Hatena::ブログ(Diary)

紙屋研究所


※すべての記事は上の「記事一覧」で見られます。
※上の「日記」で検索すると当ブログ内の検索ができます。
※旧サイトはhttp://www1.odn.ne.jp/kamiya-taです。
コメント・トラックバックには普段は反応・返答しませんのでご了承ください。
※メールはcbl03270(at)pop06.odn.ne.jp  ←(at)を@に直してください。
※うまくメールが送れないときはこちらからどうぞ。
※お仕事の依頼や回答が必要なことなどはメールでお願いします。

2018-05-27 「安倍を支持する3割」についての想像

「安倍を支持する3割」についての想像



 「安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの?」というはてな匿名ダイアリーの記事があった。

安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの? - はてな匿名ダイアリー


 安倍政権支持率は、どんな不祥事が出てきても3割くらいから下がらない(まあ「7割くらいは支持していない」とも言えるが)。

 この3割ってどんな層なのだろうか。

 勝手に想像してみる。


一つは「経済」(経済政策

 この間、福岡市印刷会社に勤めている、娘の保育園時代のパパ友・Aさんと酒を飲む機会があったんだけど、彼の感覚では「不動産、建設がホントに景気いいですよね〜」。

 これは景気動向調査のようなデータとも一致するが、細かい数ヶ月単位の数字データというより、ざっくりとした景気の感覚。例えば年間の展望について建設は「首都圏再開発事業などで好況が続く見通し」、不動産は「首都圏を中心としたオフィスの大量供給が見込まれ、堅調な業績推移を予想」みたいなやつ。

http://www.tdb.co.jp/report/industry/kenchiku.html

 その理由は何ですかとAさんに聞くと「まあ東京オリンピックでしょうね」ということ。

 加えて福岡市高島市政はアベノミクスの先取りをするような「アベノミクスの地方版実験場」の様相を呈している。福岡市では高島市長がやっている「天神ビッグバン」や「ウォーターフロント再整備」(要するに都心の巨大再開発)のようなものも影響しますか、と聞くと、「ああ、福岡ではそれもありますね」と答えた。


 全国の企業の声を聞くとこんな感じ。

https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/201804_jp.pdf

 どれもこれも政策がらみである。

 「だから不動産・建設が安倍政権を支持している」というつもりはない。

 もっと大ざっぱな枠で。

 つまり、建設とか不動産に限らず、景気のいい業種はホントに景気がいいんだろ、と思う。そうなると「このまま安倍政権が続いてほしいな」と思うのはある意味でフツーの感覚ではないのか。学生などが就職の好調を理由に安倍政権自民党)を支持するという話を聞いたこともあるが、それはある意味でわかる気がする。

 そういう人には、「文書改ざん」「ご飯論法」「日報隠蔽」という話をしてもなかなか響かない……というのは、それなりに理屈が通る。

 過熱しているビジネスに身を置いている人の感覚と、そこをまったく除外して民主主義文脈だけで語っている人の感覚のズレが、「まだ3割も支持している」という歯ぎしりにつながっている……これがぼくの想像。


 もちろん、わかるよ。これが2020年(あるいはそれ以前の消費増税不動産バブル崩壊)までのカンフル剤に近いという不健全性は指摘できる(この「不健全性」についてはこの記事の最後に「余談」として付記しておく)ってことは。松尾匡も『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学』でも2020年が終わったらとんでもない破綻がやってくるんじゃないかという不安を書いていた。*1

 そして実感のない人には全くないってことも(後述)。

 だけど、安倍は2020年オリンピックまでがんばって首相の座にしがみついて、できれば改憲を成し遂げ、「歴史的名宰相」という称号を手に入れて去ろうとしている。その後で大崩落が起きてもカンケーないのである。そこまで保てばいい。むしろ安倍が去った後に大崩落が来るほど、自分の価値は上がるんじゃないか。


二つ目は「保守色」

 むろん、こうした経済政策だけではない。

 憲法改定をはじめとする復古的・タカ派的な安倍政権の対応を、熱狂しているコアなファンもいるのだろう。

 「WILL」とか「Hanada」とか読んでる人ね。

 この前、弁護士懲戒請求問題に絡んだ人たちの年齢が話題になっていたよね。


 ぼくが前の団地で町内会活動をいっしょにやってきた70代の男性がいる。彼なんかはiPadを購入してネットに日常的に触れる環境ができて、国際的・歴史的な問題で急速に右翼的な発言が増えていっていた。もともと歴史好きで新書などを読んでいたからその素養はあったんだけど。(ただ、左派のぼくともふつうに付き合ったし、彼は「赤旗」を勧められて読んでいたりしていて、iPad購入後もずっと続けていたようだった。)

 どの年齢層に多いってことじゃなくて、全年齢層にいる感じがするけど、中高年は、若い人以上にけっこうこじらせている人が多いなあという気はする。いずれにせよ、こういう保守色を求めて安倍政権を固く支持している層は確かにある。


 いわば「経済政策」と「保守色」という2つの理由が安倍政権支持のコアにあるのではないか。



そして「他に人がいない」という理由

 この2つの理由をコアにして、その外側にこれらをライトに支えるのが、「他に(首相となるべき)人がいない」というものだ。一般的に「他に人がいない」というのではなく、「経済」「保守色」で良いと思っているコアがあるので、「色々まずいかもしれんけどこの2つでとりあえずいい感じなので、他に人もいないし」という支持理由。

 いや、わかるよ。そういう「理由」に以下のように反論したくなるのも。

 安倍はあんなひどい民主主義破壊やっているんだから、安倍以外だったら誰でもいいじゃん、と。

 野党だけじゃなくて、自民党内の他の政治家でも。

 だけど、それが大きな流れになって見えていない。


 自民党は「経済政策」と「保守色」という2つの理由があるから、「まあ安倍でいいんじゃない」と思っているんだろう。

 野党は統一した政権の姿、オルタナティブをいまだに打ち出せていない。


 まとめる。「安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの?」という答えは「経済政策」と「保守色」という2つの理由に、「他に適当な人がいない(と思っている)」というプラス1の理由だ――これがぼくの答え。

 「景気回復」を「実感している」は、日経世論調査で18%、朝日で16%(2017年11月)、読売で20%(2018年1月)。だから、圧倒的多数は「経済がいい」とさえ思っていない。しかしまあ逆にいえば、景気回復を実感し、経済政策がいいと思っている人がだいたい2割いるってこと。保守色がいいというので5〜10%。あとは「うっすら支持」が増えたり減ったり。こんな感じじゃないですかね。



念のため

 あっ、断っておくけど、ぼくは安倍政権経済政策がいいとは思っていないよ。

 また、「野党は統一した政権の姿、オルタナティブをいまだに打ち出せていないから安倍政権は続いたほうがよい」とも思っていない。早く退陣すべきだと思って、デモにもいっている。野党が統一した政権の姿を出した方がいいとは思うけど、出せない現時点でも安倍政権は倒れるべきだと思う。民主主義にとって危機的だからであり、条件さえあれば自民党内のグループと連携して一致して倒してもいい。

 そして、現状でも「安倍政権が倒れない」とも思っていない。つまりこの状態で安倍政権が倒れる可能性はあると思う。

 ぼくがさっき説明したのは、「3割ほどいる安倍支持層は何を支持しているのか/なぜ支持しているのか」という憶測・想像である。そこを自分なりに説明しただけだから。3割の支持が残っていても倒れるときは倒れるし、「他に人がいないから」というライトな支持層は今後剥がれる可能性はある。


 経済政策がいいから安倍政権が倒れない、というわけでもない。

 だって、さっきも言った通り「景気回復の実感なし」が7割とか8割になっているし、アベノミクスを「評価しない」というのも「評価する」より高いし。

 ここで「経済」で支持されているという推察をしたからと言って、「やっぱり左翼アベノミクスを見習うべきだよ」というふうに単純にやっちゃいけないと思う*2慌てすぎ

 あくまで「3割いつも残る支持はどういう層なのか」という分析(想像)にすぎないのだから。

 

 念のため。


余談

 低成長経済しかできなくなった成熟資本主義は、バブルをどうしても求めてしまうものであり、その典型不動産投資だという話。

 イタリアの歴史社会学者ジョヴァンニ・アリギは『長い20世紀』(1994年)のなかで、現代の資本主義社会にとってバブル経済がいかに避けがたいものであるのかを論じました。

 なぜ避けがたいのかといえば、高度経済成長が終わって低成長の経済になると、投資の利益率も低下しますので、それをおぎなうために金融的な投機が拡大するからです。

 典型的なのが不動産投資です。

 低成長になってマンションやオフィスビルなどの需要が低下すれば、当然マンションやオフィスビルは売れなくなります。それをおぎなおうとすれば、「かならず値上がりするから」といって買い手を開拓するしかありません。

 このとき、もし買い手の開拓がうまくいって、多くの人が「値上がりするだろう」という見通しのもとマンションやオフィスビルを購入してくれれば、その結果、実際にそれらの需要が高まり、マンションやオフィスビルが値上がりします。

 そうして値上がりがつづけば、今度は銀行などの金融機関融資へのハードルをさげて、より多くの人にマンションやオフィスビルの購入のためにお金を貸してくれるようになるでしょう。その場合、金融機関は、買い手が購入する不動産価格の上昇に見合った金利を受け取ることができるからです。

 そうなると、さらに多くの人が将来の値上がりを見込んでマンションやオフィスビルの購入にむかい、結果としてさらに価格も上昇します。

 こうして、実際の需要とは別にマンションやオフィスビルが売買され、価格も上昇するようになり、バブル経済が生み出されていくのです。

 資本主義経済は、より多くの利益を売るために資本を投下(つまり投資)する、という運動によってなりたっています。

 そうである以上、経済成長率が低下していくと、より高い利益率を求めて金融的な投機が拡大してしまうのは、資本主義経済にとって不可避的な傾向です。(萱野稔人『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』p.100-102)


 高島市政が「天神ビッグバン」という看板で福岡都心部でのビル30棟建て替えをさせる目標を立て、容積率の緩和などのメニューや目玉拠点施設をつくって誘導しようとしているのは、まさに短期的なバブルを引き起こしたいためだろう。

 インバウンドを当て込んで「ウォーターフロント」を再整備して、IRカジノがついていると言われる統合型リゾート*3)だの巨大回遊型ペデストリアンデッキだのホテルだのを建設し、博多駅から港まで都市型ロープウエーをつくるのだと息巻いている。これも同じことだ。


 高島市政のこうした政策は、インバウンドを増やし開発をして地価を引き上げトータルの経済成長を生み出しているという点では「うまくっている」。バブルの熱狂を引き出しているのだ。(ただし、市内の雇用者報酬や家計可処分所得が下がっているので、市民にはこうした政策は還元されておらず、それどころか、市内の渋滞、バス運転手不足、学校・保育園の圧倒的不足、民泊でのトラブル・犯罪などのコストを市民は支払わされているのであるが。)

*1:『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』のp.285-289。「僕はオリンピックの後に大きな問題が出てくるんじゃないかなと思います」(松尾)「一番怖いのは東京オリンピックのあとだ」(ブレイディ)「このままでは五輪後地獄だぞ」(北田)。

*2:ただ、個々の経済政策をじっくり分析すること自体は必要で、例えば金融緩和についてはもう少しぼくも慎重に調べてみたい。すぐに飛びつくなよ、という程度の話。

*3高島市政はカジノが付属することは現時点では確言していない。

2018-05-26 「へえ〜」と言うだけかな

「へえ〜」と言うだけかな


5歳男児『女の子が鉄棒で回った時パンツが見えてエッチだった(笑)』この発言に親としては何と声をかけるべきなのか?→様々な意見が集まる - Togetter


 この人(はなびら葵、@hollyhockpetal)は

  1. 性暴力・性支配的なコードについて注意を促す
  2. 性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない

という2つの命題の間で苦しんでいる。

 これはまっとうな悩みようである。

 「はなびら葵」の悩みかたの範囲であれば、まさに状況による。この範囲なら悩んだ上で、その子にとって最善のものだと親が判断したことを与えればいい。


 こちらも似た感じ。

5歳男児から「鉄棒のとき女の子のパンツが見えてエッチだった(恥笑)」と言われたらどう対応するか - 斗比主閲子の姑日記

まずは否定しないけれど、「へー、パンツ見えちゃったんだ。でもその子には言わないであげたんだよね。偉いね。パンツもおちんちんと同じで人が勝手に見ていいものじゃないもんね」と伝えると思います。

http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329

 そして、斗比主閲子は次のように続ける。

子どもが思うこと自体は他人がどうのこうのできるもんじゃないですが、パンツを見られた女の子がどう思うかとか、その女の子じゃなく自分自身の性器や下着が見られたときに、それは防御される対象になること自体を学ぶのは、未就学児の性教育としては基本だと思います。

http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329

 もちろん斗比主閲子の対応は「あり」だ。

 否定的に言っていない分だけ、さらにいい対応だと思う。


ぼくの場合は

 どちらの対応もアリだとは思う。

 その上で、ぼくならどうするか。

 ぼくには娘がいるが、息子はいない。

 自分はかつて「元・男児」であったが、男の子を育てた経験はない。なので想像するしかないのだが、就学前の子どもとして学ぶべき性的倫理は、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」ということだろう。いや、もちろんそれ以外のことも学びうる。だけど、親から子どもに注意として呼びかけるものは、これくらいのことなのではないか。


 この倫理を確立するために、言葉で教えてもいいし、前にぼくが挙げたように絵本を使ってもいい。

おかあさんとみる性の本 全3巻

 例えばもし男の子が女の子のパンツを下げて中身をみようとしていたら、緊急にそれを停止させてそれがなぜダメなのかを教える必要がある。


 だが、それ以外の点ではどうだろうか。「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない」し、親子の間でのこうした問題に関する自由議論・感情が失われることは、ぼくはマイナスとしてヨリ大きいと思う。


 この「はなびら葵」の息子=5歳の幼稚園男子は、羞恥をもって親に「パンツが見えたこと」を伝えているのであれば、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理すでに身につけていると考えられる。

 そして、ひょっとしたら自分の性欲が喚起されてしまったのかもしれないし、あるいは性欲は惹き起こされなかったかもしれないが社会的にそれが「エッチ」であるという振る舞いを知っていて恥ずかしそうにしただけかもしれない。

 そのどちらであるにしても、そこに立ち入って注意をするのは就学前の子どもには荷が重いのではないか。逆に言えば、就学前の子どもであれば「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理があるなら、とりあえずそれでよしとする。

 ゆえに「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」「親子の間でのこうした問題に関する自由議論・感情が失われる」恐れの方をぼくは重視する。だからぼくであれば、おそらくその部分(命題1.)はスルーする。

 「へえ〜」とか言って終わり。

 あくまで「就学前」の話ね。


 いちいち性暴力・性支配的な考えが子ども言動の中に顔を覗かせたときに、親はそれを細かく叩くことはできない(許されない大きなものは別にして)。

 それよりも、小学校に上がってから以降で、

  • 性教育に役立ちそうで面白そうなマンガや本を渡すこと。
  • 親子でテレビを見たり同じマンガを読んだり雑談をしたりする中で自然に親の考えを述べること。

などをやった方がいいんじゃないかと思う。そうすることでワクチンをつくるっつうか、ヒドゥン・カリキュラムを叩くというか。

 鉄棒でパンツが見えたこと以外にも子どもは世の中の性的支配コードを様々に学んでいる。それをいちいち容喙するかどうかにあまり悩まず、太いところで親としてできることを考えた方がいいんじゃなかろうか。


 ただ、注意しても「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」ことがない場合も十分ありうるし、仮に「親はうるさいやつだな」と思ってもそこから学ぶこともあるかもしれない。また、本に書いてあることではなく実地で問いかけられる瞬間に注意したり議論したりすることの方が効果的ではある。

 だから、「はなびら葵」や斗比主閲子の対応も、書いてある範囲であれば全然アリだとは思う。子どもや状況次第だし、あくまでぼくは命題1.よりも命題2.を重視する、というほどのもの。

2018-05-21 「ご飯論法」は安倍政権に共通する感覚では

「ご飯論法」は安倍政権に共通する感覚では


 上西充子・法政大学キャリアデザイン学部教授*1高度プロフェッショナル制度(いわゆる「高プロ」「残業代ゼロ法案」)をめぐる加藤厚労大臣の答弁の不誠実さを「ご飯論法」として批判し、辞任を求めている。

高プロの「異次元の危険性」を指摘した小池晃議員に、「#ご飯論法」で否定してみせた加藤大臣は、辞任を(上西充子) - 個人 - Yahoo!ニュース


 記事の中でぼくのことも触れてくれていますけど、上西先生、本当に律儀な人ですね…。*2

 「ご飯論法」とは上西が特徴づけた言い逃れ答弁の論法で、「朝ごはんを食べましたか?」という質問に「(朝、パンは食べたけど、ごはん=米飯は)食べていない」と答えるようなやり方である。


 共産党小池晃参院議員が“この制度が通ったら4日間休ませれば、あとはずっと働かせることが、104日間を除けばずうっと働かせることができることになる。そういうことを法律上排除するしくみがあるか”と聞いたのに、加藤大臣は「働かせるということ自体がこの制度にはなじまない」とか「そういう仕組みになっていないんです。法の趣旨もそうでないんです」「今委員おっしゃったようなことにはならないだろう」などとくりかえす。

 ふつうに聞けば、「小池が無知杉。返り討ちワロタ」とか「ブサヨ印象操作もたいがいにせえや……」とか思うところだが、小池はしつこく食い下がり「ご飯論法」を暴いてしまう。

 ついに加藤は認めるのだ。「それ自体を規制するという規定はありません」。


佐川答弁で見た「ご飯論法

 それで、この「ご飯論法」については、前にぼくが森友疑惑での佐川財務省理財局長の証人喚問でのやりとりで似たものを聞いて、愕然としたことがある。(それを上西記事を読んで思い出し、ツイッターで「ご飯論法」だとつぶやいたのである。)

 今年(2018年)3月27日の衆院予算委員会での証人喚問共産党宮本岳志議員の質問と佐川の答弁だ。


 森友疑惑が起きて、面会等の記録があるかどうか2017年2月の国会で問題になった。17年2月に佐川は“破棄を確認した”という趣旨のことを国会で言っている。だとすると文書は破棄してなかったんだからこれは虚偽答弁になるよね、と宮本が追及するのである。追及するのだが、佐川証人喚問での答弁はこうだった。

 宮本 日本共産党宮本岳志です。この森友問題、昨年2月15日の私の当院財務金融委員会の質問から始まりました。そこで聞くんですが、あなたは昨年2月24日の衆院予算委員会で面会等の記録は平成28年(2016年)6月20日の売買契約締結をもって破棄していると、こういう答弁を私に初めてしました。この答弁は虚偽答弁でしたか。


 佐川 委員おっしゃる通り、2月半ばから委員のご質問で始まったことでございまして、いまのお話の6月20日をもって廃棄をしたという私の答弁は、財務省文書管理記録(規則)の取り扱いをもって答弁したということでございまして、そういう意味で本当に丁寧さを欠いたということでございます。申し訳ありませんでした。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-28/2018032804_01_0.html

 佐川のいう「文書廃棄を確認した」というのは「文書を捨てたことをシュレッダーで現認した」という意味ではもちろんないし、「文書は捨てたよなということを実際に文書を調べて確認した」という意味でもなかった。

 ふつうはそんなふう(個別文書の廃棄の個別的確認)にとらえる。

 ところが、佐川は“文書廃棄を個別に確認したわけじゃねーよ、何年たったら捨てるっていうルールがあるのを確認したって意味だよ。そういうルールがあるから捨てたんだろうね、ってコト”と答弁していたんだと言い逃れたのである。


 そりゃ宮本は怒るわな。

 宮本 そういう問題ではないんですね。あなたは、午前中の証言で個別の事案についてもきちんと確認をして答弁をしなかったという点で丁寧さを欠いたと、こういう答弁をしているんですね。しかし、2月24日の私に対するあなたの答弁は「昨年6月の売買契約に至るまでの財務局と学園側の交渉記録につきまして、委員からのご依頼を受けまして、確認しましたところ、近畿財務局森友学園の交渉記録というのはございませんでした」と。このとき確認をして「なかった」と答弁しているので、一般的な規定を答弁しているんじゃないんです。これはどちらかがうそですね。


 佐川 大変申し訳ありません。その「確認をした」という意味ですけども、理財局に文書の取り扱いを確認したということでそういう答弁をしてしまいました。申し訳ありませんでした。


(議場騒然)


 宮本 そんなの通りませんよ。委員長、だめですよ、そんなの。答弁になってない。そんなの通らない。答弁なってないじゃないか。


 (委員長「再答弁してください。佐川証人」)


 佐川 本当に申し訳ありませんでした。文書の取扱規則の話をしてございました。すいません。


 宮本 じゃあ、この答弁については、虚偽答弁を認めますか。


 佐川 それはその、虚偽というふうに(宮本「虚偽じゃないか」)、私自身は、その虚偽という認識はそのときはございませんでした。


 宮本 「確認をして」というのはですね、規定をただただ確認しただけだって、通りませんよ、それは。そして今日やっている証言は、確認をしてなかったから丁寧さに欠けたって言ってるんですよ。これは午前中の答弁がまさに証言が偽証であるか、昨年の答弁がまさに虚偽答弁であるか二つに一つですよ。じゃあ、午前中の答弁撤回してください。


 佐川 ですから、あの、おわび申し上げますが、昨年の委員に対する答弁がそういう趣旨の答弁だったということでございます。


文書改ざんはアウトにされているが「ご飯論法」はセーフにされている

 ぼくが、ツイッターでこのことについて「足元が崩壊する感覚に襲われた」と書いた。


 そのあとのツイートでも書いたように、

もしこんな不誠実な答弁が許されるなら、野党議員はどんな答弁を聞いても安心できないし、記者は百万通りの質問をしないと回答が定まらないことになる

https://twitter.com/kamiyakousetsu/status/993514940056059905

からだ。

 「そんなの、森友でそもそも文書改ざんまでやられていたんだから今さら驚くことでもねーだろ」と思うかもしれない。

 しかし、文書改ざん」はアウトであることはもうハッキリしている。誰がやったのかはまだ決着がついていないけど。

 だけど、この佐川・加藤の「ご飯論法」はアウトだとはされていない、「やってはいけない」ということにはなっていないのだ。セーフ判定なのである。あまりにもひどい。


官房長官も「ご飯論法

 じじつ、菅官房長官も、この「ご飯論法」を、佐川喚問の後、今年(2018年)3月28日の参院予算委員会で平気でやっている。共産党小池とのやりとりだ。


 “決裁文書に全部記録してあって、そっちは30年も保存しているんだから、面会記録なんか捨てても大丈夫だよ”という旨を、森友疑惑が持ち上がった2017年2月に、菅は記者会見で答えている。“決裁文書を読んだけどそっちにぜんぶ書いてあるんだよ”、と菅が言ったように聞こえるのである。

 ところが今年になってから、その決裁文書は書き換えられていたとわかり、菅はあわてて「決裁文書の内容について説明されたことはない」と言い訳しだしたのだ。決裁文書の中身なんか見ていないよ、と。

 小池はここにかみついた。あんた確認したんとちゃうんか、と(以下の「太田」は財務省理財局長)。

 

 小池 会見当時、森友疑惑はすでに安倍首相の進退に関わる重大問題になっており、記録の破棄も疑惑の隠ぺいだと大問題になっていた。決裁文書の内容を確認もせずに会見したのか。


  財務省一般文書の管理規則について述べた


 小池 記者はルールを聞いたのではない。長官が決裁文書に触れれば、理財局は改ざん前の決裁文書をすぐに確認するはずだ。


  秘書官がつくったメモを確認して発言している。決裁文書の内容は知らず、ルールを紹介した。


 太田 長官はルールを伝えたと承知している。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-29/2018032903_01_0.html

 ここでも、「確認」は個別の文書の確認ではなく、一般的なルールの確認ということになっている。

 こんなことが許されたら、言葉の意味を一つひとつ吟味しないと、とんでもない言い抜けをされていることになるではないか。よく記者が官邸の会見に食い下がって質問することを「空気読めよ」「論争の場じゃねーぞ」と非難する向きがあるが、こんな「ご飯論法」がOKなら、そりゃ食い下がるのが普通のジャーナリストってことになるわな。

 そしてそういう言抜け=「ご飯論法」はいまでも問題ないことにされているのである。


「霞が関文学」一般の話ではない

 これは「霞が関文学」と言って済ませられる問題ではない。

 例えば、「しんぶん赤旗」が、アマゾンの税逃れについて公開質問をしている。

 本紙はアマゾン米国本社にも質問状を送り、アマゾンが過去も現在も日本のネット通販事業の売上高を米国に移転して日本での課税を逃れているという見解を伝え、事実でなければ否定するよう求めました。米国本社は「アマゾンは日本を含むすべての国で、要求された税金の全額を払っている」と回答。日本事業の売上高を米国に移していることは否定しませんでした。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-05-14/2018051401_01_1.html

 この時アマゾンの回答はわかりにくい。「アマゾンは日本を含むすべての国で、要求された税金の全額を払っている」。「霞が関文学」である。ちょっと聞くと「ああ税逃れはしてないんだな」と思ってしまう。


 しかし、「売上高を米国に移転して日本での課税を逃れているという見解を伝え、事実でなければ否定するよう求めました」とあるように、「赤旗」側が周到に質問をしているためにアマゾンはそこを否定できていない。「日本事業の売上高を米国に移していることは否定しませんでした」とある通りだ。

 つまり、“売上高を米国に移して操作しているけど、操作後はちゃーんとどの国の法律にもかなった形で税金を払っているよ”と言っている可能性があるのだ。違法な脱税はしていないけど、合法的に税金は逃れていますよ、と。


 これ自体は噴飯ものだけど、いちおう「誠実」に回答している

 よく読めば論理はたどれるからである。

 しかしご飯論法」はそれがたどれない。もしくは、いくつもの意味に取れてしまう。あるいは、本当によくよく確かめないとその論理をたどれないほど「か細い」。

 そういうことをされると、議会で質問する側は一つの答弁についてなんども意味を確認しないといけなくなってしまう。議員として見逃しをした=チェックをしなかった、という汚名を受けないために。しかし質問時間が決まっているので、そのやりとりは「空費」になってしまうのだ。


 ゆえにご飯論法」が認められるのであれば、足元が崩壊する、つまり議会論戦そのものが成り立たなくなるという感覚に襲われたのである。

 そして、佐川といい菅といい、そして加藤といい、この「ご飯論法」は安倍政権共通する感覚・体質ではないのか、という思いを上西記事を読んで強くした。

 

*1ツイッター上は直接のやり取りをしたので敬称をつけたけど、ここではいつものこのブログのスタイルで、以下は敬称を略させていただく。

*2:なんか、上西の記事ではぼくが「ご飯論法」の名付け親のように書いてくれていて恐縮するが、ツイッター上のやりとりでも明らかにしたように、もともと上西の記事にインスパイアされてつぶやいただけのことなのだ。命名権は事実上上西のものである。

2018-05-13 本当にダメ 映画「ドラえもん のび太の宝島」

映画「ドラえもん のび太の宝島」



 保育園時代のパパ・ママ友たちの好意で、映画「ドラえもん のび太の宝島」を親子で観た。

 シリーズでは歴代最高の動員数という。

映画ドラえもん のび太の宝島 歴代最高の428万人動員 興収48億8000万円


 人気アニメ「ドラえもん」(テレビ朝日系)の劇場版最新作「映画ドラえもん のび太の宝島」(今井一暁監督)が、3月3日の公開から37日間で動員数が428万人を突破し劇場版「ドラえもん」史上、過去最高の記録となったことが9日、分かった。4月8日までの動員は約428万2000人、興行収入は約48億8000万円を記録するなど大ヒットしている。これまでの最高は、1989年3月公開の「映画ドラえもん のび太の日本誕生」の約420万人だった。

https://mainichi.jp/articles/20180409/dyo/00m/200/015000c

 実は「ドラえもん のび太のひみつ道具博物館」(2013年)以来毎年観ているが、今年は本当にダメだった。その点はつれあいとも一致した。*1


 ネットには感想がすでにたくさん出ている。

ドラえもん のび太の宝島 酷評注意 ネタバレあり|MOJIの映画レビューhttps://ameblo.jp/moji-taro/entry-12359190883.html

『映画ドラえもん のび太の宝島』感想 動きに魅力が多い分、脚本には突っ込みどころも…… ネタバレあり - 物語る亀

http://blog.monogatarukame.net/entry/nobita-takarajima


 この2つに共通しているのは、物語のドライブになっている問題が解決されていないという指摘である。

最大の問題はやはり、敵の設定。

敵が行おうとしていて、ドラえもんたちが止めようとする「悪いこと」がまったく意味不明で、何が何だかさっぱりわからないこと。

宝島と思われたのは実は未来からやって来た海賊船で、いろんな時代の海から宝物を集めて回っているんですね。

その船長のシルバーは実は、のび太たちが出会って一緒に冒険する少年フロックと少女セーラの父親で、元科学者。奥さんも科学者で、地球からエネルギーを取り出す研究をしていたが、過労で死んでしまった。彼は奥さんの研究を完成しようとするが、地球が滅亡する未来を見てしまったため、人々を宇宙へ脱出させるために海賊船で地球のエネルギーを吸い取っている。

この設定が、あまりにも意味不明なんですよ。

地球が滅亡するから宇宙へ脱出するけど、宇宙へ脱出するためには、地球が滅亡しなければならない?

じゃあ、宇宙へ脱出するのをやめればいいんじゃないの?

https://ameblo.jp/moji-taro/entry-12359190883.html

主「いや、すっごい単純なことなんだけれどさ……結局何も解決していなんだよね、この作品って」

カエル「……え? 親子の仲は元に戻ってハッピーエンドだったじゃない?」

主「いや、だからさ……その前に地球が滅んでしまうからってことであんな大それた計画を実行したわけでしょ?

 だけれど、そっちの方面に関しては何1つとして解決していないんだよね。

 すごく無理矢理ハッピーエンド感を出しているんだけれど、でも地球は滅びることは回避していない」

カエル「う〜ん……まあ、確かにそうなのかも……」

主「それに、お話が壮大すぎてついていけないところがあるよね。

 じゃあシルバーは一体何をしようとしていたのか?

 なぜそれをしようとしていたのか?

http://blog.monogatarukame.net/entry/nobita-takarajima

 これに対して、いや解決しているよ、と指摘するブログもある。

ドラえもん映画「のび太の宝島」の感想!考察するほど秀逸さが分かる! | BLOGSTAR

https://mypace-life.com/?p=2827

・・・ここで1点おや?と思うことが。

このままじゃ、悲惨な未来は回避できないよね?ということです。シルバーとフロックとセーラ、3人でほっこりしてる場合じゃないじゃん!という声が、レビューなどでもちらほら書かれていました。

ですが、私は心配無用だと思います。

その理由は「シルバーもフロックも超一流のメカニックになったから」です。しかも家族関係が元に戻ったことによって、2人はこの先協力することができます。

悲惨な未来を回避すべき技術を、これから2人で開発していくのです。

シルバーが「未来の地球の悲惨な姿」を見た時点では、シルバーのメカニック技術は素人レベルでした。もちろん、フロックにも技術が備わってない頃です。

しかし、それがきっかけでシルバーは研究に打ち込み腕を上げていきましたし、フロックも結果的に優秀なメカニックになりました。

なので、仮に映画のラストの時点でもう一度未来の地球の姿を見たとしたら、きっと良い未来になっていると思います。未来が変わったということです。

「のび太の宝島」ではこんな風に、『本当に大切なことに目を向けて行動すれば未来は変えられる』というメッセージを放っていると思います。

https://mypace-life.com/?p=2827

 解決したか・していないかは議論の余地があるかもしれない。

 しかし、「地球を滅亡から救う」という物語の推進動機がしっかり作られておらずに、とってつけた感じが否めないのである。性急な説明で終わってしまっているのだ。

 性急な説明で終わってしまっているというのは、地球の滅亡とこの家族(シルバー一家)の物語を絡めてしまっているから。盛りすぎなのである。


 地球が滅亡する、というのを例えば昨今の環境問題への意識と関連させて子どもたちへの道徳的なメッセージにしたいという欲望。それと家族や親子への愛情、そして子どもが未来への進路を選ぶ際の清い動機にさせたいという欲望。そういうものが不純に絡まり合って、( ;∀;) イイハナシダナーにしようという欲望が透けて見えるのである。


 こういう感想が出てくるのはむべなるかな、と言わざるを得ない。

 「地球の滅亡」って……こう……もっと……ドタバタであるべきじゃないのか?

 それこそ藤子・F・不二雄『モジャ公』には「地球最後の日」が出てくる。オットーという宇宙人がインチキ予言師になりすまし、はじめはバカにしていた人たちが次第に信じ、世界中が大恐慌に見舞われていく。

 逃げようとする人の群れが自動車事故を起こし、エッフェル塔から自殺者が雨のように降り、争っていた南北ベトナムが逃げるロケットをよこせと米軍に共同デモをかけたり。

 ここには「未来は変えられる」だの「親子の情愛」だの「地球を救おう」だの、説教くさいメッセージはない。

 子どもの心に原初的な不安を与え、最後は痛快な救済劇を用意していたのが『モジャ公』だった。


 今述べたことに含まれるけど、親子の愛情みたいな話もそうである。

 いや、別に親子の愛情の話が出てきてもいい。

 だが、無理に入れ込むな、と言いたい。

 つれあいは、映画の最初にのび太とパパがケンカするシーンがあり(夏休みに宝島探検に行きたいというのび太の要求をママが反対し、パパも一旦同意しかけるが「宿題が終わってから」という現実的な条件をつけてしまい、ケンカをする)、そのエピソードになんの深みも、共感もできないということを言っていた。ゆえに、ラストでのび太たちが出会うシルバー親子の相克と、のび太・のび太パパとのケンカをタブらせようとしても、あまりダブらない。

メインとなるべきストーリーがこれほどグダグダなのに、それを収拾しようとせずに、終盤はやたらと感動させようとする方向ばかりに向かいます。それが正直、ウザかった。

お母さんの死の回想や、父と子の確執や涙の和解をこれでもかと強調する。

のび太たちも、「地球が大変なことになる! それはさておき、親と子がいがみ合うなんてダメだよ!」終始こんな調子。

なんていうか、ストーリーの辻褄なんてどうでもいいと思ってることが透けて見えるんですよね。そんなことより、泣ければいいんだろ、と。

https://ameblo.jp/moji-taro/entry-12359190883.html

 そもそもシルバーが人が変わったように家族を顧みない「仕事人間」になったのは、地球滅亡という妻の遺したテーマを解決するためであって、それで家族のことがおろそかになったならしょうがねえだろ、とぼくなどは思ってしまうクチである。例えば犯罪とか富とかそういうもののために心変わりしたというなら話は別だけど。

 地球滅亡と家族との時間を天秤にかけたら、そりゃあ「多少の犠牲」もやむを得んわな。

 いや……もしポリティカル・コレクトネスを貫き通すとすれば、子どもが放置されていいはずないので、そこは「働き方改革」をして、シルバーが全部背負い込むんじゃなくて、仕事ふれよ。チームでやって定時に帰れよ。

 

 映画が始まった時、確かに、のび太やジャイアンたちの体がよく伸びる、伸縮自在に動き回るね、とは思った。そこをこのアニメの美点としてあげる人もいる。

これは今井監督がインタビューでも語っているけれど、動きが今回とんでもなくいい!

http://blog.monogatarukame.net/entry/nobita-takarajima

カエル「序盤からグリグリ動くし、その1つ1つがため息が出るほどに楽しいんだよね。子供たちのいる中で『この作画……ヤベェ』と呟いている、どっちがヤバイんだかわからないような状態になっていたし……」

主「それは別にいいんだよ!

 いつも語るけれど子供向け映画を魅せるというのは実は難しいことでもある。爆発や血みどろの描写で引き込むという選択肢は、基本的にはできないからだ。特にドラえもんのような幼児も鑑賞対象に入る映画は、あまり暴力的なことはできない。

 だけれど、今作はそのような暴力的だったり、派手なものではなくて動きだけで魅了する非常に『楽しい』ドラえもんに仕上がっている」

http://blog.monogatarukame.net/entry/nobita-takarajima

 だけど、それは何かの目的のために必要な効果なのであって、別に体がよく動くからといって、このアニメに躍動性を感じることはなかった。ぐにゃぐにゃ動いたからなんだというのだ。


 親子の愛情を入れ込もうとするありきたりさに始まり、ジャイアンやスネ夫にからかわれるそのからかわれ方のステロタイプ、「冒険ごっこ」のために秘密道具を使って徹底して安全に進行しようとする技術思想、「海賊」の隊列や女ボスの類型的な描き方、セーラとしずかが笑って打ち解け合うシーンの平凡さ……そういうものにイライラしてうんざりした。

 それらはこの間のドラえもんの映画になかったわけではないのだが、ギャグが面白かったり、推進力となるストーリーに説得力があったり、それだけのことでそれらは帳消しになったり、また、逆に作品の良さに奉仕するものに反転したりした。今回はそれがなかった。一つ一つが次第に積み重なって、ぼくをイラつかせることになった。

*1:娘は「前作の『のび太の南極カチコチ大冒険』ほどよくはないが、それなりに楽しめた」派。

2018-04-21 拙著が大学入試の問題に採用

拙著が大学入試の問題に採用


(118)どこまでやるか、町内会 (ポプラ新書) さっき、出版社から通知が来ていて、ぼくの『どこまでやるか、町内会』(ポプラ新書)の文章が鳥取大学の小論文の入試問題に採用されていて、ついては過去問集に載せたいから著作権者として許諾をくれ、ということが書かれていた。


 ぼくは知らなかったのだが、著作権法第36条には次のような定めがある。

第三十六条 公表された著作物については、入学試験その他人の学識技能に関する試験又は検定の目的上必要と認められる限度において、当該試験又は検定の問題として複製し、又は公衆送信(放送又は有線放送を除き、自動公衆送信の場合にあつては送信可能化を含む。次項において同じ。)を行うことができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該公衆送信の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。


2 営利を目的として前項の複製又は公衆送信を行う者は、通常の使用料の額に相当する額の補償金を著作権者に支払わなければならない。

 いちいち入学試験についての規定があるんかい……と驚かざるを得なかった。もともと学校教育で使うものは規制が緩和されていることは知っていたが、入試は後で付け加えられた条項のようだ。グレーゾーンだったから整理したのだろう。


 どんな問題か、興味はある。

 よく言われるように、著作者がうまく問題を解けない、みたいな話はある。

 その入試では、ぼくが新聞記事や政府の事例集などを引用している部分を使って問題を出していた。「そこを使うのか」と意外に思わないでもなかったが、たしかに「著者の主張」はそこにおいて出ている。

 町内会をめぐる問題を基本点から学生たちにわかるように、しかも著作権法上の規定を損なわずにぼくの著作から利用し、しかも著者であるぼくの主張のコアもきちんと汲み取らせるというのは、なかなかできることではない。出題者に脱帽である。


 ぼくが『どこまでやるか、町内会』で提起したこと――町内会活動の本当のコアはコミュニティ意識やお隣さん意識の醸成さえあれば良く、町内会の負担の抜本的リストラを行うべきである、それこそが町内会の自発的な担い手を増やし、町内会の本来的な発展の道だ――は、新自由主義のもとで市町村が次々に公的な責任を解除して仕事を町内会に下請けさせる流れがつよまる中で、ますます問われるテーマになっている。


 つい今しがた、隣町の元町内会長――彼はもう高齢のコミュニストである(仮にAさん、としておく)――から電話があった。隣町ではいまの町内会長が就任後すぐに病で倒れ、副会長がずっと代行していたのだが、隣町の会長報酬50万円(年間)は倒れていた会長に渡ったが、事実上会長の職務をほぼ1年間代行していた副会長には手当の増額も何もないのだが、今後もそれでいいのか、意見を聞かせてほしいという相談だった。


 Aさんが会長をしていたのはほんの数年前だが、その時に「これでは担い手ができない」というので会長手当を30万円(年)に引き上げたという。シルバー人材センターで働いても年間それくらいは稼ぐから、ということが根拠のようだった。

 Aさんは役所から持ち込まれる「依頼仕事」に抗しつづけてきたが、会長も代わり、今ではAさんの時よりもはるかにたくさんの仕事が行政から持ち込まれてきているという。そのもとで本当に会長の引受手はいない、という。

 業務量がリストラできればいいけども、もしそれができない場合は、会長や役員の手当を引き上げることは、町内会の合意さえあれば、致し方ないことだとぼくは思う。しかし、そうやってもやがては破綻するのではないかと心配する。


 資本主義のもとでの現在はもちろん、ぼくがめざしている、あるいはコミュニストであるAさんもめざしている共産主義の社会になっても、自主的な地域の活動の発展と、公的な行政の責任をどう組み合わせるかは問われざるを得ない。

 それは抽象的な理念や知的ヒップスターを追いかけることから生まれるのではなくて、現実との格闘からしか生まれるのだと考える。


 ところで、ぼくの町内会関係の本を読んで、批判の記事を書いた人がいた。

 この記事について、ぼくのマンガ評論(『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』)を評価してくれていることには、まずお礼を言いたい。


 そして町内会関連の著作への批判については、少し時間をおいて考えてみることにしたい。

 3日で考えを終えることもあるかもしれないし、5年かかるかもしれないが、時間をおいて考えてみるつもりでいる。*1

*1:こう書くと、結局反省しないんだろ、と抗議する人がいる(無論、上記のツイートの人とは無関係である)。実際最近も、ぼくのマンガの解釈(こうの史代の作品論)に抗議して来た人がいて、それに対して「よく考えておく」という趣旨の返事をしたら「批判意見はスルーかよ」「クソ左翼」などといった激昂した再反論を送り返してきた「残念な人」がいた。