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蟹亭奇譚 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-12-21

[] 水村美苗 『本格小説』

 もったいぶったタイトルにどん引きしてしまい、長いこと手に取らなかったのだが、『本格小説』 (2002年発表)は非常に面白い小説だった。

新潮社インタビュー - 水村美苗 『嵐が丘』の奇跡をもう一度

 上記インタビューで作者本人が述べているとおり、本作はエミリー・ブロンテの名作 『嵐が丘』 を下敷きにしている。身分違いの恋、金持ちになって帰って来た男との姦通、女中による語りなど、小説の構造は 『嵐が丘』 そのままである。(瑣末だが、前半に女の子の幽霊が登場するところまで、そっくりなのだ。)

 『嵐が丘』 くらい読んでおきなさいよね。と作者が仄めかしているかのようである。また、谷崎潤一郎の 『細雪』 を想起させるところも多分にある。

 本作に描かれる恋愛は、きわめて論理的に展開する。恋愛というのは理屈では割り切れないものだ、という部分も含めて、そのぶっ飛び具合までが論理的に構築されている。もちろん、その論理は保守的な 《階級社会》 の論理であって、登場人物が現れた途端に、どの階級に属しているのか、どういうポジションの人物なのかが、残酷なまでに明らかにされてしまうのである。

 にもかかわらず、美人三姉妹から意地悪な継母まで、すべての登場人物が生き生きと描かれていて、不思議に心地よい読後感を得ることができる。それは本作に登場する複数の語り手に対する、作者の暖かな眼差しによるものといえよう。

 余談だが、四半世紀前まで僕の祖父母の別荘が軽井沢にあった。

 本作を読むと、昭和の、夏の軽井沢を思い出すのである。

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈上〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

本格小説〈下〉 (新潮文庫)

2008-12-14

[] NHKドラマ 「母恋ひの記」

NHKドラマホームページ : NHKドラマニュース2008

 谷崎潤一郎の小説 『少将滋幹の母』 をドラマ化した 《NHK ドラマ 時代劇スペシャル「母恋ひの記」》 を見た。

 原作は昭和24〜25年に新聞連載された中編小説で、谷崎にとっては戦後の自由奔放な時期の作品にあたり、カテゴリとしては平安時代を舞台にした “母恋もの” に位置づけられるものである。小説の前半は、50歳年上の夫と結婚した美女・北の方と、彼女を我が物にしようと画策する男たちをめぐるほとんどドタバタ喜劇のような筋書き。そして、後半は雰囲気ががらりと変わり、北の方の嫡男・滋幹 (しげもと) が幼い頃に生き別れた母を慕って生き、数十年後に憧れの母と再会するまでの物語となっている。

 ドラマ 「母恋ひの記」 はストーリーを大胆に脚色。原作の前半と後半を、最初からミックスさせて、母子の愛情を強調している。喜劇的な要素を排したため、出演する男たちのほぼ全員の目つきがキチガイになっているのである。また、滋幹の異父弟・敦忠との、母の寵愛をめぐる確執、滋幹の妻・右近の悪妻ぶり(彼女は敦忠の元愛人である)に焦点を当て、原作にないこれらのエピソードを通じて、滋幹の苦悩と狂気を、さらに強く、このドラマは描き出している。

 なお、結末は原作と全く違っているのだが、これはこれでアリじゃないかと思う。

 以下、出演者について。

  • 黒木瞳 20代から60代までの役柄を見事に美しく演じている。あれほど美人の母があんな目にあったら、息子はトラウマになるよねえ。
  • 劇団ひとり 前半はぼーっとした青年なんだけど、後半どんどん狂っていくところがすごい。彼はこういうシリアスな役が似合う演技派俳優になってきたようだ。滋幹の幼年時代を演じた子役も好演。
  • 大滝秀治 80歳を過ぎて、冒頭から黒木瞳のおっぱい揉みまくり。(NHKの番組なのに!) しかし、その後、上司の長塚京三に妻を奪われてからの悲嘆と絶望。妻の残した衣の残り香を嗅ぎ、泣きながら衣を口に入れて頬張るあたりの演技が素晴らしい。
  • 長塚京三 この人が悪役を演じるのは珍しいかも。怪しげな子分を連れて、北の方を奪うときの禍々しさに注目。
  • 内山理名 右近はドラマ版オリジナル設定。悪妻なんだけど、おそらく最も現実的で現代的な女性の姿かもしれない。
少将滋幹の母 (新潮文庫)

少将滋幹の母 (新潮文庫)

[] 『江戸川乱歩傑作選』

 江戸川乱歩の初期の代表的な作品を集めた短編集。大正12年の処女作、『二銭銅貨』 から昭和4年の傑作、『芋虫』 まで、乱歩の名作はこの時期に集中して書かれている。

 大半は過去に読んだことがあるのだけれど、一般的な推理小説と違って、結末を知っていても面白く読めるのが、乱歩の特徴であり、素晴らしいところだと思う。

 『屋根裏の散歩者』、『人間椅子』 は何度読んでもどきどきする。特に 『人間椅子』 はお尻のあたりがむずむずする。

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

2008-12-10

[] 『文學界』 インタビュー 水村美苗×鴻巣友季子 「日本語は亡びるのか」

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 『文學界』 2009年1月号に掲載されたインタビュー 水村美苗×鴻巣友季子 「日本語は亡びるのか」 を読んだ。

 インタビューされるのは、エッセイ 『日本語が亡びるとき』 で一躍“時の人”となった作家・水村美苗、聞き手は翻訳家・鴻巣友季子である。(実は鴻巣さん、僕にとっては古いジャズ友達だったりする。)

 この顔合わせはすごい。最近の人にはちょっとわかりにくいかもしれないが、二人ともかたや日本近代文学の、かたや英米翻訳文学の歴史と看板を背負っている著名人なのだ。また、二人の共通点は、19世紀イギリス文学の大傑作、エミリー・ブロンテの 『嵐が丘』 である。水村の著した 『本格小説』(2002年発表) は、本人が 「『嵐が丘』のような小説を書きたいという気持」 をもって書いたと述べている(参照リンク)し、鴻巣はまさにその 『嵐が丘』 (新潮文庫・2003年刊)を翻訳したのである。

 同日に発売された 『新潮』 1月号には、水村美苗梅田望夫の対談が掲載されているが、あちらはどちらかといえば理系読者向け、こちらは圧倒的に文系読者向けの内容となっている。

 インタビューの内容はおおざっぱにいえば、『日本語が亡びるとき』 に書かれていることをわかりやすく解説、再確認したものだが、鴻巣は翻訳家という立場からさらに鋭く切り込んでいく。例えば、水村の著書には、「西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。」 と書かれている。このような 《翻訳》 をほぼ全否定するかのような主張に対し、鴻巣は次のように問いかける。

 鴻巣 原文と翻訳は別物だという考え方もありますね。水村さんは本書の中で固有の文体をもつ〈テキスト〉と一般化された〈テキストブック〉の違いだとおっしゃっていますが、〈テキスト〉を一字一句読まなければ、本当の読書体験ではないということであれば、翻訳というのは疑似体験に過ぎないということになるのでしょうか?

 水村 でも翻訳者がよければ、別の体験ができるわけです。例えばバーネットの『小公子』や『小公女』は、英語と日本語訳と両方で読みましたが、私は日本語訳の方がよかったと思いました。

 鴻巣 若松賤子さんの訳は格別ですね。明治二十年代ですでに技術的にも現代翻訳と変わりません。

 水村 だから、翻訳には別の機能があって、〈テキスト〉がさらによい〈テキスト〉になるということもあり得るでしょう。

 鴻巣 それを聞いて少し安心しました(笑)。(後略)

 水村の答えは翻訳文学に対するフォローになっているとはとても思えないし、「少し安心」 どころか、こういう受け答えははらはらどきどきする。

 若松賤子 (1864〜1896) というのは、明治20年代に 『小公子』 を翻訳した女性翻訳家であり、彼女については鴻巣が著書 『明治大正 翻訳ワンダーランド』 (新潮新書) で詳しく紹介している。このあたりのジャンルに関しては、鴻巣のほうがはるかに専門家なのだ。(それにしても、具体例が古いですな。)

 それはさておき、こういう知的なインタビューでは著書では語られないユニークなエピソード、とんでもない発言が飛び出したりするので、目が離せない。

 鴻巣 (中略) 日本ではスピーキングが近年重要視されているように思いますが、水村さんのおっしゃるように、じつは世界のコミュニケーションの大きな流れは逆を向いている気がします。まずは、読み書きが重要なのではないか。

 水村 まずは、読む能力ですね。読めれば書けるんですよ。私もアメリカで途中から育ったため、手紙以外、日本語は書いたことがなかったわけです。でも日本語の小説を読んでいたので、不自由なく『贖明暗』という小説が書けた。

 そこまで言うか!という驚きと、読んだだけで小説が書けるなら誰も苦労しないだろうとつっこみたい気持ちが半ばである。『贖明暗』 (1990年発表)は、夏目漱石の未完の小説 『明暗』 の続編を水村が書いたものだが、おそらく日本文学史上唯一、文学賞を受賞した “二次創作小説” ではないだろうか。小説としての評価は避けるが、水村の文章は非常に読みやすく、美しい日本語で書かれており、文章家としての才能はきわめて優れていると思う。

 まとまらない感想になってしまった。

 『文學界』 の巻末には、相馬悠々という人のコラム 「鳥の眼・虫の眼」が掲載されていて、そこでも 『日本語が亡びるとき』 が取りあげられている。ユーモラスな文章なので、興味のある方は書店で手に取っていただきたいと思う。

【関連リンク】

asahi.com(朝日新聞社):日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で [著]水村美苗 - 書評 - BOOK

 朝日新聞に鴻巣による書評が載ったのが、11月16日。『文學界』 のインタビューは、「11月10日収録」 と書かれている。どちらが先なんだろう? ちょっと気になったりする。

明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)

明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)

文学界 2009年 01月号 [雑誌]

文学界 2009年 01月号 [雑誌]

2008-12-04

[] 横溝正史 『本陣殺人事件』

 重たい小説を続けて読んだ後、横溝正史のミステリーを読むと、ほっとする。自信に満ちたストーリー展開、安定した文体。非常に安心して読み進めることができるのだ。

 先輩格の江戸川乱歩の作品は、どこか危険な領域へ連れて行かれて、戻って来れなくなってしまいそうな不安な感覚がずっとつきまとっているのだが(もちろん、そこがまた良いのだが)、横溝作品の場合はそういった不安定な要素がまったくない。古い因習に満ちた田舎の村、封建的な旧家を舞台に繰り広げられる連続殺人事件は、一見不気味だが、一歩ひいた視点からの描写はきわめて都会的であり、戦後の新しい価値観という光が常に当てられているのである。

 『本陣殺人事件』 (角川文庫)には、1948年発表の表題作のほか、『車井戸はなぜ軋る』、『黒猫亭事件』 の中短編が収録されている。

 こういう安定感のある推理小説を読むのは、実に楽しい。

金田一耕助ファイル2 本陣殺人事件 (角川文庫)

金田一耕助ファイル2 本陣殺人事件 (角川文庫)

2008-12-03

[] 浅田次郎 『壬生義士伝

慶応四年一月。鳥羽・伏見の戦いの大勢は決し、幕軍は潰走を始めていた。そんな中、大坂の盛岡藩蔵屋敷に満身創痍の侍が紛れ込む。かつて盛岡藩を脱藩し、新選組の隊士となった吉村貫一郎であった。保護を求める吉村に対し、蔵屋敷差配役であり吉村の旧友であった大野次郎右衛門は冷酷にも彼に切腹を命じる。 時は流れ、大正時代。吉村を知る人々によって彼の生涯が語られる。


 壬生義士伝 - Wikipedia

号泣した小説教えて下さい : VIPPERな俺

 2ちゃんのスレでも※欄でも大絶賛の浅田次郎壬生義士伝』 (2000年発表)を読んだ。

 スレで 「卑怯」 とか 「反則」 とかさんざん書かれているが、まったくそのとおりなのである。電車の中で読んでいて、不意打ちをくらい、声をあげそうになるくらい泣いてしまったのだ。

 冒頭に引用したストーリー要約は、ほんの序章部分にすぎない。幕末から明治維新にかけての戦の歴史と、過剰ともいえる家族への愛に生きる主人公の筋書きが中心だが、泣かせどころはメロドラマ的な部分ではなく、もっとはるかに大きなもの、郷土愛、人類愛と呼ぶべきものにある。

 個人の死を美化しすぎているような部分も感じられるが、あまり理屈をこねず、この小説の描き出す歴史と人物を堪能するのが正解なのではないかと思った。

壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)

壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)

壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)

壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)