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2013-08-18 映画「風立ちぬ」を批判する

映画「風立ちぬ」を批判する


 宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。お盆で帰省し、子どもを見てもらっている間に夫婦で。


 ちょっと長くなると思うので、最初に結論書いておこうか。


  1. 恋愛要素は男目線で気持ちがノッた。
  2. 飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった。
  3. 零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点。

 えーっとネタバレもありますから、読む人は承知して読んでほしい。

 あらすじを知らない人はここを読まないだろうけど、一応。零戦(零式戦闘機)の設計者として有名な堀越二郎という実在の人物の半生を描き、それに堀辰雄の小説『風立ちぬ』のラブストーリーをまじえ、菜穂子という少女との恋愛をからめて虚構化した作品。

 ジブリの公式のあらすじ解説はこちら。

http://kazetachinu.jp/story.html


恋愛要素は男目線で気持ちがノッた


 菜穂子との恋愛は、(;゚∀゚)=3ムッハー!! っていう感じ。

 なんでかというとですね、主人公・堀越二郎丸めがねだから。ほら、完全にぼく自身だから声優である庵野秀明の訥訥とした語り口が、知的で内気っぽい、自分の理想的インテリ像をかぶせる上で絶好のオカズだった。

 菜穂子の造形も、「サナトリウム」とか……そういう昭和のインテリっぽい雰囲気が……もう……悶絶っぽくて。

 結婚式のシーンとか、そのあといろいろイチャイチャするのも、ごろごろ転がってしまいたくなった。


 つれあいは恋愛そのものの描き方は悪くないと思っているようだったが、声優庵野がまったく受け付けられなかったらしい。


 「あの、口ごもった喋り方がひどかった。反知性さえ感じた。キムタクのときは最初違和感があったけどすぐに消えてのめり込めていけた。さすがプロと思ったが、庵野は全然ダメ。終わりまであの声のせいで現実に引き戻された。むしゃくしゃした。ついカッとなった」と最悪のコメント。そのために、恋愛要素全体がぶちこわしになったということである。


 つまり庵野という虚構の入口を通過できたかどうかが、明暗を分けたということだ。そして、昭和インテリの妄想を持つぼくは、この入口を通過できたのである。


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫) ちなみに、堀辰雄の『風立ちぬ』自体についても、つれあいの評価は辛口。激辛。暴君ハバネロ

「なんだこりゃと思った。世迷いごと。小さい頃、読んだ記憶があるが、やっぱり『なんだこりゃ』と思ったのだろう。全然記憶に残っていない。まあ、サナトリウムでの悲恋、薄幸の少女っていう設定とか、草食系男子みたいな主人公っていうのは、当時はものすごく新鮮だったかも知らんけど、今読んで得る物は何もない。こちらからは以上です」


 ぼくも小説の『風立ちぬ』って初めて読んだけど、似たような感想である。あとがきの解説とか読んでも、女性ファンがけっこういたわけで、女子用メロドラマだったのではないかと愚考する次第です。


 ちなみに、堀辰雄の原作は男性が病身の女性に尽くす話であるが、宮崎映画の『風立ちぬ』は病身の女性が男性に尽くすという具合に書き換えられている。そのような非道い男権主義的逆転が、ぼくの男目線的欲望を刺激したに相違ない。

 

飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった


 さて、物語のもう一つの軸である、「飛行機にかける夢」は、「ロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった」というのがぼくの印象。

 ここでもつれあいにご登場願おう。


堀越二郎がどういう人か知らんけどさ、その凄さって映画の中でなーんも描けとらんよね。新妻との貴重な時間を潰してまで働く、その贅沢さによって、堀越の仕事の凄さを示しているとしか思えんかった。そして、その描写は(゜Д゜) ハア??っていう感じなわけ。中身がないんだもん」

零式戦闘機 (新潮文庫) 吉村昭『零式戦闘機』や堀越二郎零戦』を読むと、海軍側=戦争の現場のロジックがいかに無茶を設計側に強いてきたかがわかる。要請される能力が相互に矛盾しあうのである。


速度、上昇力、旋回性能、航続力、離着陸性能、それに兵装艤装など、すべての要求項目は、互いにその性能を減殺し合おうとする性格をもち、しかもそれらの項目の一つ一つは、日本はもとより外国の一流戦闘機の水準を越えたもので、それらをすべて小馬力の機に充たすことは至難だった。そしてその中の一項目をみたすだけでも容易ではないし、もしもその項目を強引に実現しようとすると、他の性能が水準以下に転落し、機の性能のもつ均衡もたちまちに崩壊してしまうのだ。(吉村『零式戦闘機新潮文庫p.48)



 海軍側の要求にそえる方法を、具体的に考えれば考えるほど、その要求の苛酷さが身にしみてわかった。私は毎日、会社の机で呻吟した。昼休みにスチームのきいた部屋にみなで集まって歓談しているときも、若い技師たちは、よく、海軍のだれそれさんはこんなくせがあるなどと話して笑ったりしていたが、私の頭には、ときどきふっと、要求書の項目が現れては消えていった。

「この要求のうちのどれか一つでも引き下げてくれれば、ずっと楽になるのだが――。」

 そういう思いがときどき頭をよぎった。(堀越零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫p.51)



 しかし、堀越はそれを見事に乗り切り、高性能の戦闘機を創りだす。

 『零式戦闘機』『零戦』の面白さは、この矛盾し合う要求を制御し、その水準を越えていくところにある。

 映画「風立ちぬ」はあえてこのロジックの凝縮を捨てた。どこかに出て来たかもしれないが、ぼくもつれあいも見過ごすほどにわずかなものだったに違いない。兵器オタクである宮崎がその「面白さ」を知らぬはずがない。あえて捨てたのである。

 しかし、その「あえて」が効いているとはとうてい思われぬほどに、物語はぼんやりしてしまった。その責任はあげて宮崎にある。*1


 「がんばりました」「才能があったそうです」というだけで誰が満足するんか。ゼロ戦開発の苦闘がロジカルに示せないのは、それを描けば次節で紹介する戦争との関係が生々しくなってしまうからだろう。「夢」として描くにはギトギトしすぎるからだ。



零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点

 というわけで、なぜゼロ戦開発、少なくとも九六式開発が描けないのかという問題に移ろう。結論からいえば、「零戦をつくった責任について無邪気すぎる」ためであり、ぼくのこの映画に対する最大の批判点はまさにその点にある。


 帰省先で映画を見た後、列車の中で終戦日の「赤旗」主張を読んでたまげた。


いま公開中の宮崎駿監督のアニメ映画風立ちぬ」は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれます。映画のラストシーン近くでの、破壊され打ち捨てられた大量の軍用機と、それさえ埋め尽くす美しい緑の野原は、戦争の無残さと平和の大切さを伝えているのではないでしょうか。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-15/2013081501_05_1.html

 お前は本当に『風立ちぬ』を見たのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。お前、パヤオ改憲に反対してるよって言いたいだけちゃうんかと。

 宮崎は「しんぶん赤旗」日曜版2013年8月11日付に登場し、「平和憲法があったから」という見出しで平和への思いを語っている。9条改憲にも96条改憲にも反対する小冊子を出したことは「ネトウヨ」の憤激を買った。

http://military38.com/archives/29677893.html

http://sanachan.doorblog.jp/archives/29680599.html


 先の「主張」も宮崎が映画にこめた平和の思いを、改憲反対の基調とともに紹介している。


 「憲法を変えることについては、反対に決まっています」―映画を製作したスタジオジブリがこの夏発行した「憲法改正」をテーマにした雑誌で、宮崎監督はきっぱり言い切ります。二度と戦争の悲惨さを繰り返さないと決意した日本国憲法を踏まえてのものです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-15/2013081501_05_1.html

 零(れい)式戦闘機、いわゆる「零(ゼロ)戦」は、太平洋戦争で米英に対して、絶大な力を発揮したことはよく知られているが、デビュー戦においては中国侵略の先兵となった歴史をもっていることは今の一般の人にはあまり知られていないことだろう。



 九六式艦上戦闘機堀越ゼロ戦の前に設計した戦闘機――引用者注〕の活躍は、依然としてめざましいものがあったが、重慶への長駆おもむく爆撃機には、その航続距離性能の点でついてゆくことができない。そのため爆撃機は、戦闘機の掩護もなく重慶爆撃をおこなっていたが、その都度むらがるような中国空軍の迎撃をうけてその被害が続出していた。

 中国大陸の現地航空部隊としては、九六式艦上戦闘機と同程度の空戦能力をもち、しかも爆撃機についてゆくほどの航続性能をもつ戦闘機の出現を渇望していた。(吉村前掲書p.121)

 零戦の登場で、この戦況は一変する。

 零戦の性能を実地で証明するために、重慶爆撃への掩護として零戦は投入されるのだが、中国空軍は姿をみせない。そのために実践で証明される機会がなく、この任務を命じられた横山保大尉は「苛立った」(吉村p.145)。

 中国空軍は、日本側による重慶爆撃が済んでから重慶上空に姿を現し、「中国空軍機は、日本航空隊に大損害を与え、追い払った」という宣伝をしているのだとわかった。そのために、横山隊は奇襲を考える。一度引き揚げた後に、再襲撃を行ない、「追い払い」の演出をする中国空軍を屠ろうとしたのである。

 このくだりは吉村の『零式戦闘機』における白眉で、日本軍側に身を置いて読む場合には、無上の爽快感を与える。引き返した後、中国空軍を発見するシーンをごく一部だけ紹介しよう。


 時計の針が、小刻みに動いてゆく。かれは、列機を誘導しながら、重慶近しと判断して一斉に戦闘隊形をとらせた。そして、東方向からひそかに重慶上空に接近していった。

「いてくれ、いてくれ」

 かれは、胸の中でねがいつづけた。そして、晴れた空に視線を走らせていたが、突然、かれの眼に、遠く点々と光る眩いものがはっきりととらえられた。

 その点状のものは、南西の方向から重慶上空にむかってゆっくりと移動している。

「いた」

 かれは、思わず叫んだ。(吉村前掲書p.152-153)


 吉村によれば、わずか10分の戦闘で中国空軍の部隊は壊滅し、零戦は一人の犠牲も出すことなく帰還した。まさに「劇的」な戦果である。


零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫) 堀越自身は、この戦果について


私がこの空戦の模様をくわしく知ったのは、戦後しばらくしてからであった。そして、それは私たちが想像していた以上にみごとなものだった。(堀越前掲書p.148)


と「みごとなものだった」という評価を端的に与えている。


 〔重慶の戦闘の――引用者注〕二、三日後、感謝状の写真が届けられた。会社が私のためにわざわざ作ってくれたのである。その写真は、戦後もしばらくのあいだ、黄色くなって私の手もとに残っていた。取り出してみるたびに、これを設計室に回覧したときの、一人一人のうれしそうな表情が、目に浮かんできたものである。(同前)

 性能の発揮を「無邪気」に喜んでいる堀越と同僚たちの姿が浮かび上がる。


 重慶爆撃とはどのような爆撃であったのか。零戦のデビュー戦の日における爆撃が必ずしもそういう性格を担っていたかどうかはわからないが、重慶に対する爆撃全体を、たとえば「赤旗」自身はこう書いている。



 ナチスドイツスペインゲルニカ爆撃(37年4月26日、死者約1600人)とともに、重慶爆撃は、一般民衆をねらった最初の本格的な無差別都市爆撃でした。

 日本軍は37年12月、首都南京を、38年10月には武漢を占領しますが、中国降伏せず、蒋介石国民党政権武漢からさらに800キロも奥地にある重慶に遷都します。この手詰まりを打開しようとしたのが「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼(しんかん)セントス」(陸軍の命令書)という“抗戦意思をくだく”目的の「無差別爆撃」だったのです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-03/ftp20060503faq12_01_0.html


 堀越三菱に属し、海軍のために造りだした戦闘機がこのようなことを担ったことについて、映画「風立ちぬ」では何か捉え返しがあるだろうか。

 無い、といわざるをえない。


 虚構をまじえた映画に、こうした批判をぶつけるのは野暮だという批判がある。

 うちのつれあいは、このような「戦争の道具をつくった人間の描き方」というポイントでの批判をまったくおこなわなかった。彼女はぼくのようにあらかじめ堀越の著作や堀越に関するルポをなにも読まずに、いわば先入観なしに観たからである。

 先入観なしに観た人が、その点に疑念を引き起こしていないなら、いいではないか――という主張もできそうだ。

 しかし、だからこそこのような手法で歴史上の実在の人物を描いたことの危険を指摘したい。

 映画のなかでは、堀越の同僚である本庄が「俺たちは武器商人ではない。いい飛行機を作りたいだけだ」というシーンや、堀越の憧れであるカプローニ伯爵が夢の中で「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもない。それ自体が美しい夢なのだ」というシーンがある。

 技術は社会と切り離されて、「夢」ということで、その追求が無邪気に美化されているのだ。


 宮崎の次の発言を見てほしい。



 アニメは子供のためのものと思ってやってきた。武器を造った人物の映画を作っていいのかと葛藤があった。でも生きていると、何をしても無害のままでいることはできない。武器を造ったから犯罪者だと烙印(らくいん)を押すのもおかしい。


 戦争はだめだなんてことは初めから分かっていた。それでも日本人は戦争の道を選んだのだから、二郎に責任を背負わせても仕方ない。車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ。

http://www.sankeibiz.jp/express/news/130715/exf13071500300000-n2.htm

風立ちぬビジュアルガイド (アニメ関係単行本) なるほど、人間がつくりだすほとんどのものが二面性を抱えることについて、多くの人が「無実」ではいられないかもしれない。だが、大人である私たちは「だからそんな罪を問うても仕方がない」というような態度はとらない。車が凶器となる側面をどうにか取り除こうと、技術者政治家は、日夜努力するのではないか。努力していないなら、しなければならない。しかし、そこから一足飛びに宮崎は次のような結論を下している。



 主人公の二郎には「自分の父親も混ざっている」と〔宮崎監督は――引用者注〕言います。父親は堀越二郎より11歳若く、関東大震災に遭い、戦争中は飛行機の部品をつくる軍需工場の役員でした。

 「彼らが無罪だなんて思っていません。しかし、人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きているんだと思う」(赤旗日曜版2013年8月11日号)

 しかし、「人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きている」などという言い草自体を抜き出せば、特攻隊員の心情を「これが当時のままのものだ。後世から小賢しく評価してはならない」などといって、美化して描く手法そのものではないか。

 「僕は10歳のころから戦記物を読んできた。ゼロ戦にまつわる話などはいいかげんなものも多く、やるならちゃんとやるべきだと思って60年も封印してきた」「僕には灰色としか思えない時代を、当時青年だったおやじは『いい時代だった』と言った。あの時代も人が生きていた。青空はやっぱり青空で、きれいだったに違いない。それが分かるまでに長い時間がかかった」などとあの宮崎駿が長い時間をかけてそうおっしゃるのだから、これぞ老境の諦観であろうと自分に言い聞かせたくなるのが人情だが、正直、老いぼれの思想的頽廃という他ない。一巡りめぐって、子どもっぽい夢に戻ってきてしまったようなナイーブさしかこの映画にはない。


 もう少し宮崎の言いたいことにつきあってみる。



 私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。

 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。

http://kazetachinu.jp/message.html


 

 そこにある「狂気」や「毒」はほとんど映画では描かれず仕舞いだ。「美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある」という「罠」はちっとも映画からは浮かび上がってこない。

 「かつて、日本で戦争があった。」がこの映画の公式サイトにおけるあらすじ紹介の冒頭だ。この作品が「戦争」そのものに彩られていることを、宮崎は百も承知で描いたのだが、その「戦争」はどうにも映画のなかに効いてこない。「全体には美しい映画をつくろうと思う」という宮崎の狙い通りになっている。悪い意味で。



ゼロ戦神話化されて、ぼくも子ども時代、さんざんそれにのせられた。でも戦記の戦果など事実誤認だらけ。やたらに誇りにしたり、これをネタに稼ぐ人がいたりして不愉快なんです。堀越二郎神話から取り戻そうと思いました」(「しんぶん赤旗」日曜版前掲)



 零戦神話の解体だというわりには、解体された気配は、映画のどこにも感じられない。たとえば重慶爆撃の掩護にまつわる戦果が神話だというなら、「夢」を描くことでその解体などできないはずだ。当の堀越自身、自著『零戦』の中で「十三機で敵二十七機を屠る」と題してそのまま書いている。少なくとも堀越の内的真実としてはずっと重慶戦でのゼロ戦デビューは「戦果」報道のままなのである。

 何よりも、映画監督にとっては作品こそ全てであろう。

 映画が神話の解体に何か資するものであったかといえば、少なくともぼくにはまったくそういうふうには受け取られなかった。


 この映画を表した毎日新聞の二つの批評は実に的確なものだと感じた。

 はじめは、東大教授・藤原帰一のものだ。

 心の中に子どもがいるから描くことができる夢があります。『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』は大人が子どもに合わせて歌うのではなく、大人の中の子どもをそのままかたちにしたからこそ、胸を打つのでしょう。見ている大人の方も心の中には子どもが残っていますから、映画館に連れていった子どもばかりでなく、自分まで感動することになるわけです。

 とはいえ、子どものままでは未熟な大人に過ぎない。子どものまま大人になった人は、自分で向かい合い、学び、行動を選ばなければいけない現実から目を背けているからこそ、子どものままでいることができる。その子どもらしさは美しくありません。

 夢の飛行機をつくる人生もいいのですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿には、還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。

毎日新聞「日曜くらぶ」2013年7月21日付)

 作品は作者のものでも、読者(個人の内的な)ものでもない。世に放たれた以上、作者からも読者からも独立した客観的な存在である。宮崎がどのような思いを込めようとも、そこから離れて作品は独り歩きを必ずしていく。

 「宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが」というのは、まさにそのとおりだろう。しかし、作品は宮崎の思いや政治信条をこえて、独立していくのである。


 もう一つは、作家・古川薫の「風立ちぬ」評だ。



 ここで私事になり恐縮ですが、軍国少年のぼくは飛行機ファンで、飛行機作りの夢を抱き工業学校機械科を卒業して上京し、海軍管理工場の航空機会社に入社、企画手となり赤トンボ(海軍練習機)とゼロ戦の製造に関わりました。

 アニメの主人公堀越二郎東大を出てゼロ戦設計した異能の技術者ですから、それに肩をならべるつもりはありません。

 それでも今も飛行機ファンだった子供の魂を捨てきれないゼロ戦オタクではありますが、その機体がいかに美しくとも戦闘機として戦場の殺人に参加した兵器であるという後ろめたさから逃れようはないという覚悟だけは持ち合わせ、その後ろ暗さとふたりづれで映画館の闇の中で目をこらしました。

毎日新聞2013年8月4日付)

 このような決意で見たという古川は、サナトリウムで生きることを追い求める美女と海軍主力戦闘機設計にあたる主人公との恋、およびそれをめぐる自然の美しさの描写にふれながら、こう指摘する。



ただ恋人の生への希求と殺人兵器製作との矛盾には触れていません。(同前)

 古川は、日本刀を例に次のような比喩を述べる。


ところで日本刀は美術品として扱われます。殺人の目的を捨象した現代では、それとして許されても、研ぎ澄ました刃が供える凶器の本性は生きているのです。(同前)

 これは前出の「車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ」という宮崎発言への痛烈な批判である。


終末、おびただしいゼロ戦が西の空に向かって飛翔する画面は感傷的かつ感動的で、山口誓子の「海出て木枯帰るところなし」の一句をかみしめました。アニメ風立ちぬ』には反戦思想が象徴的に用意されているといわれますが、象徴というよりも省略されている気配があります。美しいものにくるめば、すべて美しいという安易さが感じられました。(同前)


 韓国でこの映画が「右翼映画」だと批判されたというが、さすがにこの映画をゼロ戦の賛美映画だとはとらえにくい。しかし、宮崎の意図とは離れて、この映画は反戦思想をまさに「省略」してしまった。



大正から昭和へ、1920年代の日本は、

不景気と貧乏、病気、そして大震災と、

まことに生きるのに辛い時代だった。

http://kazetachinu.jp/story.html

と公式サイトはうたう。たしかに堀越の乗った列車の線路を歩く失業者の群れが描かれている。しかし、堀越がその貧しさと交錯した様子は何もない。東大出のインテリは窓から彼らを別世界のもののように見下ろしただけである。*2そこでは困難な時代と格闘する「生きねば。」という主題など浮かび上がりようもないではないか。


サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのか(藤原前掲)

という皮肉の利いた一文も、現実をモチーフにした宮崎につきつけられる。

 要するに、虚構をくぐって現実を描くことにより、現実は現実そのものよりも一層リアルになり、真実に近くなるはずだが、ここでは現実は中途半端にへし折られ、美しい虚構にすり替えられてしまっているのだ。

 

オッペンハイマーと比較する

 堀越のために弁明しておけば、堀越は前出の『零戦』の中で、重慶爆撃の掩護に成功した初陣の記述の最後にこう記している。


 しかし、そのいっぽうで私は、千何百年来文化を供給してくれた隣国の中国でそれが験されることに、胸の底に痛みをおぼえていた。(堀越前掲p.154)


 わずかに2行で示されているこの「葛藤」がどれほど真摯なものなのか、ぼくにはわからないが、このような葛藤を深め、描くことこそ、神話からの解放ではないのか。こういうテーマ設定がイデオロギッシュだというなら、イデオロギッシュでないように描くのが、宮崎という芸術家の務めのはずだ。


 韓国でこの映画に対する批判として、


「(『風立ちぬ』を公開するのなら)米国の原爆開発者ロバート・オッペンハイマーを主役に、『爆弾裂けぬ』なんてアニメを作って封切りすればいい。それなら見ものだ」

というものがあったと聞く。

私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下 オッペンハイマーを中心とした原爆の開発を描いたコミック、ジョナサン・フェッター-ヴォーム『私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下』を最近読んだこともあって、オッペンハイマーの描き方と堀越の描き方の比較には興味がある。


 『私は世界の破壊者となった』はオッペンハイマー伝ではない。原爆開発計画全体に焦点をあてたドキュメントである。

 ここでは、ナチスに先を越されまいとする「良心的」科学者の焦り、原子力を現実に設計するまでのていねいな解説、科学者の開かれた討論と秘密保持の両立の困難、爆弾として臨界設計するための困難、などがロジカルに、わかりやすく描かれている。

 実験が成功し現実に原爆が投下されるまでに描かれた科学者たちの表情は、「人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きている」というニュートラルなものである。


 ヒロシマに落とされた原爆は、上から、すなわち戦略的爆撃をする側からの視点で描かれる。クールに爆弾の効果が説明される。投下の報を聞くオッペンハイマーもまたクールだ。


 はじめて原爆が「情緒的」に描かれるのは、長崎への投下からである。ここでは原爆は初めて「爆撃を受ける側」からの描写となり、日本人の若い青年2人の生活が原爆によって突如一変してしまう様を何の解説もまじえずに描いていく。


 ここから科学者たちの表情は曇り始める。

 科学技術として原爆という兵器が現実に「できるか・できないか」ばかり問うてきたのに、結果を知って初めて彼らは「やるべきだったのか?」という問いを迫られたのである。


 科学者だけではない。計画にかかわった現場の作業員たちを含めてその問いはつきつけられる。作業現場の作業員の家庭。夫が帰ると妻が新聞を読んで塞ぎ込んでいる。


たくさんの家庭の上に投下したのよ、スタン。

都市がまるごと消えてしまったわ。

 作業員夫婦は暗闇の中で記事を読む。そこにナレーション。


当時は戦時の建設作業であり

切望されていた働き口であり

ドイツとの戦争に協力するチャンスだったのに

いつのまにかまったくちがうものに変わっていた。

 オッペンハイマーは苦悩する。「科学者は罪を知ってしまった」「我々が作り出したものは我々が育った世界のいかなる基準に照らしても邪悪な存在です」という発言や、トルーマンと会見したさいの「大統領閣下、私は手が血で汚れている気がするのです」という発言は、彼の苦悩を物語っている。


オッペンハイマー―原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか (中公新書) 中沢志保オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか』(中公新書)によれば、オッペンハイマー原爆開発後、水爆の開発には反対し続けた。しかし、戦術核の製造は容認しつつ、水爆には反対するという、核兵器廃絶論者からすれば矛盾としか思えないような提案をしている。

 だが、水爆という、より強力な大量破壊兵器の開発を抑制し、米ソの果てしない軍拡競争の先に世界の破滅があるかもしれないと思ったオッペンハイマーは、米ソがお互いに手のうち見せ合って直接交渉をして国際管理をおこなっていくという、当時としては荒唐無稽としか思えない案にこだわり、「現実的」な政策とするために戦術核の容認をしていたのだといえる。

 この国際管理案は、同時期の科学者であるシラード(のちパグウォッシュ会議に参加)の原爆使用反対論からすると、いかにも妥協的にみえる。しかし、戦術核の容認が果たして現実主義的なのかどうかは別として、ここにはオッペンハイマーの誠実な苦悩を見て取ることができる。そしてNPTや米ソの核管理をみてわかるとおり、こうした国際管理案は、それ自体は不十分で不公平・不公正なものではあるが、核戦争を抑止する一つのシステムになっていることを評価することができる。

 澤田哲生は『私は世界の破壊者となった』の解説のなかで、パグウォッシュ会議を名指しして政治的なムーヴメントとしての核廃絶運動を罵倒している。原子核エンジニアリングを持ち込んだのが核兵器原発の発端なのだから代替エンジニアリングを考え出せば解決するじゃん、という、それこそ「ナイーブ」な発想を口にしている。

 世界が破壊されるかもしれないという戦後の危機は、シラードのような原理主義的な核兵器廃絶運動や、オッペンハイマーやボーアが主張した「現実主義的」国際管理論のような「政治的ムーヴメント」の合流によって救われてきたのではないか。朝鮮戦争キューバ危機ベトナム戦争の際に、核が使われなかったのは、まさしく国際世論、「政治的ムーヴメント」の力である。


 言い換えれば、オッペンハイマーの苦悩は、無駄ではなく、実を結んだ。


 核兵器原発がなくならない、という状況を裏返して、そこから原理主義的な絶望を抱えて政治に悪罵を投げつけるのと同じように、宮崎駿は、「我々が生きている限り何か罪を負うのだから、それをいちいち断罪するのは馬鹿らしいことだ」というまことに子どもっぽい、裏返しの原理主義にたどりついたことは、宮崎の思想的な敗北というほかない。

 このことはすでに10年以上も前に書いた「ナウシカ論」で批判したことでもある。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nausika.html

 「生きねば……」はコミック版『ナウシカ』のラストメッセージでもあり、「マルクス主義を捨てた」という宮崎の負の側面でもある。



予告編だけで十分

 数分の映画の予告編を、映画鑑賞後に偶然観たつれあいは、「もうこれだけ見れば充分じゃない? というか本編よりよくない?」と言っていたが、そのとおりである。


 美しい映画を見たいというのは、雰囲気さえ味わえばいいというのと同義のように思えてならなかった。反戦が「省略」されてしまったのなら、退屈な二時間に堪える必要は無い。

*1:映画の中では零戦の開発風景はほとんど出てこない。堀越が模型飛行機までつくり、作品中にくり返し出てくる逆ガル型の主翼を持つ飛行機は九試単座戦闘機で、後に九六式艦上戦闘機として採用される飛行機である。

*2:「シベリヤ」というパンを貧しい子どもたちに買い与えようとして受け入れられなかったことも、憐憫は連帯の第一歩とは言うものの、そのシーンのトータルな印象として言えば何とも高踏的な光景であった。

バッジ@ネオ・トロツキストバッジ@ネオ・トロツキスト 2013/08/18 11:35 「科学技術の価値中立性」信仰であれ「美の無関心性」受容であれ、それらを産み出した主体である人間存在を離れて対象それ自体の存立性を肯定する態度は物神崇拝化した悪しき客観主義でしょうね。自らの解放に立ち上がらない奴隷もまた、人格であると承認する悪しきヘーゲル主義、人間存在を社会的諸関係に一方的にただただ規定されるだけのものとしかみない俗流唯物論、こういった種類の現状聖化・多勢迎合主義でしかない。
宮崎駿には本当にガッカリした。
もっとも、その宮崎の人と作品にお追従を垂れ流すだけの「赤旗」記者には、輪を掛けてガッカリした。

kiya2015kiya2015 2013/08/18 12:18 ジブリの戦争反対言説はクリエイターとしての原罪を免罪するための言い訳に過ぎないので。

kumonopanyakumonopanya 2013/08/18 14:27 中途からグダグダになったので読むのをやめた。

テレビをみた感想テレビをみた感想 2013/08/18 14:54 アニメなので、アニメーションを見た感想とかないですね

これは…これは… 2013/08/18 17:06 3分の1を過ぎたあたりで読む気失せた。
つかアニメ映画なんで。

あっそうあっそう 2013/08/18 17:38 つまらん批判。期待したが筆者のツッコミどころはつまらん

とおりすがりとおりすがり 2013/08/18 18:35 批判する人の内容は、文章の出来不出来を別にすれば、素人も大学教授も評論家もたいてい同じですね。曰く「戦争の悲惨さや設計者の苦悩を描いてない。」

別に描かなくてもいいのでは?と思うのですが、だめですかね。だめなんでしょうね。

某 2013/08/18 19:42 零戦の戦争責任に対して反省がなく省略されているのが問題、ってところが的外れかな。この作品ではそこを命題としてないからね。

あと、作品を「テクスト化」しようとしてるけど衒学的なきらいがあるよね。識者の意見を全体的じゃなく、部分的にキリハリして、都合のよいところだけフォーカスされてる。批評の展開が乱暴なのかな。

オッペンハイマーのくだりは蛇足ですね。

ちなみにこの記事を書いた方は学生さん??

プー太郎プー太郎 2013/08/18 20:52 長い。頭の悪い人の文章。連れ合いの頭の悪さも容易に想像できる。

sdsd 2013/08/18 21:04 キモ豚はエバン下痢オンでも見てシコシコしとけ。
ジブリに近づくな。
ていうかよく結婚できたね嗤

santosanto 2013/08/18 21:37 やはりコミュニストとしては、全ての作品はイデオロギーの発露であるべきなんでしょうか?
私もどちらかというとリベラリストでコミュニタリアンではありますが、その辺は意見が異なる。

うわ…うわ… 2013/08/18 22:05 こういう人と一緒に映画みたくない… きもちわる。

太郎太郎 2013/08/18 22:10 反戦家ってのは独善的すぎるだわ。自分の考えが唯一正しくて、それ以外の価値観の持ち主には上から目線で劣った人扱い。戦争を扱う映画にはすべからく反戦の思想が声高々に宣言されなくてはならないとの思い込みがあって、それを押し付ける。あなたが引用しているように宮崎監督は戦争を糾弾する映画ではないといっているし、美しいものを追及する狂気(戦争の狂気でなく)を描いたといっているのだから、批評すべきはその点であって反戦の思想の有無ではないはず。作り手が反戦映画ではない言っているのに 反戦の思想が練れていない駄作!と得意げに糾弾する・・・。どうかしてますわ。

高橋重一郎高橋重一郎 2013/08/18 22:35 最近タバコがどうとか言ってやがるが、そんなくだらない事で映画なんか作ってねーよ。
馬鹿な奴ばっかりだ。
そんな事言ってたら回想シーンとかどうするんだよ。
小さすぎる。各国のくだらない人間ども。
文句あるなら、見るなよ。

福田純一福田純一 2013/08/18 22:53 私もほとんど同じ感想を持ちました。

>作品は作者のものでも、読者(個人の内的な)ものでもない。世に放たれた以上、作者からも読者からも独立した客観的な存在である。宮崎がどのような思いを込めようとも、そこから離れて作品は独り歩きを必ずしていく。
「宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが」というのは、まさにそのとおりだろう。しかし、作品は宮崎の思いや政治信条をこえて、独立していくのである。

というところは、まさにその通りだと思います。
だから、

>作り手が反戦映画ではない言っているのに 反戦の思想が練れていない駄作!と得意げに糾弾する・・・。どうかしてますわ。

というのは反論にも何もなっていません。

じゅんじゅん 2013/08/18 22:53 批判ありきで、突っ込むところを探しながら映画見たの?
くだらないことに金と時間を使うんじゃなくて、もっと自分の思想に沿った結論ありきの尊い映画でも見てオナニーしとけば?若しくは、この映画よりも人の心を打つ反戦映画でも作って見れば?

sinnosinno 2013/08/18 23:11 かなり同意です。二郎がかかえた葛藤って「一機も帰ってきませんでした」なんですよね。人への言及は何もない。そんな欠落した天才を肯定的に描いた上に、初めて自分の映画で泣きました、とか、もう、ツライっす。他の駿作品の主人公たちに謝れと言いたい。

太郎太郎 2013/08/18 23:52 ダーから、戦争に関わる創作物がすべからく反戦のメセージを発信しなくてはならないtてのが思い込みで押し付けがましいって言ってんだよ。
>>福田さん
そういう独善的な考え方だからコミニュストは支持されないんだよ。政治的に正しくないとあんたらが考えるモノはすべて発禁処分にするであろうことが目に見えてるからな

厚 2013/08/19 02:04 作品は世に出たら作り手の願いなど置き去りで一人歩きするもの。
だから各自の思想のフィルターをかけて批評すること自体は大いに結構だと思います。

ただこの批評は、アーティストや作り手が全く意図していないにも関わらず「反日」「売国」といちゃもんをつけてくるネトウヨと同レベル。同類だと感じました。

燐光人間燐光人間 2013/08/19 03:00 コメントしている人たちの言いがかりがひどい。ブログって大変だな。

ハムハム 2013/08/19 06:20 ヒロインは男に尽くす滅私奉公タイプの女では決してないと思います
・ヒロインの方から主人公に最初に恋愛アプローチをかけている
 (白馬の王子様発言などは時代背景を考えるとかなり大胆)
・周囲への迷惑を一切考慮せず勝手にサナトリウムを抜け出し恋人に会いに行く
・空気や唾液で感染する結核に罹患してるにも関わらず夫に初夜のお誘いをしてみたり
 手を離さないで側にいてなどのおねだりをしている
 愛する男を結核に感染させないようにする努力はしていない
・化粧はばっちり行い美しい姿を見せるよう日々努める
 美しい姿を見せ続けることに限界が来た所で山に帰る
滅私奉公タイプの女性ならありえない行動だと思います
他者(特に異性)に対して自分の美しい所だけ見せたいという願望を持つ女性は世の中普通にいますし、
願望にとどまらずそれをポリシーにして生きてる女性も稀にいます
ヒロインはそういったポリシーを持つ女性であり、美しいものにしか興味ない主人公とは
利害の一致した共犯関係的なカップルじゃないでしょうか

名無し名無し 2013/08/19 07:25 いいかい? 自分の行為によって人間が何万人死のうが、何千万人が不幸に落ちようが、美しい飛行機を作る方が大切だという人間しか、最高のものは作れないんだよ。そんな人間は滅多にいないけど、それがクリエイターって人種なんだ。宮崎監督とか庵野監督とか。よけいなことを考える凡人には理解出来ないだろうけど、その作品を享受するだけ。

楠木楠木 2013/08/19 10:27 以降の世界情勢に大きな影響を与え、軍需工場があったとはいえ「市民」に向けて使用された新兵器原爆と、多少有名とはいえ幾つかの戦局を有利にしただけであり、殺傷相手がほぼ「軍人」に限られる戦闘機とでは性質が違いすぎて参考にならないのではないでしょうか。

違う違う 2013/08/19 14:20 戦争映画をつくるとこの手のコメントが多いことに辟易します。引用とかいらないですから。純粋に見たままを論評してほしい。

作中に出てくる作中に出てくる 2013/08/19 16:35 ドイツ人のカストルプ(おそらくモデルはリヒャルト・ゾルゲ)についてのコメントがないね。あなた、コミュニストですよね?

RAGOSRAGOS 2013/08/19 17:20 引用が多すぎ、文章が下手で長すぎる。

zames_makizames_maki 2013/08/19 18:44 まったく同意見です。「風立ちぬ」が批判すべき戦争礼賛映画なのは、主題を原爆開発に置き換えればすぐ判ることですね。
 そしてそれにはオッペンハイマーの例を出すのではなく、実際そうした映画があります
  「始めか終りか(1947)THE BEGINNING OR THE END」
世界最初の原爆映画は原爆開発者の苦闘を描き被爆者の惨状は完全に無視した、そして同種の映画をアメリカは繰り返し作っており、B-29機長の恋愛模様が加わってますます「風立ちぬ」そっくりです。そして誰でも判るのがエノラゲイのスミソニアン博物館展示でしょう。展示は原爆開発だけで被爆者の惨状は割愛されました。

宮崎駿の意図がどうあれ、彼の作った「風立ちぬ」が上記の兵器礼賛映画=戦争肯定映画とまったく同じ作りになっているのは明らかです。そして無垢な観客はそれを見て「ああ、兵器ってかっこいいな、俺も作りたいな」と思うようになる。

弱い人間である兵器オタクが、兵器を作るだけで、けして使わないなどあり得ない話でしょう。

元物理科元物理科 2013/08/19 19:52 紙屋さんの論評を読んで、「論としては正しいよ。だけどさ…」と思った。

つづくコメントを見て、紙屋さんのようにきっちり批判する人が必要だと思った。

宮崎駿は「兵器オタとリベラルって両立するの?」と鈴木Pに突っ込まれてこの映画で自己の矛盾をさらけ出した(本人もそのことを隠していない)。だからさまざまな視点からの論評や批判があって当然だし、それは作者の意図だとも思う(宮崎ファンとしてそう思いたい)。

すくなくとも、作品を絶対化したり批判を機械的に拒絶することは、作者の意図ではないだろう。

額菜額菜 2013/08/20 03:47 「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。」と宮崎駿自ら断言しているに関わらず、作品中ではそれらネガティヴな要素が描き切れてないという言行不一致は現に示されてる。その点においてこの批評は至極まともだろ。

しかしだからといって「反戦思想を省略」したことまで批判するのはちょっと飛躍しすぎかな。「戦闘機の美しさ」と「戦場の現実」の二面性を描くことは必ずしも反戦思想を映画に盛り込むことには直結しないよね。それを反戦メッセージと受けとるか否かは観客に委ねる、というスタイルもありうる(人によっては逃げと感じるかもしれんが)。


それにしてもコメント欄で「長い」「引用が多い」「作品に文句つけるな」だの言って批判した気になっている馬鹿が多いこと。するなら記事の内容に対する反論をしろよな。

蛍 2013/08/20 04:37 文章が長すぎて読みにくい。自分の伝えたいことを簡潔に説明できるよう、もっと勉強して下さい。沢山ある引用も必要ありません。

りゅうりゅう 2013/08/20 05:54 今日見てきましたが、僕は感動しました。個人の体感で楽しめたので、逆の意見があるのは当たり前だと思います。皆が皆よいと評価する作品は無いと思いますし、このような記事を読んでなるほどなと感心しました。
しかし、正直なところ、この記事はなんの夢を与えず、悲しくてなりません。
映画を見る視点が高度過ぎて、『映画を楽しむ』を越えてる気がします。こんな僕の意見は青い、と言われればそれまでですが、宮崎駿監督がこめた熱意を感じました。
若い人が生き方に悩む中、強く鼓舞させるような映画でした。
衝動的に怒りに近い感情で書いたので、文章がめちゃくちゃですが、あなたの意見は人を少し納得させることはあるかもしれないですが、後は憤りしか感じさせません。多くの人が心うたれるような作品、あなたならば記事を書くように努めて欲しいのと、確かな力がないのなら、まずは自分を疑うことを忘れないでください。成長、スキルアップするには、自ら歩み寄る能力も必要だと思います。

amedexian-orzamedexian-orz 2013/08/20 06:45 今現在のあなたには物を作れないだろうと思った。
理想や理屈のみ口に出て手を動かせない人種の典型的な例ですね。
当たり前だが当該作品の作者に限らず世の中の業種問わず作り手は作りたいと思ったから作ったわけで、けしてあなたのために作ったものでもない。
だからあなたも何か生み出してみるといい。その上での批評であれば作り手の視点としての説得力も備わるだろうに。

山太郎山太郎 2013/08/20 06:54 紙屋さんの批評の後半部分を拒絶するナイーブなやつ絶対出ると思った。本当に思った通りの紋切り型で中身のない反応に辟易する。
宮崎氏自身が反戦的言説を説く人物なので、この問題に焦点をあてる論評はあって当然だろ。「戦争映画をつくるとこの手のコメントが多いことに辟易します」「純粋に見たままを論評してほしい」「批判ありきで、突っ込むところを探しながら映画見たの?」というコメントは「自分はバカです」といってるみたいなもんだぞ。

自分の映画感想をいえば、「盛り上がりに欠け、いまいち」というものだ。「もう終わりなの?」という感じ。飛行機にかける思いや、飛行機の機構としての面白さ、磨きぬかれた技術による作品は美を追及していなくても美しさをもつという気持ちはそこそこ伝わった。しかし、その面からもものたりなさを感じた。
 飛行機の技術や機能・美しさを打ち出すなら、たとえば、クライマックスでそれこそ重慶爆撃をその視点から描いても良かったと思う。それを見て「日本の技術すげえ」と思うやつがいても、「兵器としての後ろめたさ」を感じるやつがいてもそれはそれでよい。菜穂子との生活の意味について、思うところも深まるだろう。
 あえてそういうシーンを入れなかったことについて理解できなくもないけれど、宮崎氏が自身の「兵器オタク」的な部分を抑制しているように見えたのが、盛り上がりに欠けると感じる要因に思えたし、紙屋さんに「反戦が省略」といわれてしまう論評の根拠も論点の2、3と関わってここにあると思った。

さとやnさとやn 2013/08/20 12:54 >そして無垢な観客はそれを見て「ああ、兵器ってかっこいいな、俺も作りたいな」と思うようになる。

んなわけねーだろっ!と思わず突っ込みたくなる。
まあ自分ならそう思うってことなのでしょうか。これ見てそう思うような人はこれ見なくても同じでしょう。
監督の歴史感とか考えも好きじゃないし、過去の作品も好きなものはほとんどありませんがこの映画はフィクションとしてアニメとしてよく出来ていたと感じました。良かった悪かったはまあ人それぞれでしょうが。

文句はない文句はない 2013/08/20 14:44 ハヤオが作ったという時点でスルー

額菜額菜 2013/08/20 15:16 >文章が長すぎて読みにくい。自分の伝えたいことを簡潔に説明できるよう、もっと勉強して下さい。沢山ある引用も必要ありません。

お前が勉強しろよアホ。少しでも大学とかで勉強したことある人間なら学術書や論文でこの程度の長さの文章、引用ぐらい当たり前のように読んでるはずなんだがな。
お前のようにこの程度の批評の論理を追う知性も姿勢もない人間にも理解できるよう説明することが「勉強」だとしたら世の中のアカデミックな文章を書いてる大半の人間は「不勉強」なことになるのだが。

どうせ「本当に頭の良い人は自分にもわかりやすく書く」とか盲信して自分が理解できない原因を相手に帰する無責任野郎なんだろ。

寝呆けたこと言ってねえで相手の文章がおかしいと思うなら論理展開の誤謬だとかを具体的に指摘して見せろよ。それさえできないなら相手に「勉強しろ」だの言える筋合いはないだろうよボケ!



初めてこのブログ読んだけどブログ主はこういう無内容で愚昧な批判はシカトしてどんどん記事を書いてくださいな。
また次の批評も期待してますよん♪

さきちさきち 2013/08/20 15:29 「本来このテーマからなら、書くべきこと、書けないと認めること、切り口、ほんといろいろ料理すべきところがあるはず。
でもどれからも逃げてて映画として中途半端じゃないか?」という感想だと思ったんだが。

コメントで批判してる人(の大半)は、じゃあどんな感想なら納得するんだろうかね。

T&RT&R 2013/08/20 16:13 まず他人をボケだのアホだの言うのは止めようや、感想は人それぞれだしさ。

この記事書いた人も菜穂子萌えーから始まり、結論は予告で十分って言うのだから反戦なんて描く必要ないでしょ。火垂るの墓も反戦がテーマじゃないよな。

りゅうさんのコメントが的確じゃないかな。辛い時代でも潔く一生懸命に生きた人たちを描いた。

エゴもひっくるめて美しさを追求した、100年に一度の天才アニメ作家の作品だった。

はやおはやお 2013/08/20 18:51 これを戦争がテーマとしてとらえたところが、そもそも間違いね。テーマは何かって?日本ですよ。多くの矛盾を抱えた日本。意味わかる?わかんねーだろーなあ。夫婦して頭悪そうだから。

Rainbow ChildrenRainbow Children 2013/08/20 22:13


Wenn das Marxismus ist, dann bin ich kein Marxist !



しんぶん赤旗日曜版(8/11)では、宮崎さんの笑顔と、
「平和憲法があったから」というタイトルが印象的でした。

カール・マルクスは間違いなく人類史にそびえる偉大な学者ですが、
「マルクス主義」という言葉は、マルクスを狭い箱の中に押し込めてしまい、
しばしば、その後の弁証法的な発展性を阻害してしまいます。

kumonopanyakumonopanya 2013/08/21 04:32 あのさ、映画のパンフレットぐらい読んでから書きなよ。パンフの2ページ目に宮崎駿が「技術的な解説や会議のカリカチュア化。航空技術のうんちくを書きたくはないが、やむを得ない時はおもいっきり漫画にする。(略)書かねばならないのは個人である」って書いてあるよ。
パンフも買えない貧乏人か、初めから批判ありきで映画を見に行ったとしか思えないね。

zames_makizames_maki 2013/08/21 19:55 今日(8月21日)の毎日新聞夕刊でこの映画の戦争に対する態度に関しての賛否議論が特集記事になっていますね。案外と多くの知識人から批判があるようです。やはり宮崎駿は幼稚な子供だった、というのが印象ですね。
 継続的に見れば毎日新聞では映画レビューではこの映画をシカトしてますし、朝日新聞では映画レビューで控えめに批判し、更に宮崎自身に戦争責任を感じていた堀越二郎の助手の言葉を使って批判をぶつけるインタビューをしています。意外な事に新聞は商業主義に踊らされず冷静だということですね。

EriEri 2013/08/21 20:18 ずばり、あなたには心の襞がないと存じます。奥様も然り。気の合うご夫婦で良かった。
私の旦那があなたのようにしか「風立ちぬ」を観られない人間だったら大喧嘩になっていたでしょう。「風立ちぬ」にはあなたが長々お書きに(入力)なられたこと以外の本当に素敵な裏の世界がありましたよ。わからないなんて、とても可愛そうだし、貧しい人生だと思います。一杯傷ついて、一杯泣いて、そして無になれる人間になって頂きたい。そうすれば、きっと知識と融合して素晴らしい人間になられるんでしょうに。どうぞ、学ぶ心を忘れずに。引用は所詮引用にしか過ぎませんよ。

Kim ShirlyKim Shirly 2013/08/22 00:40 いや〜、ナイーブな批評(感想)を表明なさってる方が存外たくさんいらっしゃいますね。そういう方は、宮崎氏の「雑想ノート」とか「泥まみれの虎」とか、マンガ版「ナウシカ」を果たして読んでいらっしゃるのでしょうか? 当方は宮崎氏の「軍事と兵器に対する偏愛」と「政治的左派たるポジショニング」の二律背反という立ち位置がさほど理解できない方ではありません。だからこそ、本作における零戦の役回りの薄っぺらさを見たとき、当方も「ハヤオめ逃げたなw」と言わざるを得ないことを、終劇と同時に悟りました。

架空の存在たる本作の堀越技師と菜緒子のメロドラマは、あの作品の中にあっては重要な位置を占めているかもしれません。しかし本作はそもそも戦時下の「軍用機開発者の一代記」でもあり、にもかかわらず、画面上から「戦争の臭い」を感じ取れた部分は極めて限られています。宮崎氏は「もののけ姫」以降、作品解釈のとっかかりをどんどん抽象的な要素にまかせる方向に進んでいるように見えます。ファンタジー要素の強い作品ならそれもアリでしょうが、曲がりなりにも現実に存在した「日本軍用機開発史」を重要な柱とする作品で同じアプローチを取ると、かえって興を削ぐというものです。
これは鋭いリアリズムの範疇に属することであり、言語化すらできないような「本当に素敵な裏の世界」を「わからないなんて、とても可愛そうだし、貧しい人生」などと持ち上げて、ブログ主さんを無根拠に揶揄することこそナンセンスというものです。上のコメンターの方が、謎のドイツ人カストルプを「リヒャルト・ゾルゲであろう」と指摘していらっしゃいましたが、そういう歴史的文脈を理解していないと、なぜ彼との出会いの直後急に特高警察の影が堀越の周囲にちらつき始めたか、おそらく理解することはできないでしょう。

kumonopanyakumonopanya 2013/08/22 02:42 だからパンフ買って読みなさいよ、最初からゼロ戦ではなく人を書くって宣言しているのにゼロ戦を書いてないって、宮崎監督の前提を無視して話を進めても批評になるはずがない。逃げたって話に持って行きたいだけ。単なるオナニーだ。

Kim ShirlyKim Shirly 2013/08/22 10:28 >最初からゼロ戦ではなく人を書くって宣言している

ご指摘のような点は鑑賞前の諸情報でとっくに分かっていることで。なにも「なんで零戦がドンパチするシーンがないんだ」とか頭の悪い軍オタみたいなことを言いたいわけじゃないんですよ。飛行機開発そのものの描写も映画の後景に退くことは最初から承知の上です。
しかし、『風立ちぬ』はやはり「九試単戦についての物語」でもあるわけです。そして一般観客向けの商業作品で堀越の半生を扱う以上、後に彼の最高傑作となりもっとも戦争継続に貢献した零戦の存在をスルーすることはできないでしょう(映画の公開に便乗して発売された書物や商品の多くが零戦をメインに据えていたことは象徴的です)。これを作品中で「どう位置づけるか」――制作側としては、ヘタをすると作品が一気に「生臭くなる」難問だったと思いますよ。その点で宮崎氏は残念ながら零戦という「火中のクリ」をうまく始末しそこねた、と当方は見たにすぎません。

WANZWANZ 2013/08/22 10:39 上の人が言ってる「本作における零戦の役回りの薄っぺらさ」って言うのは戦争という文脈の中で零戦がどう立ち回ったかの描写が薄い、ってことでしょ。パンフには最初からそういった描写は避けます、と書かれているわけ?

「宮崎監督の前提」を無視しちゃいけないんだったら少なくともパンフ以外の(この作品に関する)監督のインタビューぐらいは十分「前提」に値するんだけど。もちろんパンフも重要なのかもしれんが、重要たる所以をもう少し詳しく書いてみては?

通りすがり通りすがり 2013/08/24 00:43 後半は他人の批評にのっかっただけじゃない
期待はずれ コミュニストを名乗るなら独自の視点でみようよ

qiang-yuqiang-yu 2013/08/24 11:18 コメント欄の大半が、他人を無責任な場所でなら罵倒できる悦びに埋れているカスですね。
長いだとかグダグダだとか発言するひとは、ご自分の能力で長文も読解するように訓練した方が良い。世の中の文章は低脳の為に読みやすくカスタマイズされるわけじゃないんですよ(^^)こういうひとたちがゆとり世代なんでしょうか。

このblogに挙げられた本、今からAmazonで買います。

大気圏大気圏 2013/08/24 12:39 『風立ちぬ』には感動したクチだけど、批判されてしかるべき映画だと思ったし,紙屋さんの評価は全く正当だと思いました。

ただし、全く合意出来ない点が2点あります。
「子どもっぽい」←むしろ庵野秀明が言うように「宮さん大人になったな」という感じ。悪い意味で。
「予告編だけで十分」←予告編だけでは、本編に詰め込まれた夢と狂気が味わえないじゃないですか。美の悪魔と踊った男の一代記に陶酔しつつ、戦慄しました。

kansaskansas 2013/08/24 17:58 記事のタイトルが「風立ちぬを批判する」であり、他の人の評論を「小一時間問い詰めたい」とか、「駿の言い分にもう少し、付き合ってみる」などの偉そうで不遜な態度、つれあいのやたら鼻息の荒いだけの感想など、おまえら何様だよと思わせてしまい、これだけ読ませておきながら不愉快にさせるだけで何も生み出していないモヤモヤと鬱屈した感情が、コメント欄の「風立ちぬを批判する」を批判する、と言う流れになっている。

エセ評論家気取りのつまらん文章を読むより、このコメント欄の方が色んな意見が聞けて遥かに面白い。だいたい、アニメ映画見るのに、肩に力が入りすぎなんだよ。批判のされ方が「おおかみこども」の時によく似ている。目くじら立てて粗探し。

案外、外国人の方が純粋な評価をしてくれるんじゃないかね。

RunnerRunner 2013/08/25 00:15 公開前に異例の反戦護憲表明をしたのは、描写に配慮はしたものの「表明しなければ好戦映画と思われかねない」、あるいは、「戦争宣伝に利用されかねない」との危惧を感じていたからであり、裏を返せば、それはその面に対する自身の自信のなさの表れであるともいえるでしょう。
ところが、そういった表明を行い、しかも、右翼がそれに反発したために、「そうか、反戦映画なんだな!」との前評判が立ち、今度は左翼から勘違いに基く過剰な期待を持たれてしまった。
ここのブログ主さんもそんな一人なのではないでしょうか?
確かに「反戦映画」として見た場合はブログ主さんの批判は的を得ているといえるでしょうが、そもそも、反戦映画として作っていないのであれば的外れな批判といえるのかも知れません。

他の方も指摘されているように宮崎駿はファンタジー系の作家であり、リアリズム系の作家ではありませんよね。
今回の現象は「風の谷のナウシカ」が世間的には自然保護映画として受けたが、肝心の自然保護活動家らからは評判が悪かったというのと似ているように思います。
宮崎駿は「フランダースの犬」を「ゴミだ」と言っているような人で、つまり、そっちの方面は不得手ないしは嫌いな人だということでしょう。
そういう人に優れた「反戦映画」を求めるのは「お門違い」というものなのではないでしょうか?

また、政治的に見た場合、宮崎駿は言わば右翼から左翼へ転向した世代です。
その立場からくる姿勢にブログ主さんは違和感を感じておられるようですが、少なくとも宮崎駿は自己の矛盾を自覚できているようですし、私には左翼から右翼に転向した戦後世代の連中よりもはるかにマトモなように思いますよ。

あ 2013/08/28 00:33 「反戦要素が足りないので駄作」とか、死ねばいいと思う。
こういうのが文化を担うとほんとにろくな事にならない。

東っちそっくりさん東っちそっくりさん 2013/08/28 01:03 紙屋氏の論を読んで「反戦要素が足りないので駄作」なんて読み取りしかできないなんて…。
こういう方が文化を担うとしたらなかなか切ないですね(笑)。

こんな低レベルの援軍(?)しか来ないのでは駿氏が不憫すぎます。

ひろひろ 2013/08/28 01:35 自分が感じた事と近い感じでした
私は美しいものだけみていたいという気持ちは解るので
良かったのですが
オッペンハイマーの話はジブリでみたいと思いました

美しいものだけの逆のはだしのゲンとかも

自分がみたなかで一番まっとうな感想だと思います

コメントの罵詈雑言をみて、この感想の重さがわからない人こそ心がないペラペラな人間だとも思います

あ 2013/08/28 01:46 援軍www
お前ら駿と戦ってるつもりかよ。
エセ評論家とその取り巻きが思い上がるなクズ。

ひろひろ 2013/08/28 01:48 追記
資本論は素晴らしい考えで、実現できたら理想と思います
ただ、ここのコメント欄で真意を読めずに罵詈雑言を言うような人達が沢山いる以上、実現は不可能かと

宮崎さんにとってはこの感想が一番嬉しいのではないかとも思います

ナウシカナウシカ 2013/08/28 19:07 ものすごい描写力を持ったスタッフを多数抱えながら、いつまでも70過ぎのおじいちゃんや、世間知らずっぽいその二世の作品ばかりしか出さない会社をあがめている日本ってどうよ。そして、その作品がちょっと批判されると、まるで自分のことのようにムキーってなっている人達ってどうよ。二十年以上の長きに渡って停滞している日本社会をある意味象徴していない?

ありがとうありがとう 2013/08/28 21:06 コメント欄が玉石混淆なのはさておき、紙屋さんの批評を読んで、まずはこの作品を見ようと思いました。確固たる視点をお持ちの方がきちんと批評をしていて、作品も監督も幸せだと思います。

… 2013/08/28 21:17 自分の知識の深さを自慢したいだけの馬鹿にしか思えん

嫁さんと討論してろよ

長文を書かないと死んじゃう病長文を書かないと死んじゃう病 2013/08/28 21:58
紙屋氏の他の作品に対する評論を読んでみた。てっきり、「風立ちぬ」への熱い情熱が長い文章を書かせているのだろうと思っていたが、そうではなかった。

どれもこれも長文だった。内容の良し悪しはともかく、これだけ長文を書き続けられる能力は、大したものだと感心した。学校の宿題の作文で、先生から「いっぱい書いたね」と、よく褒められただろうな。


あと、気になったのが、つれあいさん。ありとあらゆるモノに対して食って掛かり、鼻で笑い皮肉まじりの感想を言っているが、よほどストレスが溜まっているのか、将来はイジワル婆さんでも目指しているのか。娘さんの人格構築に不安が残る。

おどりゃクソ森おどりゃクソ森 2013/08/29 05:36 いま楽しみに待っているのは、紙屋先生の「はだしのゲン」評論。各新聞社、有識者、意見が真っ二つのこの作品を、どう料理してくれるか。きっとまた、アカデミックですんごい文章なんだろうなあ。奥様の感想は・・・、別にいいですw

ワンピース批評の300コメント越えの論争を期待してます。

torutoru 2013/08/31 13:40 紙屋さんの批評、大変に感銘を受けました。
ゼロ戦が重慶無差別爆撃に使われた、つまりあの堀越の技術によって多数の無垢の命が奪われたという事実を知り、この映画の矛盾点について深く考えされされました。平和主義者であり兵器オタク。その矛盾した感性を一つの映画の中で表現するには天才宮崎にも限界があったということでしょう。そもそも、殺人兵器の設計者を万人受けする主役にすること自体に無理があった(軍事オタクのヒーローにはなれても)。個人的には、ライト兄弟を主役にすれば、どんなに壮大な映画になっただろう、と残念でなりません。ライト兄弟の飛行への軌跡、大空への夢に比べれば、堀越二郎の夢はいかにも色褪せて見えてしまうので。

あ 2013/08/31 14:07 格差やら大衆の反逆やらを決して肯定はせずとも、それらは人力の及ぶところに非ずと放下した感じはある。
鑑賞直後の感想は、これ宮崎版エヴァじゃね?今までの宮崎アニメと違って世界は救われない。二郎は内面の菜穂子に救われたけど、あの時点で日本は敗戦の焼け野原なままなわけで。

シンプルに言って、君たちは個人としてどう生きるかってことかもね。化物語の「自分は助けない、勝手に助かるだけ」みたいな。だから各々考えて受け入れて力を尽くして生きろ、というメッセージ。すごく単純だけど、正直に作られた映画だから捻って捉える必要はない。

aa 2013/09/04 01:08 いまだにマルクス主義を信奉してるブログ主のような人は、最も崇高な理想を掲げている自分こそが正しい(他は妥協か堕落)的な姿勢が背景にあって、その思想に合致してるかどうかで物事の良し悪しを判断してるんじゃないかって感じた。
本文リンク先にあったナウシカ原作への批判も酷い。綺麗事を語るだけの奴は最も他人の絶望を理解しないんだなと思う。
正直岡田斗司夫の方が遥かに宮崎駿をよく捉えてると思った。
http://blog.freeex.jp/archives/51395088.html

光男光男 2013/09/04 10:10 あなたの言っていることは、凡百の評論に比べて、全く正しく気持ちを代弁してくれて感謝している。
しかし、その論理的誠実さを徹底させたら、コミュニストを止める結論に達するというのは、貴方の心底で長く疼痛しているはずだ。あんたにとっての神様を殺すことになるからな。
ちなみに俺はがきの頃からの反共で、無政府自由主義者あるいはアメちゃん言うところのリバタリアンだ。

見たいように見ればいいのだけど見たいように見ればいいのだけど 2013/09/05 05:10 何かこの記事からは、戦争の時代を描くからには反戦も訴えなければならないというような前提が感じられますが、宮崎駿にその意思はありません。
よくある誤解に、宮崎駿が自然の大切さを訴えているとか、そういうのもありますが、そんなのと同じです。
あの人は、そんなお題目を映画で表現することには興味がない人です。そんな映画は退屈だと思う人です。
この記事は、反戦の思い込みで完全に読み違えてます。

ななしななし 2013/09/05 06:22 自分が気持よく見るための映画がみたかったんだよね。 心に風がおこった人に感情移入できる人は今特にいないから感情移入できなくて、入り込めなくて当然かもしれない。でも創造する人には多分たまらない映画。子供向けのように答えがないのがあたらしかった。説経くささが感じられず大好きな作品

光ごけ光ごけ 2013/09/05 19:07 堀越ってなぜか、昔から気に入らなかった。坂井三郎は大好きだ。この二人は戦後、ゼロ戦伝説で飯を食った共犯者でもある。

でも、永遠のファイター三郎は海軍に批判的で戦後の海軍閥でも源田等を完全に敵に回していた。

この映画は政治的思想的にとうに敗北した個人的言い訳映画だ。これは繰り返し言っておいてもいい。思想的に立っているのもやっとのへろへろ状態での免罪符映画だ。

だから、坂井じゃなくて堀越や堀なんだ。でも主役は死んだ堀じゃなくて防衛大学校教授の堀越だ。ようするに時流に逆らわないテクノクラートの言い訳だ。

お宅であること腰抜けであること時流に流されたことを開き直るぐらいでしか正当化できない腰抜け振りは、見る人が見ればそれは違うんじゃないというだろう。

しかし、ずるいのはそれでも時代に乗ることが優先で、ようするに現実社会で勝ち組になればいいと言うスタンスだ。あのエバ何とかとか言う監督を使ったのも世間的に勝った王子様だからだ。お宅で腰抜けでもそこまでして支配層の頂点に立ちたいか。

恐らく空飛長坂井三郎は無責任な将校やインテリ側視点のものとして気に入らないだろうし、敬礼もしないだろう。なにしろ視界不良で未来が殆ど見えないしな。

短くてすみません。短くてすみません。 2013/09/06 17:10 楽しんでみる?、気持ち良くなるためにみる・・・?、「戦争」なんですよ・・・。視点がどうのというのはちがうと思う。  紙屋さんの論評にはこころより敬服致します。

 す 2013/09/07 00:34 紙屋さんの批評は面白かったですが、「風立ちぬ」より昨夜TVで放映されていた「紅の豚」の方がずっと単純で面白いと思います。堀越二郎を堀辰雄の「風立ちぬ」に絡めるのがいけないんですね。たぶん、映画でも出てきた通り、宮崎監督も10年の旬を過ぎてしまった感じがあります。

トップ・シークレットトップ・シークレット 2013/09/07 12:13 戦争を楽しんじゃいかんのか。

戦国時代の映画でも、反戦を描かないといかんのか。

戦争が題材のゲームや、ギャグ満載の戦争映画なんて、いくらでもあるけどな。


紙屋も上っ面の綺麗事を並べ立てるんじゃなくて、本音で語ってくれよ。「他人と握手するようにセックスしたい」、「女性器への挿入には興味がない」とか、彼の文章は下衆な性癖を述べているときが一番光り輝く。「菜穂子に耳掃除して貰いたい」、これが本音だろ?

くだらん正論で悦に浸ってないで、「日本一ダメダメな批評家」として売り出せば、ブレイクすると思うけどね。

イツジイツジ 2013/09/08 23:05 何を語っているか、よりも「どう描いているか」の視線による批評が、この映画は
本当に少ないですね。ワタシは「どう」に感動したので、ブログ主様の書いてらっ
しゃることはすべて空回りしていきました。

やみくろやみくろ 2013/09/12 18:38 「反戦平和主義」者に共通しかつ致命的な欠陥は、ひと言でいえば「後出しジャンケン」の無自覚さにある。

宮崎駿は「戦争の時代を一生懸命生きた。それをただ批判だけすればいいのか?」と語っている。まさに後出しジャンケン批判だ。

民主主義だって相対的なもの。それが「誤り」だったという世が明日来るかもしれない。
当時の日本人は、自国を米英ソから守るためと信じて零戦をつくった。
それが「誤り」だったというのは単に日本が戦争に負けたからに他ならない。
その証拠に、自衛の聖戦を鼓舞し続けた朝日新聞は、敗戦一夜、それまでの反省も総括もなく「反戦平和」の旗手となったではないか。
その新聞に文章を掲載されながら、「宮崎の思想的敗北だ」などと喜んでいる。

後出しジャンケンで「勝った勝った」と無邪気に喜ぶ姿は、ただ見苦しい。

扶生扶生 2013/09/12 21:20 宮崎監督が最も描きたかったことについては、何も触れないんですね。
残念です。

tt 2013/09/13 02:31 これはいい記事。
さて、堀越二郎についてはあまり自分は知識がなく風たちぬの方から思った事を。
風たちぬって小説は三島なんかもかなり独創的だと評価していますが、フランス心理小説の影響下にありながら、あまり心理描写が長々と描かれていないばかりか、最終的に主人公の心理は茫漠たる境地に至って終わりますね。好きすぎたから忘れるというようなあり得ないような逆説的な展開っちゃ展開で、結局心理は漠然ですじゃ心理小説という括りはとりあえず当てはまりませんが、この雲を掴むような素っ気なく儚い小説は当時は先端をいくハイカラなものだと評され、今でもやはり異彩を放ってます。戦後にはドロドロとしたザ悲惨な内向世代がでてきたり、一方で三浦哲郎のようなザ悲しい私小説も隆盛しましたが、この戦前の作品はそうしたある意味では普遍的な感傷や憂鬱とも無縁な妙な小説でした。
で、そういう原作に則ってなのか、この映画も最終的には非常にグレーなところがあると思いますね。例えば、この映画で「主人公は菜穂子に救われた」と言う人もいますが、結婚して一瞬で死に分かれた関係に本当に救いはあるんでしょうか。追憶できる場面なんて帽子キャッチと紙飛行機と初夜くらいのもんで、そういう淡い一瞬のものを戦後の地獄のなか引きずらなきゃならないわけで。
またこれと同様に、この映画には戦争の悲惨さは描かれていない、戦争責任は描かれていない、という指摘もありますが、実は映画のラストシーンの舞台設定は「煉獄」にするつもりだった、と宮崎駿は発言していました。つまり宮崎氏の意図としては、全然社会的責任っぽいことも罪深いことも描写されないですが、確実にそれらは積み重なっているという認識のもとに話は進んで収斂していくわけです。例えば莫言の書く小説の日本兵の描写っていうのは非常に分かりやすく侵略者であり、神経質で暴力的であり簒奪を繰り返し、根が真面目なために返って笑み一つ浮かべず暴虐を尽くす日本兵って感じですが、一方国内ではどうだったかというと、木下恵介監督の陸軍なんかが有名ですが、旗ふって頑張れー以外はカットの方向で検閲されてたわけで、そりゃ息子が特攻いきゃ寂しくて泣くのが当時でも当たり前の人間感情だったわけですが、それを公にする事は社会通念としてNGという統制が敷かれ、隠されていました。兵器産業に従事しているという責任にしても、今考えるよりも当時はよほど隠されたものだったと思いますよ。つまり「隠されている事の恐ろしさ
」って、もうちょっと考えてみてもいいかもしれないんじゃないですかね。現実に海の向こうで二郎の手から離れたものがどれだけの血しぶきを飛ばしてるか、それは見えるかどうかではなく想像出来るかどうかだったのが当時のリアルでしょうし、そこが全く見えずに、日本人たちはそれぞれの(共同)幻想=夢の中でものを考えていたんじゃないでしょうか。

そう考えると、描かれていない事の重要さと少しはつじつまが合うような気がしなくもないです。いきなり煉獄に叩き落とされる。それはどこで発生した罪か、帝国主義全盛時代にその罪をどう回避できたか。新妻の命がすぐに消え去ってしまった理由をどこに求めればいいのか、そうした答えなどそもそもなさそうな抽象的な問いに答えるべきか否か。

二郎の声の出演を決める会議で、若い女性スタッフがきっかけとして「なんとなく線がほそい声をイメージしますが」と切り出したとき、宮崎さんはすぐに「線は細くない。太い。昔のインテリは、今のインテリと違って、細くて無口なのじゃなく、頭がいいから余計な事は一切しゃべらない。」と言っていました。また、庵野さんの起用を決めたところでも、何を考えているかわからない声がいい。声優のように他人の気持ちをおもんばかっている気になっている声はだめだ、と言っています。大江健三郎は、首相たる人間は国民の身体の内部に自分が入って気持ちを理解出来なければ駄目だ、と言いました。それを聞いた小林秀雄は、もしそういう事が本気で出来ると信じている人間がいたら大変危険だし、その思い上がりはむしろ平和とは正反対の結果を起こすだろう、と言いました。断片的ですが、イデオロギーにまつわる話としてはこういうことを私は思いました。単に戦争はだめですやめましょう、ということを感じたければ原爆ドームへのアクセスを案内する方が現実的です。ちなみに宮崎さんは最後のシーンを煉獄とすることがしっくり行かなかったそうで、あの舞台は最後まで「?」とすることで決着としたそうだと聞いて、自分はさすが老人は悟ってるなと感服しました。風立ちぬの主人公と少し近い地点にラストシーンで宮崎さんがたったような気もしなくもないです。

最後になりましたが、この映画には2点好きなシーンがありました。一つはサナトリウムの描写シーンで、屋外に置かれたベッドに蓑虫のようにブランケットにくるまって患者が並んでるとこ。舞台となったサナトリウムには確かにああいうベッドが実際にあったようですが、あんなに雪が降っている曇天の中であれが行われていたのですかね。あんな恐ろしい片思いシーンはみたことがないです。怨念というか、何か底の見えない恐ろしさのある悲恋シーンでした。
もう一つは紙飛行機飛ばすシーンですね。あれは一見するとカルピスのCMみたいに甘酸っぱい恋の象徴、シェイクスピアのバルコニーシーンにちょっとかぶりますが、なんとなく不穏な迫力があるんですよね。紙飛行機が届く届かないの天秤にもう一つ、ばらばらになって墜落するような恐怖感みたいなものもあおります。思えば最初の出会いも二郎もあのときも奈緒子は奈落へあと一歩で転落でした。日本軍の零戦があの紙飛行機だとしたら、自らの意思で紙飛行機はバラバラになって墜落するってことになりますね。少しぞっとする描写です。

ダス・マンダス・マン 2013/09/13 05:29 紙屋氏はさすが京大卒で相当な知性論理整合性とそして諧謔精神をもちあわせている(まあ秀才アピールのその点がに気に食わない方も多いのだろうが)。
私は6年ほど前から覗かせてもらっている。

しかし、この批評はねえあまりにも牽強付会だと思う。確かに帝政日本が軍事施設以外の重慶無差別爆撃を国民党政権側に先に行ったので、連合軍が帝政日本を無差別爆撃する大義名分はあったわけだが。

以前みたいにわざとオタ臭を漂わせながら批評されるスタンスが読者的に面白いと思いますよ。
NHKの先月のプロフェッショナル仕事の流儀(検索すれば見れる動画サイトあり)、これを見れば戦争批判より技術屋としての堀越物語であり内容も再検討される余地があるかと思います。基本的にあなた姿勢やこのサイトのファンではあります。

kamikamikamikami 2013/09/19 20:07 紙屋さんの批評を見てから、本を買ったり、映画を見ることが最近多いなと思っております。

さて、すごい数のコメントに驚きましたが、私は今回初めて映画を見て、紙屋さんの批判も有りだなと思いました。
作品をどう捉えようが、読者の勝手です。またその批評に共感するも反発するもまた自由ですが、一方的に紙屋さんを排除するかのコメントはやり過ぎですね。

自分は、戦記物にも零戦にも当時の時代背景も一般的な知識以上に学んでいる人間だと思っています。(軍事オタクに近いでしょう。)
しかしながら、この映画を見て自分は言われるほどには感動できなかった。恋愛は美しいが、兵器を作り上げていく執念も、そしてその結果の大きな破滅も中途半端に思えた。どうしてもっとストレートに描かないかとじれったい思いも感じた。実際のモデルを通して何かを訴えようとしているのならば、私にはそのメッセージがどうしても弱すぎるように思えました。
話題性ではすごくヒットした映画としても、自分にはおもしろさがいまいち感じられなかったのも事実です。
最後の作品となるのでしょうが、図らずも創作最良の10年を遥かに過ぎて生まれたこの作品には、若々しい瑞々しさが失われてしまったように思います。
今の話題ほど、後生には残り得ないのではないかと思う次第です。

lascasaslascasas 2013/09/19 23:00 読んでいてスカッとする、これほど気持ちの良い批評は初めてです。
風立ちぬ、4回泣きました。恋愛としてはボーイミーツガールの王道でグッときました。
他はなんもないです。雰囲気アニメ。
この映画見て感動した人の中にも自民党支持者がうようよいるでしょう。それが証拠です。

k0t0bukik0t0buki 2013/09/22 06:51 ほとんど同意です。読み応えがありました。
それにしてもひどいコメントが多いですね。

virtflyvirtfly 2013/09/22 19:27 紙屋さんの見方に近いものを感じています。

さて批評家ではありませんが、見方や意見が分かれるときこそ批評家の出番であり、また批評は専門家に任していればよいとも思っていません。みなが大いに意見を出し合い、深めればよいと思います。
世の中に大きな影響を与える人なのですから、評価もされれば、批判も大いにされて叱るべきと考えます。
そうした立場から、議論に参加したいと思います。

何か、反戦が描かれていないことが問題とされているかのような問題のたて方をされているような向きもありますが、少しずれているように思います。

作品の出来のよしあしについての、個々人の評価は、その人の考えや好みにもより、大いに異なることもありえることですから、共感できたのならそれでよしだし、得るものがなかったのならそれだけのことで、議論をする必要もないことでしょう。

議論するのなら、作者の意図は何なのか、十分表現できているのか、受け手の理解度や、社会に与える影響などが、論じられるべきではないのかなと思います。

さて、個人的感想は、戦争に協力し傍観者的な態度の主人公には、なんらの共感もわきません。取ってつけたような菜穂子との愛も浅薄で、二郎がなぜ愛したのかも伝わらず、仕事に打ち込む身勝手な二郎に尽くす愛しか描かれていなように思えます。時代背景を描くにも、変な外人に解説させるなど、総じて未完成で破綻を取り繕えていない作品であるかのようにも、思いました。

このように感じたのも、やはり堀越二郎をとりあげたことに誤りがあったからだと思われてなりません。鈴木プロデユーサがいうように、戦争オタクな部分と反戦の部分との矛盾にどういう答えを、宮崎駿が出したのかを見ないとはじまらない気がします。

結論的には、宮崎の自己合理化でしょうか。当時は多くの人が大なり小なり戦争協力者であったわけですが、なかでも戦闘機の設計者である堀越を肯定的に描くことになれば、反戦を謳うことはいかにも困難です。結果的に、困難な時代状況のなかでは、抗ってもしかたがないとして、それよりも自分の夢の実現に全力で向えと、主張することになったのでしょう
時代に抗して夢さえ捨てて全力で立ち向かった人もすくなくないのに。とはいっても、そうした人を描いてもエンタテインメントにはならず、プロパガンダくらいにしか思われないきらいはありますが。

今日の時代、中国や韓国との間が随分きな臭くなり、平和的解決に全力であたらなければならないようなときに、なぜこんな映画をつくらなければならなかったのでしょうか。
従来の宮崎であればありえないことのように思うのは、私だけでしょうか。どうも基軸がぶれたように思われてなりません。
くりかえし「時代に追いつかれた」と語る宮崎に、何かあせりさえ感じます。中国、韓国との戦争は不可避と思っている節もあり、想像するに、アニメを通じて社会にはたらきかけてきた宮崎でしたが、ここにいたり思いとは裏腹な世の中の動きにおもね、ついには反戦平和を貫く気力すら萎えてきたのかもしれません。

老いたとはいえ、描く日本の原風景は美しく、施しを拒否する師弟など古風とも思える日本人の精神風土をこれまた美しく表現してみせ、草むす飛行機の残骸にはかなさを、敗戦により飛行機づくりができなくなる二郎を淡々と描き、ある意味日本回帰的な雰囲気もかもす作品になったことに、宮崎がどこに漂泊するのか見えたように思います。

クリエーターとして地位を築き名をなした成功者の自己肯定の主張は、才能があり富める側の論理であって、格差社会の落ちこぼれの思いを代弁するものでは決してないと思ってしまうからこそ、作品に共感できなかったのでしょう。巨匠にしてはこころざしのちっぽけな作品だと思っていたら、最後の作品になりました。
上の評価をくつがえす作品は、ジブリの若手に期待するしかありません。宮崎の息子は先に「コクリコ坂から」で、少年少女の恋と力を合わせて仲間たちと願いを実現していく青春を描き、「風たちぬ」とは対照的なすばらしい作品をつくっています。

マグロ偵察員マグロ偵察員 2013/09/30 23:45 反戦ってなんだろうね?
自分が設計した物に無邪気すぎるっていうけど、あんたは好きなことに無邪気に没頭したことあるの?
それがのちに如何なる大事を起こそうがその当時の人間には気にしてもしょうがない。
起こった事を批判するのはいつも、後の世の人たちデスシネ。
あと、文章が酷い。
批判とは言えず、ただのボクノリロンハサイコー。

ヒカリゴケヒカリゴケ 2013/10/04 20:18 この夏は、この映画とあまちゃんの夏だったけど、何かターニングポイントだと思うね。この映画の作者は日本のアニメは完全に終わったと確信しているはずだ。

実際、二次元から宮籐や大人計画の極めてご近所的(現実的な)次元への電波箱(テレビ、映画)の共同幻想のシフトだと思うんだな。おそらく、劇場型社会が最高潮だったのは80年代なんだが、あまちゃんを見てるとというかカンクローを看てるとムー一族とか石立鉄男、あと熱中時代の布施博一とかあのあたりの70年代ドラマ喜劇そのままなんだな。これだけ社会全体を巻き込んだドラマは「熱中時代」以来だろうね。で、実際、そのころからドラマをついぞ見なくなったという家庭が多いんだ。換わりに出てきたのが、お笑いバラエティーやニュースショーなんだが、これに踊らされる大衆も減ってきた。カンクローは70年生まれだから、再放送とか含めて松田雄作物やショーケン物とかの70年代のドラマの洗礼を受けているはずだ。

というわけで、マスコミ退潮と軌を一にして、マスコミ共同幻想の崩壊とテレビ覇権時代以前へ戻っている(もち、らせん状に進化あるいは退化もしているが)んじゃないかな。

で、話を戻すと、その下北沢ノリというご近所共同幻想程度が健全だということに一般社会が気づきはじめたのかもしれない。所詮芸能や映画も見せモンで村祭りの村芝居が芸能あるいは神事の源流だし。関西じゃあまちゃんの視聴率が悪かったことをNHKも分析できないようだが、下北ノリなんて大阪人から見たら、まだまだ痛いレベルだし、そんな程度の共同体ってのは大阪じゃ当たり前で何を感動してるのがわからんということなんだな。

しかし、くどかんがあまちゃんで秋葉に対抗して出したのが、アメ横のGMT何とかなんだが、この辺の嗅覚はさすがだ。殺戮現場になったり安倍の演説場所になったりする秋葉のバーチャル煉獄に対抗する形で、いわゆる最後の闇市であるアメ横と田舎を舞台にしたのは、結局、焼け跡からあの敗戦の夏の青い空の下からやり直せって言うことを無意識に表現したと思う。

で、ここで風たちぬの作者のアニメは終わったという結論はね、秋葉世代みたいなバーチャルで脆弱な連中を生み出すことに手を貸してしまったという罪悪感なんだけどこれは世間一般にはわからないだろう。漫画アニメって言う通俗文化を通して未来を社会を築くってのが、作者の一代をかけた試みだったんだが、それが見事に敗北に終わったってことが、ゼロ戦が自殺機なった堀越と自分を投影してるんだ。一機も帰ってこなかったってのは自分が世に送り出した作品を見て物になるような人間がひとりも育たなかった、逆に社会死に追い込んだという感慨なんだ。
ここじゃやはり鈴木の言うことなんか聞かず最期なんだから煉獄のシーンでラストを通すべきだった。それで、自分への葬式になったはずなんだ。それを他者の力を借りて『生きて」としたのは、犯罪者の家族が原告をかばうのに乗っかったようなやはり恥ずかしい甘えだ。

例の熱中時代とか寺内貫太郎一家あたりが、作者の世に知られてきた時代なんだが、見事に入れ替わり立ち代りなんだ。

ここで、大胆な予測だがもうサブカルを通り越した社会現象としてのお宅やバーチャル文化は終わるだろうね。若いアニメマニアのなかにも、まともなやつらはあまちゃんに相当入れ込んでいる自分に驚いているはずだ。

終わらなきゃこの国が終わると思うね。それもありだが。

まあ、そういうわけでこの80年代から一世代かけた回帰というのは長い確認の時間だったとは思うが、結局、家族や地縁、友人等の人間関係に代わるような映画や芸術、文化作品、ゲームや趣味なんかないという当たり前の結論に至ったわけさ。しかしなこれからが大変なんだ。70年代ってのはもっと、前向きなシラケ感が充満していた時代なんだが、それはもっと現実のレベルで人間関係や社会の理想の可能性を追い求めていたが故だ。

そして、ここを突破して実現するのはアニメやバーチャル、趣味に逃げるよりはるかに大変だし、特殊国内文化国家japanの国境をあらゆる意味で諸個人が超えて、それをさらに国内で実現しなきゃいけないってことなんだ。そりゃ「書を捨て、街へ出よう」なんてちんけな脱私小説レベルの話じゃなくて、開闢(かいびゃく、ふるっ)し、ジャパンを終わらせるような真の開国以外、社会も個人も再生の道はないし、運よくそれがいくらかできたとしても、もうアニメなんか見てる人はいないという特殊国内的な状況は一過性だったことを確認するだけであろうことを作者にはわかるんだよ。

だから適当な題名は「風と共に去りぬ」とでもしておけばよかったんだろうね。

はるはる 2013/10/10 23:51 私と基本的に同じ見方をしている方がいて、安心しました。と言うか、「そりゃそうだろう。みんなそう思うはずだよ」と思いました。
でも、そう思わない人が沢山いるということも事実です。この映画に感動したり、反戦の思想を表現していると理解する人がいたり、驚きます。人の好みや感性は様々、限界が無いなと思うばかりです。

紅 2013/11/17 18:06 風立ちぬは戦争への反省がたりなーい!という旧態依然としたサヨクのボヤきでした。ちゃんちゃん
この人前もナウシカを左翼思想がわかってなーい!って上から目線で叩いてたよね
安保闘争に首突っ込んだ宮崎がわかってないわけないっしよアータ…

まほちゅうまほちゅう 2013/11/17 23:17 読んだ限り、正論じゃないでしょうか。この映画での戦争の扱いは「美しい夢に取り憑かれた男」を描くためのダシにすぎないと思います。あくまで美とかそれを追求する姿とかを際立たせる範囲での「狂気」であり「毒」に過ぎないと思います。
まあ「技術者は中立」関連の発言は「アニメを作ること」についての居直りに近いエクスキューズという側面もあるでしょうから、その居直り発言に寄り添う形で「この映画の主題とは無関係」という評価をする人も自然と出てくるんじゃないかと思います。
しかし、堀越二郎という題材を選んだ時点で戦争責任という要素が貼り付いてくることは必然なのであって、その点について描きたいもののダシに使う程度しか扱われていない、不十分ではないか、という批判はあって然るべきだと思います。まあその批判も「アニメ製作に不可避的についてまわる功罪」と居直られてしまうのでしょうが(笑)

なまひなまひ 2013/11/23 15:56 二次大戦後の大国間代理戦争で核が使われなかったのは相手も持っていて報復を恐れた面もあると思うのよね。
産業革命後の国家総力戦争の時代って人間を「戦争という殺人工場」に送り込むことを普通に包含しているキチガイじみた社会体制
だと思うのよね。でも核の傘に入ることで国家総力戦の時代は終を告げたと思うのよね。これは大変な矛盾だけど核の傘体制がなければ
現在でも社会の体制として工場にでも送り込むように人間を殺す社会が続いていたように思うのよね。核を開発した人もこれで戦争を終わりにしようという考えがあったと思うのよね。結論として人間はどうしようもなくおろかでおろかなことを前提に対策を立てなければ悲劇は減らせない(無くすではない)という視点に立ってこの映画はつかられてると思うのよね。人間の理性を信じすぎる思想は愚かさを黙殺しより大きな悲劇を招きかねないとレーニン以降の事実の中から読みとれると思うのよね。
ほんとに世の中は「地獄かと思いました」なのですよね。

なまひなまひ 2013/11/26 10:57 いろいろ零戦について調べたら各国航空技術の寄せ集めでポンコツと言ってもいいレベルのような気がしてきました
。つまり「美しい飛行機をつくりたい」と言ってられるようなレベルでなく日本の技術は立ち遅れていたようです。
堀越二郎に庵野さん(アニメ界の先人の売れ線を真似して自分の作品を構成する)を起用したのは宮崎監督の皮肉のような
気がします。だとすると宮崎監督は実際の歴史の事実を知っていながら観客ウケのいい創作の物語を再構成したことになるのでしょう。

dagdag 2013/11/29 07:47 これはイデオロギー的に正しいか正しくないかをいっているだけで映画への批評ではないのではないか

籠球軍籠球軍 2013/12/09 08:35 葛藤が描けないのは意図的にそうしてるのではなく宮崎監督がそういうキャラを作るのが苦手だから基本王子様とお姫様っぽいキャラクターになってしまう。
(師匠の高畑監督は逆にリアルなキャラ造形が得意。)
だからファンタジーの世界ならごまかせるが青春モノとかだとキャラにリアルさがないので非常に苦しくなってくる。

がんつがんつ 2014/01/18 22:35 おもしれー!!
何がおもしれーって、紙屋もパヤオも電波でお花畑なおめでてー糞サヨなのに「反戦が描かれてない!!」「一々反戦を描かく必要はない!!」って同族嫌悪してやんの(^O^)w
俺から見りゃどっちもこの世に要らねー屑サヨなのに仲間割れとかwマジ受ける(笑)
もっとやれ!!w

名無し名無し 2014/01/26 12:39 純粋に楽しめよ

紅 2014/02/26 00:45 内ゲバというものはこうして形成されてゆくものなのだろうか。
日本の左翼のアカンところは反戦平和を肯定したいのに東京裁判史観から逃れられない、自明にするしかないところだなーと思う。
日本のやった戦争は否定したい。でも否定したらアメリカの戦争を結果的に肯定してしまう。
だからあえてそこをオミットして右翼だ偽史だナショナリズムだいけませーん!と教科書通りのいい子左翼でいるしかない。
でもそれはアメリカというベビーベッドの中で叫ぶ正論でしかないわけで。
この点で紙屋の管理人は宮崎駿を笑えないよ。
ちなみに自分は宮崎駿信者じゃないんで、はてブの皆様。

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