正義は効率が良い、と例外

*効率の良い正義、に形を与えていく


 悪い事をすれば損だ、と思える状況でならいくらでも正しい事は出来る。
 良い事をすれば結果として自分に帰ってくる、
が成立する状態に定住、維持していく努力は知能の高い人間にしか出来ない。


 でも、裏切りものの利得、短期的な利得を最大にする詐欺行為を法律と倫理の
罰で防げたのは前の時代、数の多さ、流動的に変化する時代では意味消失?


 狼の群れが、サイコパス、自分自身の利得を最大にするために群れを犠牲にする
個体を放逐するのは、群れというコミュニティが生存に必要である事が
前提になっている。群れから外れてもすぐに別の群れに入れる状況では
裏切りの利得が勝る。


ゲーム理論でも裏切り戦略はお人好し戦略より勝る可能性が高い。
例外は裏切り戦略が大多数になった時で、お人好し戦略同士は、生み出す事が出来る。
奪うものが増えすぎると生まれるものが無くなる。


 正しい事が最も効率が良い、という社会ってどうやったら出来るかな。
「争義不争利」古文より、「争利不争義」ジパングより、「争利争義同意」がベストか。


*効率が悪い正義
海の魚の例、群れを維持するために偵察にいく個体が居る、全体の利益には
適うけれど、我侭に行動するなら傍観者になる方がいいけれど。
 群れの維持の為の行動であり、これは正義の観念に適う。
 思考のプロセスも検証可能だったはず。(相互監視みたいなシステムだっけ)


でも30代働き盛り、子供成長期の大人が、70代の老人を身を呈して救う。
凄く感動的だけど、救った人間が死んじゃったらその損失を老人が補える?
正しいけれど、失うものは果てしなく大きい。力のある人間の正義という義務が
不幸な結末を生む。


実際にそんな状況になったらどうしよう?考える余裕があったら困るなあ(´Å`