感じない男ブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-02-21

[]Groningen Protocolとは

Hastings Center Reportの新着が届いた。ぱらぱら見ていたら、オランダの「グローニンゲン・プロトコル」(オランダ語ではフローニンゲンか?)についての論説が載っていた。Hilde Lindemann; Marian Verkerk, "Ending the Life of a Newborn: The Groningen Protocol" HCR 38,no.1(2008):42-51.

このプロトコルは、生まれたばかりで重症の赤ちゃんを安楽死させてよいとするもので、発表直後から賛否両論の反響を呼んでいたものとのこと。成人の安楽死についても寛容なこの国で、新生児についてもその方向で行こうということなのだろうか。

Hastings Center Report論文の冒頭部分は、ウェブで読める。

http://www.medscape.com/viewarticle/569471

このプロトコルが英語圏に紹介されたのは2005年のNEJM誌(ほか)のようである。NEJM誌の論文はウェブで読める。

http://content.nejm.org/cgi/content/full/352/10/959

その論文では、大人は自分の意志で苦痛を表現できるが、新生児はそれができないから、誰かが代わって行なわないといけないのではないかということが書いてある。

Suffering is a subjective feeling that cannot be measured objectively, whether in adults or in infants. But we accept that adults can indicate when their suffering is unbearable. Infants cannot express their feelings through speech, but they do so through different types of crying, movements, and reactions to feeding. Pain scales for newborns, based on changes in vital signs (blood pressure, heart rate, and breathing pattern) and observed behavior, may be used to determine the degree of discomfort and pain. Experienced caregivers and parents are able to evaluate the degree of suffering in a newborn, as well as the degree of relief afforded by medication or other measures. In the Netherlands, euthanasia for competent persons older than 16 years of age has been legally accepted since 1985. The question under consideration now is whether deliberate life-ending procedures are also acceptable for newborns and infants, despite the fact that these patients cannot express their own will. Or must infants with disorders associated with severe and sustained suffering be kept alive when their suffering cannot be adequately reduced?

議論の進展を見ていきたい。

2008-01-10

[][]ひとかたまりの肉体が存在することの権利

中山茂樹さんから、「人体の一部を採取する要件としての本人の自己決定」(『産大法学』40巻、第3・4号、2007年)をいただいた。生きている人体に侵襲を加えるときの、その侵襲を加えられる本人の自己決定について、憲法学の視点からいろいろ吟味した論文である。タイムリーな論考である。知的刺激が様々にあった。

その中に引用されている唄孝一の文章が印象深かったので、引用する。

要するに人間は人間としてのひとかたまりの肉体がここにあるというそのことだけで、その存在自体を権利として主張できる。しかも、それは精神と全く別のものでなく、精神もそこにくっついているいわば実存につながる。これは自由権とも社会権ともちょっととらえどころが違う。欲をいうと、その存在権という考え方に肉体のintegrityという要素をもう少し明確に加えて構成し直すと、この場面での人権の説明としてぴったりでないかと私は思う。(104頁)

オリジナルは、唄孝一「インフォームド・コンセントと医事法学」第1回日本医学会特別シンポジウム『医と法』(日本医学会、1994)とのこと(頁数表記が不可解なので未確認)。唄さんらしい思索だと思う。1994年というのは、フランスで生命倫理法が制定された年なので、その立法過程からの影響もあるだろう。今後とも役立ちそうな発想である。