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2017-12-07 「特殊ノ境涯」ニ非ズ 『ソープランドでボーイをしていました』1

久遠まこと・玉井次郎『ソープランドでボーイをしていました』1


ソープランドでボーイをしていました 1 タイトルと表紙から想像されるものとはまったく違った。

 株のビギナーズラックで正規の職をやめ、やがて大損して食い詰めて、大震災で首がまわらなくなり、妻子を養うために、ひとり異郷の地でソープランド住み込みのボーイとなった、50のおっさん過酷プロレタリア文学である。*1

 いや、本当に労働のつらさを、原則ナレーション方式でことこまかに描き、それが「ボーイ労働マニュアル」として実に懇切ていねいで、しかも、職場の男性労働者たちのすごさ、やさしさ、ダメさ、パワハラっぽさがうまく出ている。

 こんなにカタい絵柄なのに。いや、むしろ、だからこそ、男性労働者の無骨さが前景化するといえる。

 他方、風俗嬢のグラフィックの「別次元レベル」ぶりに、くらっとする。いやまあ、この手のマンガには、この種の男女異次元グラフィックは、ありがちなことで、たとえばあずまきよひこよつばと!』であってもこの男女キャラの異次元性は備わっている。


 このマンガを読むと、主人公の「職場におけるモノの言えなさ」の空気がビンビン伝わってくる。

 社会保険も、労働時間規制もない。

 採用の年齢差別は公然とおこなわれる。

 タコ部屋ともいえる厚生施設=寮への詰め込みと、不当な階層制。

 ピンハネ罰金パワハラが横行する。

 だけど、完全に無法な、奴隷の世界かといえばそうでもない。

 過酷な労働をたえぬけば、そしてさらにベテランになれば「それなりの」給与は見込める。

 ベテランとなりさらに店にとって不可欠な存在となれば、交渉力がうまれ、歩合の交渉もできる(客観的にみると、役割の大きさに比してクソみたいな賃上げにしかならないが)。


 賃労働として賃金が保証される側面と、個人事業主的な扱いで労働法の保護が及ばない側面が同居している。

 これは、現代の労働世界の縮図であり、典型化された形象である

 ふつうはモノがいえない、ベテランとして職場の不可欠の一部となってはじめて交渉力が生じる、という世界だ。

 この職場で「労働法を守らせる」ということの言い出しにくさは、一般の企業でそのことを言い出しにくい空気とほとほとよく似ている。

 軍隊生活を描いた大西巨人の小説『神聖喜劇』は、軍隊一般社会から隔絶された特殊な無法地帯として描く野間宏『真空地帯』への批判を意識している。*2

 『神聖喜劇』の主人公・東堂太郎が、軍隊内の生活マニュアルである「軍隊内務書」の

兵営生活軍隊成立ノ要素ト戦時ノ要求トニ基ヅキタル特殊ノ境涯ナリト雖モ社会ノ道義個人ノ操守トニ至リテハ軍隊ニ在ルガ為ニ其ノ趨舎ヲ異ニスルコトナシ

を引用し、軍隊生活一般社会が地続きであることをしばしば強調する。

 同じことだ。

 ソープランドのボーイの「モノの言えなさ」は、ぼくらの職場での「モノの言えなさ」そのものなのである。


 逆に言えば、ペーペーのボーイが「モノが言える」プロセスの援助を想像できれば、ぼくらは職場でモノが言えるようになるだろう。

*1:こう書くと文学系サヨの方々から文句を言われるが、ネタです。

*2:大西は、全然意識していないといっているが、うそだと思う。

あ 2017/12/07 12:28 労働に貴賤はない。たしかに。しかし、人間は多様である。したがって、労働と言ってもひとりひとり希望する職業というものがあるであろう。もちろん、特に、こだわりがなく労働に貴賤はないし、どんな労働でもやりますよ、という人もいるであろう。前者も後者も尊重されるべきである。

そこで、この漫画の主人公であるが、仕事を辞めて、株のトレーディングで生活をすることを選んだようなので、そもそも、何か希望する職業があったのではないのであろう。しかし、株取引による金儲けが破たんした。さて、もともと職業にこだわりはない。どの職業も労働も貴賤はない。

こんな感じなはずだから、どんな職業でも労働でもそれなりにやりがいを感じるのではないだろうか。お客さんがいるわけだから。お客さんがいなれば仕事もないわけだし。自分の好き嫌いではなく、お客さんがそれを求めてくる。仕事です。職業、労働ですね。

お客さんの要望を聞いて実現させていく、できる限り。それが仕事、職業、労働。満足してくれればそれが報酬の本質。喜び。

特別な職業を希望していなければ、労働、職業に貴賤はないのだし、それなりの働き甲斐は発見できるであろう、と。

問題は、やはり、労使関係。しかし、このおっさん50歳は希望する職業もないようだし、なにせ株でカネさえあれば希望する職業につくように努力する必要もないという価値観なんだから、ま、気軽に労働組合とかやろうぜ、別に職業なんかにこだわってないんだし、解雇になっても別の職業で食いつなぎながら、労働組合で労働条件の改善させようぜ、都道府県レベルに組合あるし、組合員もけっこういるし、知識ある人もいるだろう。

いや、職業にこだわりないのは、そうだけど、労働組合で労働条件を改善するとか、もっと興味ないわ、ま、辛い時もあり、不満もあるけど、なんとか給料もらって、全寮制で暮らせてるし、我慢しながら、やりますわ、我慢できなくなったら、辞めて、別の職業でも探します。

こんな感じが、過半数の現状のような気がしますね、労働者意識状態の。ひどいのになると労働組合への嫌悪感で組合潰し、反共主義で組合潰しとか。これも3割はいそうですね。労働者の。

ということは、なんとかなりそうなのは、2割くらいか、3割くらいか。

そんな雰囲気を感じますが、都道府県レベルで労働組合がまとまって、小さな職場でも駆けつけて組合員として応援して相談にのってくれ、交渉まで付き添ってくれる、というのは、ほんとうにデカいですね。これがなければ、職場だけでは絶対に無理でしょう。

そんな気がします。

あ 2017/12/10 12:23 なお、具体化・専門化の課題と思うことがあります。

上記のような職場を基礎として、都道府県レベルでまとまる労働組合運動の具体的で専門的な内容です。

たしかに、労働法はもうプロレベルというか無資格なのに社会保険労務士とか弁護士を凌駕するような労働組合の幹部は存在すると思いますが、そうした幹部養成のカリキュラムというか学習教育体制が杜撰なので、いつまでたってもある種のお任せ労働組合民主主義のような気がします。少なくともわたくしは。非常に問題な体質であると思っています。

また、労働法という側面だけで、企業経営、産業経営、都道府県の税財政、金融、国政レベルの税財政とか国際経済関係など、経済面の具体的、専門的な学習・教育の体制もまったくない、と。こちらのほうは、労働法がプロを凌駕するレベルの幹部に対して、どうなんでしょう。会計士とか税理士とかを凌駕するレベルの労働組合幹部はいるのでしょうか。もちろん、金融では銀行員とか財務官僚とかそういうプロを凌駕するような労組幹部。

労働組合が強く大きくなって、自分たちの企業・職場、産業、経済・金融、税財政、国際経済・金融などを自分たちで生産者が主人公、労働組合民主主義を徹底する経済民主主義を実行し、実践するというのは、とりもなおさず、学習・教育体制のカリキュラム化、具体化・専門化の徹底だと思うのですが、どうもスローガン的な地点で足踏み状態にあるのではないか、と。

退職者教職員とか労働組合でやってきた人がいる年金者組合とか、大学教員、弁護士・会計士・税理士などの専門家、公務員行政職、法律職、経済系の人で退職した人とか、マスコミの退職者とか、

いわば、専門的、具体的な能力を持っているであろう、しかも、労働時間から自由な退職者の人々というのは、けっこう存在すると思うんですよ。社会に。

こうした人々が学習・教育という一点に集中して、労働組合の学習・教育の専門的・具体的なカリキュラムとか教材を作成するとか、労働学校のようなもので定期的に徹底するとか、せっかく組合員になりそうな人々がいるのに、相談、事案解決で終了というのではなく、学習・教育へつないでいくとか、共に学ぶ仲間として結びつきを継続するなかで、組合運動にのめりこんでもらうとか。

こうしたことがないような、こうした回路、プロセスがない、イメージできないのです。

ここに最大の主体的な問題、体質の問題があると感じています。

憲法とか労働法とか制度とかの課題学習も非常に素晴らしいのですが、その先がいつまでたっても構築されない。なぜなんでしょうか。都道府県とか全国レベルで統一した機関はあるし、しかも、労働者学習教育に専門化した運動団体まで構築しているし、日本共産党までこの国にはあるし、公務員労組、教職員労組、大学学術レベル、弁護士・会計士・税理士などの専門家レベルでも、素晴らしい人はたくさんいるとおもうんです。条件はある、と。それに、そういう人たちかたしたら、学習・教育のカリキュラムを作成するとか、教材を作成するとか、教育運動するとかは、畑違いでもないし、そんなに難しい課題でもないと思うんです。

生産者が主人公、国民が主人公を徹底するには、学習・教育の具体化、専門化、いわば、全面化と根本性しか道はないと思うんですが。旧教育基本法も憲法の実現は教育に待たねばならないとしていましたし、憲法レベルのことを科学的社会主義の立場から、完全に徹底していくということなんじゃないか、と。

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