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2004/07/11

白球礼賛

[]野球の始原の歓びをとりもどせ〔病中病後その5〕

体調もだいぶ回復したある日、外泊許可をもらったので一時帰宅した。頭のなかで自分の部屋を思い出し、積ん読の山の記憶をたどりながら、読みたい本の場所をメモに示して妻に取ってきてもらうというのは、自ら本に触れることができず、また妻であれ他人に積ん読本の山を動かされる厭さも手伝って、すこぶるもどかしかった。だから外泊許可を得て真っ先にやりたかったのは、病室に戻ったあと読むべき本を自らの手で選びとることだった。

昨日触れた『わたしの詩歌』を探すため、新書だけを積んでいる山を取り崩しにかかったところ、思いがけず平出隆さんの『白球礼賛―ベースボールよ永遠に』*1岩波新書)を発見したので、これも持参することに決めた。先日平出さんの新著『ウィリアム・ブレイクのバット』*2(幻戯書房、→6/27条)を読み終えたとき、同じく野球に触れた『ベースボールの詩学』を書棚から抜き出し眺めつつ、はていつぞや古本で買い戻しておいた『白球礼賛』はどこにいったものか、心に引っかかっていたのである。

本書には特別な思い出がある。担当編集者の方から直接勧められた本なのだ。一般の本好きにすぎない私が出版業界人と触れる機会など滅多になく、ましてやその本を担当した編集者からの勧めとあって、いまでも印象深く心に刻まれている。「あとがき」にも書いてあるが、担当編集者とは岩波新書編集部の川上隆志さん。

本書が刊行されたのは15年前の1989年3月だから、それからまもない頃だろう。当時私は大学院生だった。いまでもそうだが、当時の私は同じ分野の研究者が集う集会など大嫌いで参加したくもないという人間だった。ただ当時は大学院に進学してまもない頃でもあり、何事も経験と我慢して、東北地方の古都で開催されるシンポジウムを手伝うため泊まりがけで参加したのである。シンポジウムのパネラーの一人に東京のとある偉い先生がいて、ちょうどその先生が岩波新書で新著を刊行されたばかりだったゆえか、それを担当された川上さんも一緒にシンポジウムに参加されていたのだ。

夜の飲み会では、偉い先生と酒を飲みながらいろいろと話をうかがうことができたのは収穫であったが、いまではそれよりも川上さんの印象が強く残っている。川上さんから「この本はいいから、ぜひ読んでみて」と勧められ、仙台に戻ってからさっそく買い求めたのが『白球礼賛』だった。

平出さんといえば詩人で、当時は澁澤龍彦経由で名前を知っているに過ぎなかったと記憶しているが、その人が野球に関するエッセイを書かれていたことに意外の感を抱いた。もちろん当時から私は野球ファンだったので、すぐに読み終えたのだったと思う。

本書は、平出さんが野球と出会った少年時代の話、監督をつとめる草野球チーム「クーパースタウン・ファウルズ」の創立の話や、アメリカに留学したおりにワールドシリーズを観戦しにいった話、クーパースタウンの野球殿堂を訪れ、自らの草野球チームの本拠地名として「クーパースタウン」を冠することを正式に認められた話、また、軟式ボール・グラブ・バット職人を訪れたときのルポ、ファウルズの創立メンバーとの悲しい別れなど、野球に関する雑多な話題がつめこまれた玉手箱であった。

王貞治のホームランを多く生みだした圧縮バットの作り手を取材しての最後のひと言ほど美しい文章はない。

バットはいつも、投ぜられてくるボールを求めている。ボールのほうは出会いを回避しようとするのに対して、バットはそのしなりをとおして、あくまでボールと出会おうとする。その出会いの快音から、光にみちた野原がひろがる。バットの美しさは、そういう、野をひらく意志の美しさにあるかもしれない。(149頁)

そして平出さんは「観るスポーツ」になりはててしまった野球に対し警鐘を鳴らす。

大切なのは、大気の中での実践の歓びである。ボールを投げること、投げられたボールを打ち返すこと、それに飛びつくこと、ボールが転々とするあいだに塁を走りめぐること、そして、それらの与えてくれる始原的な歓びをゆっくりと呼吸することである。(12頁)

要は「観るまえにやれ!」(12頁)である。まったく同感だ。かくいう私だって野球をやる歓びから遠ざかって久しい。身体がなまって、たぶんかつての感覚は戻ってこないだろう。でも観ることよりやることのほうが好きという人間としての矜持は失っていないつもりだ。

プレイが難しければ野球場に足を運ぶだけでもだいぶ違う。スタンドの暗い通路をくぐって観客席に出、目の前に広がる緑のフィールドを見渡したときのあの爽快感。バットの快音を聞いてボールのゆくえを目で追う動物的感覚。ボールが自分の近くまで飛んできているようなのに球筋を見失って思わず身をかがめる恐怖感。ライブで野球を観ることの楽しさは、テレビで野球を観る楽しさよりもプレイするときの楽しさのほうに近しい気がする。

こんな考え方なので、最近の近鉄合併・買収問題は実に苛立たしい。一度合併を決めたから買収話に対し頑として聞く耳を持たぬ球団側の姿勢や、選手を見下し、何としてでも自球団中心の一リーグ制にもっていこうとする某球団オーナーのやり口には憤りを感じる。彼らに対し平出さんのこの文章を読ませてやりたい。

社会的にさまざまな形態をとって存在するベースボールを、にもかかわらずひといきにつなぐものがある。それこそがベースボールへの愛であり、その歓びではないだろうか。(205頁)

草野球、少年野球、高校野球、実業団野球、プロ野球。階層性をもって存在する野球というスポーツは、「愛」と「歓び」によって一つの線で結ばれている。たぶん、そうした事実を認識しない人びとが、いま日本のプロ野球を牛耳っているということなのだろう。