荒井由実/「中央フリーウェイ」
http://www.hayamiz.jp/2010/05/car.html
この歌の肝は、中央自動車道を「中央フリーウェイ」と言い換えたところ。実在の風景を、言葉と描写と音楽のアレンジによってまるで日本ではないかのように見せてしまっている。
「中央フリーウェイ」(作詞・作曲:荒井由実) は1976年発表のアルバム 『14番目の月』 に収録された楽曲。ハイ・ファイ・セット等にカバーされ大ヒットしたが、ユーミンのオリジナル・バージョンはシングル・カットされなかった。また当時の彼女はテレビに出演しないことでも有名で、この曲が流行ったのはラジオのオンエアによるものである。
中央フリーウェイ
調布基地を追い越し 山にむかって行けば
黄昏がフロント・グラスを 染めて広がる
当時、僕は府中に住んでいたので、この歌については 「ご当地ソング」 として受け止めていた。
歌詞に登場する 「調布基地」 は元々この地にあった米軍基地のことだと思われているが、基地は1974年に全面返還され、その後数十年にわたって広大な跡地が残されていた。(現在、跡地の南端に建っているのが味の素スタジアムである。)
ちなみに、中央道の下り車線を走っていると、調布基地は直接見ることができない。その代わり、視野に入ってくるのは基地に隣接した調布飛行場から飛び立つ小型飛行機(伊豆諸島方面に向かう定期便が飛んでいる)である。「中央フリーウェイ」 に歌われているのは、調布飛行場だったのではないかと思う。もっとも、地元の人間はあの場所のことを 「基地」 とか 「基地跡」 と呼んでいたので、間違ってはいないのけれど。
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道は まるで滑走路
右手に東京競馬場、左手にサントリー武蔵野ビール工場が見えるのは、中央道調布〜国立・府中IC 間の下り車線である。
地元に住んでいるくせに、僕はこの風景がよくわからなかった。それもそのはず、府中に住んでいると、調布と国立の間は一般道しか走らないのである。10年くらい経って、初めてこの区間をこの歌のとおりに走ったとき、「ああ、そういうことだったのか」 と改めて納得したものである。
僕が一番好きな中央道の風景は、勝沼IC 付近から見下ろす甲府盆地の夜景。笹子トンネルを抜けたあと、長い下り坂を走っていると、眼下に巨大なミルキーウェイが輝き出すのである。この区間、ユーミンが歌った頃はまだ開通していなかったのだけど、楽曲の完成がもう少し遅かったら、まったく別の歌になっていたかもしれないと思う。
- アーティスト: 荒井由実
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幸田露伴 『蘆声』
「金持ちの人間が貧しい者に出会って施しをする」 という文学上のテーマのようなものが昔からある。例えば以下の二つ。
仙吉は其処で三人前の鮨を平げた。餓え切った痩せ犬が不時の食にありついたかのように彼はがつがつと忽(たちま)ちの間に平げて了った。他に客がなく、かみさんが故(わざ)と障子を締め切って行ってくれたので、仙吉は見得も何もなく、食いたいようにして鱈腹(たらふく)に食う事が出来た。
逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。
「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。
太宰治 『たずねびと』 (昭和21年)
志賀も太宰も好きな作家なのだけれど、僕は上に挙げた二つの作品はどちらも全く共感できない。上の引用箇所はいずれも施しを受けた側の者の受け止め方が極端すぎるのである。これらの小説には何か大事なものが決定的に欠けているのではないか。長い間、僕はそう思い続けていた。
幸田露伴(1867-1947)が60歳を過ぎてから書いた短編小説 『蘆声(ろせい)』 に、僕が長年抱いていた疑問に対する一つの回答が書かれていた。
《自分》 は中川の川べりの西袋(現在の江戸川区平井のあたりか?)で、毎日釣りをしている。ある日、いつものように釣り場へ行くと、いつも自分の座るところに薄汚い恰好をした 「東京者ではない、田舎の此辺(ここら)の、しかも余り宜(よ)い家でない家の児」 が座って釣りをしている。
《自分》 は少年に場所を空けるように言うが、少年は反抗的な態度を見せ、譲ろうとしない。(と、ここまでは当たり前の話である。) 《自分》 は言葉を巧みに操りながら、少年への説得を試みる。そして、説得はある程度成功する。しかし、次の一言で 《自分》 は大きな衝撃を受けるのである。
どうだネ、兄さん、わたしはお前を欺(だま)すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処を退かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。
と言って聴かせている中(うち)に、少年の眼の中は段々に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまた新(あらた)に失敗した。少年は急に不機嫌になった。
小父さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定(きま)ってやしない。
と癇に触ったらしく投付けるようにいった。
幸田露伴 『蘆声』
少年の釣りは遊びのためではなかった。意地悪な継母に虐待され、その日の食糧を取ってくるよう命じられていたのである。
小説はここから俄然面白くなるのだが、敢えて引用しない。とにかく、《自分》 と少年は二人で釣りをしながら、様々な駆け引きをし、最終的に 《自分》 が釣った魚を二匹、彼に与えるのである。
自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った魚の中からセイゴ二尾(ひき)を取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。
二人の釣り人は夕暮れの土堤の上で別れ、二度と会うことはなかった。
――それだけの話なのだけれど、本作には主人公と少年の直接のやりとりが丹念に書かれているのが興味深い。その場限りではあるけれども、深いコミュニケーションが成り立っている点、先行の志賀や戦後の太宰の作品には見られない面白さがある。(少年との会話場面については、どちらかというと山本周五郎 『青べか物語』 に通じるものを感じる。)
露伴の小説には道徳的教訓的な結末を含むものが多いようだが、本作にはそのような説教じみた要素がなく、主人公の感情を正直に描いている点、地味ながら名作だと思った。
- 作者: 幸田露伴
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1990/11/16
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ライオネル・ハンプトンとチャールズ・ミンガス
ヴィブラフォン奏者、ライオネル・ハンプトン(1908-2002)は1930年代から活躍したジャズ・ミュージシャンで、主にビッグバンドのリーダーとして人気を博した。晩年には何度も来日し、ジャズ・フェスの常連として、あるいはテレビに出演したりして、日本でも相当知名度があったひとである。
以下の映像は1953年の演奏。前半はいわゆるジャム・セッションと呼ばれるもので、コード進行だけ決まっている完全なアドリブである。後半、管楽器のアンサンブルが入ってくるが、割と大雑把なアレンジだ。
よく見ると、右から二番目のトランペット奏者がアート・ファーマーである。YouTube のコメント欄を読むと、ほかにもクインシー・ジョーンズとクリフォード・ブラウンがいるのではないかと書かれている(これは真偽不明)。ものすごい豪華メンバーを揃えたようにみえるが、もちろん当時はみな無名の新人だったのだ。
50年代前半というのはこういう古いスタイルのビッグバンドは廃れていた時期なので、この時代の演奏はきわめて貴重だと思う。
次は珍品。ハンプトンがピアノを弾いている演奏。
田口浩正みたいな感じの Milt Buckner というピアニストとハンプトンの連弾だが、ハンプトンは両手の中指だけを使ってピアノを弾いている。ほとんど曲芸のようなすさまじい演奏だが、彼の中指ピアノは必ずステージで1曲披露されていたのだ。あと、ドラム・ソロも必ずやっていた。(若い頃はヴォーカルもやってた。)
だがこういう演奏は、映像がないとどこがすごいのかさっぱりわからない弱みがある。
ライオネル・ハンプトンのブギウギ・スタイルを受け継ぎ、より洗練された形に完成させたのが、チャールズ・ミンガス(1922-1979)であった。彼は1940年代にハンプトンのバンドでベースを弾いていたことがあり、ハンプトンの影響を強く受けている。
以下の演奏は、1959年録音の "Better Git It In Your Soul" (YouTubeの曲名は間違い)。
ものすごい速さの3拍子のブルースである。途中の手拍子の雰囲気などハンプトンそのままだと思う。あと、ドラムが全体を引っ張っているのが楽しい。
- アーティスト: CHARLES MINGUS
- 出版社/メーカー: COLUM
- 発売日: 2002/03/16
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