感じない男ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-04-29

[]atmc.jpの管理人

いま多くの人が定期的にチェックしているはずの

「全国放射能濃度一覧」

http://atmc.jp/

ページ。すごく良くできていて、いったい誰が作っているのだろうとずっと思っていました。ウェブでは、大学教員のボランティア説など流れていますが、じつは「satoru」さんという自称「ヒキコモリ」さんが運営しているらしいです。ウェブ構築はプロの技ですね。

satoruさんのブログ

http://d.hatena.ne.jp/satoru_net/

Twitter

http://twitter.com/#!/satorunet

公的機関ではない一個人が、このようなキーとなる役割を担っているというところに、ネット社会の大きな特徴を見ることができます。

2011-04-28

[]震災関連書籍無料開放(昭和堂)

昭和堂が、阪神淡路大震災に関する研究書の全文を無料公開しています。

http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/shinsai/index.html

岩崎信彦他編『阪神・淡路大震災の社会学』第1巻(99年発行)全文

岩崎信彦他編『阪神・淡路大震災の社会学』第2巻(99年発行)全文

岩崎信彦他編『阪神・淡路大震災の社会学』第3巻(99年発行)全文

岩崎信彦・田中泰雄・村井雅清・林勲男編『災害と共に生きる文化と教育―〈大震災〉からの伝言』(08年発行)全文

金芳外城雄著『神戸発 復興危機管理60則』(09年発行)全文

今回の震災復興に関わっている現場の方々、研究者、ボランティアetc.にとって役立つ可能性のある資料だと思われます。もちろん、阪神淡路の場合は大都市での災害が甚大だったし、火災が大きかったわけなので、今回のようにかならずしも大都市ではない地域(もちろん仙台市も被災地なのですが)で津波の被害が大きい場合に直接適用はできないでしょうが、先行例から学べることは多いはずです。

2011-04-22

[]福島第一原子力発電所から飛散した放射性物質の挙動

ウェブに、下記のような論文プレプリントが置かれている。

http://ccdb4fs.kek.jp/tiff/2011/1127/1127002.pdf

高エネルギー加速器研究機構から出版のものである。基礎資料として熟読すべし。

高速道路上の放射線分布測定より得られた福島第一原子力発電所から飛散した放射性物質の挙動

松村 宏1,斎藤 究1,石岡 純2,上蓑 義朋3

(中略)

III. 結論

福島第一原子力発電所から放出された放射性物質は,風の影響を受けて西の方角に飛散し阿武隈高地を越えた。飛散した放射性物質は,2011 年3 月15 日14:48 から少なくとも20:41 までに福島県郡山市及び福島県福島市に到達した。阿武隈山地と奥羽山脈に挟まれた福島県中通りにある両市において,飛散してきた放射性物質を含む空気を受け止める形となり,さらに天気が霧雨であったため,133Xe以外の到達したほとんどの放射性物質は短時間に両市で降下し沈着した。福島県会津若松市や宮城県白石市には,地形と風向きの恩恵により放射性物質は到達しにくかった。一方,郡山市から南の方角には放射性物質が流れて行った。2011 年3 月15 日の放射性物質沈着直後の放射線線量率は,ほとんど132Te とその娘132I からの放射線によるものであった。その後,沈着した放射性物質は移動せず,また福島第一原子力発電所からの大きな放射性物質の放出による付加がなく,放射性壊変による減少のみが起こったことがわかった。結果として,短寿命の132Te が壊変してなくなった後の2011 年4 月8 日には132Te と同じ挙動をしていたCs の同位体からの放射線線量率を観測することになり,分布の形は当初のものをそのまま残している。放射線線量率への長半減期核種の寄与が大きく,これからの放射線線量率の自然減少には時間がかかるであろう。一方,131I は132Te やCs 同位体と挙動が大きく異なることがわかった。化学形の違いが飛散挙動に影響を及ぼしているのではないかと推測される。

「2011 年4 月8 日には132Te と同じ挙動をしていたCs(セシウム)の同位体からの放射線線量率を観測することになり,分布の形は当初のものをそのまま残している。放射線線量率への長半減期核種の寄与が大きく,これからの放射線線量率の自然減少には時間がかかるであろう。」このあたりはポイントのひとつ。福島市・郡山市の幼稚園・小学校等での被曝問題を考える際にも重要。

2011-04-21

[]「災害がほんとうに襲った時」中井久夫

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

阪神淡路大震災を経験した精神科医の中井久夫が当時書いた文章の再刊と今回の災害についての新エッセイをまとめたもの。タイムリーな出版である。今回の震災については、下記のようなことも言っている。

私はひょっとしたら「フクシマ・フィフティズ」なるものは架空の存在であって、日本国内には不十分であろう現場の人にエールを送り、そしていざとなればチェルノブイリのような決死隊の編成を行なうようにと示唆するために作られたものではないかと、気をまわした。それを感受した一隊員夫人の「日本の救世主になってください」という言葉はその表れだろう。(23ページ)

しかし次のような記述はこれでいいのか。

大阪府の附属池田小学校の学童殺傷事件の時、大阪府警は、女性警官を被害者の家庭に配属して日常生活を援助させた。これが非常に喜ばれたという。(7ページ)

事実を書いているだけなので著者の責ではないが、著者のコメントが欲しかった。

「災害がほんとうに襲った時」の当時の文章はウェブで無料開放されている。

http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/

ウェブと本の同時刊行というのは意味ある試みだと思う。

2011-04-20

[]「徐々に脱原発を」高知新聞

『高知新聞』2011年4月17日(日)朝刊

徐々に脱原発を

 東日本大震災が起きて、多数の方々が被災された。そして福島第一原子力発電所が地震と津波により壊滅的な打撃を受け、高濃度の放射性物質が外界に漏れ始めている。

 原発の事故をニュースで知り、その後の報道を食い入るように見つめているうちに、私はだんだんと気持ちがふさぎ、なんとも言えない後悔の念が湧き上がってきた。なぜ脱原発運動へのかかわりをやめてしまったのだろうという後悔である。

 1986年にチェルノブイリの原発事故が起きたことをきっかけに、日本全土で草の根の反原発運動が始まった。当時大学院生だった私も、反原発の活動をしていた友人たちと一緒にその流れに合流した。原発に依存する社会を変えていかねばならないと本気で思った。

 その後、京都に移った私は関西電力の外部委員をつとめ、原子力発電所内部を見学し、当時話題を集めつつあったプルサーマル計画について電力会社の専門家と議論を戦わせた。原子力発電は危険すぎるという意見は私の中で変わらなかった。

 しかしその後、私は脳死臓器移植問題へと力を注ぐことになり、原発からはいつのまにか遠ざかっていった。そのころから、原発はCO2を出さないので環境に優しいという言い方がなされはじめた。世間の目も原発から離れていった。

 そしてそれらのことを忘れてしまったときに、今回の事故が起きたのだった。かつていろいろと勉強していたから、今回の事故で何が起きつつあるのか、その概要はありありとわかった。最悪の事態が目に浮かび、この問題から離れていたことへの罪悪感が私を襲った。

 私たちは日本のエネルギー政策をどうしていけばいいのかについて、本気で考えなくてはならない。私は、太陽光発電などの新エネルギーの開発に国民全体で取り組み、徐々に原発に置き換えていくしかないと考えている。発電における新エネルギーのシェアはいまのところ1%しかない。しかし国策として大量の開発資金とインセンティヴ(動機づけ)を与えれば、急激に伸びるはずである。

 資源エネルギー庁は、原発一基の電力を太陽光発電で補おうとすれば、東京の山手線の内側全部にパネルを付けないといけないと反論している。しかし逆に考えてみれば、山手線の内側の人たちが協力して屋根にパネルを付ければ、原発を一基停止できるということなのだ。

 自分の家の屋根にパネルを付けて発電すれば、昼間は自分の家で使えるし、余った電気は電力会社に直接売ることができる。マンションで共同の発電をすることもできる。そうやって全国で草の根から各戸発電をしていけば、山手線の面積くらいたいしたことはない。

 さらに太陽光発電の技術革新もどんどん起きるだろう。電力のピークは平日昼間である。それはもっとも太陽光発電のやりやすい時間だ。脱原発を徐々に進め、もっとも安全性の高いタイプの原発を少しだけ予備に確保することをまずは目指したい。次に天災が起きるときまでに、原発の数をできるだけ少なくしておきたいのである。(大阪府立大学教授)

2011-04-14

[]京都に海の水族館?

京都市の梅小路公園に、民間の水族館を作るという計画が進行しているが、これに京都の市民・文化人・学者が反対運動を起こしている。それを紹介した本。この件については、まったく知らなかった。以前に、鴨川に橋を架けるという計画が発表されたときにこういう運動が起きて、計画が頓挫したことがあった。京都はこういう運動は得意な地域なのかもしれない。本来は動物園も含めて考えてみるべきだとは思うが。錦の魚市場とか肉食そのものはどうか?というところまで行く話だと思う。

[]老いを治める

老いを治める―老いをめぐる政策と歴史

老いを治める―老いをめぐる政策と歴史

立命館大学の生存研プロジェクトから出された論集。こういう研究が蓄積されていくのはとてもよいことだ。でもあえて言うが、この種の研究成果の場合、商業出版ではなく無料のPDFでウェブ(およびリポジトリ)に置いておくという可能性もあったのではないだろうか。いつでもどこでも誰でも読めるし、そのほうが研究の底上げにつながるのでは。もちろん著者たちやプロジェクトを責めているのではない。私自身も抱えている難問である。

[]母性のゆくえ

バダンテールの新著。母性と育児についてエッセイ風に書かれた本で、面白い論点がいろいろ見られる。訳者あとがきに簡潔にまとめられているように、フランスの出生率の高さは、産後2ヶ月以上母乳育児する女性が少なく、すぐに仕事に復帰するパートタイム・マザーが多いからであり、また社会の側も伝統的に母親が育児音痴であったとしてもそれを問題視しない意識が強いから、ということのようだ。日本では逆に母親に完璧な母親を求めがちな社会意識が男性にも女性にもあって、それを母親・女性が内面化しているということが問題なのだろう。途中、添い寝についての議論があって、添い寝は子どもにとって良いという考え方を紹介しながらも、夫婦のあいだに子どもが割り込んできてセックスをじゃまされるのではないかという感じの危惧が真剣に語られているのはフランスっぽいのだろうか。母親になっても性的魅力は失いたくないという願望については、いまの日本の女性たちはどうなのだろうか、など思った。

[]はじめて出会う生命倫理

はじめて出会う生命倫理 (有斐閣アルマ)

はじめて出会う生命倫理 (有斐閣アルマ)

生命倫理の教科書である。玉井さんたちと若い学者たちが作ったもので、医学系の執筆者による生命倫理・医療倫理とはひと味違った内容になっている。大学のテキストとして使えるのではないだろうか。

2011-04-02

[]nakamichi soundspace5 の音

滅入ることが続くので、気分転換に梅田のきらびやかな商業ビルにお茶を飲みに行った。そしてふらふらとビル内を散歩していると、ある店からなんとなく良い音が聞こえてくる。私は例によってそちらのほうへと自動的に吸い寄せられていき、気がついたら木の本棚の上に置かれたオーディオセットの前に立っていたのであった。それはどことなくバング&オルフセン(デンマークのオーディオメーカー)に似たフォルムで、非常に切れのいい音を出していた。小さめで薄いにもかかわらず、堂々たる低音も出ていたし、分離も良かった。以前にショールームで聴いたバング&オルフセンよりもぜんぜんいい音を出していた。私はずっとそこに立ったまま聴いていた。どこのメーカーだろうかと思って、眼鏡をかけて遠くの小さな文字を読んでみると、SoundSpace5という文字がかすかに見えた。

家に帰ってから検索してみると、なんと生産終了とのこと。そしてこれを作ったメーカーであるNakamichiは倒産したとのことだった。Nakamichiと言えば、かつてのオーディオテープレコーダーの老舗ではないか。10代の頃あこがれをもってカタログを見ていたものだ。Nakamichiが倒産か・・・・、という感慨に襲われた。SoundSpace5はいい音を出していた。欲しいなと思ったが、欲しいオーディオに手を出していたらたいへんなことになるし、あきらめよう。しかし街でいいオーディオに出会うと、幸せになる。

http://www.nakamichi.co.jp/audio/ss-5/SS51.htm