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2008-04-07

[]リルケ、谷川俊太郎、詩と哲学(半歩遅れの読書術・5)

マルテの手記 (新潮文庫)

マルテの手記 (新潮文庫)

世界へ! (1959年) (現代芸術論叢書〈第7〉)

世界へ! (1959年) (現代芸術論叢書〈第7〉)

2008年3月30日日経新聞掲載

 いまから振り返ってみれば、私は本を読むのが好きな子どもだった。小中高と、授業中は机の下でずっと本を読んでいた。小説がほとんどだったが、詩集や哲学書が混ざることもあった。

 高校生になってからは、学校の図書館にある本を次から次へと読んでいった。ゲーテ、ニーチェ、カント、サルトルなどを知ったのもそのころである。

 当時、図書館から持ち出して自分の手元にずっと置いておきたいと思ったほど愛読した本が二冊ある。

 一冊目の本は、リルケ『マルテの手記』(新潮文庫、大山定一訳)である。「人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」という書き出しで始まるこの詩人の作品によって、私は文学というものの神髄を知ることとなった。主人公と同じように、「死」の観念に取り憑かれていた私は、夜中に覚醒状態になって、何度も読み返した。

 二冊目の本は、谷川俊太郎『世界へ!』(弘文堂)である。「ひとつの死体、空と地との間に横たわり、変わらぬ太陽に照らされて、刻々と腐ってゆくひとつの死体。彼にとって詩とは何であったか。そういう問いが私を苦しめる」。同じように死から語り出されるのだが、谷川の思索は、そこから大きく展開して、生とエロスの賛歌となる。そして、詩とは「人間を生き続けさせるための武器なのだ」と、締めくくられるのである。

 大学に入って、私はリルケから遠のいていった。思潮社から出た『谷川俊太郎詩集』を脇にかかえて、芝生のグラウンドに寝転がり、アメフト部の練習を遠くから眺めた。谷川の新刊が出るたびに、書店で買ってそれを読んだ。しかしやがて、私は谷川からも興味が薄れていった。私は詩と小説の世界から離れ、鬱蒼とした哲学の森へと入っていくことになる。生の甘美を歌い上げることよりも、生の謎を解明することのほうに興味が移ったのである。

 そして時は流れ、いま手元にこの二冊の本がある。再読してみれば、この二冊は、「死ななければならないのに、なぜ人は生きるのか」という問いに正面から答えようとしていることが分かる。私はこの二人の詩人から、「詩とは何か」よりも、「生と死の哲学とはどうあらねばならないのか」を、より多く学んだのだと思う。詩人の言葉の奥底に秘められた、熱き哲学の問いに導かれることによって、私はここまで来ることができたのだ。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)



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