成金たちの夢の果て

カネが邪魔でしょうがない

「成金」という言葉ほど、「絶妙だなあ」と感心させるものはない。将棋の「歩兵」が敵陣に入ると裏返り、「金将」と同じ働きをする。「(転じて)急に金持になること。また、その人。俄分限」(『日本国語大辞典 第二版』)。
紀田順一郎さんの新著『カネが邪魔でしょうがない―明治大正・成金列伝』*1(新潮選書)によれば、江戸時代における金持ちは「分限」「長者」「大尽」のように呼ばれ、急に金持ちになった人間を指す言葉は頭に「にわか」を付ける。上記『日本国語大辞典 第二版』にも「俄分限」の同意であると書かれている。でも、「にわか…」が何人集まっても「成金」という言葉には勝てないのではあるまいか。それほど言葉と意味の結びつきが強烈で、切り離しがたいレベルに達している。
「成金」という言葉にだけでなく、そう呼ばれた人びとに対する関心だって強くある。かつて小田部雄次『家宝の行方―美術品が語る名家の明治・大正・昭和』*2小学館)に触れ、この言葉へのこだわりを表明した(→2004/11/15条)。
そのおり小田部さんの文章を引用したが、小田部さんは「成金」という言葉が使われたきっかけは相場師の鈴木久五郎であるとしている。紀田さんの本でも、鈴木久五郎に一章が割かれている。株式売買で莫大な儲けを懐にしたと言えば、獅子文六『大番』のギューちゃんを思い出す。ギューちゃんはこの鈴木をモデルにしたのではないかというほどそっくりで、立身出世の物語は波瀾に富み、興奮させられる。
本書で取り上げられているのは、鈴木久五郎のほか、鹿島清兵衛・大倉喜八郎・岩谷松平・雨宮敬二郎・木村荘平といった面々である。鹿島清兵衛は名妓「ぽん太」を落籍したことでも知られる豪商、大倉喜八郎はホテル・オークラや大倉集古館で有名な武器商人、岩谷松平は「天狗」のブランドの煙草を売り出した人物、雨宮敬二郎は現在の中央本線の前身甲武鉄道創始者、木村荘平は妾の一人一人に牛鍋チェーン店「いろは」を経営させた人物として、それぞれ有名すぎるほどの人物だ。
たとえば鹿島茂さんの『破天荒に生きる』*3PHP研究所、旧読前読後2002/6/19条)や、鹿島さんの本も本書も依拠している内橋克人さんの『破天荒企業人列伝』*4新潮文庫)のように、現代社会の経済システムに対する関心を視野に入れつつ起業家としてノウハウを読み取っていくといったたぐいの本ともちょっと違い、ただひたすら成金としての立身出世と財産蕩尽のありさまを描く人物伝といったおもむきの本だから、その点物足りなさを感じないわけではない。
しかしながら、ともすれば侮蔑的ニュアンスを含みながら呼ばれがちな「成金」という言葉と、そう呼ばれた人物たちを描ききることで、現代社会においてはとうてい「成金」は生まれるべくもないという、諦念とも受けとめられるようなテーゼを浮かび上がらせることに成功している。

いろいろ批判はあろうが、明治の成金は時代を反映して豪快かつ放胆であり、その行動もナイーブで、どこか憎めない点があった。ばかばかしさはあるが、栄華一炊の夢という結末と見合う部分もあって、人々の記憶に残るものがあった。(182頁)
これぞ「成金」の「成金」たるゆえんであって、苦々しげに見られながらも、どこか憎めない磊落さを持つ豪傑が明治の「成金」だった。紀田さんによれば明治後半から大正に入るとしたたかな合理精神や綿密な実利計算に基づいた経営主義が入りこみ、明治的成金らしい豪快さが薄まるという。そして現代においては、もはや「成金」という概念すら消えかかっている。
明治大正の成金たちには、膨脹発展する国家そのものが〝財源〟であり、ほしいままに狂態を演ずる舞台として、江戸の伝統を伝える日本的な社交システムとしての花柳界と、芸妓というホステス文化が健在であった。何軒もの豪邸や別荘を所有することの可能な土地税制と、妾宅の数を誇るような社会通念も、何らの疑問もなく存在していた。(196頁)
となると、もはや「成金」は歴史的語彙と言っていいかもしれない。本書で紹介された「成金」たちの愚行のなかには、必ずと言っていいほど、芸妓たちをたくさんあげて全裸にし、相撲を取らせたり、その上に寝たり、お金をばらまいてそこに群がる様子を眺めたりという挿話が登場し、笑ってしまう。
男たるもの、お金が有り余りすぎその使い道に困ると、何人もの女性を全裸にして侍らせるというハーレムの誘惑が顔を出すのだろうか。ハーレム幻想は普遍的なものかもしれないが、金さえあれば実現可能という花柳界のシステムはもはや風前のともしびだろうから、「成金」の愚行もまた、歴史的存在になりつつあるのかもしれない。べつにわたしは羨ましくて言っているのではないことを申し添えておく。

*1:ISBN:4106035537

*2:ISBN:4093861366

*3:ISBN:4569622542/雨宮・木村・岩谷の章がある。

*4:ISBN:4101300011/大倉・岩谷・雨宮・木村の章がある。