古典化に遭遇する

占星術殺人事件

島田荘司さんの『改訂完全版 占星術殺人事件*1講談社文庫)を読み終えた。本作は、昨年刊行された週刊文春臨時増刊『東西ミステリーベスト100』において、日本作品の第3位にランクされた。1985年のときは21位だったという。まあそれもそのはず、このとき元版は出て4年しか経っていない。
今回のベストテンで言えば、5位に入った宮部みゆきさんの『火車』や9位に入った京極夏彦さんの『魍魎の匣』のような時間的距離感だろうか。この2作品ですら出て4年という近さではないだろう。その意味では、出て4年しか経っていない作品が21位とはいえ高位に入ったのは奇跡的であろう。でも、この作品がその後「新本格」を生み出したことを考えれば、85年も今の人気も当然なのかもしれない。
わたしが憶えている推理小説のランキングでは、今の3位ほどではないにせよ、ヒトケタに入っていたはずである。どこが主宰したランキングだったかは忘れた。実際その順位の高さに導かれ、当時講談社文庫版を購入した。でも未読のはずだ。
そもそもわたしはこの手の「本格」、読者への挑戦が入っているような、データをすべて出してさあ犯人を当ててみなさいといったミステリは好みではない。論理的謎解きを主眼にするものの、犯罪自体猟奇的であり、占星術というマジカルな雰囲気をたたえていたから、購入したのだろう。
そもそも今回文庫に入った「改訂完全版」とは、文章を読みやすくし、謎解きに必要な図表を入れ、文脈を破壊せぬ程度に蘊蓄を増やし、修正したものだという。すでに島田さんの文庫に収められ、講談社ノヴェルスからも出ているバージョンを文庫にしたに過ぎないようだが、わたしのようにそうした経緯を知らない人間にとって、文庫化は読書のいい契機になる。
本書に添えられた著者の「改訂完全版あとがき」には、この作品が舞台にしている1970年代あたりの時代の空気や、殺人事件が起きた昭和初期の雰囲気に対するノスタルジーが語られている。30年も経てば立派な古典なのだ。
殺人事件が起きた家は目黒区大原町にあったという。聞いたことがない地名だと思って調べたら、いまは住所表示が変わったとのこと。実際事件があった昭和初期には存在した地名なのだ。それがわかった段階で本書のリアリティの高さに強く惹きつけられたことは言うまでもない。あとがきを読むと、そのあたりで島田さんは育ったらしい。だからこそのリアリティなのだ。
また殺人事件が起きた日は昭和11年2月26日。二・二六事件があった日である。二・二六事件といえば、「蒲生邸」でも事件が起こった日だよなあなどと思いつつ読み進めた。まれに見る大雪に見舞われた日ということで、小説にしやすい題材なのだろうし、推理小説としては、本作品でもキーポイントとなる足跡トリックにもってこいの舞台装置だ。
ミステリなので詳しくは触れないが、なるほどそういうことか、さすが3位に入る名作だと感心する。少しずれているのかもしれないが、『不連続殺人事件』的な欺しトリックが仕掛けられている(どこにとは言わない)。
これで2012年のベストテン中、未読なのは『大誘拐』(ただし映画は観た)と『十角館の殺人』のみ。新本格が苦手なわたしは後者は読まないだろう。いま『ドグラ・マグラ』(4位)などを読むと印象が変わるのかもしれない。再読したいが、さてそんな余裕を持てるかどうか。
ミステリ好きになった頃に新刊で出た本がその分野の古典として崇められるようになったとは。時間の堆積を感慨深く受けとめた。