れのれの『ネットで会って30分で結婚を決めた話』


 結婚相手が同じ価値観の人がいいかどうかは、まさにカップル次第ってところはあるけど、金銭感覚というか、生活レベルの感覚は同じがいいんじゃないかなあ。
 うちはぼくもつれあいも、「超ドケチ」な人間、しわい屋である。
 つれあいは、先日出張でアメリカにいって、ステーキをウェルダンで焼いてしまいゴムのような食感になったことについて「1万円も損した。1万円も…!」と3カ月くらい事あるごとにぼやいている。引越しの新居を決める際にも、ぼくが家賃の安さを優先して選んだところ、その物件を大いに気に入り、「いやー、お得だったわ」と百回くらい言っていた。車も持たず、家も買わず、休日は一家でごろごろし、だいたいは2キロくらい一家で歩いて近くの図書館か「ゆめタウン」にしか行かない…。
 「これで、あたしとあんたが全然違う金銭感覚の持ち主だったら、どんだけストレスになってたかわからんなー」などと、これまた繰り返し口にするつれあい。

ネットで会って30分で結婚を決めた話 (少年チャンピオンコミックス・タップ!) 同じような金銭や生活の感覚。そしてシンプル。
 そういう結婚生活は、間違いなくある種の人にとっては理想であろう。
 れのれの『ネットで会って30分で結婚を決めた話』は、そういう人たちにとって、ある種のユートピアである。題名のとおりのエッセイコミックなのだが、その前後の結婚生活のことが描かれている。
 まず、相手が自分と同じオタク。しかもゲームプログラマーで一定の財力(貯金、収入)を持っている。
 そして、結婚したら“働かなくてもいいよ”と言ってくれるのである(いや、働きたい人にとってはアレだけど、この作者れのれのは、現職であった「ある全国チェーンの店長」みたいなことはしたくなかった)。家で家事しててくれたらいいよ(本人は即座に仕事を「辞める!」と決断する)、そして、家事についても本人にとって面倒な掃除とか洗濯ものたたみとかは「しなくていいんじゃない?」「俺もしたくない事をたまにでもしてくれる人に対して〔怠けていると〕思う訳ないよ!」とか言ってくれるのだ。
本人はテキトーな家事をしながら、趣味のBL(執筆)三昧の毎日。これだけで、もうなんつうか、夢のようだ。

「やったー! ひきこもりだぁ! ひゃほ〜〜〜ぅ!」

と作者が叫ぶのも、わかる! わかるぞ。
 親のつきあいも、カンタン、シンプルだし、むこうの義母との間にはほぼストレスなしという印象をうける。
 日常の夫婦の生活は、(絵で見る限り)別室でPCに向かって好きなことをやっている。

完全に1人の世界にいるから
同じ空間にいても関係なかったね…

 つまり趣味に没頭していてそれでお互いに許されるというわけだ。
 誕生日やクリスマスといった夫婦的イベントも祝わない。別行動である。こういうものを「面倒くせぇ」と思うむきには、なんというすばらしい習慣であろうか、と思う。

 このあたりはうちの夫婦、家族も似ている。
 食事をつくる家事は、お互いに面倒くさいので、週末は外食が多い。外食に行っても、夫婦と子ども、それぞれが勝手に本を読んでいるのである。家にいると、それぞれが勝手にiPadやPCやマンガを見ていることがデフォルトだ。ああ、最近は、娘が『あさりちゃん』を読めとか、録画した『妖怪ウォッチ』を見ておけとか、自分が学校で借りてきた本をお前も読めとか、親に「強制」したりするので「真性オタクUZEEEEEEEEEEEEEEEEE」とか思ってしまうのだが…。


 作者たちは結婚式を海外でやっている。
 「えっ、それむちゃくちゃ金かからない?」と思うのだが、「基本料金」だけなら式は10万円以下らしい(本番での写真撮影は禁止で、写真オプションが追加されると3倍なのだとか…)。眠りの質をよくするために、ビジネスクラスの席をとって、夫婦で50万円かけている。
 本体を格安、必要なところに一定のお金をかける、というチョイスにした。そこに合理性を見るし、その合理性にぼくは好感を持つ。「結婚だから、こうしなければ」という不必要な思考の縛りがないのだ。
 まあ、もともと結婚式をしたくなかった夫婦なのだが、義母のすすめにしたがって挙式することにしたらしく、この部分は「プラスアルファ」と思っていいのではないか。


 夫婦2人暮らせるだけの収入があって、好きなことだけをこじんまりとしている、という生活スタイルは、理想だ。
 一時期、ベーシックインカムの議論がネットを賑わせたが、それがネット民から一定の支持を受けたのは、貧困対策…というよりも、自分自身の生活の感覚に合っていたからであろう。生活保護にしろ最低賃金にしろ、国家が生活の最低限を保障する義務があるのなら、ごく少ないお金でいいから渡してもらって、それで細々と、しかし楽しく生きていきたい、という要求の現れである。
 そうした生活は、余暇を生みだし、余暇から何らかの文化を生み出す。事実、れのれのは、BLを描いたり、こんなエッセイコミックを描いたりして、一躍大注目をされたわけだし。労働が所得から切り離され、労働は喜びに変わっている。
 もしそんな制度設計をしたとしたら、働かないという、ただただ「怠けている」という人もたくさん出てくるだろう。しかし、そういう人も一定いつつ、れのれののような作品を描いたりする人もまた一定数出てくることになるだろう。それでいいじゃないかと思えれば、つまり「おれは働いているのに、あいつは何で怠けているんだ」みたいな変な不公平感さえ持たなければ、それは一種のユートピアになりうる。
 もう生活のためにあくせくしなくてもいいほどの生産力は社会にあるんだから、そういう制度設計にすることもありうるよね、とぼくなどは思うのだが…。