内田隆三『社会学を学ぶ』ちくま新書

社会学を学ぶ (ちくま新書)

社会学を学ぶ (ちくま新書)

2005年6月12日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 大学の文系の学部に入った学生が、まっさきに惹かれるのは、人間の心を探る「心理学」と、人々のふるまい方を探る「社会学」だろう。実際、私の勤める大学でも、この二つの学問の人気はとても高い。
  社会学というと、街に出て実際に人々の行動を調べたり、アンケート調査をして分析したり、じっくりとインタビューして人々の意識をあぶりだしたりするのが定番のやり方だし、学部の卒論などはそのような手法で書かれたものがいちばん多いと言える。このような実証的な調査と、そこから見えてくる「意外性」をもった結論が、いわば社会学の華である。
  ところで、社会学にはもう一つの系譜がある。それは、私たちの社会の全体が、どういうふうにできているのかを、理論的に探究するものである。古くは、カール・マルクスが行なった資本の分析などがそれに当たる。社会の全体はどのような仕組みで動いているのか、それは私たちの意識にどんな影響を与えているのか、そしてそもそも「社会」とは何なのか。このような問いに対して、見事な見取り図を与えてくれるのが、内田隆三さんの新著『社会学を学ぶ』である。このような深みをもった書物が、手軽な新書で刊行されたことを喜びたい。
  内田さんの問題意識は一貫している。私を取り巻く大海のような社会のうごめきと、その中に飲み込まれて生きるこの私という主体は、どういうふうにつながれてしまっているのか。それを軸にして、一九世紀から二〇世紀末に至る、現代社会学の思考の流れを、クールに鷲掴みにした。
  社会学の始祖のひとりは、デュルケームだが、彼は『自殺論』という本を書いた。その中で彼は、経済的な危機のときに自殺者が増えるだけではなく、好景気でその恩恵を受けるはずの人でもまた、自殺率が高くなるという事実を発見している。さらには、離婚によって男性の自殺率は高くなるのに、女性はむしろその逆になるという。このような逆説は読んでいて楽しいが、内田さんはデュルケームの見出したもっとも重要なことは、次の点であると言う。つまり、「自殺」という個人の心のもっとも深淵で起きる出来事に、「景気」や「結婚制度」というような社会のあり方が、決定的な影響を与えているということである。それが統計で示されるのである。
  つまり、これを私の言葉で言い換えれば、社会学とは、私が最後の砦として守り通しておきたい「心の内面=主体」にまでずかずかと土足で入ってきて、「実は君の内部には、内面などという神聖なものはないんだよ」「内面とは結局のところ、君を取り巻く社会によって作り上げられた虚構にすぎないんだよ」と暴いてみせる知的な営みだということになる。このような暴力性が切り開く、まったく新しい知の地平こそが、現代の社会学の真骨頂なのである。
  内田さんは、その結果、「現代社会が主体の意識に還元できないものから成り立っているのではないかという不安の意識」が、二〇世紀の社会学の中に生み出されてしまったと言う。その傾向は、ルーマンボードリヤールらの社会システム論によって極限にまで進められる。そこでは、社会というのは、私たち個人とはほとんど無関係に、それ自身の論理で芋虫のようにうごめいて巨大に成長していく、超生命のようなものとされるのである。
  もしオーソドックスな哲学者がこの本を読んだら、とても苛立たしく感じてしまうだろう。なぜなら、人間の心の中にある「主体」の「尊厳」などというものは、結局は虚構でしかないと宣言されているような気がするからである。しかしそれは哲学者の奢りだ。これら社会学の成果をきちんと踏まえたうえで、もう一度、人間存在について思索しなおさないといけないはずだ。そのための手がかりを与えてくれる好著である。

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