4/7(火)

 会社の説明会で学校に行かなければならなくなったということでいやだと言っていた。そうおもう。

 キャベツをごま油で会えたらしょっぱくなったりした。お菓子を食べながらソラリスをみて、最後に、室内に雨が振り続けるのが美しいと思った。

 そのあと眠らなかった。恋人のひとが朝起きてくるとき、すこしずつわたしのことを認めてくれるのがおもしろかった。

   向こうからきみのからだがきみを引き上げてくる 朝焼けの此方へ


2015/4/6(月)

 午前中をよく寝た。眠りすぎなので、ねむらないようにしようとおもった。学校に行くと研究室に学生がいて、がんばらなければ、とおもった。

惑星ソラリス HDマスター [DVD]

惑星ソラリス HDマスター [DVD]

 アルバイトを終えて帰ってきてから観た。ロシア美女のおっぱいだ、と恋人のひとが言ったので、そうだ、とおもった。

 お化け大学の話をしたりもした。

   おっぱいはひとりにふたつ 何本の木から森林だと言うだろう


2015/4/5(日)

 北大短歌会の歌会があって新入生が見学にきてすごいなあとおもった。短歌が上手だった。今年は二年生が新歓をすすめてくれていて、すごいなあとおもう。はっきりいって私は大学のサークルには向いていないので、すこしずつフェードアウトしながら、大学のサークルとして、下の世代のひとがいろいろとあしもとを固めていってくれたらいいなあとおもう。

 お家に帰ってきたらおなかが痛くなったりして、それから、昼間には、全部で三時間近くある『惑星ソラリス』を、これから三日かけて観ることになるやつをみた。

   「透明」の『めい』の部分がまだ少し見えている透明なカピバラ


2015/4/4(土)

 朝五時に恋人のひとが起きていちご大福を買ってきて帰ってきてぜんしんが冷えているのでふとんに入ってゆたんぽで温める。いちご大福はふくふくとしておいしいのだけれども、わたしはこしあんがあまり好きじゃなかった……、と恋人のひとはいう。

 買い物にいったりする。

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈下〉

薔薇の名前〈下〉

 古本屋で買う。

 読む。月蝕を観る。

   「この部屋で女子高生は禁止です」月の光の制服を脱ぐ


2015/4/3(金)

 この日は焼鳥を食べに行ったのだった。17時にいってなかなか安く済んだので勉強になった。それ以外はなにもしなかった

 焼鳥を食べて帰ったらたばこくさーい、と言われた。

   焼鳥を投げる わたしは三秒でこの日記の短歌を書いている


2015/4/2(木)

 朝から学校で研修会があってほかの学部の眼鏡男子たちとグループディスカッションをしたりした。

 あとは無。

   眼鏡のなかの鏡のようにきみがいて(どういうことなのだろう)とおもう


2015/4/1(水)

 日記のためのメモには「無」と書かれていてなにをしたのか覚えていない。

 たしか嘘はつかなかった。

   「無」と書いたメモをあなたに見せている もっとやさしくして欲しかった


2015-03-09

2015年3月の短歌日記

2015/3/31(火)

 勉強をして、読書をして、肉じゃがを作って、甲子園を観た。

   方程式がひとつ残らず消えてのち記憶によみがえる無人島


2015/3/30(月)

 ぼくは天才になるはずだった、といって、恋人のひとは泣く。

   恋人の夢をわたしも恋人も見ることのできない春の夢


2015/3/29(日)

 帯広の図書館に行ったり、そばを食べたり、六花亭を食べたりして、それから札幌に戻る。北海道ホテルというところにとまったのだけれども、パンの食べ放題がおいしかった。がんばろう。

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 読んだ。

 赤い不思議な生きものの人形を買って帰ってきた。

   右手ではなく左手をつなぐためあなたがぼくの右手にまわる


2015/3/28(土)

 帯広でモール温泉に入るとぽかぽかして暖かく、温泉は入れば入るほど、自分の体の輪郭があやふやになるような気がして、ここちよく疲れる。肌がつるつるになる。

 帯広のイオンでデートをする。床面積が広い。UFOキャッチャーをやってみたら恋人のひとはいっぱつでとるのだけれど、あまりいらなかったり、トテッポ工房、というところでケーキを食べたりする。十勝牛のワイン煮込みがほろほろとしていてすごくおいしい。プリクラを人生でにどめくらいにする、ひどくおそろしい、やばい。わたしの姿勢が悪いことを矯正して遊んだりする。

 それから恋人のひとがいなくなるので、夜の街を歩きながら、これからのことを考えたりする。

 胃に小さな痛みがあるので薬を買う。

   神経がひどく傷んでいるまひる 月の半分だけ見えていて


2015/3/27(金)

ビーンク&ロサ

ビーンク&ロサ

 読んだ。感動した。

 この日夜、恋人のひとが買ったチケットを使って、特急で帯広に向かう。

   特急の電車のなかでふたりしてつまむ色とりどりの惣菜


2015/3/26(木)

 朝、起きれなかったのでずっと寝ていて午後になってから研究室に行ってきのうのあとかたづけをする。ネットプリントできのう歌集(その全文はわたしの短歌のbotとなっています)をまとめました。よろしくおねがいします。

 お豆腐にいろいろなものを塗って食べると伊風も中風も和風も米風も全部おいしいので豆腐は神だとおもう。明日から帯広に行きます。それにそなえて恋人のひとはケーキを焼く。

   透明な生きものを踏みながらゆくしかない 春というおそろしさ


2015/3/25(水)

道 [DVD]

道 [DVD]

 卒業式があってほくたんの歌会があった。卒業式では卒業をする人たちと会ったのだけれどもわたしは彼ら彼女らにはなにもできていないし、逃げるように研究室に行かなくなってしまったので、会っても、もうしわけないし、なにも話をしない。ひとと会ってもわたしからはなにも話せない。岩になりたい。

 でもきみは好き。

 そしてひとしごとを終えてからフェリーニの『道』という映画をみる。とてもひどく、どうしようもなく、美しく、かなしい映画だった。旅芸人のザンパノへ売られたジェルソミーナという娘が、ひとつのたましいがほろびゆく。人間の「弱さ」を直視して物語にする、作者の、つまりは神の、ごうまんな美しさについて考えがおよぶ。だれもしあわせにはならないし、視聴者はそれをみて、美しさをおぼえる。ごうまんなわたしはどうしてここにいるのだろうとおもう。よい映画だった。

   白黒の映画のなかに降る雪がわたしのいない道を照らすよ


2015/3/24(火)

 学校に行ってマイナビに登録をしてみる。いろいろな会社がいろいろな募集をしている。なるべくひとにあわなくてよくて人間関係をつくらなくてよくて同じことをただ繰り返すだけの機械にもできるような仕事をしたいとおもうのだけれどもほんとうにそれがしたいのかはきみもわたしもわからない。恋人のひとに将来のことを相談すると「ひもになりな」とか「バーテンになれば」とか「開業をしよう」とか有益なアドバイスをひととおりいただく。でもほんとうにどうすればよいのかわからない。学校で指導教官に相談をする。/とりあえずひとにあった時には博士課程に進みたいとおもいますとつげるのだけれどもそれは嘘である。なにもしたくないし自然に還りたいとおもうのはわたしはストア派の思想が好きだからなのだけれど、すべてが物質に還元されるのだとしたら、なぜひとは生き、なぜひとは愛し合うのだろうか。それが運命だからだ。運命に従った仕事をしたくおもう、自分の意志でなにかを選びとりたくはない、というのはわたしがいまだに甘えているからなのだけれど。自分の立場を主体的に選びとり、切り開いていくことが、社会に参加をするということであるけれど、わたしは自然に従っていきたい、すなわち、なにかを選びたくない。だから社会のなかでは生き残れないかもしれない。

 読んだ。

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

 この日の日記を書いていたら恋人のひとが「えらいにゃんの力、甘く見るなよ」という台詞をおもいついたから次にがんばるときにはぜひご使用ください、と言った。

   えらいにゃん「ちゃんと掃除と洗濯をしたからえらいにゃんはえらいにゃんよー」


2015/3/23(月)

 アルバイトをおえて帰ってきていろいろあって恋人のひとが泣いてしまうのだけれども恋人のひとの泣き顔がおもしろかったのでどうしてもこらえきれなくて笑ってしまったら「笑いのたえない家庭です」と恋人のひとは言って笑ってからまた泣いてしまう。えぐえぐとまんがのように泣く。ごめんなさい。

   きみが急に泣きだすときのぼくだけがこの春の夜のきみを見ている


2015/3/22(日)

 お昼にビールを飲みながらてんぷら(舞茸、ピーマン、ふきのとう、豚肉)をあげてあげたそばからどんどん食べてお腹がいっぱいになるのだけれども、ふきのとうは味噌をつけて食べると苦味が中和されておいしくてさわやかな春の味がして、あとはめんみをうすめたつゆと、カレー塩をつけてたべたらおいしい。

 恋人のひとが恋人のひとの妹のひととお買い物にゆくので家にいる。家に中で原稿をなおしたりしていたらすぐに夜になる。最近は書物のなかに言葉として生きている時間のほうが実際に肉体として存在をする時間よりも長くなっていて、じぶんが本当にここに肉体として生きているのか、それとも言葉なのかわからなくなっていて、危険なので、現実感をとりもどすために、肉体を、有効につかっていきたいとおもうセックス。

   セックスを郵送します 希望者は住所を「春」に変えてください


2015/3/21(土)

 恋人のひとに「かみはるくん(仮名)、岩?」といわれるので「岩じゃないよ」とこたえる。「胃は?」だった。

 商品券がたくさんあるのでふたりで6000円分の本を買い、ドイツ風のパンケーキを食べたら、焼いたプリンのようで、ぼくはおいしいとおもったけれど、あまりおいしくないと言っていました。それからなんとかの『なんとかとなんとか』という現代演劇を、なんとかにある「なんとかーニョ」という劇場に見にゆく。その劇団の常らしく、役者ははなしながらくねくねと動くのだけれども、ときに地をはうような、その動きは重力のそんざいをわたしたちにいやおうなく突きつけてくる。(バレエは飛ぶことで重力の「限界」をみせ、『地面と床』は動きによって重力「そのもの」をわたしたちに突きつける。)わたしたちは重力のなかでくらしています。地面と、床。地面のなかには死体がある、それは灰として、物質として、記憶として、いやおうなく「土」というものが含んでいる、人の肉体であり、恐竜であり、バクテリア。役者は床のうえで演劇をおこなう。床には死体は含まれない。床の上にはときに演技によって墓があらわれ、地面の存在が語られる。でもそれは床でしかない。床は「死」から遠ざけられている。そのなかで彼らは重力を、重力のなかで暮らし、地面も、床も、重力をもつ。生きるとは重力をひきうけつづけることであり、死とは、重力そのものになることだ。

 言葉は重力をうけない。劇の中ではスクリーンに字幕が光として投射されている。光、重力ではないこと、言葉、それは生そのもの。わたしが生きているということ。わたしの日記は言葉である。わたしはここに生きているとあなたはおもいますか? おもうのであれば、それは、言葉というものが、「生命の根拠」であるから。言葉とはどうじに存在のことでもあるのだけれど。

 映画『ハルフウェイ』も観た。

現在地

現在地

ハルフウェイ [DVD]

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   早稲田大学がこっちにやってくる 不思議なものを脇に抱えて


2015/3/20(金)

 橋本治の本を読む。それから今日はみそ味の鍋を食べる。味つけは鍋の本の、ちゃんこ鍋の味つけを参考にして恋人のひとが行った。

 おおくの歌集を読む。具体的には、木下こう『体温と雨』、水原紫苑『びあんか/うたうら』、大森静佳『てのひらを燃やす』、佐藤羽美『ここは夏月夏曜日』。

   スポンジが届かないので水筒の底は存在しないでほしい


2015/3/19(木)

 学校に全然行っていない。このままでいいのかなあとおもう。胃がいたくなる。最近は歯もなんだか痛い。頭も痛い。ぜんぶがいたい。からだが上からしたまで痛みでおおいつくされたとき、わたしのからだの外縁は、いたみ、で定義される。からだの外側をわたしは痛むことができないけれど、おそらく、すぐれた宗教家はそうではなく、外を痛むことができる。わたしのからだはどこからどこまでだろうか。

 まんだらけで本を売る。

   学校なんて行かなくていい 山笑う 明日から宗教が始まる


2015/3/18(水)

 図書館で岩波の短歌事典のコピーをとるなどする。

 恋人のひとがかえってくるので豚の肉と鶏の肉をいれた醤油なべにする。なべはおいしい。

   肉の鍋 だれのからだも血管はただ一本であるといいます


2015/3/17(火)

 家で稀風社の原稿を書いたり、脱力をしたりしていた。

 恋人のひとが遠くに行っている。テレビをつけて見た。春が来る。今年もまた春が来る。

   ぼくのもとにもきみのもとにも春がくる 春は何人いるのでしょうか


2015/3/16(月)

 家を出ようとしたら出られなかった。

 評論を書き直したりしていた。評論に書くよう整然とした文章がわたしは下手で、ほんとうは、もっとぐちゃぐちゃと書きたい。だから評論はあまりうまく書けないのだ。論理をうまく組み上げるよりも、感情で、情動で押し切るような、青春小説のほうが得意なのだとおもう。橋本治の「恋愛論」を読み始める。

 町は今年は雪解けが早い。地面がだいぶよく見える。

   白く冷たい時計のように青春は回り続ける 見ていてほしい


2015/3/15(日)

 RaRaでカレーと、チョウメンというインド風の焼きそばと、チーズオムレツを食べる。おいしい。窓から差し込む陽光があたたかい。

blue [DVD]

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 観た。まんがでは違和感のなかったセリフ回しがそのまま実写になると、地に足のつかないような、不安定な感じがした。

 でも美しい。

 青くて、深くて、くすんだ海、空の色。日本海の。新潟の。たましいをひねりつぶすような青色。

 好き。

   うつくしく水平線がゆれている 音楽は誰かのためにある


2015/3/14(土)

Blue (Feelコミックス)

Blue (Feelコミックス)

 読んだ。遠くに行けるのは、天才だけだ。

 すすきののパフェのお店にいく。一時間近く店内で読書をして、パフェが届く。うずたかくソフトクリームが積まれている。ラム酒とカスタードプリンのパフェ、と、いちごのパフェ。

   カンバセーション・ピースをぼくが、なんといふ空をあなたがすぐここで読む


2015/3/13(金)

 評論(二本目)が書き上がったので送る。大変だった。

 ここしばらく寝るか食べるか書くかしかしていなくて、恋人に申し訳なくおもう。ありがとう。

   音楽を一瞬で聴く そのように中身が満ちてゆくiPod


2015/3/12(木)

 評論(二本目)を書くために図書館で岩波の現代短歌辞典を読む。三枝昂之の「百年ひとくくり説」について考える。

 短歌で評論を書く若い歌人には、『現代短歌辞典』(岩波)と『現代短歌大事典』は必携だとおもう。

   見ることは一瞬である 読むことや伝えることはそうはいかない


2015/3/11(水)

 合掌。

 評論(二本目)を書きあげるために穂村弘の『短歌の友人』を精読する。「不死」について考える。西谷修の『不死のワンダーランド』を再読したい。もしくはブランショを読まなければならない。

   頭のなかにあった言葉が文字としてきみにも読める いつでも読める


2015/3/10(火)

 機関誌の締め切りで書きあがっている原稿を送るが、まだ評論(二本目)が残っているので、書く。

 恋人のひとがおいしいシチューをつくったのはこの日かもしれない。

   言葉によって考えたあと考えたことを言葉に置き換えている


2015/3/9(月)

 評論(一本目)などを書く。恋人のひとが赤飯を炊いたのはこの日だったかもしれない。北海道の赤飯はピンク色で、甘納豆が入っていて、おいしい。

   赤飯といえば茶色で醤油味だった故郷の夕暮れの家


2015/3/8(日)

 午前中はねむって午後から『谷川さん、詩をひとつ書いてください』という映画をみにいったら短歌会のひとにきのうのきょうであったりした。

 映画は疲れてとちゅうでうとうとしてしまってわたしはだめだなあとおもった。

 恋人のひとは美容院で髪の毛をきってゆるふわかーるになっていたので、家では写真撮影会をしてあそんだ。「自分が商品になって気がする」と言っていた。

 ノースコンチネント、というような名前のおみせでいけだ牛のと、しか肉のハンバーグを食べたのがすごくおいしかった。

 おなかがいっぱいになってねむってしまった。

   プレートにすべては美しく盛られていて崩れてすごくおいしい


2015/3/7(土)

 恋人のひとに買ってもらった前売り券があったのでふたりでおととたびというロックフェスにいった。

 そして北大短歌会の追いコンがあった。久石ソナ、岡田彰悟、滝貴愛といったほくたんにずっとかかわっていたメンバーがいなくなってしまって、Twitter上ではまだつながりがあったりなかったりする。あまりわかれというものはかなしくなくて、だっていま会っていないひとはどこかで事故で死んでしまっているのかもしれないのだ。(いる)か、(いるかいない)か、(いない)、の三形態があって、いまここにいないほとんどのひとはわたしにとって(いるかいない)に含まれる。笹井宏之はもう(いない)。笹井宏之の短歌は(いる)。たとえばいまはわたしの恋人は(いるかいない)。死んでしまってもそのひとの死はそこに(いる)。岡田彰悟は(いるかいない)。でもわかれに際してみんなが抱く感傷はとてもうつくしいとこころからおもう。みんながうつくしくそれぞれにまったく違うことやすこしはおなじことをおもっていて、そのまま夜を過ごして、そういう意識の共同作業は、とてもうつくしい。どうしてもこういう発言をするとき、会になじめずにいなくなってしまったひと、会に入っているけれど個人の都合で活動に参加できないひと、などの顔をおもいだしてわたしはつらいきもちにもなるのだけれども、でも、あえて言うならば、北大短歌会はとてもよい会になったとおもう。

 だからそして、かなしいというよりも、これからもっとがんばっていこう、とおもう。

   いるひとともういないひと そのすべてつつんで夜や昼や朝、来る


2015/3/6(金)

 家でかりこりと評論文を書いていた。この日は恋人のひとが買ってきてくれた白魚の刺し身をどんぶりにして、明日は牛肉とキャベツとにんじんを焼きにくにして食べる。焼き肉はしょうがやにんにくやはちみつなどがはいったたれにつけてから焼いたほうがおいしかったのでよく覚えておくように。

   約束は覚えていない でもきみは待ち合わせ場所までくるだろう


2015/3/5(木)

 家でかりこりと評論文を書いていた。

   手のなかでちいさな包み紙だけが音をちいさく立ててている部屋


2015/3/4(水)

 家でかりこりと評論文を書いていた。味噌味の肉じゃがをつくった。はじめは味噌汁のような味がしたのだけれどもにこんでいるうちにみりんなどの味が効いてきて肉じゃがの味になったのですごいとおもった。あと甘平というあたらしいみかんがあまくておいしかった。

   憲兵が水平線に立っている 誰もそれには気づいていない


2015/3/3(火)

 家で短歌バトルのまとめ作業などをしていた。まとめ終えたら前日までのつかれもあって眠ってしまって、眠ってしまっているうちに恋人のひとが仕事から帰ってきていて、おかえりもいえなくて、ごめんなさい、とこころからおもう。

   透明な窓ガラスならここにある あなたの夢を見るために寝る


2015/3/2(月)

 野方のガストで朝ごはんを食べて、東京をふらふらと歩いて本を買ったりおみやげに資生堂パーラーのスペシャルなチーズケーキを買ったりする。

 銀座と新橋のあいだ? くらいにある居酒屋のランチで肉豆腐が食べられなかったりする。

 そして飛行機に乗って札幌に帰ってきて、ただいま、という。

   ただいまをふたりのためにぼくが言う ふたりのためにただいまがある


2015/3/1(日)

 短歌バトル2015というイベントがあって応援に飯田橋まで行った。あいにくの雨だったが、北大短歌会は優勝した。それを目の前でみていた。三人と、また準備に協力したほかの全員のちからがあって、勝ち得た優勝だとおもう。この優勝にまつわるおもいはだいたいはTwitterに書いたので割愛。後日飲み会のおりにとある山田さんがほくたんについて、「すでに北海道文学に爪あとを残したと思う」、というようなことをおっしゃっていたのだけれども、たしかにそのとおりだとおもう。後からでてきた地方の短歌会として、存在感をしめすこと。そしてなおさらこれからだとおもう。同時に、短歌バトルのために準備をしてきた他の短歌会の会員の気持ち、また人数が集まらず予選にも出ることのあたわなかった他の短歌会のひとの気持ちをおしはかろうとしてしまうのだけれども、わたしから想像をしてもなにもただしくおもわれることはなく、それらのひとの発信がもしもあればみのがさずにいたいとおもう。勝ったものがおおくを語りすぎないようにしたい、とおくればせながらおもう。

 それからその日には鈴木さんの引越しの手伝いにいった。TさんやHさんらと焼き肉を食べた。それから野方のからっぽの家で寝た。野方に行くのはこれが人生のなかでは最後かもしれないとおもった。

   さようならヤッホーロード 春の日の買い物かごを盗みたい気持ち