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蟹亭奇譚 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-10-22

[]「形容詞 + です」という日本語の用法について

「形容詞 + です」 は誤用ではない

変な日本語(1) 「危ないですから」-九十九式

電車に乗っていると、ホームでこんなアナウンスがよく流れてくる。

「3番線に電車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」

僕はこれを聞くたびに、強烈な違和感を覚える。電車には毎日乗るので、この襲い来る違和感と戦うだけで会社に着く頃にはヘトヘトになってしまう。

言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。


  変な日本語(1) 「危ないですから」-九十九式

 「危ないです」 のように、「形容詞 + です」 という表現は、文法的に間違った用法ではない。上記リンク先の主張の根拠として、以下の MSN 相談箱の回答欄が引用されているが、これに至ってははっきり 《間違い》 といって良いだろう。

昭和27年の国語審議会で「形容詞+です」表現を「許容する」としたときから、日本語の「形容詞(う音便)+ございます」の丁寧語が、仰々しいものに変わってしまった、ということです。

昭和27年といえば、その年に小学生になった人が既に60歳になろうとしています。

もう、日本の中で「おいしゅうございます」という本来の日本語の表現である丁寧語を使う(が使える)人は少ないのでしょう。

現にあなたは大変違和感をもっていらっしゃる。


 no title

 昭和27年以前はこの表現が 「許容」 されていなかったかのような回答だが、全くそんなことはない。以下、戦前戦後の名作文学から実例を挙げてみよう。

「形容詞 + です」の使用例

 まずは泉鏡花 『海城発電』(明治29年) から。地の文は文語体だが、台詞は口語体で書かれた小説である。

 舞台は日清戦争。日本人の赤十字看護員が、友軍の軍夫(軍人)に囲まれ、リンチ同様の仕方で尋問されている。看護員は敵軍につかまり拷問を受けたが、彼は軍内のことは何も知らず、却って敵兵を親切に看護したため、感謝状をもらって来たのだと言う。しかし、敵兵を助けたことから、軍夫海野は彼を国賊呼ばわりにする。

「……君、その大事の、いや、御秘蔵のものではあらうが、どうぞ一番(ひとつ)、その感謝状を拝ましてもらいたいな。」

 と口は和(やわ)らかにものいへども、胸に満(みち)たる不快の念は、包むにあまりて音(ね)に出(い)でぬ。

 看護員は異議もなく、

「確かありましたツけ、お待ちなさい。」

 手にせる鉛筆を納(おさむ)るとともに、衣兜(かくし)の裡(うち)をさぐりつつ、

「あ、ありました。」

 と一通の書を取出して、

「なかなか字体がうまいです。」

 無雑作(むぞうさ)に差出(さしいだ)して、海野の手に渡しながら、

「裂いちやあ不可(いけ)ません。」


 泉鏡花 『海城発電』 三

強調部は引用者による。以下同様。

 看護員の台詞には、ほかにも 「思ったです」、「撲るです」、「知らないです」 など、独特の言い回しが頻出している。「です・ます」 調というのは、明治期の軍隊で用いられた言い方だと聞いたことがあるのだが*1、曖昧さを回避するための実用的な用法なのだろうか。ただ、あまりにも堅苦しくて、自然な日本語とはとても呼べないような代物ではある。

 お次は、夏目漱石坊っちゃん』(明治39年) から。主人公の 《おれ》= 坊っちゃんが、職員会議で啖呵を切るくだりである。

 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢な、処分は大嫌いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪(わ)るいです。どうしても詫(あや)まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。


 夏目漱石坊っちゃん』 六

 これまた堅苦しい口調だが、ここで 「悪るいです」 を 「悪うございます」 に置き換えることは不可能であろう。また、本論から逸れるが、「全然」 という言葉が否定を伴わずに用いられている点にも注目したい。

 続けて、夏目漱石彼岸過迄』(明治45年)。主人公市蔵と叔父松本の会話場面から。

「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻みだ。解ったかな」

「解りました。善く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止(よ)しにしようよ」と云った。

「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩(わず)らわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖かったです。胸の肉が縮まるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」


 夏目漱石彼岸過迄』 松本の話 六

 長い会話の中で、「淋しいです。」 の一文が印象的なアクセントになっている。坊っちゃんの台詞の堅苦しさが消え、日本語としてこなれた表現に変化しているのがおわかりだろうか。

 大正期の文学はどうだろう。芥川龍之介 『舞踏会』(大正9年) を開いてみよう。なお、作中の時代設定は明治19年である。

「西洋の女の方(かた)はほんとうにお美しゅうございますこと」

 海軍将校はこの言葉を聞くと、思いのほか真面目に首を振った。

「日本の女の方も美しいです。ことにあなたなぞは――」

「そんな事はございませんわ」

「いえ、お世辞ではありません。そのまますぐに巴里(パリ)の舞踏会へも出られます。そうしたら皆が驚くでしょう。ワットオの画(え)の中のお姫様のようですから」


 芥川龍之介 『舞踏会』

 ここまで来ると、もはや何の違和感もないばかりか、ごく自然な会話の流れにくだんの言葉が溶け込んでおり、なおかつ気品さえ感じさせるものとなっている。

 戦後の文学も挙げてみたい。太宰治パンドラの匣』(昭和20〜21年) から。結核療養所の男性患者たちが、助手(看護婦)の厚化粧について、議論を戦わせている場面である。

「君は、僕たちの提案に反対なのか。」と、しばらくして、青大将という眼つきの凄い三十男が僕に尋ねた。

「大賛成です。それに就いて僕に、とっても面白い計画があるんです。それを、やらせて下さい。お願いします。」

 みんな少し、気抜けがしたようだった。

よろしいですね。ありがとう。この回覧板は、晩までお借り致します。」僕は素早く部屋を出た。これでいいのだ。むずかしい事は無いんだ。あとは竹さんにたのめばいい。


 太宰治パンドラの匣』 口紅 3

 議論の内容はともかく、上の会話は現代のものと全く変わりがない。国語審議会は 「許容」 しなかったのかもしれないが、そんな審議会など、何の役にも立たないのである。

まとめ

 延々と小説の引用を続けたが、これらに共通するのは全て登場人物の台詞だということである。つまり、「形容詞 + です」 は 《書き言葉》 よりも 《話し言葉》 として、明治期から用いられ、かつ時代が下るとともに、ごく自然な表現に変化していったということだ。

 我々は 《話し言葉》 を用いるとき、聞き取りやすい言葉、わかりやすい言葉を使ったほうが、相手によく伝わることを、経験から学んでいる。駅員が 「危険ですから」 ではなく、「危ないですから」 とアナウンスすることによって、外国人や子供を含むより多くの人たちに理解を促すことができれば、そのアナウンス自体の目的を達成したことになるのではないだろうか。

おまけ

 ところで、僕はどうしてこんな記事を書いているのだろうか。その答えは漱石先生に聞いてみることにしよう。

「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです


 夏目漱石草枕』 九

 おあとがよろしいようで。

2010.1.4 追記

 「形容詞 + です」 の用例で、さらに古いものを見つけた。

イワン・ツルゲーネフ Ivan Turgenev 二葉亭四迷訳 あいびき

 小説本文の前に挿入された、訳者による序文である。

 このあいびきは先年仏蘭西(フランス)で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物(はもの)の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです

 この翻訳小説が発表されたのは明治21年。『浮雲』 の翌年のことである。言文一致体の創成期にはすでに 「形容詞 + です」 が使われていたのだ。この用例は小説の登場人物のセリフではなく、地の文である点にも注目したい。


*1:出典を忘れてしまった。ご存じの方がいらっしゃったらご教示願います。

jun-jun1965jun-jun1965 2009/10/23 01:12 「です」は助六が使っていますから、通人言葉です。

kanimasterkanimaster 2009/10/23 02:05 歌舞伎ですか。どんな出し物なのでしょうか。

gnostikoignostikoi 2009/10/23 10:51 文豪が地の文で「形容詞+です」を使わないのは
これが「書き言葉」でなく「話し言葉」だから、
というよりも
「形容詞+です」は間違いと知っているからであり、
会話文で「形容詞+です」を使うのは、
文豪が「誤用されている現実」を写し取って
リアリティを表現したいがためではないですか?

nekopanda_tarenekopanda_tare 2009/10/23 12:02 用例は、ほとんどがシク活用の形容詞ですね。「うまいです」と「悪いです」には、やや落ち着きの悪さを感じます。そこにも一因があるのではないでしょうか。

kleinteichkleinteich 2009/10/23 12:10 おお、おもしろいです。とても参考になりました!
エントリの趣旨とずれてしまい恐縮ですが、好奇心から一つ聞かせてください。
「形容詞+でした」についてはどうお考えでしょうか?「です」の過去形が「でした」なので、現在の話に「形容詞+です」を使えるならば、過去の話に「形容詞+でした」を使えるとするのが、一貫しているように思えます。にもかかわらず、「形容詞+でした」が使われていないのはどういう理由でしょう?なお「名刺+です」と「名刺+でした」はどちらも使えますね。

kanimasterkanimaster 2009/10/23 14:44 >gnostikoiさん
戦前に書かれた小説で、「誤用されている現実」を写し取ってリアリティを表現しようとしている作品の例を挙げていただけますか?

kanimasterkanimaster 2009/10/23 14:50 >nekopanda_tareさん
なるほど。「シク活用」は関係がありそうですね。面白いことを教えていただきました。

DrMarksDrMarks 2009/10/23 14:52 時代が時代だから日常会話に限ればそれでも構わないが、私は書き言葉では絶対学生に使わせたくないし、初級や中級の日本語クラスでは口語上の変則形だと説明している。なにしろアメリカの市販の日本語教則本のほとんどがこの用法を紹介しているからだ。しかし、文語もできる上級の者には「文語におけるカリ活用の不完全で不幸な口語への転換」と一応説明する。もともと外国人のための教則本などはいい加減で、常体と敬体の安易な区別として採用しているにすぎない。
また、実際に用例があるから誤用ではないというのは、この手の議論には馴染まない。むしろ品のある日本語と感じるかどうかが問題であろう。会話の中ならともかく、「あなたは美しいです」などという手紙を出したらお里が知れると思ったほうがいいと教えている。

kanimasterkanimaster 2009/10/23 14:53 >kleinteichさん
「形容詞 + でした」は使われませんね。過去形の場合は「おいしかったです」と言いますからね。

kanimasterkanimaster 2009/10/23 14:57 >DrMarksさん
そうですか。

janeirojaneiro 2009/10/23 15:40 「形容詞+です」について延々語られていますが、恐らく論点はそこではなく、「です」の後ろに続く「だから」と「なので」の用法の問題ではないでしょうか?
冒頭のアナウンスに違和感を覚えたというページの管理人さんも、違和感を感じる部分を勘違いしたのでは?と思うのですが。

kanimasterkanimaster 2009/10/23 16:11 >janeiroさん
「だから」と「なので」の用法の問題もあるのかもしれませんが、僕は逆にその部分には違和感を覚えないんです。
具体的に「ここが変」と指摘しにくいような気もしますが、どんなアナウンスなら最適になるんでしょうねえ。

MagicantMagicant 2009/10/24 00:33 「です」は「だ」の丁寧語であるはずなのに、そのように使われていない点が違和感の原因なんではないでしょうか。「晴れるでしょう」は「晴れるだろう」と言い直せますが、「危ないです」は「危ないだ」とは言い直せませんね。

kanimasterkanimaster 2009/10/24 00:40 >Magicantさん
「です」を含む文体は「敬体」ですが、「です」そのものは丁寧語なのでしょうか。
それから、「危ないだ」とは言いませんが、「危ないだろう」ならばおかしくないと思います。

gnostikoignostikoi 2009/10/24 00:43 >戦前に書かれた小説で、「誤用されている現実」を写し取って
>リアリティを表現しようとしている作品の例を挙げていただけますか?

おっしゃりたいことがよく分かりません。
ご自分で引用なさった泉鏡花 『海城発電』がそれです。

kanimasterkanimaster 2009/10/24 00:50 >gnostikoiさん
そうですか。

taratosutorataratosutora 2009/10/24 05:01 よこからツッコミを失礼します。

>>「危ないだろう」ならばおかしくないと思います。

「だろう」「でしょう」は文法的に「終止形接続する」ものであり、
「美しいです」が「慣用的に認められる」とされるまでもなく
「美しいでしょう」は「文法的に正しい」と認められていますよ。

蛇足ですが、
「美しいです」は「美しうございます」の言い換え表現として認められているわけですが、
「美しくない」(「ない」は形容詞)は「美しくありません」と丁寧表現できるので
「美しくないです」と言えないと思っているんですが、みなさまいかがお考えでしょう?

MagicantMagicant 2009/10/24 10:23 「危ないだろう」ももともとは「危なかろう」なんですけど、なぜか違和感がないんですよね。

kanimasterkanimaster 2009/10/24 13:49 >taratosutoraさん
フォローありがとうございます。
「美しくない」の「ない」は辞書を見ると、補助形容詞と書かれています。
確かに、「美しくないです」は他の「形容詞 + です」に比べて不自然な感じがしますね。

kanimasterkanimaster 2009/10/24 13:51 >Magicantさん
taratosutoraさんのコメントに書かれているとおりです。

fe26fe26 2009/10/25 13:07 現在使われている「全然」は相手の意図を否定する意味で使われています。
「どう?(ダメじゃないかな?)」 「全然良いよ!」 といった風に。
そのため、現在の否定文以外での「全然」の使用の正当性を明治時代「全く」の意味で使われていた「全然」を持ち出すのは的外れではないでしょうか?

kanimasterkanimaster 2009/10/25 16:37 >fe26さん
昨今の「全然」は「相手の意図を否定する意味で使われて」いるとは限りませんよ。
「どう?(ダメじゃないかな?)」「全然ダメだよ!」という会話も成り立ちますからね。

poterisupoterisu 2009/10/31 17:31  はじめまして。
 当方は、こういうことについて考えるのが好きな好事家です。
 一応職業がライターですので、素人に産毛が生えた程度だと思います。

「形容詞 + です」の古い用例がこんなにあることに驚いています。
 勉強になりました。
 ただ、現実的な対応としては、「危ないです」の類いはあくまでも許容という考えを捨てきれません。当方は頭が堅いんですかね。
 本多勝一は「さぼり敬語」と斬って捨てています。下記をご参照ください。
【伝言板【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html

 いろいろと興味深い記事があるようなので、また寄らせていただきます。

kanimasterkanimaster 2009/10/31 19:45 >poterisuさん
本多勝一 『日本語の作文技術』は以前読みました。あの本にも多くの用例が載っていて、面白く感じたのですが、《書き言葉》にこだわるあまり、《話し言葉》 を切り捨てているような気がしなくもありません。(作文技術の本だからそれで良いのですが。)

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