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2013-09-23

[]中村桂子『科学者が人間であること』

科学者が人間であること (岩波新書)

科学者が人間であること (岩波新書)

2013年9月22日日経新聞掲載

 中村桂子による渾身のエッセイであり、科学を志す次世代の若者たちへの熱いメッセージである。地球の中で生き物の一員として生きていることを真に大切にするような人間たちによって、これからの科学は担われなければならないと中村は語る。

 中村にそれを再認識させたのは、2011年の東日本大震災であった。日本の原子力技術は優秀なので大事故は起きないだろうと思っていた科学者はたくさんいたが、「実は私もその一人でした」と中村は告白する。その反省から、中村は再度みずからの原点に立ち返り、「人間は生き物であり、自然の中にある」という地点から、将来の科学のありかたを根底から再考しようとするのである。

 しかしそのときに、西洋の方法論はもうダメだから、これからは東洋の方法論で行こうというような発想を、中村は拒否する。真に必要なのは、西洋由来の科学を生命論的世界観によって生まれ変わらせることである。

 哲学者大森荘蔵によれば、物理学に代表される近代科学は、世界をいのちのない死物のかたまりとみなし、それを数字で描写し尽くそうとする。

 中村はこの死物的なアプローチを全否定するわけではない。むしろ、そのような世界観の上にぴったりと重なるようにして、「川は生きている、雲も生きている、風も生きている」という生命論的世界観を描き込んでいくことが必要だと中村は言う(大森荘蔵はこれを「重ね描き」と呼んだ)。

 そうすることによって、科学的な「機械論的世界観」と日常的な「生命論的世界観」の両方にいのちを吹き込むことができ、その両支柱の基盤の上に次世代の科学を作り上げることができるというのである。そして日本の理科教育には、そのようなことを可能にするポテンシャルがあるという。

 中村が目指しているのは、「生きているってどういうこと?」「人間ってなんだろう?」という原初の問いへとありのままに迫っていくことのできる科学だ。まだ生まれ来ぬ将来の人間たちにまでこの問いを届けたいという著者の祈りが、この本には籠められている。



評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)


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◆森岡正博のLIFESTUDIES.ORG/JP

http://www.lifestudies.org/jp/

2013-09-07

[]まんがで哲学を描いてみた!

*『本』2013年8月号(講談社)8−10頁 →『現代ビジネス』9月5日転載

「まんがで哲学を描いてみた!」

森岡正博

講談社現代新書から『まんが 哲学入門』という本を出すことになった。大げさに言えば、これは「哲学界」と「まんが界」に波紋を呼び起こすかもしれない出版物なのである。

まず哲学界についてであるが、いままで、たとえば『まんが ニーチェ入門』というふうに、過去の偉大な哲学者の思想をまんがで解説する本はたくさんあった。哲学史の流れをまんがでおさらいする本もあった。しかしながら、哲学者である著者本人が、自分自身の思索をまんがで描いた本というのは存在しなかったのだ。

「え?」と思われるかもしれない。そう、この本の約二三〇ページにわたるコマ割まんがの原画を描いたのは、私なのである。A4の用紙に鉛筆書きでまんがの原画を描いて、それをプロの漫画家である寺田にゃんこふさんに版下に仕上げてもらったのだ。寺田さんは、私の原画に忠実に、すばらしい線で完成させてくださった。

哲学の二千数百年の歴史の中で、哲学者自身によって全編まんがの本が描かれたことはなかった。これを快挙と言わずして何と言おう!とひとりで盛り上がっているのである。できあがった版下を何人かの方に見ていただいたが、登場するキャラたちが「なかなかカワイイ」そうである。「かわいい哲学オリジナルまんが」がここに登場したのだ。

次にまんが界についてである。実は、インターネットで「まんが横書き論争」なるものが勃発している。日本のコミック本は右綴じで、吹き出しの文章は縦書きである。実際に調べてみると分かるが、プロの漫画家によるほとんどすべてのまんが本は「右綴じ縦書き」になっている。なぜなのかは分からないが、手塚治虫先生がそのようにしたから、そうなっているのではないだろうか。

しかし、海外に輸出するときのことを考えれば、まんが本は「左綴じ横書き」のほうがぜったいに良いのである。たとえば英語や簡体中国語やスペイン語などは横書きだから、横書きのほうが翻訳した文字を入れやすいのだ。これまでの日本のメジャーなまんがは、縦書きを固守してきた。その伝統を大手の出版物ではじめて破ったのが、『まんが 哲学入門』なのである(コマ割まんがにこだわらなければ、山井教雄『まんが パレスチナ問題』『まんが 現代史』という横書きの二冊がすでに講談社現代新書から出ている)。

もちろん、講談社現代新書は「まんが界」の外側にいるから、この本の試みがただちに日本のまんが界に波紋を呼び起こすとは考えにくい。でもここに何かの可能性を感じてくれる漫画家さんたちがいればうれしいなと思う。

さて、『まんが 哲学入門』の内容に戻ろう。

この本では、私が何十年もずっと考え続けてきている四つのテーマ、すなわち「時間とは何か」「存在とは何か」「私とは何か」「生命とは何か」について、できるかぎり奥深くまで突っ込んで考えてみた。これらは、多くの読者が気になっているテーマでもあるはずだ。誰だって一度は、「時間が流れるっていったいどういうことだろう?」と考え込んだことがあるだろう。

時間はどんどん流れていって、それを止めることは誰にもできない。時間はほんとうに流れているのか、それとも時間は流れていると私たちが「感じている」だけなのか。そもそも「流れる」とは、いったいどういうことなのか。

というような哲学の根本問題を、「まんまるくん」と「先生」の掛け合いの形でゆっくりと解きほぐしていくスタイルのまんが本なのである。「まんまるくん」は球形の身体に手足がそのまま付いているというかわいい形態のキャラであり、ときおり頭のてっぺんに旗が立ったり、顔が自由自在に変形したりする。「先生」は眼鏡をかけていて優しげであるが、どこにも口らしきものがなく、首が不気味にぐんぐん伸びたりする。そのほかにも、「いまいまくん」という外見が癒し系のキャラが走り回り、ストーリーに彩りを添える。

存在とは何かというテーマについては、「なぜ世界にはそもそも何かが存在するのか。なぜ世界には何も存在しないというふうになっていないのか」という「形而上学の根本問題」(ハイデッガーの命名)に正面から取り組んだ。実際、描き始める前は、「ほんとにまんがでこのハードな問題をやるの?」と絶望したものだが、やってみるとなんとかなるものだ。そして、話は、現代哲学のホットな話題である可能世界意味論へとつながっていくのである。

まんがを使うことで、きわめて効果的に表現できる哲学的なテーマがあることもわかった。たとえばこの本の第3章で「私」というテーマについて議論しているのだが、この問題はそもそも文章で表現するのがたいへん難しいのである。私が自分自身のことを「私」と呼ぶときに、そこには、宇宙でただ一人だけ特殊な形で存在しているこの私、というような意味が含まれている。しかしそれを「この私」という言葉で表現しようとしても、それはあらゆる人の存在様式に普遍的に当てはまるような「この私」一般に読み替えられてしまって、当初意味しようとしていたものが指のあいだからすり抜けていくのである。

このあたりの機微を指摘するために、哲学者の永井均は〈私〉という表記法を編み出してなんとかそれを表現しようとしてきた(『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書)。私は「独在的存在者」という言い方でそれを表現しようとしてきた。しかしいずれのやり方を使っても、言葉でそれを説明するのは非常に難しいし、その真意が読者になかなか伝わりにくいのである。

ところが、まんがを使うと、その核心部分を一発で伝えることができる。図を見ていただきたい。この「あなたなのです!!」という吹き出しの中の文章と、そこに描かれている絵によって、〈私〉や「独在的存在者」というものの真意が、読者に直接的に伝わるようになっている。この絵だけではすぐに意味するところのものが分からない方は、ぜひこの本の該当ページの前後をじっくり読んでみていただきたい。何かしら、心に響くものがあるはずだ。

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実際に、まんがで哲学を描いてみて、まんがという形式の持つ無限の可能性をもっと積極的に開拓すべきだと思うようになった。そう、まんがと哲学は、非常に相性がよいのである。これまでの「まんがで哲学者の思想を解説する」みたいな本とはまったく異なった未知の可能性がそこにはある。まんがの絵を描いていくことそれ自体が、哲学的な思索そのものになっていくような表現方法があり得るのである。今回、私自身がまんがの原画を描いてみて発見した最大の果実がここにある。

この本は、著者自身の哲学的な思索を、まんがという形式で、直接読者へと届ける本である。その試みがどこまで成功しているかについては、ぜひ手に取って確かめていただきたい。しかし、全編コマ割まんがで新書を出すという企画にゴーサインを出してくださった現代新書編集部には、ほんとうに敬意を表したい。

私が最初に持ち込んだまんがの原画は、いまから考えれば非常に稚拙なものだった。そこに何かの可能性を見出してもらえなければ、この本は存在しなかっただろう。信頼されて原画を描き続けるうちに、私の技量はどんどん上がっていった。第1章から第4章まで三年間かかっているが、読者はこのあいだの時の流れに、私の作画の進歩を見ることができるはずだ。

もし本書が評判になれば、きっと『まんが 論理学入門』『まんが 宗教学入門』などの新書が引き続いて出現することになるだろう。そういう可能性が開けていったら、すごく楽しいと思う。

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