感じない男ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-05-31

[]『草食系男子の恋愛学』という本を出します。

森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー、定価1050円)という本を2008年7月に出しました。その後、「草食系男子」という言葉がメディアでどんどん広がっていって、2009年には流行語になりました。

草食系男子とは、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う、草食系の男性のこと」だと、本の中では書きました。基本的に心が優しく、自分の欲望をがつがつ押していくのが苦手で、傷つくことと相手を傷つけることが苦手で、性欲や恋愛願望はあるが、それほど積極的ではないという感じの男性でしょうね。上記の本の表紙にいるような男子をイメージしてみたらいいかも。そんな「草食系男子」のことを知りたい女性の方は、この本を読むと、草食系男子が何を考えているのか、恋愛において何に悩んでいるのかが手に取るように分かるかもしれません。草食系男子を好きになってしまった女性はぜひ読んでみて、草食系男子との恋愛の進め方を考えてみてはいかがでしょうか。また男性読者がこの本を読めば、女性を傷つけないようなやり方で恋愛を進めていくにはどうしたらいいかが分かることでしょう。

草食系男子についてはwikipediaも参考になります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%A3%9F%E7%B3%BB%E7%94%B7%E5%AD%90

 *  *  *

いままでは、女性向けには「恋愛論」、男性向けには「モテ本」というのが出版業界の常識でしたが、それを打ち破って、「男子向けの恋愛本」というものを出します。「たくさんの女性からモテモテになりたい」という肉食系ではなく、「好きな一人の女性との恋愛を成功させたい」という草食系の男子の恋愛を応援する本になりました。

「草食系男子」というキーワードは、編集部の議論の中で出てきたものです。がつがつと異性を求めるのではなく、異性と肩を並べてやさしく草を食べるという雰囲気の男子のことです。春の女性誌でも、草食男子ということが大きく取り上げられていましたが、私の書いていた本も、ちょうどそのコンセプトに当てはまるものでした。(草食系男子とは何かという定義は、社会的にまだ定まっていません。これから徐々に輪郭がはっきりしてくるのでしょう)。

内容としては、恋愛についての蘊蓄を並べるのではなく、実際に実用として使えるものにしました。昨年に本の原稿を書き上げてから、数多くの若い女性や男性の方々に読んでもらって、間違っているところは正してもらい、付け加えの要望なども出してもらって、時間をかけて書き直しました。

その結果として、なかなかユニークな本になったと思います。

<読書メーター>に掲載された100本以上の読者レビューより、最近のものをいくつか紹介しておきます。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4840123764

女性側の心理で読んだら「こんな風に気遣ってくれる男性がいたらなんて素敵なのかしら」と思えるようなジェントルな内容の一冊。しかし男性側の心理で読んだら「女ってなんてめんどくさいんだ」ととらえることも出来る。ここで述べられているアプローチとしては女性側にとって失礼を感じないのでお勧めできるのではないかと(女性的な立場で)述べることが出来るが、同時にどこか男性側の苦労を垣間見た気もした。個人的にも人間二人のやりとりに大切なのは誠実さであると心から思う笑

モテるための小手先のテクニックではなく、人に誠実に接すること、自分の弱さを受け入れることなどの大切さを再確認させてくれる本。自分の欠点ばかり気にするのではなくまずは相手とちゃんと向き合うこと。2章は自分では気付けないことが多く勉強になりました。エピローグでの筆者の姿は、自分と重なるところもあって身に染みるものがあった。暗い青春にも意味がある。その中で得たものを知りそれをゆっくり磨いていていこう。

この人いいなぁ。こんな大人になりたい。「女性は妊娠する」この事実だけでも、いろいろ連想できるんだなぁ。女性が読んだら、どんな感想になるんだろう。気になる

女子ですが、身につまされることが多かったです。相手の立場に立って、真剣に向き合い、理解しようとつとめること。恋愛だけじゃない、人生の基本です。簡単だよね。なのにどうしてみんな三大欲求の一つがからむとそんなにわかりにくくなってしまうのか。もっとおちつこう。 一応この本は男子に向けた恋愛本なので女子を理解するための注意事項なんかが書いてあります。すごくいいです。説明しにくいからなかなかわかってもらえないけど、わかってくれないと困る所がばっちりのってます。 彼氏がこの本を読んでいてくれたらすごく嬉しい。

以下が「はじめに」の全文です。

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『草食系男子の恋愛学』「はじめに」全文

私はなぜこの本を書くのか 

男の大きな勘違い

 私がなぜこの本を書こうとしているのか、少しだけ語っておきたい。

 私が若いころ、好きな女性にデートを申し込んでも、常に振られていた。

 その女性の姿が目に入っただけで心臓がどきどきし、勉強しているときでも、気がついたらぼんやりとその女性のことを考えているのだが、しかし、どうすれば彼女に気に入ってもらえるのか分からなかったし、どうやってデートに誘えばいいのかもまったく分からなかった。それが私の青春時代である。

 昔のことを思うたびに、タイムマシンに乗って時間をさかのぼり、若いときの自分に向かって、「そんなときは、こういうふうに言ってあげればいいのに」とか、「そういうことをしてはいけないよ」などと言ってあげたい気持ちになる。

 私は自分に劣等感をもっていた。

 背が低く、もやしのようなひょろひょろの身体をしていて、他人の目を見て話をすることができず、日常会話や雑談をするのも苦手で、アパートの部屋にひとりで閉じこもっていた。中学・高校のときにもデートをしたことはなく、思春期に身近にいた女性は、母親だけであった。大学生になって、合コンにたびたび行くのだが、女の子と話が盛り上がることはけっしてなく、いつも最後は男たちだけで飲みに行くのであった。

 私の中で、劣等感がしだいにふくれあがり、それはどす黒いかたまりとなって、心の底でうごめいた。「自分はモテる」と自慢している男のことを冷ややかな目で眺め、小さな殺意に似た気持ちが湧きあがることさえあった。

 そのときの私は、大きな勘違いをしていた。

 モテるためには、顔が良くないといけないし、体格も立派でなくてはならないと思っていた。もし容姿が恵まれていないのだったら、スポーツで一目置かれるようになるか、あるいは金持ちか有名人になるしかないと思っていた。そして、そのどれにもなれそうにない自分のことを、絶望していたのである。

 要するに、若いときの私は、「私が他人よりも劣っているから、そのせいでモテなくなっている」という考え方が大きな間違いであることを、まったく知らなかったのだ(これについては第三章で詳しく述べる)。

 不思議なことであるが、この本にこれから書いていくことを、私はその後の恋愛経験によって発見していったわけではない。むしろ、人々の悩みを聴いたり、エゴとエゴがぶつかるような大げんかをしたり、冷たい裏切りに出会ったりしながら、人間の愛情や寂しさについて理解していったのだと思う。

 だから、ひとことで言えば、好きな女性に振り向いてもらうには、生身の人間の心の動きについて知ることが必要なのである。

 私は長い歳月をかけて、少しずつ人間のことを知っていった。

 だが、私はもう壮年期を迎えている。恋愛が人生の最重要課題だった時代はすでに終わっているのである。私は若い男に向かって、壮年期まで待てとは言えない。もし若いときに、恋愛面での的確なアドバイスをしてくれる人がいたら、どんなにか良かっただろうと、いまになって思う。そのような気持ちが、この本の執筆に私を向かわせたのである。

 世の中には、モテる男になるための本が、たくさん出版されている。インターネットのサイトにも、そのような内容のものがたくさんある。それらを調べてみて、私はとても暗い気持ちになった。なぜなら、いかにすれば数多くの女性とセックスできるかを説明するものや、単に女性の側のわがままを並べるものが目立ったからである。

 好きな女性に振り向いてほしいと切実に願う男たちが、それらの本やサイトを熱心に読んだとしても、ほとんど役に立たないだろうと私は思った。女性の心理を解説する本のなかには、好感の持てるものもあったが、しかしそれらは単にエピソードを並べただけであって、人が人を好きになる心理の奥底にあるものに迫っているとは思えなかった。

好きな女性に振り向いてもらうために

 恋愛をしてみたいのだけれども、好きな女性に振り向いてもらうために具体的に何をすればよいのか分からないし、そもそも女性がどんなことを考えているのかよく分からない、という男性は少なくないはずだ。

 私も、そのような悩みを持った男であった。そのときのことを、いまひとつずつ思い出しながら、かつての私のような悩みをかかえているであろうそれらの男性たちに向かって、私は書いていこうと思う。

 この本で私が述べるのは、これ以上ないほど初歩的なことだ。

 すなわち、

「好きな女性に振り向いてもらうには、どうしたらいいのか」

「好きな女性に声をかけるときには、どうしたらいいのか」

「好きな女性とデートをするときには、何に気をつけたらいいのか」

ということである。

 なぜなら、これこそが、男たちが最初につまづく箇所だからである。

 そしてここには、男たちが陥りやすい危険な落とし穴が、たくさん仕掛けられている。その落とし穴に陥ることなく、好きな女性との恋愛を楽しく進めていくための基本中の基本を、この本ではまずじっくりと考えていきたい。

 そしてそのあとで、

「女性の身になって考えるとは、どういうことか」

「女性から見て魅力ある人間になるには、どうすればよいのか」

という根本問題について、できるだけ分かりやすく述べていきたい。

 たとえ顔に自信がなくても、たとえ他人より能力が劣っていたとしても、あなただけにしかない人間性を深めることによって、あなたは好きな女性から振り向いてもらえる人間へと変わっていくことができる。つきつめていけば、結局のところ、多くの女性は、好意を寄せてきてくれる男性の人間性に、自分自身を賭けようとするからである。

 すでに彼女のいる男性が読んでも、本書はきっと役立つはずだ。というのも、好きな女性に振り向いてもらうための方法は、まさに、いまつき合っている女性との恋愛を長続きさせる方法でもあるからだ。つき合っている女性には、たえずやさしくし、彼女のことをこれからもずっと大切にしていこう。

 また、私と同世代の男性が、パートナーとの関係をより良いものにしていくための実践的な参考書として、本書を使うこともできるだろう。

恋愛の切実な問いに答える

 いまの世の中は、恋愛が苦手な男たちにとって、ほんとうに生きにくい。

 テレビを見ても、雑誌を見ても、恋愛できない男は、一人前の人間じゃないかのように扱われている。

 このような、「恋愛できない若者はどこかおかしい」と言わんばかりの風潮に、いらだちを感じている読者も多いのではないだろうか。

 私もまた、この風潮は、どこかおかしいと思っている。「恋愛できない男は、男の名に値しない」という考え方はまったく間違っている。このことは、はっきりと書いておきたい。

 そのうえで、私は次のようなこともまた思うのだ。

 もし仮に、若いときの私に、年長者が、「恋愛できなくてもいいんだよ、人間の価値は恋愛で決まるわけではないのだから」と言ってきたとしても、私はその言葉をまったく聞かなかっただろうということである。

 なぜなら、自分の身体の底から湧き上がってくる、「恋人が欲しい」「恋愛したい」という切実な声を押さえきることは、けっしてできなかったはずだからだ。「好きな女性に振り向いてほしい」「恋愛したいのに、うまくいかない」というひりひりした痛みの前では、そのような理屈は、もののみごとに吹き飛んでしまっていたに違いないからだ。

 私はこの本で、そのような切実な声に答えたいと思う。

 若いときの私と同じように、恋愛に悩み、つらい気持ちをかかえている優しい男性たちに向かって、私はこの本を書いていきたい。

 自分の経験を振り返りながら、あるいは経験豊富な友人たちの声を参考にしながら、恋愛の問いに対して、ひとつずつていねいに答えていきたい。女性の心理や性について書いた箇所は、原稿段階で、数多くの女性にチェックしてもらったから、大きな間違いは正されているはずである。

 この本は、不特定多数の女性からモテモテになる方法を教えるものではない。また、「女を落とすテクニック」を教えるものでもない。この本は、あなたの好きなひとりの女性から振り向いてもらえるようになるためのいくつかのヒントを、あなたに伝えるためのものである。本書が少しでも役立つことができたなら、私はほんとうにうれしい。

恋愛することによって、人は、ひとりではけっして味わえないような、しみじみとした幸せな経験を、好きな人とのあいだで分かち合うことができる。「出会えて本当によかった」という気持ちを、二人で共有できるのである。私は、この本を通じて、そのことを何度も語っていくことになるだろう。

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以上です。

みなさん、いろいろおっしゃりたいこともあるでしょう。

たとえば、「結局、精神論ではないのか?」「結局、恋愛強者による上から目線の説教本ではないのか?」「モテないやつは何をしてもモテないだろう?」などなど。

第1章以降をお読みいただければ、それらについても内容が分かると思われます。ですがこれ以上はネットで公開するわけにはいきませんので、刊行時に本書を手にとって確認してみてください。

ということで、追加情報は、おいおい掲載していきます。

2008-05-15

[]村上隆フィギュアは射精感覚の肯定か?

村上隆の男性型フィギュア作品が、16億で売れたらしい。Yahoo!ニュースなどでは、フィギュアの上半身の写真のみが掲載されている。しかしその写真の白いロープはどこから出てるの?と疑問に思った方も多かったのではないか。全身像は、たとえば、このURLで見ることができる(性的なので視聴は注意すること)。

http://image.blog.livedoor.jp/guideline/imgs/c/b/cb540919.jpg

(左の方)

村上隆の"アート"を私は基本的に評価しないが、この作品だけは、結果的な批評性において面白いと思った。端的に言うと、このフィギュアの全身の姿勢と表情は、射精の自己肯定感覚を表現している。しかしそれは、私が『感じない男』で書いたように、実際に男にはおそらくほとんどの場合に訪れることのない感覚なのである。君たちは、こういう表情で、ここまで誇らかに射精しているか? してないでしょう。このフィギュアは、みずからが「感じない男」であることを隠蔽しようとする男性権力に対する、反語としての批評である。その点においてのみこの作品はアート性を持っていると私は思う。(ちなみに、男性のことを分かっていない一部フェミニストは、男性にとって射精とは、すべからくこのフィギュアのような自己肯定的なものだ、というふうに誤認していると私は思う)。

2008-05-14

[]新刊を出します

ここ2・3日寒くなってきたが、全体としては夏に向かっているようで、とても気分がよい。5月というのはやっぱり私にとっては最高の季節。自転車に乗って街を散策するのも楽しいし、大学のキャンパスをふらふらと歩いていても気持ちがいい。

というわけで、7月頃にひさびさに新刊を出します。タイトルや内容は、また近々ここでお知らせしますが、こんどは男子の恋愛がテーマの本です。すでに多数の方に原稿を読んでもらっていますが、いろいろときびしいコメントをいただいて、がんばって書き直したかいがあって、けっこうよいものになりました(と思う)。『感じない男』に続く、新感覚男性学第2弾という感じでしょうかね。ご期待ください。

もう一冊原稿を書いているのだが、これはたぶん来年の刊行になるかもしれない。こちらについても、またいずれご報告します。

ということで。

[]無条件の愛は生命を選別する

Bioethics誌の最新号が届いたから、ぱらぱら見ていたら、こういう論文があった。

John Davis, "Selecting Potential Children and Unconditional Parental Love," Bioethics Vol.22, No.5. 2008, pp.258-268

その主張はクリアーで、もし無条件の親の愛というものがあるとしたら、それはどんな障害を持っていても生むということではなく、その逆に、可能な限り良い子どもを選択するということになるはずだ、というもの。

.... the ideal of unconditional parental love implies that we should select the very best children we can. This in turn implies that we should not create necessarily impaired lives, such as those afflicted by Huntington's disease or Down syndrome. (p.267)

どういう理屈でこういうふうになるのだろうか? 例によって詭弁分析哲学でしょうかね。ちゃんと読んでみないとわからないが。しかし、このところのBioethics誌は、こういうたぐいの論文が多いような気がする。John Davisはカリフォルニア州立大学のアシスタントプロフェッサーとのこと。

2008-05-09

[]佐藤伸彦『家庭のような病院を』

家庭のような病院を―人生の最終章をあったかい空間で

家庭のような病院を―人生の最終章をあったかい空間で

2008年4月27日熊本日々新聞掲載

 年老いた親が病気で動けなくなったり、認知症が進んで徘徊するようになったら、いったいどうすればよいのだろうか。状態が悪化していくと、病院で看てもらうことになるのだが、病院の中は人間らしい生を送ることができる場所なのだろうか。

 著者の佐藤さんは、総合病院で高齢者医療を担当してきた。佐藤さんも、医師の立場から、同じような悩みをかかえていた。病院の中で最後のときを過ごす高齢の患者さんたちに、その人らしい生を全うしてもらうためには、いまの病院そのものが変わらなければならないのではないかと思ったのだ。

 ちょうど、がん患者のためにホスピスがあるように、あらゆる高齢者の最後を人間らしく支えることができるような場所が必要ではないかと佐藤さんは言う。彼はそのような施設のことを「ナラティブホーム」と呼ぶ。

 「ナラティブ」とは、「物語」のことだ。高齢の患者さんたちにも、いままで生きてきたその人固有の「物語」がある。患者さんたちが持っている、その人自身のかけがえのない「物語」を大切にして、それを中心に医療を組み立てていこうと言うのである。

 佐藤さんは、寝たきりになって言葉をしゃべることもできない高齢の患者さんの人生のアルバムを作りたいと、家族に申し出る。そして、病院スタッフと家族が一緒になって、寝たきりの患者さんの人生を一望できるようなアルバムを作り始める。そして、生まれた頃の写真から、デートのときの写真、仕事中の写真まで集めてアルバムにしたとき、医療スタッフの目前には、その患者さんのありありとした固有の人生が立ち上がってきたのである。

 それまでは病気をかかえた一患者としてしか映っていなかったのだが、この作業をすることによって、固有名詞をもったひとりの人間としての姿が、医療スタッフにも見えてきたのである。家族もまた、この共同作業をすることで、患者さんと過ごした人生を振り返るひとときを持つことができる。

 そのアルバムをスライドのようにしてスクリーンに映し出したとき、佐藤さんやスタッフは思わず涙ぐんでしまったという。

 寝たきりでコミュニケーションのとれない患者さんを目の前にしたとき、「こんな状態で生きる意味があるのだろうか」と私たちは問いがちになる。しかし佐藤さんは、そうは考えない。何も言わない患者さんがただ目の前に存在しているというそのことが、私たちに何を問いかけているのか、その声に耳を澄ますべきだと主張する。

 患者さんが亡くなったとき、そこで医療が終わりになるわけではない。患者さんの最後の生がどのようなものであったのかについて、医師は告別式のときに参列者に向かって語ってもよいのではないか、と佐藤さんは考える。そして実際に、告別式で、医師の目から見た患者さんの最後の経過を、参列者の前で報告するのである。

 それをやり終えたとき、佐藤さんは「達成感」を感じることができたと言う。患者さんの最後の生に参与し、告別式でそれを報告することによって、「ひとつの物語を読み終えた、ひとつの物語を書き終えた」という達成感を得ることができたのである。

 佐藤さんは、おそらく、いままでの医療では考えられなかったような次元へと足を踏み入れ始めているのではないだろうか。肉体の治療に専念するこれまでの医療にとって、患者さんの死というのは、医療の敗北宣言以外の何ものでもなかった。ところが、患者さんとその家族が作り上げてきた「物語」へと積極的に参与することを目指す佐藤さんたちの試みは、まさに死によって否定されることのない、新しい形の医療のように思われるからだ。

 佐藤さんたちは、「物語」の医療を進めていくために必要な、新しい病院施設を作ろうとしている。それを実現していくにはきっと困難がつきまとうだろうが、そのような場所を心の底から待ち望んでいる人々は、この社会にたくさんいる。家庭のような病院があってほしいと願う人々にぜひ薦めたい一冊である。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)



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◆森岡正博の書評ページ(森岡執筆の書評一覧があります)

http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm

◆LIFESTUDIES.ORG/JP

http://www.lifestudies.org/jp/

2008-05-05

[]「博士の異常な愛情」は「天国と地獄」のパクリだった!?

連休ということで、ひさびさにDVDを借りてきて鑑賞。まず見たのは黒澤明の『天国と地獄』(1963年)。

天国と地獄<普及版> [DVD]

天国と地獄<普及版> [DVD]

誘拐犯と警察の息詰まる攻防を描いた娯楽大作として有名だが、まだ見ていなかったので観てみた。吉展ちゃん誘拐事件の犯人も観ていたということだが、なかなか楽しめる作品だと思う。終わり方がなかなか異様。(以下、ネタばれ)。ところで、このラストシーンで、獄中の犯人が面会室で迫真の独演をするのだが、なんとそれはキューブリックの『博士の異常な愛情』(ドクター・ストレンジラブ)のラストシーンとそっくりではないか。「天国と地獄」では、犯人の左手が突然意志に反して言うことを聞かなくなり、それを右手で止めようとして狂い始め、最後は突如「わーっ」と叫んで立ち上がって、ジエンドとなる。「ストレンジラブ」のほうも、博士の右手が勝手に動き始めて、左手でそれを止めようとして、最後は、車椅子から突如立ち上がって「Mein Fuhrer! I can WALK」でジエンド。あまりにも似すぎている。

ネットで調べてみたが、この点についてはあまり書かれてないみたいだ。そこで「天国と地獄」の公開日を調べてみたら、日本公開は1963年3月で、同年11月に米国で英語版が公開されている。そして「博士の異常な愛情」のほうは、翌年1月米国公開である。影響関係は微妙なところだが、超映画マニア(NYで公開される映画は全部見るとか)のキューブリックのことだし、米国一般公開まえから黒沢の映画は日本版で観ていたかもしれない。直前の「用心棒」などは米国で大受けしたらしいし。パイ投げシーンの直前カットも、「天国と地獄」のラストシーンの影響かも。まあ、いずれにしても、両監督とももう亡くなってしまったし、推測して楽しむだけですね。

しかし、よく似ているなあ・・・・。

↑この右手の暴走を押さえているのがドクター・ストレンジラブ。

[]「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」?

上記に引き続き、一部で話題になっていた新海誠の短編アニメ『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』を観た。

ほしのこえ(サービスプライス版) [DVD]

ほしのこえ(サービスプライス版) [DVD]

なにかしら言いたいことがあるのはよくわかる。それを表現しようと努力しているのもわかる。だが、脚本力が決定的に欠けているから、物語をどう落ち着けたらいいのか分からない。そこが、この人の最大の弱みだろう。『ほしのこえ』のラストは、「エヴァ後」にそれはないだろう!というものだし、『秒速5センチメートル』第3話(最終話)に至っては、「ミュージックビデオ??」ということになってしまっている。

両作品とも基本的には「学校萌え」(『感じない男』)で、「ほしのこえ」はシリウスまでずっと少女は学校制服を着たままだし、「秒速・・・」では、小学校から高校までの、夕日の当たる教室、蝉の声、学校の帰り道、などなどを延々回想しているだけという趣である。ひとことで言えば「男ユーミン」である。シーンも、どっかで観たようなものが多いし。

ところで、新海誠は、NHKの1分ムービーの『猫の集会』の作者でもあるということを、検索によって知った。実は、この作品は非常によくできていて、きわめてすぐれていると思っていたのであった。

新海氏には面識もないし、利害関係もないので、こんなに言いたい放題だが、たしかに技術的には非常に優れたものを持っているわけだから、もっと脚本をきちんと書けるようになって、壮大な話のオチをちゃんとつけられるようになって、観るものに真のカタルシスをもたらす作品を作ってほしい。『ほしのこえ』の着想はすぐれているのだから、ラストをごまかすのではなくて、その着想を正面から「受け止める」ことのできるドラマ性を獲得してほしいと草葉の陰から思った次第である。

2008-05-01

[]粉を振りかけたら指が生えてきた信じられない事例

今日、驚くべきニュースをBBCで観たので、報告したい。BBCによれば、米国で指先より1センチ半(1/2インチ)を事故で完全に切り落とした69歳の男性が、ピッツバーグ大学で開発中の「粉」を指の切断面に振りかけたら、2回目から指が生えてきて、4週間で爪や指紋など含め完全に指が再生したとのことだ。以前のように動くし、感覚もあるとのこと。

"I put my finger in," Mr Spievak says, pointing towards the propeller of a model airplane, "and that's when I sliced my finger off." It took the end right off, down to the bone, about half an inch.

"We don't know where the piece went."

The photos of his severed finger tip are pretty graphic. You can understand why doctors said he'd lost it for good.

Today though, you wouldn't know it. Mr Spievak, who is 69 years old, shows off his finger, and it's all there, tissue, nerves, nail, skin, even his finger print.

動画の一部はBBCサイトで見られる。指切断面も映っているので注意。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/7354458.stm

この「粉」は、豚の膀胱を粉末にしたものらしい。この粉が引き金になって、体内の幹細胞が活性化したのではないかと推測されているが、詳しい機序はわかっていないらしい。

これに目をつけたのが米軍で、負傷兵士の脚を再生させたりする治療に使えないかと共同研究を始めているとのこと。ニューロサイエンスの場合でもそうだが、米軍というのは、こういう技術にはほんとに敏感だ。

しかし、魔法の粉を振りかけて4週間で指が生えてくるとは・・・。同じニュースは、米CBSでも動画で見ることができる。

http://www.cbsnews.com/stories/2008/03/22/sunday/main3960219.shtml

この再生医療が本格的に使えるようになったら、これはすごいことになるのではないだろうか。治療だけではなく、お肌の美容(肌の完全再生)にも応用されるかもしれない。

しかしピッツバーグ大学というのは、世界一の脳死移植件数を誇るところだし、移植におけるピッツバーグプロトコルのように、技術開発のためにはなんでもやるところだから、こういう研究が出てきたのかもしれない。

日本のメディアは、どういうふうな報道になっているのだろうか。

映像に出てくる写真がすごいから、指がにょきっと生えてきたという印象が強いが、そもそも指先は人間であっても再生しやすい場所だとしたら、このケースの注目点はその再生の速さと復元性にあると言えるのかもしれない。このあたりは再生医学に詳しい方の意見を待ちたい。