良寛たずね道「はちすば通り」を歩く

kanazu362011-05-16

新潟県長岡地域振興局は、良寛が亡くなって180年の節目に
合わせてガイドブック「良寛たずね道〜そのぬくもりに逢いに
行く」を発行した。
ガイドブックには「父の生誕地:与板」「生誕の地:出雲崎
「仮住まいの地:寺泊」「定住の地:分水」「終焉の地:和島」の5コースが紹介されている。
5月15日、良寛終焉の地「はちすば通り」を歩いた。
・終焉の地
 69歳になった良寛は、厳しい暮らしや老齢を心配した法弟の遍澄や島崎村(旧和島村)の木村元右衛門の勧めで木村家の離れに庵室に移りの74歳(1831年:天保2)の生涯を終えた。
 隆泉寺木村家墓地に葬る。
・旅のモデルコース(はちすば通り)
 木村家−隆泉寺(徒歩2分)−宇奈具志神社(徒歩2分)―妙徳寺(徒歩2分)−良寛の里美術館(徒歩5分)−道の駅「良寛の里わしま」(徒歩5分)      
 ・はちすば通り
  はちすば通りとは、
  良寛は晩年和島村島崎の木村家に身を寄せ、足掛け5年間その地域の人々と穏やかな日々を送った。
  自らを厳しく律し、決して名利に走らず修行をし続けてきた。
  良寛の生涯で唯一気を許したといってもいい尼僧、貞心との初めての出会いがこの地「島崎」です。
  良寛が74歳で遷化するまで二人の交流が続き、数多くの相聞歌が残されています。
  貞心尼は、良寛死後、その歌集を「蓮の露(はちすのつゆ)」として書き残しました。
  平成3年4月道の駅「良寛の里わしま」がオープンした。
  良寛と貞心が歌を詠み交わしながら歩いたであろう、この木村家から良寛の里までの通りを「はちすば通り」と名付けた。
 ・木村家
  庄屋木村家表門の右脇に良寛禅師遷化碑が建つ。
  良寛は文政9年(1826)10月から天保2年(1831)正月までの4年余木村元右衛門方の庵室に身を寄せこの地で大往生をとげられた。
 ・隆泉寺(良寛の墓)
  木村家の菩提寺隆泉寺本堂の裏手に良寛禅師墓碑がある。
  良寛禅師墓碑を真中に、右に木村家代々の墓・左に実弟由良の墓がある。
 ・宇奈具志神社
  宇奈具志神社は良寛が子どもたちとかくれんぼをして遊んだとされる神社。
  神社参道左側に出田(いずるた)の宮詩歌碑がある。
  出田の宮境内で、境内を吹きぬける風に涼を求め蝉の声を聞きその様子を歌に。
 ・妙徳寺良寛の法弟の遍澄の墓)
  村道を挟み宇奈具志神社と向かい合うように妙徳寺がある。
  妙徳寺和銅年間開基の古刹。
  本堂の左側に遍澄法師の墓がある。
  遍澄は、享和2年(1801)島崎の鍛冶屋甚五右衛門の長男に生まれる。
  幼少にして島崎の妙徳寺に上がり、読み書きを習い僧となった。
  文化13年(1816)に国上山の五合庵を訪ね、願って良寛の法弟となり、薪水をはじめ、良寛の身の回りの世話をしたといわれる。
  良寛の臨終の際に遍澄の膝を枕に遷化されたという。
 ・出逢いの庵
  良寛の里の一角に「出逢いの庵」がある。
  庵の中央に囲炉裏があり天井からじざいかぎが下がり鉄瓶がかかっている。
  壁には、「良寛と貞心尼」が囲炉裏を挟み語り合う中島佳香画伯の絵が掛けられて
いる。
 ・出逢いの庵から良寛の里美術館へ
  出逢いの庵から良寛の里美術館へと続く回廊には、良寛の生い立ちを描いた絵が掲げられている。
  母の国佐渡を眺め、母を思い出す良寛
  子どもたちと凧揚げする良寛などなどが。
  回廊の絵は、心を癒し和ます。
 ・良寛の里美術館
  良寛と愛弟子、貞心尼の書や詩歌を中心にるかりの文人墨客の作品などが展示されている。
道の駅「良寛の里わしま」には、「良寛たずね道」のガイドブックが置かれている。
時間があったら良寛ゆかりの「はちすば通り」まで足を伸ばしてみては・・・。

良寛たずね道「はちすば通り」を歩く (イラストを模写)