kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

安心 自信 自由

連休初日、帰省と合わせて伊賀のやまほんの「生活工芸展」に行ってきた。11時半〜16時45分までの5つのトークイベントも聞いてみた。さすがの長丁場でくたびれた。写真も1枚も撮らずじまいだったので、最新作モビール貼っておく。


「生活工芸」いろいろな展示や本が出ていると思うが、今までは興味を持たずに過ごしてきた。しかし、今はどうやらもう歴史になったらしいので「生活工芸」とやらを知っておくべきなのかな?と興味が湧いた。色々メモしたりしてきたが、あとでちゃんと何かになるらしいのでイベントの内容については置いておいて、トークイベントで聞いた限り、ま、たぶん生活工芸の時代真っ只中だった自分の事を書いておく。

1999年に美大卒業して大学勤め、美大に辟易して2003年にフリーになって、以降2010年までクラフトフェアまつもとに出展、2006年〜2011年まで松本クラフト推進協会の機関紙の編集長だった。2004年に「素と形展」もあったり、三谷龍二さんとは色々お話する機会もあったので、身近にいて感化される部分は多々あったと思う。だけれど、私がフリーになるきっかけは、身近な人のために生活用品やアクセサリーもつくっていたアメリカの彫刻家のアレキサンダーカルダーであり、先輩の多くがオブジェや日展系の作品や何かをつくる中で、銅なべなどの生活用品をつくっていた大学の先輩の田中千絵さんや、2000年頃に友人に紹介してもらった靴作家の曽田耕さんでした。

フリーになる前は日展系の教授の元で、地方の私立美大に勤めていた。ホテルオークラのローストビーフは美味しいけれど、ふかふか絨毯に跪いて話すのは出来ないし興味も持てない、その流れで生きて行くのは嫌だと思ってフリーになることにした。曽田耕さんは(違ったらごめんなさい)自給自足で生活の様々なものを自分でつくり、職業訓練校で習って靴も自分用につくって、周りに欲しがられて1996年頃から売るようになった。と、聞いて、なんだそれ!良いじゃないか!何のしがらみも無いところに行こう、つくったものを欲しい人が買ってくれる、それだけで良いじゃないか!と思って田舎に引っ越したのが30才の時(我ながら、だいぶ気がつくのが遅い)。

そして、8年間つくって生活してゆく事を続けた。当初は非鉄系の叩いてつくる鍛金の作家は、ほとんどクラフトフェアまつもとにはいなかった。珍しがられたこともあり、今思うと恥ずかしいものも多いけれど、3年ほどで最低限の生活ができるくらいにはなった。そして、ギャラリーで個展をさせてもらえるようになり、そのまま一人でコツコツつくり続けるのだと思っていたが、縁があり夫婦になって子供を育てるという仕事もすることになり、現在の主婦兼金工作家の2足のわらじとなった。

私にとって「生活工芸」は過去の事だと解った。あの時代はそんな色だったなーと、思う。イベントの後、三谷さんに「あの頃(のクラフトフェアまつもと)が一番面白かったように思うけど、今はどう?」と聞かれたが、どうだろう?確かに変わってきているかもしれないし、出展応募者は減ってきているけれど、まだまだフェアはこれからの人たちにとって大事な場所になり得ると思う。クラフトフェアまつもとは今のつくり手が集まる場所だから、今の社会が反映される、自由な場所だから。

それから、私が気になった事を書いておく。トークイベントの最後の質疑応答で、使い手の方から、生活工芸の方々から多くの「安心」を受け取っている。と、いうような意味の声を聞いた。また、辻さんがなぜ生活工芸を広めるのか、なぜ発信するのか?に対して「自由になりたい」と、いうようなことも言っていた。

今、まさにはじめての社会(=小学校)に出て行く子に、世界は優しさだけでは出来ておらず、私たち親が常に守る事ができないという事を伝えねばと、1978年にアメリカの女性が起こしたCAPプログラムという子供達の基本的人権を伝えるための絵本を読み聞かせている。(日本で翻訳されたのは1985年、文末にリンクする)そこに、「安心」「自信」「自由」が心の力になると、書かれている。それらを奪われたら声をあげて怒って良いと書いてある。人は生きてゆく上で「安心」「自信」「自由」を欲しているのだなと、深く感じ入った。それは裏を返せば、それまでの社会がいかに一人一人の「安心」「自信」「自由」を奪ってきたか、ということに尽きるのだと思う。そして、それを求める事を普通だと思い始めたのはあの頃なのかもしれない。

よし、過去はしっかり振り返ったので、未来に向かおう。

あなたが守る あなたの心・あなたのからだ

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