ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門

2008-07-25 120 動物実験(52)歴史のドラマ 7 被爆したサルのパイロッ

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 120

120 動物実験(52)歴史のドラマ 7 被爆したサルのパイロット


野上ふさ子さんが動物実験反対運動に取り組んでほぼ四半世紀。その前史にはつぎの4つのシーンが埋もれている。

トンボの羽やバッタの脚をちぎる年上の男の子たちの「実験」風景、キノコ雲の下で爆風に横倒しになる繋がれたヤギやヒツジの映像、高校時代に図書館で見た「原爆写真集」と「アウシュビッツの写真集」、そして、ペンシルベニア州立大学臨床研究所の実験記録のビデオを見たみたことである。

●第8幕。ペンシルベニア州立大学臨床研究所の実験風景。

(野上さんの著書「新・動物実験を考える」から要約しよう。)

一匹のサルが実験台に載せられている。両手、両足がひもで縛りつけられ、胸には電極がつけられ、頭がい骨の下部から喉を通して体内へとチューブが埋め込まれている。頭にはヘルメットをかぶせられ、セメントで固定している。そしてサルの頭部に1000G(地球の重力の1000倍の重さ)という強度の衝撃が繰り返されている。ふつう、人間なら15Gで死ぬといわれているそうだから、衝撃の強さがわかる。

サルは苦しそうに身悶えしている。サルが暴れないように鎮静剤はかけられているが、苦痛を取り除くための麻酔はかけていない。

サルの恐怖と悲惨はいうまでもないが、それ以上に見る者を驚かせ、ショックを与えたのは、研究者たちの態度だ。

お互いに冗談を交わしながら、笑っている。瀕死のサルを持ち上げてからかっているのだ。サルの恐怖と苦痛をもてあそんでいるのだ。冗談のタネにしているのだ。信じられないような光景だった。

このビデオはもともと研究所員たちが自ら撮影していた70時間の実験記録を「動物への倫理的取り扱いを求める人々」(PETA)という動物保護団体によって30分に編集され、公開されたものだ。実験記録そのものはアメリカの動物解放戦線のメンバーが1984年に同臨床研究所に入り、持ちだしたという。

ビデオが公開されたことで全米に激しい驚きと怒りの世論がわきあがった。政府や大学には抗議の電話や手紙が殺到し、ついに政府は同大学への補助金を一時ストップせざるを得なくなった。

この実験は交通事故やフットボールなどのスポーツによる事故を想定したもので、単にその事故を実験室でサルを犠牲に人工的に再現しただけのレベルだった。実際の事故防止や治療には何の役にも立たない実験だった。

ーー野上さんはここから、ナチスや、かつての日本の731部隊がおこなっていた人体実験の問題に視点を広げている。

第二次世界大戦の反省から、1964年には世界医師会が「ヘルシンキ宣言」を採択し、人体実験への規制がなされたが、動物に対する残酷性、動物実験についてはごくわずかな国を除いて、国際的な議論も規制もまだなされていない。

「日本や世界各国の研究室では戦争中と同じような秘密主義の中で動物を用いたさまざまな、残酷で無意味な生態実験が行われ、その実態はほとんど公開されることがない。実験動物たちにはいつ、戦後がくるのでしょうか?」と野上さんは問いかけ、大戦後もなお続く、『戦争のための動物実験』をの具体例をあげている。

●第9幕は『B52戦略爆撃機パイロットになったサル』

アメリカ国防総省は、爆撃機を操縦中のパイロットソ連の核攻撃を受けた場合、どこまで任務を遂行できるか、その度合いを知りたかった。

このために、サルをパイロットに仕立てた実験を試みた。

サルを固定装置にしばりつけ、電気ショックを与えながら飛行機の操縦レバーの操作を覚えさせる。そのうえで、サルに操縦させながら、つぎつぎ放射線の量を増やして照射していく。どの程度の放射線なら、サルは操縦を続けることが可能か、を研究するのが目的だ。

この実験はドラマ化され、映画『プロジェクトX』になった。日本では『飛べ、バージル』というタイトルで公開された。悲劇なのか、喜劇なのか、ブラックユーモアなのか、判断しかねるが、野上さんは映画の最後で主人公の青年が「サルは自分が被爆したことを知らない。しかし、(人間の)パイロットはそレを知るのだ」という言葉を引用し、この実験の愚かさを断罪している。

アメリカ海軍は機雷探知や敵の潜水艇を発見するための特殊掃海部隊にイルカが駆り出されている。そのために多くのイルカが生地と異なる海域に運ばれて伝染病にかかったり、酷使され、あるいは訓練中に体罰虐待を受け、死亡したと報道されている。

:植物も犠牲者だ。数十万ヘクタールもの熱帯雨林アメリカ空軍の投下した枯葉剤のために死滅した。植物だけでなく、この地域では人間の流産や心身障害を持つこどもたちの発生が異常に高く、いまなお悲惨な後遺症が続いている。

野上さんは「アメリカ研究者たちはどうすれば被害者たちを治療できるか、二度とこんな惨事を起こさないための社会政策、といった方向には関心を寄せず、枯葉剤が生体にどんな損傷を与えるか、あるいはサルを犠牲にして被害を再現する負に向けた研究に多額の金を使っている。これは多くの動物実験に共通する手法、考え方です」と厳しく批判している。(この項は続く)

 

kanamakanama 2008/07/26 22:04 テーマ[119 動物実験(51)歴史のドラマ 6 核兵器開発に貢献する動物たち]
2008-07-21 21:18:01
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門  119
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 119

119 動物実験(51)歴史のドラマ 6 核兵器開発に貢献する動物たち

「動物保護」とか「動物実験の残酷さ」を訴えると、感情的、感傷的、ヒステリック、合理的でない、現実的でない、見方が狭い、社会性がない、大局観がない、といったイメージを思い浮かべる人々がいるようだ。活動する人々は圧倒的に女性が多いこともあって、男性側からは「女性的」といわれることもある。女性的とはどういう意味かわからないが。

 野上ふさ子さんの著書「新・動物実験を考える」はこのようなイメージ・先入観をことごとくひっくり返している。
 身近な小さな生き物たちへの優しさは、戦争、爆薬、農薬、核問題、エイズなどなどを網羅する骨太な文明論につながり、哲学、宗教、ひとりひとりのかけがえのない一生をどう生きるか、の死生観に落ち着く一本のしたたかな回路であることを教えてくれる。

 ●第7幕は野上ふさ子さんの意識の深部に沈む風景

 原爆の爆心地を中心にした半径の各地点にヤギ、ヒツジなどの動物が杭につながれている。悲しそうにうなだれている。砂漠だ。まわりにほとんど草木はみあたらない。
 やがて、目に焼きつくような閃光が全体を覆い尽くし、その直後、巨大なキノコ雲が立ち上がる。爆風がまばらな草木をなぎ倒す。踏ん張っていたヤギやヒツジたちも横転する。一定の距離をとった地点に動物たちを配置し,被曝の距離と殺傷の関係を調べる目的で行われた動物実験。――少女のころ見たこの映像を野上さんは忘れられない。

 「スケープ・ゴート(身代わりのヤギ)という言葉がありますが、この光景はまさに人類の犯している罪悪を、何の罪もない動物たちに背負わせている行為……広島・長崎に核爆弾が落とされる前に米軍はその威力をためすために核実験をしました。多数の人や動植物を殺傷するばかりでなく、放射能の後遺症が長く……略。世界の核兵器保有国の核実験は合わせると千数百回におよぶと言われます。数えきれないほど多くの動物たちが放射線被曝の実験にさらされてきたのです。」

 野上さんのこのくだりをボクは興味深く読んだ。それまでうかつにも動物実験と言えば、領域は医学と思い込んでいるようなところがあった。核実験と動物の組み合わせはボクにとって新鮮であると同時に、医学の分野にもましていっそう人類の罪深さを意識してしまったのはなぜだろう。

 優れたジャーナリストで、広島の平和文化センターの理事長だった斎藤忠臣さんの話を思い出す。
斉藤さんは就任してまもなく、同センターが管轄する「原爆資料館」を見て回った。そのとき、地下の収蔵庫で一頭の被爆した馬の標本を見つけたのである。背中は焼け焦げ、鼻の先っぽはなかった。おとなの農耕馬らしかった。

農作業の最中に被爆したのだろうか? 仔馬はいたのだろうか。一緒に働いていた人は? どんな家族構成だったのだろう? 
そして、人間だけでなく、多くの馬や牛、犬や猫、動物たちもまた焼けただれ、苦しみながら死んでいったことを改めて思ったのだった。動物たちにも人間と同じような、後遺症の問題があったのだろうか。

焼けて、もの言わぬ一頭の馬は、被爆者とは違ったチャンネルで、斎藤さんに核兵器の圧倒的な悲惨とその廃絶を迫ってくるように思われた。
斎藤さんは一頭の被爆した馬の物語を通じて、小さな世代に何かを訴えたい、そう念じて、童話を書いてみたいという。

核兵器という、人類が創り出したもっとも科学的で悪魔的な大量殺戮のツールを試すために、日本国民はすでに広島と長崎で人体実験にさらされた。そのとき、多くの動物たちが巻き込まれたが、それ以後は人間の代わりに本格的に動物をつかっての核兵器の開発競争が始まっているのだろう。

人間同士の殺し合いが目的なのに、なぜ、まったく関係のない「動物のいのち」たちが、実験の対象にならねばならないのだろう。科学と無縁な動物たちが、人間の科学の成果によって殺され、苦しめられ、動物実験の結果、ますます科学としての核兵器は殺傷能力の精度を高めるというこの循環。

人間とは異なった立場から、動物には動物の怒りと悲しみと言い分があるに違いない。
実験者たちは、核兵器の開発競争は人類のために有益であり、そのためにやむなく実験動物を犠牲にしているのだ、とでも弁明するのだろうか。

(この項は次回につづく)
| コメント(1) | トラックバック(0) |この記事のURL |


コメント


________________________________________
優しさとは…

酔鯨 2008-07-25 16:16:32
文中の「身近な小さな生き物たちへの優しさは…骨太な文明論につながり…死生観に落ち着くしたたかな一本の回路」の件に同感します。それにしても優しさとは何でしょう。もし仮に人間が「万物の霊長」であるとしたら、そのために身につけていなければならない基本的なもの、ではないかと考えます。もちろん優しさは表面的な言動では判断できません。また「見方が狭い」「社会性がない」「大局観がない」「合理的でない」等々の、ある意味で手軽な無責任な言葉による非難・攻撃にもたじろがない強さも、優しさには求められると思います。いまは優しさが希薄な時代なのでしょうか。



________________________________________
罪と罰

酔鯨 2008-07-18 15:44:07
患者に無断で実験した東大医科学研究所教授のニュースには、驚きというより、ありそうなことだなあと思ったものです。「患者も同意」に至る、その心理を想像したときドストエフスキー「罪と罰」の主人公を思い浮かべました。金に困った大学生の彼は金貸しの老婆を殺害しますが、世の中の役に立つのは自分だから殺害は許される、と考えました。それと同じようなことを、つまり世の中の役に立つ医学研究だから患者には無断でもいい、うその報告書を提出しても許される…と教授チームは考えたのではないかと意地悪く想像したのです。そんな体質を動物実験が生み出した、とも言いたくなります。




________________________________________
幅広い検証

酔鯨 2008-07-18 15:12:00
大雑把な感想なのですが、動物実験のことをこれまで色々読んできて、どうも動物実験がいわゆる自然科学の分野でのみテーマとされているような気がしました。今回、ふとそんな気がしたのです。動物実験を幅広い科学、つまり社会科学、人文科学の視点からも検証する必要があるのではないか、という気がします。動物実験がそもそも必要なのか、人間として許される行為なのか、など…宗教家とか哲学者とか人類学者とか異分野の専門家が、それぞれの立場から医学・生物など動物実験に携わる研究者に問いかける(150年前のフランスで「反旗」に参加した人たちのように)。そのためにも、まず情報公開ありきとなります。いずれにしろ「権威」を盾にした秘密主義は、もう通用しないのではないでしょうか。




恐ろしい空想

酔鯨 2008-07-12 20:43:46
動物実験は人類の道徳的・精神的退廃を招く、という件からふと空想しました。人類が病から救われ命長らえるためには動物の命を犠牲にする実験も許される、という主張がもつ恐さです。未来社会で人類がクローン人間などの「人造人間」を生み出す技術を手にしたとき、それに対して「真正人間」という位置づけをして「真正人間の幸福のためには人造人間を犠牲にすることも止むを得ない」という主張がまかり通る恐怖です。動物実験で精神をとことん退廃させた人類は、その先々の延長線上では人造人間を実験台にするかも、という空想。杞憂とは思いますけれども…。



________________________________________
恐れ入る研究者

酔鯨 2008-07-12 16:12:29
糖尿病で犬も飼っていますから、ベルナールの「糖尿病の秘密を発見するため数千匹頭の犬を…」は他人事とは思えませんでした。そもそも犬と糖尿病をどう関連づけたのでしょうか。そんなことを真面目に問うのもバカらしくなりますが、「とにかく動物実験をやりまくれ。考えるのはそのあとから」精神だったのでしょうか。真っ当な「科学者」の考えることとは思えません。しかも国葬になっている。すべてが事実通りとすれば天才的ペテン師でもあったのでしょう。彼の師も4千頭、4千頭で少なくとも計8千頭の犬を実験で殺している。1日1頭としても休みなく続けて20年を超える歳月がかかります。にわかには信じがたい「執念」ですが、弟子も弟子なら師も師、ですね




いのちの哲学

iina 2008-07-08 23:18:03
いのちの哲学というタイトルはいいですね。
この世で我々が知っている最大のものは、宇宙ですけれど、とりあえず、この世しか知りません。この世で一番大事なものは、いのち、ですよね。この最も大事なものを今の人々は――もちろん、私たちも含めてーー忘れがちなのでしょう。もうだれでもわかっているというふうに。

むかし、一人の命は地球より重い、というスローガンがあり、それを物理的にありえないじゃないか、といって、嘲笑う人々がいました。いまおもうと、あほですね。やっぱり、命は地球より重い。だって、いのちがなければ、人間社会の価値観にしたがった地球って、ないんだもん。われわれがいう、地球は、人間社会の延長線上でいうんだものね。

いのち万歳。このコメントに拍手!!





アリバイづくりではないか

酔鯨 2008-07-03 10:26:25
例示されたような動物実験を読んでいると、いつものことですが腹立ちを通り越して怒りすら湧いてきます。どう考えても、実験の当事者(あえて研究者とは言いません)たちは「自分たちは研究に取り組んでいる」というアリバイ(存在証明)のためだけに動物を切り刻み、苦痛を与え、殺しているとしか思えません。何のために実験しているのか、その結果をどう生かそうとしているのか、方法において可能な限りの最善を尽くしているのか…さっぱり分からないからです。もう救いようのない「悪質なアホ」としか言い様がありません