疑似単身赴任経験者の告白

ニッポンの単身赴任

「単身赴任」という言葉を和英辞典で探しても訳語が見つからない。つまり英語にはそうした概念がないわけである。単身赴任とは日本社会に特有の言葉であり、概念であり、「文化」なのである。
もとよりわが国においても通時代的なものではない。高度経済成長期以降に生み出された言葉であり、単身赴任する立場(=男性・夫・父)から見た一面的な言葉である。

「単身」で「赴任」する――あくまでも我が家を出ていく側、働く女性や子どもを持たない夫婦のブーイングを覚悟で言い切ってしまえば、父親の視点だ。それも、発想の足場を仕事に置いた、いわば高度経済成長期的な価値観に基づく言葉である。
重松清さんは、単身赴任のサラリーマンや残された家族にインタビューして当節の単身赴任事情を明らかにしたルポルタージュ『ニッポンの単身赴任』*1講談社文庫)のなかで、上のように述べている。
子どもの学校の都合から、単身赴任を選択せざるをえなかった人や、自ら積極的に単身赴任を選んだ人まで、そこに至る事情は様々だ。また、単身赴任してからも、久しぶりの「独身生活」を前向きに楽しんでいる人や、寂しさや仕事の辛さから酒にたより身体をこわした人、不倫に走った人など、様相は異なる。
ひとつ明らかなのは、高度経済成長期における単身赴任と現在の単身赴任では、赴任理由に多少違いがあること。企業の拡張の橋頭堡として本社から地方に赴任するのと、リストラで地方に出向せざるをえなかったり、業務整理のため派遣されたりすることでは、前向きか後ろ向きかで赴任する人の心持ちもだいぶ開きが生じるだろう。
もちろん現代でも発展的単身赴任がないわけではない。本書では日本人の赴任者人口が2万人とも言われている中国上海における単身赴任事情について、「寄り道編」として3人の人の事例が取り上げられており、皆溌剌としている。
ひるがえって自分自身のことを考えると、わたしのような職場では、自ら別に勤務先を変えるという意志を示さないかぎり、また、「在外研修」「内地留学」をしないかぎり、たぶんずっとこのまま、単身赴任という状況は考えられない。言ってみれば他人事のような話として、ここに報告されている様々な単身赴任事情を興味深く読んだ。
ただ子どもの頃、父親が短期間ながら単身赴任をしていた時期があったから、単身赴任という状況にまったく無縁というわけではない。といっても赴任先は、月に何度帰ることができるかという遠い場所ではなく、自動車で1時間もあれば帰ることができるという同じ県内の別の町だった。
父の単身赴任中、残されたわたしたちはどんな気持ちで暮らしていたのか、肝心なことはすっかり忘れている。ただ、父がひとり暮らしのために借りたアパートの一室は黴臭く陰気な雰囲気で、子ども心に寂しさがつのったことだけ、強烈な印象として残っている。
ああそういえば、自分にも単身赴任に近い体験がないわけではなかった。東京のいまの勤務先に勤めた当初、仙台で働いていた妻がすぐ退職して一緒に移るというわけにはいかず、一か月程度東京でひとり暮らしをしていたことを思い出した。
当時は新しい職に就くストレスのためか、直腸にポリープができてしまい、東京に移って以後も、それまで通院していた仙台の病院に通って手術を受けるなど、体調的にも精神的にも辛い時期だった。いまだからこそ懐かしく思える。
「一人になっても、――いや、一人になったからこそ、家族のことを考える」(31頁)と、単身赴任者の取材のあと重松さんはつぶやく。単身赴任のおかげでかえって家族のことを考えるようになった、夫婦関係を見直すいい機会になったという人が本書に多く登場する。たしかにそうかもしれないな、と、疑似単身赴任経験者のわたしは、偉そうに相づちを打つのである。