ご説明

  • 趣旨

 本を読んだ感動を忘れずとどめておくために、読んだ本の冒頭の一文と印象深かった一文とをここにメモして残します。
 続けることが目的なので、無理せずゆるゆると更新するつもり。
 1年ぐらい続けてみたら、面白いものができそう。同じ本を1年ぐらい経ってから再読したら、違う箇所に引っかかってたりして(笑)。

  • ルール(自分自身で忘れないために)
    • 長編作品の場合、作品名は本の題名。
    • エッセイ集や連作集の場合、作品名は本の題名。ただし引用箇所には、抜き出した短編タイトルを表記する。
    • アンソロジーや短編集の場合、作品名は個別の短編の題名。ただし、収録されている本の題名も表記する。
    • ネタばらし禁止。どうしてもという場合や直接ではないものの触れそうな時は、反転させて隠す。

思いついたら、随時更新。

東直子『薬屋のタバサ』新潮社

「だけどさ、死んじまうからこそ、自分のかたちを残したがるんじゃないかと思ってね。残したがってるんだから、こうして自分が見つけたものくらいは、集めてるんだよ。ほうっておいたら、踏みつぶされたり、吹き飛ばされたり、影も形もなくなっちゃうだろう。なんだい、なんでそんな、驚いたような顔をしているんだい」
「いえ……」
「へんなことしてるって、思ってるね。つくづく思ってるね。ふん。すましたって、しようがないよ。生き物っていうものは、みいんな、へんてこりんなんだよ」  p.195

 わたしは、うなずきながら、遠くへなんて、と思う。行っても、行かなくても、かまわない。ただわたしたちが、ここに存在しているだけでそれでいい、と。  p.230

赤染晶子『うつつ・うつら』文藝春秋

ここでは空気も風も求めてはいけない。この街の人たちの静かな呼吸でなければならない。これを知らない芸人は窒息する。もう堪えられなくなって走って逃げる。うつつもそぞろも何人もの芸人がこの舞台から逃げるのを見てきた。二人は思っている。たまたま、逃げたのは別の芸人だったが、明日は自分たちかもしれない。二人はいつも気を張っている。どんなに疲れても、何とか浅い呼吸を繰り返す。溜息をつこうと息を胸いっぱい吸い込めば最後である。口に入ってくるのは重いぬるま湯である。それを肺に入れてはならない。湯の中でくらくらして、よろめいても何とか踏ん張らねばならない。ここで倒れてはならない。うつつは必死の思いで舞台に立つ。  p.91

早乙女紅子になるために、一日でも無事にこの舞台に立っていなければならない。そのために握る拳がもう疲れている。本当は鶴子も泣きたい。どうしたらいい。あの壊れた芸をどうしたらいい。  p.109

彦治さんは鶴子を慕うあまり、鶴子を消そうとする。  p.146

青山七恵『やさしいため息』河出書房新社

風太のノートなど、もういらない。自分の生活がどう記録されようと、もう興味がない。本当の人生はつれなくて、安全だけども不毛だ。  p.114

「でも、久々に会っても、ちゃんと自分から人生をややこしくして面倒なことをやってるまどかは、なんか感動的だったよ」  
「でもあたし、いろいろ考えるの疲れた。あたし、ずるしてもいいから、楽したいよ」  p.132

青柳いづみこ『六本指のゴルトベルク』岩波書店

 『ジャン・クリストフ』は音楽家を主人公にした音楽小説だが、同時に、音楽現象というものを見事に言語化した作品でもある。クラシックはよくわからないから、とか長くてむずかしそうだから(たしかに……)という理由でこの書を遠ざけるのは、人類がつくりだした富のうちでもっとも豊かなものを知らずにすませることになるだろう。  p.239(「29 あの瞬間が……」より)