星新一 『声の網』

 『声の網』 は昭和45(1970)年に発表された小説。連作短編という形をとっているが、実際はショートショートの名手、星新一による 《長編 SF 小説》 である。電話という通信手段が高度に発達した近未来社会を扱った作品だが、ストーリーを紹介してしまうとネタバレになってしまうので、書かないことにする。
 今回は30年ぶりの再読である。今から40年も前に書かれた作品だが、ちっとも古びていないばかりか、この悪夢のような社会に我々はかなり近づいているということに驚く。しかし、当時の 《電話》 をめぐる社会状況を知らないと理解しにくい記述も多いため、やや記憶に頼りながらではあるが、昭和40年代の 《電話》 について書いてみようと思う。

  • 電話が一般家庭に普及したのが、ちょうど昭和40年代のこと。30年代には普通の家庭には電話がなくて、公衆電話を使うか電話を設置している近所の家に借りに行くかどちらかだった。
    • 松本清張砂の器』 には、主人公の刑事の家に電話がなくていろいろ不自由するという話が書かれているが、当時はそれが当たり前だった。
    • 近所の人が電話を借りに来るため、電話機は玄関に設置されることが多かった。今でも古い家では玄関に電話が置かれていることがあるが、当時の名残りである。
  • 昭和30年代以前に建てられた民家やアパートには、電話線(テレビのアンテナケーブルも)がついていなかった。このため、電話をひくときは、外壁に穴を開け、柱にそってケーブルを這わせる 「外付け」 方式がほとんどだった。
  • 昭和40年代になると、電源のコンセントみたいに電話を接続する 「穴」 がついている住宅が登場する。しかし、モジュラー・ジャックはまだなくて、電話を設置する際は電電公社の人に来てもらって、工事を行う必要があった。
  • 電話機は電電公社のリース品だった。家庭用の電話機が家電メーカーから発売されたのは昭和50年代頃からだと思う。
    • 電話機のリースといえば、現在ではピンク電話(wikipedia参照)があるが、家庭用電話機もあんな感じのものだったのだ。
  • プッシュホンが登場したのは昭和44〜45年。ちょうど 『声の網』 が書かれた時期である。
    • プッシュホンのサービス開始当初、「計算機サービス」 というのがあった。電卓がなかった頃の話で、ボタンを押すと電電公社の計算機が計算してくれる、というものだったのだが、電卓の普及とともに消えてしまったようだ。
  • 当時はコンピュータというものは身近な存在ではなかった。一般的なイメージとしては、コンピュータは政府や大学などの研究用や軍事用といったものしか思い浮かばないものだったため、プッシュホンの登場は画期的だったのだと思う。
  • 銀行のオンラインシステム化が始まったのも、昭和40年代頃だと思う。だが、サラリーマンの給料は銀行振込ではなく現金で支給されていた。もちろん、ATM もまだなかった。
  • 電話とは関係ないが、『声の網』 に登場する 「メロン・マンション」 には一人暮らしの学生、家族連れのサラリーマン、老夫婦といった様々な家族構成の人々が住んでいる。このような集合住宅はちょっと想像しにくいのだが(実際には存在するかもしれないが)、そもそも当時はマンションというものが珍しかったのだ。

 『声の網』 は、このような時代背景があって書かれた作品なのである。日本の SF を代表する傑作なので、未読の方はぜひ手にとっていただきたいと思う。


声の網 (角川文庫)

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