茨城県の利根町を歩きました。
利根町は、一茶がこよなく愛した町で、句碑が5つも建てられています。
JR成田線布佐駅からスタートして
栄橋を渡り「布川琴平神社」を参拝しました。
この字は一茶の自筆と言われ、句碑に彫られています。
昭和63年9月に利根町で最初に建てられました。
べつたりと人のなる木や宮角力 (『七番日記』文化14年8月30日記載)
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その隣りに「徳満寺」があります。
文化3年1月23日に、徳満寺の地蔵堂に参詣した時に詠んだ句です。
段々に朧よ月よ籠り堂 (『文化句帖』文化3年1月23日記載)
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「泪塚」は、田畑の中にあり、高い棕櫚の木が一本立っているのが印象的でした。
延宝5年の秋、禁制の鶴を捕縛したとして3家族10名が打ち首になりました。
その家族の菩提寺であった跡に千日供養塔が建立され「泪塚」と呼ばれています。
文化元年、この地を訪れた時に詠んだ句です。
『文化句帖』文化1年9月7日記載より
『 押つけ村に逝
そのかみ天和の比となん、鶴を殺して従類刑せられし
其屍を埋し跡とて、念仏院といへる寺あり。
二百年の後に聞さへ魂消るばかり也。況縁ある人に
おいておや。』
見ぬ世から秋のゆふべの榎哉
植足しの松さえ秋の夕哉
現在、念仏院は廃寺となっています。
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「来見寺」の山門は、徳川家康ゆかりの寺ということで
特に赤く塗られています。
一茶の句碑は、赤門手前の右手にありました。
赤門やおめずおくせず時鳥 (『七番日記』文化11年8月29日記載)
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もう一つの句碑が「布川弁財天」にありますが、
場所が分からず参詣できませんでした。
後日、訪ねてみたいと思います。
一茶は、利根町には40歳頃から晩年55歳頃まで何度も訪れています。
一茶にとっては、利根町は大切な場所であったようです。
今回、利根町の一茶の句碑を訪ねて、
一茶にとって、利根町は想像以上に深い繋がりと思いが
あったのではないかと強く感じました。
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