私の男


3週間くらい前のこと、

映画「私の男」(熊切和嘉 監督)

http://watashi-no-otoko.com/

を見た。

原作(桜庭一樹「私の男」)を読んだのは以前のことで記憶が確かとはいえないし、映画も1回見ただけなので、あるいは見落としや勘ちがいがあるかも知れないが、以下は、雑感。


映画が優れていると思ったのは、まず、避難所でペットボトルを抱っこしている子どもの花の姿に、すばらしくインパクトがあること。この、子役の花の視覚効果が絶大。

山田望叶ちゃんという子は、朝ドラでも「はな」という役を演っていたが、あか抜けない少女役がぴったりハマる子だね。(といっても、4月に放送された「伝えてピカッチ」など見ると、本人はふくふくして明るく幸せ感にあふれていて、花とかはなの役柄とのギャップもおもしろい)


淳悟(浅野忠信)との関係を大塩のじいさん(藤竜也)に見られた花(二階堂ふみ)が、大塩を流氷ながしにして、結果的に凍死させるという場面。小説を読んだときにはイメージしづらかったが、厳寒にして白氷が広がる景色がスクリーンに映し出されると、ここでも、視覚効果がばつぐんだ。

原作では淳悟と花が関係しているところを大塩のじいさんに写真に撮られたことになっているが、映画では見られたことにしてあり、大塩を流氷に乗せて流すところで花はメガネを落として、このメガネが殺人の証拠として田岡(モロ師岡)に握られるのだが、原作の花はメガネをかけてはいなかったはずだし、田岡が花のことを疑って上京して来たときも原作では大塩のカメラ(で撮られたもの)が証拠にされていた。

花が大塩を流氷流しにするシーンにしても、淳悟が田岡を刺殺するシーンにしても、この映画の殺人場面は見ていて痛快、というか、花のシーンなどは爽快とさえ感じる。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、という言葉があるけれど、大塩にしろ田岡にしろ、淳悟と花の関係を邪魔する者どもの鬱陶しさは見ていて本当に腹立たしいので、殺されても当然だ、ざまあみろ、と思ってしまうのである。(この映画は、原作の小説以上に、淳悟と花に感情移入させられる)

上京した淳悟は、映画ではタクシーの運転手をしているが、小説ではたしかバイク便のライダーだったよね。

原作は、章ごとに語り手を代えながら、過去へとさかのぼって行く構成だが、映画は、奥尻島を襲った地震津波で花が家族を失い、遠縁の淳悟に引き取られるところから時系列で展開する。原作では、淳悟と花は実の親子であることが示唆され、ストーリーがさかのぼるにしたがって、そのことがはっきりと繙かれるのだが、映画ではふたりが実の父娘だというところをぼかしている。そこをえがいてしまうと、映画は「R15+」ではすまなくて、「R18+」になってしまうのかな?