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金田一輝のWaby-Saby

12/06/10 (Sun)

[]シェフまえだのブログ「『ふしぎなキリスト教レビュー」をレビューする

 

 シェフまえださんはプロフによれば「クリスチャン」とのこと。

  

http://maedaknj.blog5.fc2.com/blog-entry-130.html

社会学者橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の「キリスト教」についての対談集。今日までに30万部を超えるベストセラーとなり、良くも悪くも賛否両論特にクリスチャンの社会において)を呼んでいる。読後の率直な感想としては、「あちこち間違いだらけだけれど、読み物としては面白いであった。

「間違いだらけだが面白い」とはよく見る評価である。たしかに、原理上そういう評価はあり得るだろう。

 シェフまえださんの偉いところは、きちんと間違いを具体的に示しているところだ。

聖書引用箇所にあちこち間違いがあったり、そもそも根本的な箇所で大きく間違っていたり(プロテスタントカトリックの聖餐にあずかれる等々)、著者固有の妄想が描かれていたり等々

 しかし、最終的には「ほとんどの部分は間違っていないか、あるいは間違っていたとしても気にしなくてもいい」と述べたうえに、「この本にケチをつけるクリスチャンの多くは、多分聖書原理主義的な観点から異論を唱えていると想像偏見まる出しなのはまことに残念である

(文責・金田一輝

12/05/04 (Fri)

[][]橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』採択大学一覧

 「橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判12」より、『ふしぎなキリスト教』採択大学一覧を転載しておく。

http://togetter.com/li/290052

『ふしぎなキリスト教』を採択した大学一覧(4/21現在)・大学名・講義名・担当者名(敬称略)・何として採択したか・URL

大分県立芸術文化短期大学国際文化学科1年(初出:批判2}「キリスト教の思想」片山寛(西南学院大学神学科教授)教科書

大分県立芸術文化短期大学シラバス http://web1.oita-pjc.ac.jp/syllabus/syllabus.do?kamoku_id=638 

大分県立芸術文化短期大学教員一覧 http://www.oita-pjc.ac.jp/gakka/interid/teacherlist.html 

西南学院大学教員情報検索 http://www.seinan-gu.ac.jp/researcher/theology/337.html

東京工業大学(初出:批判3)「宗教社会学」橋爪大三郎 平成24年度は、★集中講義として実施する。参考書http://www.ocw.titech.ac.jp/index.php?module=General&action=T0300&GakubuCD=150&GakkaCD=150&KougiCD=0171&Nendo=2012&Gakki=1&lang=JA&vid=03module=General&action=T0300&GakubuCD=150&GakkaCD=150&KougiCD=0171&Nendo=2012&Gakki=1&lang=JA&vid=03

慶応丸の内シティキャンパス(初出:批判3)慶應大学系列の、社会人向けの講座「 橋爪大三郎先生の教養講座 | 『ふしぎなキリスト教』橋爪先生の 宗教から世界を楽しく読み解く講座」 参加費:105,000円(税込)http://t.co/7WqEMNAV

上智大学(初出:批判4)開講学部・学科は全学共通。「キリスト教人間学(現代世界におけるキリスト教)」、サブタイトル「宗教的多元性におけるキリスト教」川中仁教科書http://t.co/JZ328Zyf

東京女子大学(初出:批判12)キリスト教学IIIC(キリスト教思想とその周辺) キリスト教学科目「『ふしぎなキリスト教』を読む」江口再起教科書http://t.co/6oSBFGK

明治学院大学(初出:批判12)「キリスト教の基礎B」横山正美参考書https://campus.meijigakuin.ac.jp/campus/syllabus/search/SyllabusInfo.do?nendo=2012&kogikey=121100031

これら『ふしぎなキリスト教』採択大学・学長・講師にどんどん抗議メールを送ろう!

【抗議メールについてアドバイス】

*「使用するな」などと高圧的な態度に出ない。教科書・参考書の採択権限は講師にあり、現に採択済である以上、そこを追求しても相手にされず逆効果。

*あくまで『ふしぎなキリスト教』に基本的な間違いの多いことを問題にする。「学問的に問題がある」というフレーズは大学関係者には効果がある。

*また、「キリスト教への偏見を助長する恐れが高い」というのも良い。宗教はデリケートな問題であり、それを訴えることは非常に心理的プレッシャーになる。

*一度であきらめない。返信がなくてもあきらめてはいけない。返信がなくても繰り返しメールしよう。ただし、毎日だとスパム扱いされるので、ほどほどに…。

12/05/03 (Thu)

[][]『ふしぎなキリスト教』問題を考えるツイッター市民連合 発足!

 というわけで、久々のブログ記事更新。

 ずっとツイッターの方に活動を移していたが、最近新しい動きが出てきたのでご報告。

 巷で大ベストセラーとなっている橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』、発売当初から私は批判し続けていたが、今年度に入って教科書として採用する大学が続出。笑って済ますわけにもいかなくなり、実力行使(抗議活動)を始めた時期を同じくして、ツイッターを発信源として『ふしぎなキリスト教』問題を考えるツイッター市民連合が5月1日(メーデー)に立ち上がった(発起人・植田真理子(twitter account:@marikobabel))。私はその主旨に賛同し直ちに参加した。

 さしあたり、『ふしぎなキリスト教』に間違いが多いことの啓蒙に努める。以下のサイトに間違いの指摘が収録されている(随時追加有)。

「ふしぎなキリスト教@WIKI」

http://www32.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/14.html

また、ツイッター上での『ふしぎなキリスト教』を廻る言説は以下等にまとめられている(『ふしぎなキリスト教』採択大学一覧有)。

「『ふしぎなキリスト教』に対する批判12」

http://togetter.com/li/290052


 賛同する方はどしどしツイッター等で応援よろしくお願いいたします。

(twitter account:@kanedaitsuki)

10/04/08 (Thu)

[]『岩波キリスト教辞典』はやはり使えない

 以前、当ブログ記事でも取り上げたが、『岩波キリスト教辞典』は使えないというレビューをアマゾンにも書いていた。

http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20100228


 しかしながら、たてつづけに「参考にならない」票を3ついただき、小心者の私は「なんか間違ったこと書いたかな」と二読三読してみたが、思い当たる節がない。そうこうしているうちに、4月6日付で「鳳仙花」という方が否定的レビュー(★1つ)を投稿しているのを知った。このレビュー、非常に見事で、これに比べたら私の書いたことなど「藁くず」に見えてきた(笑)。私が抽象論で済ました所を、具体例を挙げて説明している。

 アマゾンレビューをそのまま転載するのは心苦しいので、全文引用はしない。ぜひ下のリンク先から読んでみてほしい。

 『岩波キリスト教辞典』はなぜか神格化されているようだが、どう考えても使えない辞典である。私自身記事で使ったこともあるにはあるが、使おうと思って使えなかったことの方がはるかに多いのである。「鳳仙花」氏も指摘しているが、最近「フィリオクエ」項等を見て、あまりのひどさに絶句したため、神話破壊のためにレビューを入れた次第。私の評価は、あながち間違いではなかったのだなと、少しほっとしている。


10/04/06 (Tue)

[][]神は妄想ではない――Thomas Crean"God is No Delusion: A Refutation of Richard Dawkins"

 ドミニコ会士による、リチャード・ドーキンス『神は妄想である』への応答。

 目次を並べると、内容は大体想像できよう。

1.ドーキンス教授の主張

2.ドーキンス教授と聖トマス・アクィナス

3.ドーキンス教授と奇跡

4.ドーキンス教授と福音

5.ドーキンス教授と道徳の起源

6.ドーキンス教授と宗教の起源

7.ドーキンス教授、道徳と聖書

8.ドーキンス教授とカトリック教会

9.二つの道

 ドーキンスの古臭い無神論へ対応しているためか、反論も古典的なものである。また、当たり前と言えば当たり前だが、全体にローマ・カトリック目線で書かれており、非カトリックにはいささかとっつきにくい所があるかも知れない。しかし、哲学的・神学的に含蓄深い読みごたえのある一書ではある。


10/03/16 (Tue)

[][]現代無神論3人衆への反論――Ian S. Markham"Against Atheism: Why Dawkins, Hitchens, and Harris Are Fundamentally Wrong"★★★

 著者は監督派に属する。

 無神論者たちは宗教感覚、宗教言語を学ぶべき、宗教をもっと知るべきだ、というのが本の骨子だが、反論そのものとしては切れ味がないと思う。現代物理学は神仮説の方にフレンドリーだ、というのも、信仰を前提にした立論だろう。

 面白いのは、リアル無神論者としてニーチェに1章を割いているところ。この書で反論している現代無神論者たちの思想的源泉として紹介するのではなく、むしろ彼らを「穏やかな無神論者」として、ニーチェと対置させている。ニーチェの徹底した無神論は、真理を結局のところ人間の創造物と見なす。その批判の射程は宗教にとどまらず、近代科学の基盤すら掘り崩している。したがって、現代無神論は、神を排除することで科学もまたもろともに捨てさってしまう(徹底した反合理主義=ニーチェ)か、神と科学をともに受け入れるか、いずれ岐路に立たされる、というわけだ。つまり、無神論者は無神論をもっと知るべきだ、とも言っているわけで、これはいささかひねったユニークな反論法とは言えよう。


10/03/11 (Thu)

[][]無神論原理主義批判に向けて

 落合仁司数理神学研究と平行しながら、リチャード・ドーキンス流無神論原理主義批判のため、資料集めを開始した。

 スティーヴン・ジェイ・グールド『神と科学は共存できるか?』解説によると、9・11以降、ドーキンスはそれまでの不可知論的態度(神が存在するかしないかは知ることができない)を捨て、宗教否定の立場に大きく傾いたらしい。それゆえ、ドーキンスを無神論原理主義者と呼ぶのは正当だろう。

 マクグラス本によると、ドーキンスの無神論的命題は、昔なつかしい古典的無神論の焼き直しであり、新味な所は特にない。しかし、影響力のある著者なので、その見解を詳細に検討するのは意味のあることだと思う。

 『神は妄想である』(原著、邦訳書)は現在取り寄せ中なので、上記のことは実際に現物にあたって確認してみる。


10/03/07 (Sun)

[]ドーキンスは妄想である――Alister E. McGrath&Joanna Collicutt Mcgrath"The Dawkins Delusion?: Atheist Fundamentalism and the Denial of the Divine"★★★★★

 リチャード・ドーキンス『神は妄想である』をもじって、ヴェーダの定式を「世界は妄想である」とした事があるが、まさか同様の切り口でアリスター・E・マクグラスがこんな本を書いていたとは。

 読むとすぐ分かるが、マクグラスは、『神は妄想である』におけるドーキンスの子供地味た反宗教的妄想に丁寧につきあい、事実問題についての誤謬をいちいち指摘している。ドーキンスは、真の科学者は無神論者であり、科学は世界のすべてを説明しつくし、科学の発展は必ずや、悪の根源である神(宗教)を駆逐する、と言う。しかし、統計的に科学者の4割はいまなお人格神を信じており、21世紀に入って、宗教はむしろ興隆し、無神論こそ没落している。宗教が暴力の原因になることはたしかにあるが、同じように無神論が暴力を推し進めることもある。神が歴史のある時点でイエス・キリストにおいて自らを啓示したということは、人によっては信じがたい。しかし、経験的に検証されていないドーキンスの唱える「ミーム」という存在も、同程度には信じがたい。つまり、キリスト教を信じるか、ドーキンスを信じるか、決定的な証拠が存在しない以上、少なくとも五分なのである

 最も気をつけるべきなのは、ドーキンスが非常に単純な二分法(科学は善、宗教は悪)に問題を落とし込んでしまいがちなところだ。ドーキンスによれば、宗教の価値を少しでも認める無神論者は背信者であり、進化論を信仰と両立しうると主張する宗教者は偽善者である。このように中間の立場を認めないのは、まさにドーキンスの標的である原理主義者の態度そのものである(結論は逆であれ)。

 マクグラスは神学者ながら、分子生物学によってキャリアをはじめた過去があり、この本におけるドーキンス批判は、いわば「科学的方法論」を貫いており、単に理性(科学)に対し信仰(宗教)を対置しているのではない。宗教と科学の関係について、繊細で厳密な方法論になじんでいない人には、格好のケース・スタディになる書と言えよう。


10/03/03 (Wed)

[][]父からか、父と子からか、それが問題だ――Joseph P. Farrell trans."The Mystagogy of the Holy Spirit"★★★★★

 フィリオクエ論争において、東方教会側の立場を代表する聖フォティオスの論文の翻訳。

 ファレルの解説が素晴らしい。西方教会(ラテン教会)への、アウグスティヌスを介したギリシャ的思考(ネオ・プラトニズム)の抜きがたい影響が、フィリオクエ付加に至る神学を形成したと指摘し、非常に新鮮な視角を提供している。

 西方キリスト教会の思考の強い影響下にある国々の人は、フィリオクエ論争を単に言葉尻の問題ととらえがちである。実際、日本で普及している『岩波 キリスト教辞典』の「フィリオクエ」項では、東西に「大きな違いはない」と記述している。

 真にエキュメニカルな対話のためには、まず率直に違いを認めることからはじめるべきである。その意味で、このフィリオクエ論争に関する基本文献は、東西両方にとって欠かせない一書と言えよう。