事故10日目のメモ

事故からまる10日が過ぎだ。変わらぬ数字は174。初日にカウントされた救出者の数字は微動だにしない。懸命の救出活動は続けられているが、残念ながら成果を出せていない。
「これがもっと初期の段階で行われていれば」
誰もが悔しがるほどの懸命な救出活動を見ながら、多くの人が1995年の「三豊百貨店倒壊事故」を思い出した。あの時は事故発生後2週間以上もの間、瓦礫の下から生存者が発見され続け、その「奇跡」によって人々は事故の衝撃を「癒す」ことができた。今回も「エアーポケット」に肩を寄せ合った高校生たちがいるのではないか、そう思って人々は待ち続けていた。
でも、それも叶わぬまま、国中が追悼ムードに包まれていく。それと同時に、事故当時に関しての新しい情報が入ってくる。なかでも衝撃的だったのは、4月27日にニュースチャンネルJTBCが放映した「事故後15分、最後の残された動画…救助時間十分だった」という動画だった。

沈みゆく船の中で――16分のスマホ動画それは、事故で亡くなった高校生のスマホの中にあったものを、親が「もうこれは私だけの物ではないから」と放送局に渡したものだった。この局の看板キャスターはその経緯を述べたうえで、「これをそのまま全部放送はしないことに決定し、一部のみを編集して放送します」と厳かに語った。あまりにもショッキングな場面は局の判断で編集される。東日本大震災の時も膨大な量の動画が切り取られた。
動画には沈みゆく船の中での高校生たちの様子が写っていた。
「お、傾いている」「こっちに寄っちゃうぞ」「本当に死んじゃったりして(笑)」「なんだこれ?」「面白いじゃん」
(10分後)「おい救命胴衣」「おまえあるか」「お母さん」「甲板に出ようか」
(そこに「動かずに部屋で待機してください」という船内放送)
「救命胴衣を着ろってことは、沈没するんじゃないのか」「これ着て、海に飛び込んで泳ぐのか」
(ここでも「動かずに部屋で待機してください」という船内放送)
 http://media.daum.net/breakingnews/newsview?newsid=20140427230206247
 生徒たちは逃げようとしていた。それを船内放送が止めた。甲板に出ようとしていた。それも船内放送が止めた。動画は16分、船内から脱出するのに、十分な時間ではなかったのか。その後の生徒たちの運命を考えると、この動画の内容はあまりにも残酷だった。
前回の記事で私は船長が非正規雇用であり、給料も安いことに触れた。でも、それは日本人の多くが「船長とはこうあるべき」というプロフェッショナルを語っていたため、韓国にはそういう職業意識(プライド)を持てるような環境がないということを説明するためだった。でも、考えてみれば、彼に求めるのは職業人としてのプライドなどではなかった。そんなたいそうなものはなくてもいい。ただ、ルールを順守すること。それだけしてくれていたら、乗客が無事に救助される可能性ははるかに高かった。
 
海洋警察も軍も政府も初動ミス?  船長の罪はあまりにも大きい。それ以外にも、船が規定の3.8倍もの荷物を積んでいたり、そのために船底のバランス用に水が抜かれていたり、船舶会社の実態はひどいものだった。その悪徳企業とは別の意味で出鱈目だったのは初動救助だった。
情報の伝達経路が間違っていて救助隊の出動が大幅に遅れた、海洋警察の救助船に専門家が乗っていなかった、消防のヘリは生徒の通報を受けていち早く出動したのに別のところで待機させられた。そして海軍は一人も救助できなかった…等々。ちなみに軍の司令塔となった軍艦の名前は「独島」だった。「韓国の誇り」は何をしていたのか?
事実関係はまだはっきりせず、今後、おそらく設置される「真相究明委員会」で明らかにされていくのだろうが、ただし、軍事機密にふれる部分と、公務員の隠ぺい体質などを考えると、真実がどこまではっきりするかはわからない。

この規模の事故にしては、あまりにも人的被害が大きい 事故の直接的な原因は今のところまだ不明だ。さらに被害を拡大させた多くの理由も、細部はこれから明らかになっていく。一方で、事故の特徴は非常にはっきりしている。この事故はその規模のわりに人的被害があまりにも大きい。
 前回の記事に、「韓国の闇」と書いたところ、国際機関で長く働いた人から、それは別に韓国に限らないのではないかという指摘をうけた。一方、韓国人や韓国で暮らす日本人は「今回の事故で韓国の悪いところがすべて出た。まさに韓国的な事故だ」という言い方をする。この件については、韓国人と日本人の意見が不思議に一致している。
 事故や災害の規模のわりに人的被害が大きくなるのは、発展途上国の特徴だ。同じ規模の地震や台風が来ても、残念ながら先進国と他の発展途上国では死者や行方不明者の数に大きな差が出てしまう。

 アジア金融危機の頃、欧米の投資証券に勤める友人が、IMFの韓国担当者に「韓国は遅れた先進国なのか、進んだ発展途上国なのか」聞いたという。その担当者の答えは「進んだ発展途上国」だと言い、その理由に都市と農村の格差をあげたという。私は友人に「街に障碍者がいない国は先進国ではないと思う」と付け加えたが、今はもう一つその理由がわかった。「運命<予想外の火災・突然の難破>を管理する社会の能力が、おそらく先進国と発展途上国を区別する最大の特徴の1つである。」(ピーター・ドラッガー)。

「三流国家」とは 中央日報は事故の直後、二度にわたり社説で「韓国は三流国家」という言い方をした。一流とか二流とか序列をつけるのはなんとも儒教的だが、要は発展途上国という意味なのだろう。今回の事故にあたり、「まさに韓国的だ」「韓国の悪いところが集合した事故」という言い方の「韓国的」とは、発展途上国のそれだったのだ。つまり、韓国人や日本人が思うほど、オリジナリティーにあふれたものはないのだろう。
 ちょうど一昨日、マレーシアから友人が訪ねてきたので、発展目覚ましいクアラルンプールのついても聞いてみた。
 「もっと大変よ。公務員なんて全然あてにならない。事故が起きたら、救急車よりもタクシーを呼べとみんな言っている。救急車なんか信用できないから」

 今、韓国では「こんな国に生まれた不幸」という言葉をよく聞く。あるいは「いつから大韓民国はこんな情けない人間ばかりになってしまったのか」という嘆き。人々は自責の言葉を繰り返している。そうしながら、車はまた信号を無視していく。
 船長のモラルとか、韓国人としてのプライドとか、そんなたいそうなものではなく、とりあえず法が遵守される社会にしなければと思う。「法が法として力をもたないと。安心して暮らせる社会は作れない」。最近は日本人に意見を聞きたいとい人も多いが、やはりそこらへんかなと思う。