武陵桃源 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2013-03-01

「劇場版 とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」

この先、例によってネタバレ注意

f:id:kamikami3594:20130304220404j:image:w360




評価:★★★★☆

と言うわけで3/1に「ヒューマントラストシネマ渋谷」まで見に行ってまいりました。ライトノベルを原作とした映画を見に行くのは今回が初めて。今まで行った映画館よりも小ぢんまりとしていて洒落た感じ。全国30館ほどの小規模上映だから、映画館自体もそれほど大きいところにしなかったのだろうか。



【あらすじ】

学園都市宇宙エレベーター『エンデュミオン』。その完成を目前に控えたある日、上条とインデックスは無能力者(レベル0)の少女・鳴護アリサと出会う。路上ライブで素晴らしい歌声を披露していた彼女と意気投合し、放課後を楽しんでいたところ、アリサにオーディション合格の知らせが舞い込む。エンデュミオン開通キャンペーンのイメージソングに彼女の曲が大抜擢されたのだ。そんな幸せもつかの間、魔術師を引き連れたステイルが突如襲いかかってくる。ターゲットは、アリサ。なぜ科学サイドの人間である彼女が魔術サイドに狙われるのか?魔術サイドの強襲を受け、学園都市側は女リーダー・シャットアウラ率いる秩序部隊『黒鴉部隊(くろからすぶたい)』を展開する。上条とインデックス、そしてアリサを取り巻く状況が混迷を極める中、ステイルは、こう言った。「そこの彼女は、魔術サイドと科学サイドの間で戦争を起こしかねないと――」科学と魔術、そして、歌と奇蹟が交差するとき、『エンデュミオン』を舞台に物語が始まる――!

【レビュー】

思ったより面白かった。「とある」シリーズの魅力を凝縮した良作だったと思う。しっかり科学と魔術が交差していた。ラッキースケベというか、サービス(?)シーンが多かったのは気になったところであるが。

この先はレビューというよりも、あらすじの続きという感じ。

エンデュミオンは宇宙エレベーターという触れ込みだが、天体同士を繋ぐエレベーターではない。ステイル曰く、こういう超大規模な建造物はそれだけで魔術的な意味合いを帯びているそうな。バベルの塔がそうであったように。確かに、宇宙まで届く構造物というのはバベルの塔を連想させる。

そんなエンデュミオンの正体とは、オービット=ポータル社の社長・レディリー=タングルロードが死ぬための術式を完成させるために建造させた代物だという。あらあら、随分と壮大な墓標だこと。そして規模が巨大すぎて迷惑度も際限がない。不老不死というのも考え物である。時は戦国の世じゃないんだから、死ぬときは殉死を求めず一人で死になさいロリ婆。

一方で術式の完成にはアリサに歌わせて人柱にすることが必要だった。レディリーはシャットアウラら黒鴉部隊に彼女の身柄を確保させ、魔術サイドの追っ手の追撃を振り切ろうとする。が、シャットアウラはかつてオービット=ポータル社が飛行機のパイロットだった父・ディダロスの事故死に関与していたことを知り、レディリーを襲撃する。後で父の尽力で彼以外の乗員乗客88人全員が生存したこと、そしてアリサの歌がその奇蹟を起こしたことが判明するが、父を喪ったシャットアウラは「奇蹟」を断固として信じない。事故当時、彼女は父が操縦する飛行機に乗り合わせたが、助かったことに対する後ろめたさもあったのかもしれない。

エンデュミオンが開通すると、アリサはコンサート会場となったエンデュミオンで歌う。このあたりマクロスっぽい、という声をよく聞くが、残念ながら私はマクロスシリーズは未視聴。ただ、宇宙+歌とくればマクロス、というのはピンとくるけど。

それはともかく、術式の完成とエンデュミオンの倒壊を同時に防ぐには、その3箇所ある基部を破壊しなければならない。そのために魔術サイドと科学サイドは一時的に手を取り合う。超電磁砲組、一方通行+ミサカネットワーク、ステイルとその弟子たちがチームプレイを魅せてくれたのは白熱する展開だった。一方で彼らの協力を得た上条とインデックスはアリサの救出に向かう。MVPは間違いなく神裂火織ねーちん。宇宙空間で刀を振るって戦うとかさすが聖人。露払いとはいえ。

アリサは歌い続けていたが、事故の後遺症で音楽をノイズとしか認識できなくなったシャットアウラの襲撃を受けてしまう。そしてそこに上条が乗り込んで、シャットアウラに恒例の説教+「そげぶ」をお見舞いする。やっぱり男女平等パンチだなあ。そしてインデックスもレディリーの許にたどり着き、この術式では死ねないこと、自分の力で術式を解除することを告げる。こうしてこの件は一件落着(?)となった。その後アリサは消えたようだが、シャットアウラたちはどうなったんだろう。おそらく「奇蹟」を認めたのだろう。本作は「奇蹟を肯定する物語」と表現できるかもしれない。

作中オリジナルキャラの中ではシャットアウラが気になった。日笠陽子のキャラには黒髪ロングが多いことを再認識。あと声が伊藤静に少し似ていると思った。「けいおん!」の秋山澪や「もしドラ」の川島みなみや「ダンガンロンパ」の霧切響子の時はそうは思わなかったよてへぺろ☆(・ω<) 共演しているアリサの中の人は「アクセル・ワールド」の黒雪姫役の三澤紗千香だけど、最初黒雪姫の役は日笠さんが相応しいとか思っていたこともあったなあ。何はともあれ、日笠さんは「進撃の巨人」、「惡の華」、「コードギアス 亡国のアキト」と今後見たい作品によく出演が決定しているので、これからも注目していきたい。

2013-02-17

フィリップ・K・ディック著 浅倉久志訳『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ハヤカワ文庫

評価:★★★☆

【あらすじ】

長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。そんななか、火星で植民奴隷として使われていた8人のアンドロイドが逃亡し、地球に逃げ込むという事件が発生。人工の電気羊しか飼えず、本物の動物を手に入れたいと願っているリックは、多額の懸賞金のため「アンドロイド狩り」の仕事を引き受けるのだが…。

【レビュー】

自然と人工


アニメPSYCHO-PASS」で紹介されていて気になったので読んでみる。槙島△

気になったのは本作のアンドロイドの描写。人間のように思考し、感情を持つロボットや人造人間はSF界では珍しくない。むしろ本作のようなSF作品がそういうモチーフを定着させたのだと思う*1

ただ、本作のアンドロイドの中には権力意識を持つ者、宗教を信じる者、科学的な実験を行う者などが登場する。これほど高度な知能を持ったロボットや人造人間はあまりお目にかかったことがない。それを踏まえると、人間と大差ないアンドロイドが夢を見ても何ら不思議ではないことを示唆する、本作のタイトルの秀逸さに気付く。もちろん彼らの外見は生身の人間とほぼ同じである。

主人公のリックはバウンティー・ハンターとして生計を立てており、懸賞金のために火星から逃亡したアンドロイドを狩っていく。本作の人間とアンドロイドを分かつ決定的なポイントは他者に「共感」するかどうか。「フォークト=カンプフ性格特性テスト」という本作オリジナルの判別法を用い、人間社会に潜伏したアンドロイドを機械的に「処理」し続ける。が、獲物たるアンドロイドたちと接していくうちに次第に彼らに感情移入していく。最終的にリックは苦労して手に入れた生身の山羊に死なれるが、荒地で見つけた電気ヒキガエルを飼うようになった、というあたり、自然の生物と人工生命体に大差がないと思わされる。

*1:本作は1968年アメリカで発表され、翌69年に日本語版が刊行された。

2013-02-16

ドストエフスキー著 亀山郁夫訳『罪と罰3』光文社古典新訳文庫

評価:★★★★

総合評価:★★★★

【あらすじ】

殺人を犯した者の詳細な運命がつづられる最終巻。ラスコーリニコフをはじめ、母、妹、友人、そして娼婦ソーニャなど、あらゆる「主人公たち」が渦巻きながら生き生きと歩き、涙し、愛を語る。ペテルブルグの暑い夏の狂気は、ここに終わりを告げる…。

【レビュー】

告白と懺悔


ポルフィーリーによる容赦ない追及や、ソーニャへの罪の告白を経て警察への自白を決意するラスコーリニコフ。濡れ衣を着せられたミコライが可哀想。

やはり懺悔のシーンは印象深い。ラスコーリニコフの刑罰は懲役8年と重くはなかったが、そこからの懺悔と隣人愛が彼を救ったのだろうか。プロット自体は単純だったが、奥深い小説だった。

本作は「なぜ人を殺してはならないのか」という人類永遠のアポリアへの回答の一つかもしれない、と思った。さて、貴方は子どもにこの質問をされたとき、どう答えるだろうか。因みに「殺人は悪だから」とか「法律で禁じられているから」というのは答えとしては下の下。「人には生きる権利があり、それは不可侵だから」というのは尤もらしく、納得したいところだけど、どうも近代限定のような気がする。模範生っぽい回答。

もうこれは理屈で片付けられる質問ではないかと思う。この質問に対する普遍的にして唯一絶対の回答など、おそらく存在しない。そもそも「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う時点で、殺人が赦すべからざる行為であることを質問者は薄々勘付いている。「多くの人が死にたくないと思っているから」、「殺人を無制限に許容すると社会が成立しなくなるから」生存本能が働いて、殺人の忌まわしさを認識するのだろう。私もそういう自分の本能や感情に基づく回答しかできない。

話を本筋に戻す。おそらくドストエフスキーは、殺人を他人の命を奪うだけでなく、自らの命をも貶める行為として位置付けたのだと思う。ラスコーリニコフは当初からのターゲットであったアリョーナだけでなく、特に怨恨を抱いていなかったその妹のリザヴェータをも手にかけたことで罪悪感の虜囚となった。そうして良心の呵責と向き合うことを余儀なくされてしまう。その姿は人間的であったが、どこか無様で頽廃的だった。他人への共感性を全く欠いた本物のサイコパスでもない限り、人の命を奪った重みに耐えることはまず不可能だろうと再認識した。

第5部では彼はソーニャに自分は他の大多数の人間と同じような人間ではないことを証明したかったことを、第6部で彼は母と妹の前で、世のため人のためになることをして、独立不羈の地点に立つ願望を抱いていたことをそれぞれ明かす。自分は凡人を超えた特別な存在だと思い込んでいたのではなく、「非凡人」という特別な存在であることを証明したい。その手段として行ったのが殺人。私はラスコーリニコフと然程変わらない年齢だが、彼は青いと思ってしまう。当世風に表現すれば、中二病患者。そして、そんな中二病患者が悔い改めることで人間性を復活させる過程まで描いたのが本作『罪と罰』なのだと言える。

2013-02-15

ドストエフスキー著 亀山郁夫訳『罪と罰2』光文社古典新訳文庫

評価:★★★★

【あらすじ】

目の前にとつぜん現れた愛する母と妹。ラスコーリニコフは再会の喜びを味わう余裕もなく、奈落の底に突きおとされる。おりしも、敏腕の予審判事ポルフィーリーのもとに出向くことになったラスコーリニコフは、そこで背筋の凍るような恐怖を味わわされる。すでに戦いは始まっていた。

【レビュー】

執拗な追及


何だか遅れ気味。『銀河英雄伝説』10巻分のレビューも控えているし、ペースを上げていきたい。

本巻はラスコーリニコフと、彼を取り巻く登場人物とのやり取りを深化させる形式でストーリーが展開する。前巻でのしつこいドゥーニャの婚約者・ルージンとのやり取りや、マルメラードフの事故死といった流れを受けつつ。

ハイライトを挙げるとするなら、やはりラスコーリニコフの犯罪論だろう。彼の身の上を調査しているという予審判事・ポルフィーリーと、友人たるラズミーヒンやゾシーモフが立ち会う中、その理論がヴェールを脱ぐ。

その言論雑誌に掲載された論文に曰く、「選ばれた非凡人は社会を良くするために法を踏み越える権利を持つ」。ラスコーリニコフはこれを、ニュートンが自らの発見を何者かに阻まれた場合、その者を亡き者にする権利―さらにそれは義務でさえある―を持つことである、と説明する。続けて彼は自らを「非凡人」だと思っていることを示唆し、その場を沸かす。

ポルフィーリーはこの後もラスコーリニコフの言動を訝しみ、執拗に彼を追及する。どこかのらりくらりとした雰囲気を保ちつつ、的確に急所を突く舌鋒で彼の精神を動揺させていくさまは、柔能く剛を制するやり方に通じると思った。時間を与え、ある程度泳がせてから追い詰めるやり方が上手い。

それにしてもルージン、ラスコーリニコフに「階段から突き落とすぞ」とまでやり込められても懲りず、プリヘーリヤやドゥーニャにまで露骨に避けられるようになった。ざまあみろ、と胸の透く思いもするが、ここまで小物の役を演じる羽目になると少々同情してしまう。

2013-02-14

ドストエフスキー著 亀山郁夫訳『罪と罰1』光文社古典新訳文庫

評価:★★★☆

【あらすじ】

ドストエフスキーの代表作のひとつ。日本をはじめ、世界の文学に決定的な影響を与えた犯罪小説の雄。歩いて七百三十歩のアパートに住む金貸しの老女を、主人公ラスコーリニコフはなぜ殺さねばならないのか。ひとつの命とひきかえに、何千もの命を救えるから。

【レビュー】

凶行の理論


ドストエフスキー作品を全部読んでみようというシリーズ第三弾。今回の『罪と罰』についても『カラマーゾフの兄弟』と同様、新潮文庫版を読んだことがあるけど、光文社古典新訳文庫版を読むことに。

本作はドストエフスキーの小説の中でも最も有名な作品の一つ。多くの作家に影響を与えたとされ、最近の作品でいうと漫画『DEATH NOTE*1が影響を受けた作品として知られる。あ、その前に設定を現代日本にそのまま援用した、その名も『罪と罰』という漫画もあった。

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

罪と罰 1 (アクションコミックス)

罪と罰 1 (アクションコミックス)

前置きはここまでにして本題に。主人公のロジオン・ロマーヌヴィチ・ラスコーリニコフ(ロージャ)はペテルブルクのアパートに住む貧しい大学生。大学では法学を専攻するが、貧しさのあまり学費を滞納して除籍されてしまう。故郷の母プリヘーリヤや今度婚約したという妹アヴドーチャ(ドゥーニャ)、のためには何もできず、友人ラズミーヒンにはアルバイトを紹介してもらい、何とか糊口を凌ぐが、神経質になるばかりで苦悩する日々を送る。

その後、ラスコーリニコフは高利貸しを営む老婆アリョーナ・イワーノヴナに質草を差し出し、幾分かの金銭を手にする。その帰りに食堂で彼女の話題で持ち切りの士官と学生の会話から、彼女を殺害することを思い立つ。一人の強欲な老人を殺すことで、幾千の貧しい人々を救うのだ、と己を理論武装しつつ。

こうしてアリョーナを斧で撲殺するに至ったラスコーリニコフだが、元々殺すつもりだったアリョーナだけでなく、その妹のリザヴェータまで手にかけてしまう。何とか逃げ果せ、金品を奪うことにも成功するが、彼は枯れ果てたように憔悴する。そしてその後は年齢の壁を越えた友人となった飲んだくれの元役人・マルメラードフの娘で、家族を養うために娼婦となったソフィヤ(ソーニャ)との出会いを経るなどして、烈しい良心の呵責に駆られることになる。

一人の死を以てより多くの人を救う、という功利主義的な考え方で世の中を建設的な方向に導こうとするやり方もやはり普遍的なんだな、と思う。「選ばれた非凡人は社会を良くするために法を踏み越える権利を持つ」とするラスコーリニコフの有名な犯罪理論は2巻でその全貌を現すが、本巻の時点でその片鱗は明らかになっている。その理論に忠実にあろうとして正義を実行したつもりが、リザヴェータという予想外の因子が入り込んでしまう。そのことで自分の罪の重さを悟ったあたり、ラスコーリニコフという青年はどこまでも純粋であったことを思い知った。

貧しさのあまり大学を除籍され、心配してくれる家族のために対して何もできずにいた、という凶行に及ぶまでの動向を鑑みるに、彼は自身の挫折感・無力感を埋めるため、正義の殺人に及んだように思える。結局のところ、ラスコーリニコフは非凡人だったというよりも、非凡人になりたかったのだろう。このあたりのこと、詳しいことは次巻のレビューで。

*1:といっても連載第一回が2004年だから、最近でもないような気がするけど