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紙屋研究所


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2018-08-04 LGBTを「趣味」「生産性」で論じることはいけないか

LGBTを「趣味」「生産性」で論じることはいけないか


LGBTは趣味」発言を理解しようとしてみる

 私がAさんを好きか、Bさんを好きかは個人の趣味の問題である。

 国家が口を出すことでもないし、補助金をつけてAさんが好きな気持ちを助成しようというのもおかしな話である。AさんとBさんは「結婚」してもいい。勝手に式でもなんでもすればいいんじゃないか。もちろん、「AさんはキレイだけどBさんはキモいよね」「Bさん好きになるやつは頭がおかしい」とかは言ってはいかん。キビしく叱るべきだ。

 これが「LGBTは趣味」発言の政治家の気持ちではないか。そしてそれは、この範囲ではそんなに間違っていないと思う(「趣味」という言葉については後から述べる)。なお、上記の「引用」囲みは何かの引用ではなく、ぼくが頭の中でできるだけ筋道が立つように考えた理屈である(以下同じ)。

 しかし、AさんとBさんの結婚を法律的に認め、相続とか減税とか公営住宅入居とか、そういう「優遇」までするのはどうなのか? そこまでする必要があるのか?

 Aさんとの法律婚はよいがBさんとの法律婚はダメというわけである。*1

 これは差別ではないのか。そして(理由は別にして)「Aさんとの法律婚はいいが、Bさんとの法律婚はダメ」としているのは、別に杉田水脈谷川とむだけでなく、現在の自公政権そのものである。

 ここにおいて、問題は「趣味みたいなもの」ではなくなる。法律や制度の問題だからだ。

 しかしそもそも「Bさん」は、絶対に誰でもいいというわけでもないぞ。そもそも「Bさん」が子どもだったらダメだろ。市松人形でもハトでも「南ことり」でもダメだろ?

 つまり法律婚で認めて社会的に一定の「優遇」をするのは無条件じゃない。線引きがあるんだ。

 そして、どうして法律婚夫婦には「優遇」をするかと言えば、社会の再生産を担う経済単位であることが期待される(子どもを産み育てて社会の縮小を防ぐ)からだ。

 そういう意味で同性同士は勝手にカップルになる分には構わないけど、法律婚まで認め、そこに税金を一定使うのは、やりすぎだ。

 「好き・嫌い」といういわば恋愛の間は、趣味なので勝手にやってればいい。しかし、同性同士の法律婚を認めろというのは趣味に税金を使うものであり、そこまでやる必要はない。

 「趣味」「税金」「人口」というキーワードで「LGBTは趣味」という政治家の理屈を体系立てればこのようなものになるはずだ。*2


「社会の再生産のために税金を使う」という論だて

 この理屈のキモ(でありアキレス腱)は、「どうして法律婚夫婦には『優遇』をするかと言えば、社会の再生産を担う経済単位であることが期待される(子どもを産み育てて社会の縮小を防ぐ)からだ」という部分だろう。杉田の「LGBT生産性がない」という発言もここに位置づけられる。


 「税金を使う」という理屈にのみつきあって、ここを考えてみよう。

 例えば、福岡県大川市には新婚世帯への家賃補助制度がある(家賃の半分、ただし月1 万円が上限)。

 その目的は市の交付要綱に従えば次の通りである。

少子化対策として、若者の結婚に伴う新生活スタートの支援及び経済的理由で結婚に踏み出せない若者負担を軽減し、安心して子どもを産み育てることができるよう支援するため、…

 なるほど、ここでは、「子どもを産み育てる」ことを政策目標にして、新婚世帯に税金を使っている。このような場合、確かに同性婚の新婚世帯に家賃補助をすることは「目的」から外れるかもしれない。


 しかし、法律婚は「子どもを産み育てる」ことを前提に税金での優遇制度がすべて設計されているわけではない


 例えば、茨城県石岡市にも新婚世帯への家賃補助があるけど、こっちの目的は「新婚世帯の定住化の促進を図るため」である。

 ここでは、子どもを産み育てるかどうかではなく、「夫婦というユニットになることで、生活基盤が安定し、定住性が高まる」という考え方がベースにある。定住することで、そこで働き、何らかの富を生み出すという想定があるのだろう。それが税金を投入するのに値する、というわけである。*3



 新婚世帯の公営住宅の入居促進はどうか。

 例えば大分県の県営住宅では、子育て・新婚世帯の入居を優遇している。その政策目的としては「大分県は『子育て満足度日本一』を目指しており、経済的な負担の重い子育て世帯やこれから出産を控える新婚世帯の入居機会の拡大を図る」とやはり「子育て」「出産」を目的にしているが、この目的に「加え」、「若い世帯の入居促進を通じたコミュニティ形成により、高齢化の進展によるコミュニティの弱体化の懸念が解消され、安心・安全な住生活ができる」としている。


 つまり若いやつ入ってこい、若いやつでも定住しそうな奴が入ってきてコミュニティを若返らせてくれ、団地自治会を支えてくれよ、ということである。これは子どもを産むことが前提とされていない目的だと言える。若けりゃいいんだから。(しかし単身者は想定されていない。長くそのコミュニティには居着かないだろうと思われているのだ。)



 所得税配偶者控除はどうか。この控除は法律婚でなければ受けられない。

 しかし、子どものいない異性婚夫婦は配偶者控除を受けられるのだから、もしこれが「社会の再生産をする人を優遇するためのもの」でしかなければ、理屈は成り立っていない。「今後子どもを産むかもしれないからだ」というかもしれないが、それならば子どもが生まれたことを控除の要件にすべきであり、やはり理屈が立たない。

 ここでも背後にある理屈は、子育ての単位であるかどうかではない。

 一方が会社で働き、他方が家事労働という分業をするユニットとして経済活動に参加している、という想定がそこにはある。そういう分業で「効率的」に経済価値を社会に生み出してくれている、だから税金をまけてやるのだ、と。*4


 法定相続税金を使うものではないが、この流れでつくられている制度と言えるだろう。ある人の財産を配偶者は法定分だけ優先して相続するように法律が作られている。それは、夫婦というコンビでその財産を築いたからであって、たとえば会社で働いていたのは本人だけかもしれないが、パートナーのサポートなしには働くことは無理だったんじゃねーの? という理屈で優先的に遺産を分けてもらえるのである。


 こうしてみると、確かに、「子どもを産み育てるから税金を投入する」というロジックを使っている場合も少なくないが、他方で子どもを産み育てるかどうかではなく、子どもを産まなくても「夫婦である」という事実だけで経済単位として評価され、税金を使って支援するに値するとみなされている行政制度がたくさんあることがわかる。*5


生産性評価して税金投入をする政策

 「人間を生産性経済性で評価してはいけない」というのはまったくその通りであるが、生産性経済性で評価して費用対効果を考えて税金を投入している政策が少なからずあるのもまた事実である。

 しかし、そのロジックに従うとしても、「子どもを産まないから生産性がなく、税金を使うべきではない」という理屈は破綻している*6


 「人間を生産性経済性で評価してはいけない」という問題はもう少し丁寧に言っておきたい。

 例えばハンセン病療養所入所者には補償金=税金が支払われているが、これは生産性経済性を考慮したものでは微塵もない。入所者の人権と尊厳が奪われてきたことに対して国の責任を認めるがゆえに税金を原資にした補償金を支払うのである。

 奪われた尊厳(マイナス)を回復する(ゼロにする)ために税金を使うのだ。

 他方、夫婦に税金を使う、夫婦に税金をまけてやるのは、生産性経済性が考慮された制度である。同性婚カップルは現在その制度から外されている。あくまで税金を使うかどうかについてだけいえば、異性婚カップルが受けている生産性経済性にもとづく優遇を、同性婚カップルにも受けさせてくれ、というものだ同性婚カップルを異性婚カップル以上に税金を使って特別に優遇しろ、ということではない*7


オタクSMにも「支援」?

 よく「同性愛を『支援』するなら次は差別されているオタクSMも『支援』しないとな」という皮肉があるけども、もしオタクSMであることを理由に例えば法律婚から排除されているとすれば、それは「支援」されねばならないだろう。つまり法律婚を認められるべきである。


 結婚の問題を別にして、LGBTであることを理由に、いじめられたり、就職できなかったりする問題はどうか。

 もちろんいけないに決まっている。

 では、例えばオタクであることを理由にいじめられたり、就職できなかったりしたらどうか。

 SMはどうか。やはりいけないに決まっている。SMであることと就職はなんの関係もないし、いじめられてよいものではない。個人の「趣味」は自由だ。

 では、それを学校や公民館で講座を開いたりして教えるべきだろうか。LGBT差別はいけない、そしてオタクSM差別はいけない、と。

 結論から言えば、本当にそれが深刻であれば、教えるべきだ。

 だいたい自治体ごとに「人権教育推進計画」とか「人権教育・啓発基本計画」というものが定められていて、教育や啓発の内容の柱が定められている。*8

 例えば新潟県柏崎市で言えば「様々な人権課題」の一つに「性的志ママ向と性自認に悩む人」という柱がある。

https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/gikaijimu/shigikai/inkai/jonin/katsudo/documents/jinkenkeihatu01.pdf

 他方福岡市には、その柱はない。「同和」が太い柱になっている。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/774/1/jinkenkihonkeikaku110921.pdf

 そして、どちらにもオタクSM人権については書いていないが、例えば福岡市計画で言えば「一人ひとりの尊厳が大切にされる社会、つまり人権が尊重される社会の実現」ということの中に含まれているのである。理屈からいえば、オタクSM差別が深刻であるなら、「女性」「高齢者」と同じように抜き出して柱にして「オタク」「SM」と柱立てすべきだろう。*9

 


LGBTを「趣味」「嗜好」としてはいけないか

 さて、LGBTを「趣味」とする表現について最後に一言だけ。

 LGBは「性的嗜好」だと言われることがある。そして「嗜好」を辞書で見ると、「たしなみ、好むこと。趣味。特に、飲食物についての好み」(大辞林)とある。つまり「嗜好=好み=趣味」だということになる。

 「私はAさんが好きです」と言ったとき、「えー、あんなのが趣味なんだー」と言われたりする。「趣味」を辞書で引けば「2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向」(大辞泉)とあり、そういう意味で「趣味」なのである。


 この部分に関して、ことさら「LGBは性的嗜好preferenceではなく性的指向orientationである」として反論する向きがある。反論しようとするあまり、LGBは生来的なもので、変えようがないものだという側面だけが強調されてしまうこともある。


 性的指向といった場合、性愛の方向がそういう性に向いているか、という大きな方向性の意味であるのに対して、性的嗜好といった場合、誰の、どんな特徴を好むのか、というまさに対象そのものの意味であるといった違いがある。言い方を変えれば、「指向」は性別について方向を示すのみで、分類のためのニュートラルな表現であるのに対して、「嗜好」は「Aさんは好きだけどBさんは好きではない」といった具合に個別性が強くなる。そのような意味で「指向」を使ったほうが、ニュアンスを交えずに中立的に表現ができるように思える。

 しかし、LGBの人の性愛のありようを「Aさんは好きだけどBさんは好きではない」という「嗜好」の一つだといって何も問題はないのではないか?

 「Aさんという個人をかけがえのない人として好きになったが、それがたまたま同性だった」という場合、方向付けを表す「性的指向orientation」よりも「性的嗜好preference」で表現した方がむしろしっくりくる。

 LGBが生来的なものか、変えようがないものかどうかに至っては、二の次の問題ではないのか。自分の同性愛が生来的なものだと決めつけることもできないし、逆に後天的なものだと決めつけることはできないだろう。将来のこともわからないから、変わるかどうかなんて誰にも変わらない。杉田水脈の言うように、同性愛は人生上の一過性のものであるかもしれないが、他方で、一過性であるとは決めつけられないのもまた事実である。


 「嗜好」「趣味」という言い方は、「特に、飲食物についての好み」と辞書にあったように、例えば今日はカレイにするか、サンマにするか、というほどのニュアンスに聞こえる。自分の気持ち一つで変えられるのだ、と。

 そういう恋愛もないとは思わない。

 他方で、「Aさんをやめて代わりにBさんを愛しなよ」と言われて、「はいそうですか」と代替できない場合があることもまた事実である(というか、統計的にはおそらくその方が多い)。趣味として、好みとしてAさんが好きだったとしても、Bさんに替えられるわけではない……という人が事実として1人でも存在する以上、「同性愛とはいつでもどんな場合でもサンマかカレイかのように選択の入れ替えが自由なものだ」と決めつけることは不可能である。

 ゆえに「嗜好」や「趣味」だから軽いというわけではなく、「嗜好」や「趣味」に基づく感情・性愛であっても個別の、代替不可能な、かけがえのなさを含んでいることはあるのだ。

 だから、「性的嗜好」と表現することや「趣味」と表現すること自体に、ぼくはあまりかみつく必要はないと思っている。


 タイトルの問い(LGBTを「趣味」「生産性」で論じることはいけないか)の(ぼくなりの)答えをまとめて言えば、「趣味」「生産性」で論じることはありうるのだ。

 言いかえると、

(1)LGBTは「趣味」である人も、「趣味」でない人もいる。しかし「趣味」であるからといって法律婚が認められないのはおかしい。LGBT法律婚から排除するかどうかの問題は、少なくとも「趣味」の領域ではない。

(2)生産性がない人というものは存在するけど、生産性がないからといって尊厳が奪われていいわけがない。生産性の有無で尊厳を論じるのは間違いだ。他方で、性的少数者の多くは経済的な生産性があるのに「ない」と言われているのはおかしいのではないか――

となる。

*1法律婚そのものではなくてもそれに準じる制度でもよしとすればとりあえずは「ダメ」の範疇には入らないだろう。例えば自治体でやっているような「パートナーシップ宣誓制度」のようなもの。

*2自民党議員である谷川とむの発言も読んだ。ガチャガチャして分かりにくいが、整理すればこうなるんじゃないか。 「日本の伝統的な家族形態に反するから」という理由もありうるが、その理由づけだと「税金」「人口」を使って体系立てて説明することが難しい。

*3:ちなみに、政府は結婚新生活支援事業補助金というのを始めている。年所得300万円以下の新婚世帯の新居費用に18万円の補助を出す事業自治体がやったらそのうち3分の2は支援しましょう、というものだ。これは明確に「少子化対策」が目的で、自治体が移住支援でやる場合、「少子化対策」であることもうたえば、国が補助してやろうと書いている。大川市のケースなら応援するけど、石岡市のようなケースは応援しない、というわけである。 https://www.zennichi.or.jp/wp-content/uploads/2016/11/79b9013da1f78bcb91ffe2649a1956be.pdf

*4配偶者控除などの所得税控除は生産性経済性ではなく生存権観点から生じたものだという意見があることは承知している。しかし、「なぜカップルの一方は病気や障害でない場合に働かずに専業主フをしているのか?」という問いへの答えとして経済性や生産性を答えにしても差し支えないように思われる。

*5:この理屈で言えば、例えば5人くらいの友達同士が長く同居して家事を支え合ったりするような「家庭」も優遇を受けるべきことになる。ぼくは何らかの要件を設けてそういう「家庭」も認めていいと思う。

*6:ただ、ぼくは「生産性」という議論の枠に乗っかって、そのロジックの中で議論する危険性については恐れがある。西口克己『小説蜷川虎三』にある次の一節が思い出された。「最初、このままではダメだ、いまの軍部のやり方ではダメだと思い、そう思うことによって、よりましな政策を模索するようになる。模索するということは、しかし、すでに政府の大きな枠内に取りこまれていくことでもあった。いいかえれば、冷静な『外在的』批判の目をしだいにくもらされて、『内在的』批判に向かうようになり、そのことは当人が好むと好まざるとにかかわらず、政府に協力することになるのである」(p.88-89)。

*7:アファーマティブ・アクションの文脈で、そういう「ゲタはかせ」の制度が「絶対にない」とは言えないが。

*8:ぼくはこのようなほとんど私人間の差別問題に「人権」を解消するような人権把握は人権の矮小化だと思っている。ブラック企業人権、学ぶ権利の侵害としての高学費、などのような内容を柱にすべきだ。とは言え、他人の人権を傷つけないよう教育や啓発をすること自体は悪くない。

*9:ただ、教科書やテキストの厚さ、受けられる啓発の量は一定しかないのだから、何を柱にして何を柱にしないかは、啓発・教育の場合は、あくまで相対的なものである。例えば同和問題人権侵犯事件のうち0.5%ほどしか占めておらず、「教えるな」とは言わないが、福岡市のような最重要の柱にするのは明らかに偏りがあると思う。

2018-07-28 『“町内会”は義務ですか?』引用体験談のOさんからのメール

『“町内会”は義務ですか?』引用体験談のOさんからのメール


 拙著『“町内会”は義務ですか?』(小学館新書)を読んだ方(そしてぼくが引用している体験談を書かれた方)からのメールが届きました。

 興味深い内容であり、ご本人の許可を得て、公開させていただきます。

 突然のメールで失礼します。


 ご著書『“町内会”は義務ですか?〜コミュニティ自由の実践〜』の第2章「昔ながらの同調圧」で駄文を引用していただいた島根県のOと申します。友人が「本を読んでいたらお前の名前が出ていたのでその雑誌を買ってみた」と教えてくれて知るところとなりました。もとより、自分の書いた文章が活字(これも古風な表現で実状にあいませんが)になった時点で、このような形で引用されてしまうのは致し方ないことと考えますし、ムキになって異議申し立てなどするつもりはありません。


 ただ、「全然違うんだけどなぁ〜」という感じで一言申しあげたくなった次第です。


 この「季刊地域」は、特集が「むらのお葬式」でありましたので、編集者の要望にお応えする形で葬式を通じたつながりについてのみ書かせていただいたのですが、実際にはご指摘の「同調圧」なるものは蹴飛ばしながらこの地域で暮らしている。


 ただ、この場で求められているテーマでなかったから触れなかっただけで、この土地に住み始めた当初は、どの自治会に参加しようとしても拒まれ、どの水利組合に頼んでも水道水を分けてもらえないという状況の中で、半年間水道のない暮らしをし、それでも「うちはうちで(家の裏に広がる)西の原のキツネやタヌキを集めて自治会を作ろう」と笑いながら蹴飛ばして来た者です。そのうち「見ておられない」と声をかけてくださる方の仲介もあってメデタク自治会も水道もやって来た(こういうのを村入りと言うものか・・・)。


 自治会に入ったとたん、順番だからと、お手並み拝見と言わんばかりに自治会役員をやらされ、最初に出て行った役員会で目にした予算・決算書にある「神社費」の項目に食い付いて、こんなモンが本会計に入っているのはおかしいと憲法まで引き合いに出してクレームを付け、居合わせた司法書士を業とする役員に「言われてみればそうだ」との「同調」意見を得て、以後神社関連の会計は全く切り離す、その数年後にはその神社から届く「お伊勢さんのお札」も「うちは浄土真宗ですから」とお断りし、やがて地域の中で「無理に受け取ることはないもの」である空気を作りあげてきた。地域で公害問題が生じれば真っ先に抗議文を作って行政に突き付けて企業を入らせない。そういうことを続けたうえでの「いいものだ」という感慨なのです。


 紙屋さんのおっしゃる「同調圧」など屁でもないと思っています。だからこそ、35年住んだ今でも「よそ者」であり続けているのです。それでけっこう。「よそ者」が田舎で暮らす心得として夫婦で確認していたことがあります。100パーセント受け入れてもらおうなどと最初から望まない。だからと言って対抗・対立の関係にもならない。「よそ者の割にそこそこやっている」という関係で充分という態度でいこう、と。


 まあ、どこかのらりくらりしているようで、言うことだけは言わせていただく。守るべきところは守る。

 それでも、「いいものだ」と思えるのが、私にとっての地域なのです。

 そこんとこわかってちょうだいよ、というのが私の正直な感想です。


 地域を相手に少々の「実践」をしたところで、後ろから撃たれることはありません(これまではありませんでした)。

 以上、ほんの少し鼻で笑われているような感覚を味わいましたので、自分の中で「スーッとしたい」だけの理由で申しあげました。

 ぼくは『“町内会”は義務ですか?』のなかで同調圧力おそるべしというニュアンスで書いたので、この方もまるでこうした圧力を恐れているかのような印象を与えてしまったのですが、当人としては「屁でもない」、それなりに覚悟と処し方があるのだ、ということです。

2018-07-03 「ロープウェイ」か「ロープウエー」か

「ロープウェイ」か「ロープウエー」か


 福岡市の高島市長が博多駅からロープウエーを港までつくるのが「私の夢」と語った件。

 ところでぼくはこれを「ロープウェイ」と最初書いたんだけど、マスコミはどれも「ロープウエー」だった。


新訂 公用文の書き表し方の基準(資料集) どういう基準なんだと思っていたら、『公用文の書き表し方の基準(資料集)』という本があり、その中に「外来語の表記」という内閣告示があった。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19910628002/k19910628002.html

 この告示ではくどいほど、“これが正しいとかそういうんじゃないからねっ!”とことわっている。

 ま、そういう前提の上でだけども、国語化している外来語の表記は、「第1表」にまとめていて、

  • 「シェ」「ジェ」(例:シェード ジェット)
  • 「チェ」(例:チェーン)
  • 「ツァ」「ツェ」「ツォ」(例:コンツェルン)
  • 「ティ」「ディ」(例:ボランティア)
  • 「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」(例:ファイル)
  • 「デュ」(例:プロデューサー)

になっている。つまりまあ簡単にいえば、このあたり(第1表に示したもの)まではそのまま表記していいんじゃね? という基準なのだ。

 これに対して「第2表」では、まあそう書くけども、やっぱり「第1表」の範囲にしといてよね、というのをつけている。「イェ」とか「ヴァ」「ヴィ」とかだ。


 この「第2表」の中に「ウェ」が入っている。


 そしてそこには「注」がついている。

注1 一般的には,「ウイ」「ウエ」「ウオ」と書くことができる。

〔例〕 ウイスキー ウイット ウエディングケーキ ウエハース ストップウオッチ

 この原則で「ロープウェイ」ではなく「ロープウエー」になっているのだ。

 そして同じように「ウェイ」ではなく「ウエー」になっているのも、ここに

3 長音は,原則として長音符号「ー」を用いて書く。

とあるからだ。



 ちなみにそのロープウエーが通る地域は福岡市の公式文書では「ウーターフロント」なのだが、ぼくは「ウーターフロント」と書いていた。

 これも上記の原則から来ている。


 もちろんこれは「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための『外来語の表記」のよりどころ』」(前掲内閣告示)であって、国民に強要するものでもないし、さっきも言った通り「これが正しい」って話でもない。



 NHKはもろにこのロープウエー問題でトピックを公式サイトで書いている。

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20150601_4.html

Q

「ロープウエー」「ロープウェー」「ロープウエイ」「ロープウェイ」いろいろな書き方を見ることがあります。放送で使う場合は、どれがよいのでしょう。

A

放送で、一般名詞として使う場合は「ロープウエー」と発音・表記します。ただし、固有名詞の場合は、それぞれの会社名や施設の表記に合わせて、発音・表記します。

 その根拠となっている放送用語委員会の記述をみると『NHK日本語発音アクセント辞典』(2012、40刷)を参照しており、そこでは「ウエー」と「ウエイ」と「ウェー」があるとしている。(例:ロープウエー、ウエイター、ノルウェー)


 これは内閣告示を直接の根拠とせず、自分たちで考えて使っている、ということだろう。

 ここまで自分の頭で考えられりゃあ立派だろう。


 この『公用文の書き表し方の基準(資料集)』には「用字・用語の表記例」も示されていて、これだと面白いことに、例えば「満州からのヒキアゲ」という場合、「引揚げ」と表記する。

 しかし、「ヒキアゲシャ」は「引揚者」で、「ヒキアゲル」は「引き揚げる」なのだ。

 例えば、

引揚者は多数いて、満州からの引揚げは過酷をきわめ、大陸から引き揚げることは、まさに命がけの仕事だった。

みたいな表記になる。

 「国民健康保険料の引き上げ反対」とよく書いていたのだが、この基準によれば「引上げ反対」となる。

 こういうものの用字・用語は迷ってしまう。

 別にどれが正しいというわけでもないからだ。

 したがって、ついつい、こういう「基準」に頼ってしまうことになる。

2018-05-27 「安倍を支持する3割」についての想像

「安倍を支持する3割」についての想像



 「安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの?」というはてな匿名ダイアリーの記事があった。

安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの? - はてな匿名ダイアリー


 安倍政権の支持率は、どんな不祥事が出てきても3割くらいから下がらない(まあ「7割くらいは支持していない」とも言えるが)。

 この3割ってどんな層なのだろうか。

 勝手に想像してみる。


一つは「経済」(経済政策)

 この間、福岡市で印刷会社に勤めている、娘の保育園時代のパパ友・Aさんと酒を飲む機会があったんだけど、彼の感覚では「不動産、建設がホントに景気いいですよね〜」。

 これは景気動向調査のようなデータとも一致するが、細かい数ヶ月単位の数字データというより、ざっくりとした景気の感覚。例えば年間の展望について建設は「首都圏再開発事業などで好況が続く見通し」、不動産は「首都圏を中心としたオフィスの大量供給が見込まれ、堅調な業績推移を予想」みたいなやつ。

http://www.tdb.co.jp/report/industry/kenchiku.html

 その理由は何ですかとAさんに聞くと「まあ東京オリンピックでしょうね」ということ。

 加えて福岡市の高島市政はアベノミクスの先取りをするような「アベノミクスの地方版実験場」の様相を呈している。福岡市では高島市長がやっている「天神ビッグバン」や「ウォーターフロント再整備」(要するに都心の巨大再開発)のようなものも影響しますか、と聞くと、「ああ、福岡ではそれもありますね」と答えた。


 全国の企業の声を聞くとこんな感じ。

  • やはり東京五輪・パラリンピック関連の工事が増えていく(電気配線工事)
  • インバウンド関係を中心に依然として民間の投資意欲が旺盛である(土工・コンク リート工事)
  • 五輪関連で業界は最盛期にある(一般管工事)
  • インバウンドが増加しているので、2・3年は好調が続くと予想(貸家)
  • 東京五輪関連の仕事が継続する(土地賃貸)
  • 消費税増税を控えて駆け込み需要が予想される(内装工事)
  • 1年後には、リニア関連が本格的に動き出すと考えられる(一般土木建築工事)
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/201804_jp.pdf

 どれもこれも政策がらみである。

 「だから不動産・建設が安倍政権を支持している」というつもりはない。

 もっと大ざっぱな枠で。

 つまり、建設とか不動産に限らず、景気のいい業種はホントに景気がいいんだろ、と思う。そうなると「このまま安倍政権が続いてほしいな」と思うのはある意味でフツーの感覚ではないのか。学生などが就職の好調を理由に安倍政権(自民党)を支持するという話を聞いたこともあるが、それはある意味でわかる気がする。

 そういう人には、「文書改ざん」「ご飯論法」「日報隠蔽」という話をしてもなかなか響かない……というのは、それなりに理屈が通る。

 過熱しているビジネスに身を置いている人の感覚と、そこをまったく除外して民主主義の文脈だけで語っている人の感覚のズレが、「まだ3割も支持している」という歯ぎしりにつながっている……これがぼくの想像。


 もちろん、わかるよ。これが2020年(あるいはそれ以前の消費増税や不動産バブル崩壊)までのカンフル剤に近いという不健全性は指摘できる(この「不健全性」についてはこの記事の最後に「余談」として付記しておく)ってことは。松尾匡も『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学』でも2020年が終わったらとんでもない破綻がやってくるんじゃないかという不安を書いていた。*1

 そして実感のない人には全くないってことも(後述)。

 だけど、安倍は2020年のオリンピックまでがんばって首相の座にしがみついて、できれば改憲を成し遂げ、「歴史的名宰相」という称号を手に入れて去ろうとしている。その後で大崩落が起きてもカンケーないのである。そこまで保てばいい。むしろ安倍が去った後に大崩落が来るほど、自分の価値は上がるんじゃないか。


二つ目は「保守色」

 むろん、こうした経済政策だけではない。

 憲法改定をはじめとする復古的・タカ派的な安倍政権の対応を、熱狂しているコアなファンもいるのだろう。

 「WILL」とか「Hanada」とか読んでる人ね。

 この前、弁護士の懲戒請求問題に絡んだ人たちの年齢が話題になっていたよね。


 ぼくが前の団地で町内会活動をいっしょにやってきた70代の男性がいる。彼なんかはiPadを購入してネットに日常的に触れる環境ができて、国際的・歴史的な問題で急速に右翼的な発言が増えていっていた。もともと歴史好きで新書などを読んでいたからその素養はあったんだけど。(ただ、左派のぼくともふつうに付き合ったし、彼は「赤旗」を勧められて読んでいたりしていて、iPad購入後もずっと続けていたようだった。)

 どの年齢層に多いってことじゃなくて、全年齢層にいる感じがするけど、中高年は、若い人以上にけっこうこじらせている人が多いなあという気はする。いずれにせよ、こういう保守色を求めて安倍政権を固く支持している層は確かにある。


 いわば「経済政策」と「保守色」という2つの理由が安倍政権支持のコアにあるのではないか。



そして「他に人がいない」という理由

 この2つの理由をコアにして、その外側にこれらをライトに支えるのが、「他に(首相となるべき)人がいない」というものだ。一般的に「他に人がいない」というのではなく、「経済」「保守色」で良いと思っているコアがあるので、「色々まずいかもしれんけどこの2つでとりあえずいい感じなので、他に人もいないし」という支持理由。

 いや、わかるよ。そういう「理由」に以下のように反論したくなるのも。

 安倍はあんなひどい民主主義破壊やっているんだから、安倍以外だったら誰でもいいじゃん、と。

 野党だけじゃなくて、自民党内の他の政治家でも。

 だけど、それが大きな流れになって見えていない。


 自民党は「経済政策」と「保守色」という2つの理由があるから、「まあ安倍でいいんじゃない」と思っているんだろう。

 野党は統一した政権の姿、オルタナティブをいまだに打ち出せていない。


 まとめる。「安倍さんを支持する人ってどういう部分が良いと思ってるの?」という答えは「経済政策」と「保守色」という2つの理由に、「他に適当な人がいない(と思っている)」というプラス1の理由だ――これがぼくの答え。

 「景気回復」を「実感している」は、日経の世論調査で18%、朝日で16%(2017年11月)、読売で20%(2018年1月)。だから、圧倒的多数は「経済がいい」とさえ思っていない。しかしまあ逆にいえば、景気回復を実感し、経済政策がいいと思っている人がだいたい2割いるってこと。保守色がいいというので5〜10%。あとは「うっすら支持」が増えたり減ったり。こんな感じじゃないですかね。



念のため

 あっ、断っておくけど、ぼくは安倍政権の経済政策がいいとは思っていないよ。

 また、「野党は統一した政権の姿、オルタナティブをいまだに打ち出せていないから安倍政権は続いたほうがよい」とも思っていない。早く退陣すべきだと思って、デモにもいっている。野党が統一した政権の姿を出した方がいいとは思うけど、出せない現時点でも安倍政権は倒れるべきだと思う。民主主義にとって危機的だからであり、条件さえあれば自民党内のグループと連携して一致して倒してもいい。

 そして、現状でも「安倍政権が倒れない」とも思っていない。つまりこの状態で安倍政権が倒れる可能性はあると思う。

 ぼくがさっき説明したのは、「3割ほどいる安倍支持層は何を支持しているのか/なぜ支持しているのか」という憶測・想像である。そこを自分なりに説明しただけだから。3割の支持が残っていても倒れるときは倒れるし、「他に人がいないから」というライトな支持層は今後剥がれる可能性はある。


 経済政策がいいから安倍政権が倒れない、というわけでもない。

 だって、さっきも言った通り「景気回復の実感なし」が7割とか8割になっているし、アベノミクスを「評価しない」というのも「評価する」より高いし。

 ここで「経済」で支持されているという推察をしたからと言って、「やっぱり左翼はアベノミクスを見習うべきだよ」というふうに単純にやっちゃいけないと思う*2慌てすぎ

 あくまで「3割いつも残る支持はどういう層なのか」という分析(想像)にすぎないのだから。

 

 念のため。


余談

 低成長経済しかできなくなった成熟資本主義は、バブルをどうしても求めてしまうものであり、その典型が不動産投資だという話。

 イタリアの歴史社会学者、ジョヴァンニ・アリギは『長い20世紀』(1994年)のなかで、現代の資本主義社会にとってバブル経済がいかに避けがたいものであるのかを論じました。

 なぜ避けがたいのかといえば、高度経済成長が終わって低成長の経済になると、投資の利益率も低下しますので、それをおぎなうために金融的な投機が拡大するからです。

 典型的なのが不動産投資です。

 低成長になってマンションやオフィスビルなどの需要が低下すれば、当然マンションやオフィスビルは売れなくなります。それをおぎなおうとすれば、「かならず値上がりするから」といって買い手を開拓するしかありません。

 このとき、もし買い手の開拓がうまくいって、多くの人が「値上がりするだろう」という見通しのもとマンションやオフィスビルを購入してくれれば、その結果、実際にそれらの需要が高まり、マンションやオフィスビルが値上がりします。

 そうして値上がりがつづけば、今度は銀行などの金融機関が融資へのハードルをさげて、より多くの人にマンションやオフィスビルの購入のためにお金を貸してくれるようになるでしょう。その場合、金融機関は、買い手が購入する不動産価格の上昇に見合った金利を受け取ることができるからです。

 そうなると、さらに多くの人が将来の値上がりを見込んでマンションやオフィスビルの購入にむかい、結果としてさらに価格も上昇します。

 こうして、実際の需要とは別にマンションやオフィスビルが売買され、価格も上昇するようになり、バブル経済が生み出されていくのです。

 資本主義経済は、より多くの利益を売るために資本を投下(つまり投資)する、という運動によってなりたっています。

 そうである以上、経済成長率が低下していくと、より高い利益率を求めて金融的な投機が拡大してしまうのは、資本主義経済にとって不可避的な傾向です。(萱野稔人『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』p.100-102)


 高島市政が「天神ビッグバン」という看板で福岡都心部でのビル30棟建て替えをさせる目標を立て、容積率の緩和などのメニューや目玉拠点施設をつくって誘導しようとしているのは、まさに短期的なバブルを引き起こしたいためだろう。

 インバウンドを当て込んで「ウォーターフロント」を再整備して、IR(カジノがついていると言われる統合型リゾート*3)だの巨大回遊型ペデストリアンデッキだのホテルだのを建設し、博多駅から港まで都市型ロープウエーをつくるのだと息巻いている。これも同じことだ。


 高島市政のこうした政策は、インバウンドを増やし開発をして地価を引き上げトータルの経済成長を生み出しているという点では「うまくっている」。バブルの熱狂を引き出しているのだ。(ただし、市内の雇用者報酬や家計可処分所得が下がっているので、市民にはこうした政策は還元されておらず、それどころか、市内の渋滞、バス運転手不足、学校・保育園の圧倒的不足、民泊でのトラブル・犯罪などのコストを市民は支払わされているのであるが。)

*1:『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』のp.285-289。「僕はオリンピックの後に大きな問題が出てくるんじゃないかなと思います」(松尾)「一番怖いのは東京オリンピックのあとだ」(ブレイディ)「このままでは五輪後地獄だぞ」(北田)。

*2:ただ、個々の経済政策をじっくり分析すること自体は必要で、例えば金融緩和についてはもう少しぼくも慎重に調べてみたい。すぐに飛びつくなよ、という程度の話。

*3:高島市政はカジノが付属することは現時点では確言していない。

2018-05-26 「へえ〜」と言うだけかな

「へえ〜」と言うだけかな


5歳男児『女の子が鉄棒で回った時パンツが見えてエッチだった(笑)』この発言に親としては何と声をかけるべきなのか?→様々な意見が集まる - Togetter


 この人(はなびら葵、@hollyhockpetal)は

  1. 性暴力・性支配的なコードについて注意を促す
  2. 性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない

という2つの命題の間で苦しんでいる。

 これはまっとうな悩みようである。

 「はなびら葵」の悩みかたの範囲であれば、まさに状況による。この範囲なら悩んだ上で、その子にとって最善のものだと親が判断したことを与えればいい。


 こちらも似た感じ。

5歳男児から「鉄棒のとき女の子のパンツが見えてエッチだった(恥笑)」と言われたらどう対応するか - 斗比主閲子の姑日記

まずは否定しないけれど、「へー、パンツ見えちゃったんだ。でもその子には言わないであげたんだよね。偉いね。パンツもおちんちんと同じで人が勝手に見ていいものじゃないもんね」と伝えると思います。

http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329

 そして、斗比主閲子は次のように続ける。

子どもが思うこと自体は他人がどうのこうのできるもんじゃないですが、パンツを見られた女の子がどう思うかとか、その女の子じゃなく自分自身の性器や下着が見られたときに、それは防御される対象になること自体を学ぶのは、未就学児の性教育としては基本だと思います。

http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329

 もちろん斗比主閲子の対応は「あり」だ。

 否定的に言っていない分だけ、さらにいい対応だと思う。


ぼくの場合は

 どちらの対応もアリだとは思う。

 その上で、ぼくならどうするか。

 ぼくには娘がいるが、息子はいない。

 自分はかつて「元・男児」であったが、男の子を育てた経験はない。なので想像するしかないのだが、就学前の子どもとして学ぶべき性的倫理は、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」ということだろう。いや、もちろんそれ以外のことも学びうる。だけど、親から子どもに注意として呼びかけるものは、これくらいのことなのではないか。


 この倫理を確立するために、言葉で教えてもいいし、前にぼくが挙げたように絵本を使ってもいい。

おかあさんとみる性の本 全3巻

 例えばもし男の子が女の子のパンツを下げて中身をみようとしていたら、緊急にそれを停止させてそれがなぜダメなのかを教える必要がある。


 だが、それ以外の点ではどうだろうか。「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない」し、親子の間でのこうした問題に関する自由議論・感情が失われることは、ぼくはマイナスとしてヨリ大きいと思う。


 この「はなびら葵」の息子=5歳の幼稚園男子は、羞恥をもって親に「パンツが見えたこと」を伝えているのであれば、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理はすでに身につけていると考えられる。

 そして、ひょっとしたら自分の性欲が喚起されてしまったのかもしれないし、あるいは性欲は惹き起こされなかったかもしれないが社会的にそれが「エッチ」であるという振る舞いを知っていて恥ずかしそうにしただけかもしれない。

 そのどちらであるにしても、そこに立ち入って注意をするのは就学前の子どもには荷が重いのではないか。逆に言えば、就学前の子どもであれば「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理があるなら、とりあえずそれでよしとする。

 ゆえに「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」「親子の間でのこうした問題に関する自由議論・感情が失われる」恐れの方をぼくは重視する。だからぼくであれば、おそらくその部分(命題1.)はスルーする。

 「へえ〜」とか言って終わり。

 あくまで「就学前」の話ね。


 いちいち性暴力・性支配的な考えが子どもの言動の中に顔を覗かせたときに、親はそれを細かく叩くことはできない(許されない大きなものは別にして)。

 それよりも、小学校に上がってから以降で、

  • 性教育に役立ちそうで面白そうなマンガや本を渡すこと。
  • 親子でテレビを見たり同じマンガを読んだり雑談をしたりする中で自然に親の考えを述べること。

などをやった方がいいんじゃないかと思う。そうすることでワクチンをつくるっつうか、ヒドゥン・カリキュラムを叩くというか。

 鉄棒でパンツが見えたこと以外にも子どもは世の中の性的支配コードを様々に学んでいる。それをいちいち容喙するかどうかにあまり悩まず、太いところで親としてできることを考えた方がいいんじゃなかろうか。


 ただ、注意しても「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」ことがない場合も十分ありうるし、仮に「親はうるさいやつだな」と思ってもそこから学ぶこともあるかもしれない。また、本に書いてあることではなく実地で問いかけられる瞬間に注意したり議論したりすることの方が効果的ではある。

 だから、「はなびら葵」や斗比主閲子の対応も、書いてある範囲であれば全然アリだとは思う。子どもや状況次第だし、あくまでぼくは命題1.よりも命題2.を重視する、というほどのもの。