感じない男ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-06-27

[]『ソラニン』浅野いにお ― やさしいリアル

『草食系男子の恋愛学』の表紙イラストを描いていただいたこともあり、浅野いにお氏の漫画を読んでみた。2006年の『ソラニン』は、いまの若者たちの「やさしいリアル」を描いていて、感慨深かった。

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 2 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 2 (ヤングサンデーコミックス)

大学を卒業して、あるいは留年して、不安定なフリーター生活をしながらバンドを続けている主人公たちの、20代でしか味わうことのできない(だろう)日常の幸せと切なさがにじみ出てくる漫画である。すごいことが自分たちには起きるはずだと思っているにもかかわらず、それと同時に、そんなことはけっして起きないだろうということも分かっているなかで、いまここに生きていることの奇跡を、どう受け取っていけばいいのかというあたりのことが描かれているように思った。たぶんこの作家は、これから宗教的なことを表現していくようになるのではないか。『ひかりのまち』も読んだが、『ソラニン』のほうが断然よかった。今後、どんどん皮が剥けていく作家だろうと思った。男も女も均等によく描けているのはめずらしいのかもしれない。

2008-06-24

[]草食系男子の恋愛学の表紙は浅野いにお

草食系男子の恋愛学』のカバー最終案ができました。こんな感じです。

f:id:kanjinai:20080624112741j:image

表紙イラストは、漫画家の浅野いにお氏です。とても感じの良い絵を描いてくださいました。浅野さんは、『ソラニン』『おやすみプンプン』などの作品がある若手の注目作家です。

定価は1050円程度になる予定。7月半ばから書店に並びます。こういう感じの本を出すのは、はじめてだし、なんかドキドキするなあ。

さっそくネット書店に出ていました。

アマゾン:

草食系男子の恋愛学

草食系男子の恋愛学

→ 紹介の文章はちょっと面白い。私が書いたものではありません(^^;)。予約注文できますよ。表紙デザインが若干異なるのはご愛敬。

bk1:『草食系男子の恋愛学

e-hon:『草食系男子の恋愛学

Yahoo:『草食系男子の恋愛学

2008-06-17

[]M/死刑

私は死刑反対論である。(それについては論文中でも触れたから気になる人は読んでみてほしい)。

Mが死刑執行された。ある判断がなされ、ある事実が生起した。Mとはなんの面識もないが、Mにまつわるもろもろの情報や、それに対する非難・弁護などの声が、当時の私の精神形成に多大な影響を及ぼしたことは間違いない。端的に言って、Mの内面世界は理解しがたい。だが、Mの死刑執行の報を聞いて、私の胸に去来するのは、不思議な喪失感である。もうこの世には生きてないのだなという、空洞の気持ちだ。この妄想のような思い入れを分かってくれる人が多いとは思わないが、とりあえず書き記しておく。

2008-06-15

[]児童性奴隷・児童強制労働

さきほどBBC国際テレビで、アジアの児童強制労働についてのドキュメンタリーをやっていた。見たが、かなりめげた。ひとつはカンボジアでの児童性奴隷について。だまされて売られてきた子どもたちは、一室に閉じこめられ、誰も助けてくれない絶望の中で客を取るように強制させられる。警察とNPOが踏み込んだときのビデオが流されていたが、ほんとうに子どもたちが閉じこめられている。しかし摘発されても、売春宿を経営している人間と警察のあいだにコネがあり、裁判にはならないで終わる。カンボジア郊外には、働かされていた女の子たちのリハビリ施設がある。そこで回復した17歳の女性が顔を出してインタビューに答えていた。その施設に住んでいる女の子たちの年齢は、おそるべく若い。日本で言うと小学生低学年くらいがけっこういる。その子たちは、HIVや肺炎に冒されている。ここで心が回復したとしても、遠からず命は奪われると説明されていた。

インドでは男の子たちが屋根裏の一室に閉じこめられて、サリーの縫製の強制労働をさせられている。隠しカメラの映像のあと、警察と運動家が乗り込んで子どもたちを解放する。解放された男の子たちは、最初は何の表情もない。しかし保護されて、遊んでいるうちに、彼らは笑顔を取り戻す。彼らは政府の方針で、強制労働中の報酬に当たる額を支給されて、故郷の親の元に戻る。カメラは彼らと一緒に汽車に乗って、里帰りに同行する。故郷に帰って親と再会した子どもたちは、しかし必ずしも歓迎されるわけではない。親が同行の役人に「私たちは貧しいのです」と訴える。ある子の親は、我が子が帰ってきたことで絶望の淵に沈んであたりかまわず嗚咽する。

子どもたちを迎え希望を与える結末は保証されない。衝撃である。

2008-06-14

[]草食男子・aiko男子?

草食男子についての雑誌『mini』の記事というのを私はまだ見ていないが、そのなかに草食なaiko男子(アイコ男子)というネタがあるらしく、歌手のaiko自身が自分のブログでそれに反応しているようだ。

http://aiko.can-d.com/diary.shtml (6月8日の項)

aikoさんはいたく気に入ったらしく、自分のラジオ番組や、ライブで草食男子についてしゃべっているらしい。昨日の大阪ライブでもしゃべったらしい。ためしにmixiで草食男子を検索してみたら、けっこうな数の投稿があった。草食男子についてのコミュもできているらしいから見てみては。

aikoさんは、ライブで、客席に向かって、「男子〜!」「女子〜!」って叫ぶらしい。

「男子」「女子」が18歳以上に対して用いられるようになったのは、いつごろからなのだろうか? なんか気がついたらそうなってるみたいだね。「30代女子のおしゃれ」とか。男子・女子は、30代の男女をも指す言葉なんだ。だとすると、私の今度の本の読者対象も、30代男女までカバーしているということになるね。

以上、『草食系男子の恋愛学』関連の情報提供。

2008-06-13

[]秋葉原事件と「男性性」

今日、大阪京都を往復する時間を利用して、杉田俊介『無能力批評』を読み終えた。この本は、たぶん、とても読者を選ぶ本だと思う。が、私の本年度前半期のベストブックであった。

無能力批評―労働と生存のエチカ

無能力批評―労働と生存のエチカ

いいたいことはたくさんあるが、とりあえず、この本でもっとも引き込まれたのは、最終章あたりの「「男性弱者」と内なるモテ幻想」という章だった。タイトル見ただけで、分かる人は内容が分かるかとも思うが、この章における杉田の、男性性と暴力性と非モテについての考察は豊穣である。そのうえでいきなり言いたいことを言うと、杉田は、今回の秋葉原事件について書くべきではないか。この章を読みながら私は秋葉原事件のことをずっと考えていた。この章は、あの事件の予期に満ちているのではないか。もちろん私は私で考えたいと思うが、杉田のほうが私より近くにいるのではないかと思わされた。

ということを帰ったらブログに書こうと思っていたら、font-daさんが一瞬早く書いていた

そこでも触れられているが、もし容疑者がモテない恨みを晴らすだけなら、その刃は渋谷とか池袋とかの女子に向けられただろう。あるいは秋葉原を歩いているメイドたちに向けられただろう。あるいはイケメン男子やナンパ師たちに向けられただろう。だが、実際には、殺され傷つけられたのはほとんど「ふつうの男性」であった。容疑者は頭が真っ白になっていたらしいから、その行動は彼の無意識が出ていることであろう。容疑者は、非モテの何かを晴らすために、「秋葉のふつうの男をねらって」刺したのではないか。秋葉原を歩いているのはほとんどが男だから、確率の問題、という可能性はもちろんある。だとしてもなぜ男ばっかりの秋葉原をねらったのかという問いは厳然と残る。(私は容疑者の言葉「誰でも良かった」はウソじゃないのか、ということを言っていることになる)。

「朝日新聞」で某評論家がエッセイを書いていたが、あれではダメだろう。新聞メディアはこの問題をたぶん扱えない。扱えるのはネットだけだ(たぶん)。

2008-06-12

[]『身体とアイデンティティ・トラブル』

身体とアイデンティティ・トラブル

身体とアイデンティティ・トラブル

ジェンダー、セクシュアリティ論の野心的な論文集。シンポジウムのまとめらしい。とりあげられているテーマは、男性身体、同性愛、オタク、腐女子、バイセクシュアル、ゲイ、レズビアンなどなど。それぞれフェミニズムのインパクトを受け止めたあとで、現代の混迷するセクシュアリティ状況をどう捉えるのか、という試論になっている。何かの答えが出ているわけではないが、われわれは何に悩んでいるのか、を押さえるには使えるような気がする。執筆者には知り合いも何人か・・・(金井淑子先生お元気ですかm(_ _)m)。

以下、気づいた点をランダムに。

金井淑子「フェミニズムと身体論」のなかで、フェミニズムが「コミュニケーションを目的とするセックスこそが正しい」という理解をしたがゆえに、「そのことがじつは、フェミニズムの性愛観を呪縛し、フェミニズムの性解放に抑制をかけていることにも気づかれにくくしているのではないか」(28頁)と指摘している。たしかにそういう面はありそうだ。と同時に、男である私は、コミュニケーションを目的とするセックスに対する「あこがれ」が確かにある。これは「正しさ」ではなく、「あこがれ」であることに注意。こういうあたりで、対話することが可能になればいいのに。

海妻径子「フェミニズムは男性身体を語れるか」。これも大問題ですよね。このなかで海妻は、「「精液的」な男性身体」という言葉を借りてきて使っている。ただ、けっこう外在的な概念のようにも思う。「感じない男」の内的経験からした「精液的身体」というものを考えてみたいようにも思う。

細谷実「美醜としての身体」。細谷は美醜の問題をジェンダー・セクシュアリティ論に導入しようとしている。美人・不美人問題、イケメン・キモメン問題と言ってもいいだろう。これは今後の大議論領域のように思う。思うのは、美醜問題と、一般的な「魅力」問題と、どう違うのだろうということとか。魅力ある人は、一般的に好かれたり、人気があったりする。それはまた恋愛対象をゲットする大きな要因としても働き得る。美醜問題というのは、これとはまったく異なった機序で作動するのかどうか。

中村美亜「"アイデンティティの身体化"研究へ向けて」。これは、私の『感じない男』だけに絞って批判的に検討したものである。たぶんはじめて活字化(古い概念かな)された批判論文かもしれない。『感じない男』では、結局、生物学的決定説に傾斜してしまっているという点を指摘し、著者(森岡)が仕掛けた本質主義か構築主義かという二者択一から脱出することを訴えている。批判はとてもありがたい。そのうえで言うと、この本では仮想敵として構築主義ラディカリズムがあったので、たしかに本のいくつかの箇所で、本質主義的な雰囲気のことを書いているのは事実です。ただ、立場性そのものを問われるとするならば、私自身は本質主義でも構築主義でもこの問題は解決されないと思っているので、この点に関しては中村と立場そのものはほぼ同じだと言えると思っています。肉体的に埋め込まれたものと、外部から洗脳(洗身体)されてくるものの狭間でうごめきながら形成されていくセクシュアリティのリアルな現実を、さらに対話していけるといいなと思った。中村も書いているように、中村と森岡は似たようなものを共有しているみたいなのに、森岡は「男」として生きる選択をし、中村は「「男」として生きない選択をした」(253頁)。その差異がどのようにして生まれたのか、その次元から、いろいろ問いを立ち上げていけたら面白いというふうに思った。

本の表紙は、明石書店っぽいと言ったらいいのか、どうなのか・・・・。

ところで、いまさっき、ある人から、秋葉原事件の動機として、モテ問題があるのではないかという示唆をもらった。私も実はそう思っていた。まだあまり言われてないのかもしれないけど、今回の事件は、モテ問題として、そして男性学のテーマとして、正面から考えていかないといけない大問題を含んでいるように直感する。

2008-06-11

[]池上甲一ほか『食の共同体』

食の共同体―動員から連帯へ

食の共同体―動員から連帯へ

2008年6月8日東京新聞掲載

 このところ、家庭内で「個食」が広がっている。かつての「家庭の団らん」は姿を消し、栄養のかたよりなども深刻になっていると言われる。

 これからは、それを反省して、食卓ににぎわいを取り戻し、家庭を活性化させていくことが大事だ、というふうになりがちだが、この本の著者たちは、そういうふうには考えない。なぜなら、歴史を振り返ってみれば分かるように、家庭の食卓の「共同性」の大切さが説かれるときは、きまって「国家」が乗り出してきて人々を一元的に組織化し、統合させようとするときだからである。

 たとえば、第二次世界大戦がそうであった。日本政府は、日本米を食べることで日本人は一体になれると宣伝し、大東亜共栄とは米を食べている民族がお互いに栄えていくことだと主張した。庶民の食を管理することによって、国家に役立つ人材を育成しようとしたのである。

 ナチスドイツも同じであって、各家庭における食の正しい管理こそが、ドイツ国家を支えるものであるとした。それだけではなく、家庭から出る「もったいない」生ゴミを回収して、豚の飼料へとリサイクルすることが国策として進められた。

 このように、国家が家庭の食に口を出すとなると、どことなく戦時中の日本やドイツの姿に似てくる危険性をはらむのだ。ところが、その道をふたたび進んでいるのが現在の日本であると著者たちは言う。

 二〇〇五年に「食育基本法」が成立し、国家による庶民の食への介入が法的に認められたが、真に必要なのは国家による上からの管理ではなく、個々人による下からの食の共同性の創出だというのが、本書の主張である。

 この法律に敏感に反応したのが、意外にも、ファストフード業界であったことを本書は教えてくれる。この点に、逆説的な可能性を見いだそうとする著者たちの眼差しは新鮮である。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)


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◆森岡正博の書評ページ(森岡執筆の書評一覧があります)

http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm

◆LIFESTUDIES.ORG/JP

http://www.lifestudies.org/jp/

2008-06-09

[]『無能力批評』杉田俊介

無能力批評―労働と生存のエチカ

無能力批評―労働と生存のエチカ

杉田俊介の新刊『無能力批評』を読み始めている。前作、『フリーターにとって「自由」とは何か』も刺激的だったが、この新著もなかなかの刺激作である。タイトルに「批評」とあるとおり、主に作品批評という道を通りながら、「現代」というものを貫こうとしている。単に、作品や作家の位置づけをしてよしとするのではなくて、それを突破しながら、壁を突破するときの自分自身の困惑や逡巡というものを自己言及的に見ていこうとしているところに興味を惹かれる。

多数の作品、作家、学者に言及しているが、海外の著名な現代思想家たちに混じって、というかそれよりも比重高く、青い芝の会、ウーマンリブ、立岩、森岡、大澤、東、そして多くのマンガ家たちが取り上げられているのが面白い。たぶん杉田は、現行のアカデミズムではできないような種類の思索を試みようとしているのだろう。本人の意図とは無関係に、そういうものが目指されているように感じる。

それと、ネット(というかhatena村)批評をどうするのか、というあたりのことも考えさせられるのであった。

と、パラパラ読んだ段階での感想。これからちゃんと読みます。

(追記:杉田さんは『寄生獣』と『デビルマン』のどちらのほうが好きなんだろうか)

2008-06-07

[]草食男子・なぜ男からプロポーズしないといけないのか?

前エントリーで触れたように、この7月に『草食系男子の恋愛学』という本を出すのだが、その関連で、いろいろネットを調べている。まず、驚いたのは、gooの「「検索で知るコトバ」週間ランキング」に、「草食男子」が4位で入っているということである。

f:id:kanjinai:20080607154532j:image

http://ranking.goo.ne.jp/ranking/001/keyweek_kenkoto/ 6月7日現在)

4月にNONNOで特集され、5月にはMiniで記事になったからということだろう。が、なかなかみなさん敏感に反応するワードであるようだ。

「草食男子」について最近いろいろな女性と話をすることが多いが、女性たちの反応は非常に鋭敏である。いちばん多い反応は、「そうそう、そういう男の子、最近身近に増えたように思う!」というもの。その次は、(ちいさな声で)「実は、私はそういう子のほうが好き」というもの。どうも、男は肉食系で力強く、しっかりしていたほうがよい、という共同幻想が、はがれ落ち始めているようである。これはとてもよいことだ。私の本も、そういった「草食系男子」の恋愛を応援する本だから、もっともっと草食男子への肯定的な認知が社会的にあがったほうがよいと思う。前にも紹介したような「きっこのブログ」(http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/11/post_f4d0.html)みたいな意見は死滅していくべきだし、font-da氏(http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080602/1212417906)のような世界が拡大していくべきだと思う。

こういう、男子の「草食化」に対しては、きっとこれから強大なバックラッシュが吹き荒れることになるだろう。そのバックラッシュは、左右関係なく、右のオヤジ(日本男子はやっぱり強くたくましくないとな!)からも、左オヤジ(反権力!と言いながら人前でタバコすぱすぱ吸ってる肉食野郎)からもやってくるだろう。と同時に、「草食化はフェミニズムの策謀だ!」と言ってくるアレな人たちからも来るだろう。と同時に、「男はもっとしっかりしてくれないと困るわ」と言ってくる女性たちも多いだろう。

それらに対して、草食系男子たちが正面から立ち向かえるかどうか、私にはわからない。だが、私個人はそれらの勢力に対して微力ながらも最後まで抵抗していきたいと思っている。

Yahooニュースに、「プロポーズできない男」急増中というニュースが載っていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080606-00000631-bark-musi

この記事は、たいした記事ではないが、言われていることはほんとうなのかもしれない。だが、「だからなんだよ?」と言いたくなる。そもそも、どうして「男のほうからプロポーズしないといけないのか?」という疑問がある。別の調査によれば、女性の9割以上は、男性からプロポーズしてほしいと思っているとのことだ。「男のほうからプロポーズするのが当然」とか「自分からプロポーズもできないような男とはつきあいたくない」とか思っている女性たちに、意識を変えていってほしいと私は思っている。もちろん女性たちがそのように思っている背景には、社会の中のジェンダー体制があって、そのせいでもって「女性がそういうふうに思いこまされている」のだから女性を責めるのはおかしい、というフェミニズムからの指摘もあるだろう。しかし、これから徐々にそのジェンダー体制を変えていくことはできるはずだ。ただそのためには、バックラッシュ男たちだけではなくて、約9割の女性たちと戦わなくてはいけなくなるわけだが。

上記の私の本でも、プロポーズの問題は触れた。9割の女性がそう思っている以上、いまの世の中で女性とつきあうためには、男性からプロポーズできるようになったほうが実践的にはよい選択肢である。ただしそれと同時に、このような体制それ自体を男女ふたりでゆっくりと考え直していくことを、私は勧めたいと思う。もっともっと長い将来のためにね。