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2008-09-14 ジョン・エヴァレット・ミレイ展

[]ジョン・エヴァレット・ミレイ展@bunkamura ザ・ミュージアム

美術館は、次から次へとたくさんの人が入っていき、出て行く。ミレイって人気があったのね、と気づく。私は、彼のことは全く知らない。

絵を見る。ミレイ展のポスターになっているオフィーリアの絵は、すごいひとだかり。しかも、入って2つめの空間に存在しているから、あとがつかえて仕方がない。流れ、というものはそこで失われてしまう。オフィーリアが水面に浮いていたとしても、彼女はそこにとどまることしかできない。水の流れも起きない。その場所で、ひとも滞ってしまうのだ。血の流れさえも、止まってしまうのかもしれない。ざわめいた中、彼女の、生きているのかもしれない一瞬に、彼女の吐息を感じたくて、全てが止まっていく。

オフィーリアを抜けると、ある程度の流れが生まれる。次々に流れてみていく絵。そこには、ただの一枚の絵というものしかなく、何か生命を感じさせるものはない。ただ、あるとすれば、細部の細かさだ。男のメガネの縁。女の首飾り。小さい絵であればあるほど、それら小物を本当に美しく細部にわたって細かに描いている。それは、その小物たちによって人が活かされているかのようでもある。絵の中の人物は、立体的に描かれているとしても、絵でしかない。ただし、無機物の小物の細部を素晴らしく仕上げることにより、ひとに命を吹き込んでいるかのようなのだ。そして、スコットランドの風景画。あまいフォーカスによって描かれるそれは、その奥に実体験としての想像性の入り込ませる余地を残す。あわく描くほどに、今度は私たちが絵の中に入り込み、そこで生きるのだ。スコットランドの疑似体験!

美しい女性の絵がある。凛として、聡明な女性の絵だ。ディテールに惹かれることで、ぼくたちは彼女に恋をしてしまうのだろう。