池辺葵『繕い裁つ人』

繕い裁つ人(1) (KCデラックス)
 「朝日新聞」(2011年4月3日付)でササキバラ・ゴウが紹介しており、購入した。
 絵柄を見たとたんに、よくある「癒し」「ロハス」的な物語を想像してしまった。祖母から受け継いだ小さな店でオーダーメイドの服を作っているが決して量産はしない、という筋書きを聞けばなおさらそう思うだろう。

 現代文明に、「自然」や「手作り」を対置して、ゆるゆるとした静謐な時間の流れを描く、という手法は、否定する気はないけども、マンガの作品として見ると、ただ間が抜けただけの、濃度の低い、うす〜い画面が広がっているにすぎない、早い話が退屈なマンガになっていることが少なくない。「人が少ない森とか村とか描いて、セリフを少なくしときゃいいんだろ」的なものに結果的に仕上がっている(描き手にその気がなくても、ね)。

 ところが本作『繕い裁つ人』はまるで逆である。

 主人公・南市江の作品を「ブランド化してネットショップで扱」おうとする、百貨店の社員、藤井。足しげく通うものの「頑固じじい」のように市江は折れない。
 藤井が口説く横で市江のもとに、客が往来する。
 近所のおばさんやお母さんたちが、市江の名前を呼び、市江も彼女たちの名前を呼ぶ。彼女たちの生活がそこに透けて見え、彼女たちがどんな生活の中でどのような必要から服を身につけるのか、手にとるように市江には想像できるのだろう。

 藤井が人気モデルの写真を持ち出し、このモデルがあなたの服を着れば服の価値はあがるのだと説得しようとする。

「つまんない写真」

 市江は心からつぶやく。

「自分の美しさを自覚している人は
 私の服は必要ないわ」

 「この写真で不特定多数の人があなたの服を知るようになるんです」という藤井に対し、市江は静かに反論する。

「着る人の顔が見えない洋服なんて作れないわ」


 ぼくは服を一度として仕立ててもらったことはない。すでに作られた服を買い求める。いわば服があからじめ主張している価値に自分を合わせるかっこうだ。
 しかし、服はその人の生活のなかで、その人の必要のために、具体的に生まれ、優秀な作り手の手にかかれば、本人さえも気づかなかった内面の価値を掘り出して演出することさえできる。


 労働生産物とは、交換価値のために生産される「商品」ではなく、使用価値のために生み出されるものだというテーゼが、鮮やかな色彩と豊満な肢体をもって立ち現れている。


王様の仕立て屋 30 〜サルト・フィニート〜 (ジャンプコミックスデラックス)
 もちろん、こうした「主張」はマンガの世界に、決してこれまでもなかったわけではない。服を、それを着る人が輝くように仕立てるというテーマで有名な作品と言えば大河原遁王様の仕立て屋』であろう。

 この『繕い裁つ人』には、その静穏な画面には似つかわしくなく、生活を離れた仕立というものへの厳しい批判が根底にあり、『王様の仕立屋』よりもはるかに論争的で、ずっと緊張に満ちたつくりになっている。


 ササキバラは、本作について次のように評価する。

 絵も、物語も、余白が生きている。そっけなく描かれたかのようなシンプルな線が、人の細やかな気持ちをとらえ、印象深い。その筆致は、作中で主人公が服を仕立てる手つきと重なるかのように、厳しくて優しい。
 押しつけがましさのない慎ましい語り口が、静かな緊張感をもって心に響く作品だ。


 初話のテーマはわかりやすいが、第五話もいい。
 藤井が別の仕立屋でみかけたスーツを手にとり、その縫製から、間違いなくそれは市江のものであることに気づく。

初期の作品だろうか
糸が強くくいこみすぎて
ステッチが少しぎこちない


 藤井はその縫い目をじっと見つめながら、心の中でやわらかくつぶやく。

だけどそれが却って
ひと踏みひと踏み
気持ちをこめて
縫い込まれているようで


 非凡な人の初期の拙さというものは、往々にして、若々しい精神のほとばしりであり、才気の横溢である。藤井はそれを愛おしい気持ちで見つめていることがわかる。
 そのスーツは、市江がかつて婚約者のために仕立てたものだったが、婚約が破談となり、元婚約者が嫁にいわれてそのスーツの「縫い直し」をさせようとしていたものだった。
 スーツをあずかっていた仕立屋が市江のもとを訪れて、事情を市江に話すシーンがある。

「丸福百貨店の藤井さんて方でして
 縫い直すって言ったら激されてね

 こんなに丁寧に
 縫い込まれた糸を
 ほどくのかって」


 仕立屋のこの言葉を受けとめる市江の顔が、白いコマに大きく描き出される。
 市江は藤井が自分の仕事をいかにていねいに、しかも愛情をもって見てくれているかを感じ取る印象的なひとコマだ。


 ウンチクマンガである『王様の仕立て屋』がせわしなくセリフと知識を詰め込むのに対して、本作は白いコマにぽつりぽつりとセリフが入るだけだ。しかし、最小限の絵とセリフで、それゆえに絵やセリフの一つひとつに、きわめて研ぎすまされた集中がもたらされる。


 ぼくはこのシーンで涙が流れた。
 自分の仕事を理解し、愛してくれている人がいる、ということ、そしてそのことを知った嬉しさが、しみじみと伝わってきたからだ。自分の仕事が理解される、ということをこんな形で描けるマンガにはそうそう出会えるものではない。