2009-12-18
ことばに見放されるということ。
ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばから見放されるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体であるわたし達を見放すのです。
(『海を流れる河』"失語と沈黙のあいだ"より引用)
そう日本社会へ警鐘を鳴らしたのは、詩人石原吉郎(1915-1977年)である。彼は24歳で召集され、敗戦後ソ連のラーゲリ(強制収容所)にて抑留、その後スターリン死去による特赦で帰国を果たすまでの8年を、シベリア各地を転々と過ごした。懐かしい祖国の土を踏んだ時、石原はすでに38歳になっていた。
石原が身を投じた最北8年の歳月は、私の想像も及ばぬ世界である。しかし、彼が遺した散文からその苛酷さを想像することは可能だ。
十七のときに抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの<少年>が、声をころして泣いているさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった。彼はやっと泣けるようになったのである。(抑留された※筆者注記)バム地帯で私たちは、およそ一滴の涙も流さなかった。
(『望郷と海』"強制された日常から"より引用)
しかし、石原にとってさらに過酷だったのは母国への帰還後、自分の知らない間に戦後復興を遂げた日本社会に突如投げ出され、同化し、生きていかなければならなかったことの方にあった。彼は「新しい環境での違和と疎外の感覚」を、こう記す。
私は八年の抑留ののち、一切の問題を保留したまま帰国したが、これにひきつづく三年ほどの期間が、現在の私をほとんど決定したように思える。この時期の苦痛にくらべたら、強制収容所でのなまの体験は、ほとんど問題でないといえる。……苦痛そのものより苦痛の記憶を取りもどして行く過程の方が、はるかに重く苦しいことを知る人はすくない。
(『海を流れる河』"失語と沈黙のあいだ"より引用)
シベリアという「失語」の地からの帰還、そして一切を語りたいという際限もない饒舌から、一転「沈黙」へ。石原にとって抑留の地シベリアも、生還した祖国も、どちらも等しく「強制された日常」に他ならなかった。そして苦痛の記憶を一つ一つと掘り起こし体験し直す作業は、失われた主体を取り戻し、「失語」状態から言葉を再び回復するまで、彼が歩んだ闘争の歴史そのものである。
<痛み>そのものと、<痛みからの回復の過程で新たに生じる痛み>の関係を、これほど的確に表した文章を、私は他に知らない。「泣く理由があっ」たからではなく「やっと泣けるようになった」から泣いた収容所の少年の姿、帰国後の「三年ほどの期間」「の苦痛にくらべたら、強制収容所でのなまの体験は、ほとんど問題でないといえる」とまで言い切る石原の言は、まさに性被害における<一次被害>と、その後被害者が彷徨わねばならない、出口の見えない暗闇の実態と近似する*1。
性暴力被害者の周囲に押し寄せる群衆は、大抵みな無邪気な顔をしている。誰にもわかりやすい邪悪な顔や意地悪そうな顔をしたものは、殆ど無い。他の犯罪と違って特徴的なのは、「怒り」を露わにした顔が混じる点にある。「○○家の顔に泥を塗って」とか「なんで、あのとき舌を噛み切って死ななかったのだ。恥ずかしくないのか」など*2は、時間を置いた今だからようやく認識できるようになった、被害者と親密な間柄に発現しやすい典型的且つ特徴的な二次加害行為である。
同時に、この手の直接的で分かりやすい形を取らず、「嘆き」や「説得」の衣装を纏って現れる「怒り」というのも存在する。「なぜ貴女が、そんな目に遭わなければならないの?」「野犬に噛まれたと思って忘れなさい。それが貴女のためだから」「私の前でなら、もっと怒っていいの、泣いてもいいのよ」に始まり、時に涙すらこぼしてくれるその人は、殻に閉じ篭りこころを開こうとしない被害者を前に、徐々に苛立ち、激昂してゆく。「あのことは忘れろって言ってるじゃない!」「なんで怒らないの?! なぜ泣かないの?!」と。そのことばの裏にある「被害者は怒っているはずだ、泣き叫ぶものだ(→怒ったり、泣いたりしないのは、実はそれほど深刻な被害ではなかったのではないか)」という言外の決めつけが、被害者をさらに追いつめていることに気づかずに。上でも触れたが、被害者の多くは話したり、助けを求めることはおろか、泣くことすらできない状態にある。「幸運にして私の知り合いの中には怖い目にあった事はあっても直接被害に遭った人はいません」と、無邪気に断言できる者の痛さが、ここにある。
なお、私を最も驚かせた反応は、どこから聞きつけたのか*3、「ぜひ貴女の体験を、今後の性犯罪撲滅のために使わせてほしい。取材させてほしい」と申し入れてきた、自称「被害に遭った女性のために活動している」ジャーナリストからのもの。そして、最も打ちのめされた反応は、「あれ、作り話だと思う。私は恋人に殴られたことがあるからわかる。フツーだったら、あんな平気な顔で職場にいられないもの」と影で触れまわっていた、知人女性の言である。「悪意」は剥き出しの「悪」の形をしては現れない。無知や想像力の欠如、名誉欲や自己顕示欲、保身本能、そして個々人の内なる鬱屈や葛藤の中で、それぞれの形に理論化され美化され、被害者を傷つける。
性犯罪の二次被害の構図は、当事者はもちろん、それに関わった者のセクシュアリティやジェンダーを如実に炙りだす点にある。私は子どもの頃、時ならぬ経血でシーツはおろかマットレスまで汚してしまったことがあるが、その後形相を変えた母が、何かに取り憑かれたように漂白剤を叩き込んでいた姿が、今でも強烈に印象に残っている。もしそれが泥汚れであったら、彼女は同じ顔をしただろうか。同じようにしみ抜きの難しい醤油やケチャップをこぼした跡であったら、あのような表情をしただろうか。答は、否である。今だからわかる。母は娘の「女性性」を目の前に突き付けられ、自分の中の「女性性」をそこに重ね、平常心を失ったのだ。同時に、あのとき消えてなくなりたいほどの羞恥の中に立ち竦んでいた私もまた、自らの「女性性」を目の前に、それを目撃されたことに、平静ではいられなかった。これが比べものにならないほどの衝撃とダメージを強いられた性犯罪被害者の存在を前にして、他者との関りの中で噴出しないはずがない。
冒頭で引いた石原吉郎のことばに触れたとき、私はまだティーンエージャーで、療養所の中に居た。そして彼の言葉に、理由もわからないまま、ひどく深手を負った。おそらく石原の感覚とは別のところで、私自身にも自分がことばから見限られるのではないかという、ぼんやりとした恐怖があったからだと思う。この感覚は間欠的な痛みとなって今も私を襲うのだが、痛みはこのところ特にはげしい。
今日の文壇において、いかほどの「作家」や「詩人」と呼ばれる人々が、覚悟をもって言葉を紡いでいるだろうか。曾野や渡辺はいうまでもなく、お茶の間に登場するしたり顔のコメンテーターや怪しげな心理学者の話を聞いていて、頓に思う。エンタテイメントを否定はしない。けれどエンタテイメントに膝を打ち笑い転げながら、背中がうそ寒い。政治や資本やメディアがことばを安く弄ぶうちに、ことばには古びた大根のように「ス」が入り、煮ても焼いても喰えない代物に姿を変えてゆく。
石原は続ける。
いまは、人間の声はどこにもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえにはやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散して行くだろうと思います。
『海を流れる河』"失語と沈黙のあいだ"より引用
Ernst(まじめさ)ということは、ものごとが自分自身へかかわる度合いをいう。自分自身の、人間としての生き方にかかわりのないものは、結局気ばらしにすぎない。
『石原吉郎詩文集』より引用
37年も前に発せられた警鐘が、まるで現代の、ひいては現在ネット上で進行中のディスコミュニケーションへの警鐘そのものと言っても過言でない鮮烈さを維持し続けていることには、驚くばかりである。
自衛しないことのリスク、コストは自分で支払えよ。
自衛をせずに犯罪に巻き込まれることは私にとっては知ったことではありません。
女性は守られて「当然」なんて幻想は捨ててくれ。
考えてみてほしい。その言葉で、一体だれを救えるのか。だれが救われたと思うのか。書いた者が一石を投じた気分を味わう裏側で、多くの人間(被害者はもちろん、苦悩する被害者を身近に持つ者、被害に遭うかもしれないと怯える者)が傷つき、痛み、声を挙げる、この具体的に誰一人救われない文章のどこに、価値を見出せるだろう。
ネットやメディアに今なお散見する、性暴力の「自己責任論」とは、即ち、「自分自身へかかわる度合い」を認識できない者が発した、その人物の「気ばらし」に過ぎない。彼らのことばが読む者のこころに響かないどころか、時として強い反発を招くのは、そこで使われる「自衛」ということば、「コスト」ということば、「犯罪」ということば、「女性」ということば、「守る」ということばのすべてが虚しく、実態を伴っていないからだ。血が通っていないからだ。それが、実態を知らない者のことばの限界であるからだ。石原のことばを引くなら、「ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である」話者自身を見はなしているのである。
現在、野生動物たちと共存するコミュニティで暮している私は、「男はケモノ」という比喩は絶対に口にしない。そもそも「男vs女」の構図にすること自体、私の感覚からは程遠い。代わりに、どれほど「自己責任論」の瑕疵を指摘されても、なお同じメッセージを発し続ける者へ、遠くシベリアのラーゲリ(強制収容所)の取調室において、尋問する保安中尉に向って一人の日本人が放った言葉をここに記し、筆をおきたい。
「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」
※最後に、前回のエントリを読んでくださった方、コメントやブクマを寄せてくれた多くの方に、心から感謝します。

