島崎藤村 『飯倉だより』


 『飯倉だより』 は大正10(1921)年に刊行された 《感想集》。
 藤村は大正7年から昭和11年まで、麻布飯倉片町の借家に住んでいたため、こういう題名をつけたのだろう。年齢(数え年)でいうと47歳から65歳までの18年間であり、一箇所に住んだ年数としては最も長く、多くの優れた短編小説と長編小説 『夜明け前』 を執筆した時期にあたる。
 本書は作者五十歳のときに発表された著作であり、内容は大正7年以降、40代後半にあちこちに発表した短い文章を集めたものとなっている。短編小説風のもの、随筆・随想、書評、誰かの本の序文といったものが多く、短いものは1〜2行というのも混ざっている。
 テーマも内容もさまざまなのだが、多くに共通するのは作者の年齢を感じさせる文章であること。老境をどのようにして迎え、受け入れるのかといった事柄が、底のほうを流れているように感じられるのである。

 芭蕉は五十一歳で死んだ。(中略)
 これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思ひ込んで居た芭蕉に對する自分の考へ方を變へなければ成らなくなつて來た。思ひの外、芭蕉といふ人は若くて死んだのだと考へるやうに成つて來た。


 島崎藤村芭蕉

 夏目漱石だって五十歳で亡くなっている。もうすぐ満五十を迎える僕にとって、他人ごとではないのだ。何とも身につまされるような、尻のあたりがむずむずするような藤村の 《感想》 である。