ルフェーブルの離教運動からの脱出記――すべての伝統はローマに通ず(4)

"My Journey out of the Lefebvre Schism All Tradition Leads to Rome"より。

教皇リベリウス


おそらく私が聖ピオ十世会で出くわした最も共通の主張と言えば、教皇リベリウス(352-366在位)は異端的で、アーリア主義に共感し、誤って聖アタナシウスを破門した、というものだ。この理由から、教皇リベリウスは教会の歴史上聖人とされていない初めての教皇になった、と聖ピオ十世会は主張している。もちろん、このアナロジーで、聖ピオ十世会はルフェーブルは現代の聖アタナシウスであり、ヨハネ・パウロ2世は現代の教皇リベリウスだと思っている。
彼らは論じる。一度生じたことは再び生じることがあると。しかしながら、主が私にむしろ驚くべき仕方で示したように、そのような主張はカトリックの伝統においてたいした基礎を持たない。
聖ピオ十世会のこの状況に適用された主張が真であると確信して、カトリック教義に関するディンツィンガーの資料集を読んでいて、私はディンツィンガーが教皇リベリウスを「聖リベリウス」としてリストしていることに気づいた。驚いたと言っても控えめな表現になるだろう。十分皮肉なことに、聖ピオ十世会は、のちの全ての版を疑わしいものとしていたので、彼らから買って私が読んでいたディンツィンガーはその特定の版だったのだ。しかし、ディンツィンガーのこの箇所は、聖ピオ十世会の私の地方の聖職者から説教されたことと明らかに一致しなかった。それで、私はこのリストはおそらくタイプ間違いであると読み流し、読書を続けた。
ほんの10ページほど先で、聖アナスタシウスによって書かれた「教皇リベリウスの正統性」と副題のついた教皇書簡に出会った。そこで教皇聖アナスタシウスは明白に語っている。「アフリカの異端的党派(アーリア主義)は、詐欺を弄してその低俗な教えを広めることが出来なかった。なぜなら、私が信じるように、中傷を成す人々のひどい冒涜に屈しない聖であり傷のない信仰、聖人らが憩う場所にいまいる聖なる人々と司教たちによってニケア会議で論議され守られた信仰をわが神が守ったからだ(13版93を見よ)。
ここまではよい。神は明白に、聖なる人々による行動と祈りによって教会をアーリア主義から守った。しかし、これらの聖なる人々とは誰で、教皇リベリウスとの関係はどのようなものか? 私は驚愕した。教皇聖アナスタシウスはこの問いに次の文章でかような形で答えていた。「この信仰のために、当時追放にも喜んで耐えた聖なる司教として尊敬された者、それはリベリウス、ローマ教会の司教である」
私はこの教皇の答えに打たれた。というのも、明らかにここには矛盾があるからだ。私はルフェーブル大司教と彼の支持者をカトリックの伝統からの正統的な教えとして信ずべきか? あるいは教皇文書「Dat mihi plurimum」におけるアナスタシウスの教え――聖人であり、教皇であり、アーリア主義の異端が生じた時代に非常に近い筆者の主張――を信ずべきか? 聖ピオ十世会の私の地方司祭はこの困惑に対する適切な解決を与えられなかった。私ができたのは、カトリックの伝統の正統な声として、教皇聖アナスタシウスの主張を受け入れることだけだった。

このリベリウスの件については、Patrick Madrid"Pope Fiction"(BASILICA PRESS)も参考になるだろう(pp141-147)。このMadridの書では他にもヴィジリウス、ホノリウスと、三人の著名な「異端的」教皇を扱っている。