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2007/01/17

名作写真と歩く、昭和の東京

[]湯島天神舗石の割れ方

ホームページを始めたばかりの頃は、がむしゃらに新刊情報を集めほかより先に紹介することで話題提供し、それをきっかけにして、本好きの人びとと掲示板で情報交換しあうことが楽しみだった。

ネットを介して読書サイトを多く知るにつけ、あちこちで似たような新刊情報提供がなされているのを見ると、途端に意欲を失い、自分が躍起になる必要もないかと情報提供をやめてしまった。情報収集力の低下により、いち早く情報提供することでコメントを交わす楽しみが薄まりつつあったし、そもそも新刊情報を収集することが億劫になってきたのだった。

とはいえ出版社のサイトをこまめにチェックすることは怠っておらず、新刊情報もしかるべきサイトで見ているはずだった。ただやはり収集力の低下は否定しがたく、新刊書店で初めて刊行を知ったなどという体験が少しずつ増えはじめている。

もっとも刊行を知らなかったことにショックを受けるというのではなく、逆にむしろ知らなかったことで、書店で出くわし初めて出たことを知る嬉しさはひとしおで、今日並ぶか明日並ぶかと指折り数えて発売日を待ち、苛立ったすえに入手することとはくらべものにならないほど快感である。

川本三郎さんの『旅先でビール』*1潮出版社、→2005/11/13条)はそのいい例だったが、今回またしても川本さんの新刊に同じような待ち伏せをくい、良い意味での衝撃を味わわせてもらった。『名作写真と歩く、昭和の東京』*2平凡社)がそれである。

本書は1932年から88年にかけ、著名写真家がその時々の東京の町の姿、東京で暮らす人びとの姿を撮影した写真を場所ごとにわけ、一つ一つに川本さんが文章を添えたものである。『読売ウイークリー』誌上の「東京時空散歩」という連載がもとになっているらしいが、連載まるまる収められているわけではないらしい。「「昭和の東京」がよくとらえられている写真を選んで一冊に」したと「あとがき」にはある。漏れた文章(と写真)があるかと思うと落ち着かなくなる。

取り上げられた写真について、その場所に関係する文学作品や映画などに言及したり、個人的な記憶を重ね合わせるなどアプローチは多様だから味わい深く、写真と文章からその時代の雰囲気が伝わってくる。

『映画の昭和雑貨店』シリーズなどにも顕著だが、映画のひと齣ひと齣、写真の一枚一枚にエクスクラネーションマークがつくほどの素直な驚きを示し、あるいは「…」で終わるような深い嘆息、感傷にひたる。そんな川本さんの対象への素直な接し方が大好きだ。本にせよ映画にせよ、ひねくれていない、かくあるべきという理想の付き合い方。だから川本さんの本は読んでいて爽やかな気分になるのである。

本書のなかで心動かされた一葉は、木村伊兵衛の撮った「湯島天神附近」(1953年、本書78-79頁)。川本さんは写された風景を次のように描写する。

素晴らしい写真。細雨に濡れた瓦屋根と石段が、しっとりと落着いたたたずまいを見せる。そのなかを傘を持ったコート姿の紳士が石段を下ってゆく。和と洋が静かに調和している。夏目漱石永井荷風の小説の一場面を見る思い。まさに「古き良き東京」。

写真は湯島天神男坂の石段上から、下(北東)方向を眺める構図で撮影されている。男坂下には煮染めたような木造家屋があり、甍の波が続いている。

ゆえあって昨春から通勤のとき湯島駅を利用している。湯島駅から男坂を上り、湯島の境内を通り抜けて職場に向かうのが毎朝の通勤ルートとなっている。だからこの構図はわたしにとっては馴染みのものなのだ。急な男坂の石段は、毎朝の体調チェックにもなる。石段を上る足が軽ければ、その日一日気分よく暮らせるような気持ちになる。

さて、不意打ちを食らった嬉しさのあまり、ひと晩で本書を読み終えてしまった。この構図をわが眼で確かめてみなければ気のすまない性分のわたしとしては、当然今朝男坂を上りきったあと、木村伊兵衛がカメラを構えたであろう位置に立ち、ふりむいて坂下を眺めたのであった。

いまでは坂の高低差を感じさせない高さのビルやマンションが建て込み、1953年の写真のように遠くまで見とおすことはもちろん無理になっている。石段の中央部には手すりがしつらえられ、多少落ち着きを失っている。

でも、わたしは発見したのだった。50年以上前の写真に写し込まれている石段の舗石の破損状態がいまでも変わっていないことを。その発見だけでも儲けたような気持ちになり、寝不足の頭も少しすっきりしたのだった。

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