藤塚 五柱神社


                             (五柱神社地)
 仙台市若林区藤塚にあり、地名の元となった由緒ある五柱(ごちゅう)神社が3.11東日本大震災に伴う大津波で大きな被害を受けたと聞いてでかけた。立ち入り規制はすでに解除されているが、東部道路を越えた途端、浜の惨状に息を呑んだ。一部で瓦礫撤去作業が行われているが、これが震災後3か月近い現状とは...

                              (藤塚一帯)

生き残った松 地名の由来となった藤の蔓が巻き付いている。

地域の歴史の証人としてなんとか生き続けてほしい。

  残った狛犬が寂しそうでした。

  藤塚の浜の復興と由緒ある神社の再建を祈念いたします。


・かっての姿(宮城の神社建築HP)
http://www18.atpages.jp/tatu0506/0056rekisii1.htm

「神社探訪狛犬見聞録」HPさまによると
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/index.html
「 この神社は名取川河口左岸に鎮座しています。入口の土堤を上がるとそこはもう井土浦で、その向こうは太平洋の大海原です。土堤から数段の石段を下がると社殿の背後に大きなご神木が一本聳えるだけの明るく開けた神社でした。昭和20年代まで、境内には樹齢400年をこえる松の古木が茂り、昼でも暗いほどだったそうですが、30年代に入ると製材用に少しずつ伐採され、今日のような姿になったということです。境内にはいるとすぐ右側には覆われた山神碑と末社、正面にはお昼寝をするのに気持ちの良さそうな長床(割拝殿)が建ち、更に右端には社史、湯殿山庚申塔などの碑が沢山並んでいました。本殿は比較的近年に改築されたように見え、とても綺麗でした。境内の全てがきちんと整備された手入れの行き届いた感じがする神社でした。狛犬も壊れてもきちんと補修され、大事にしてくださっているようです。
 昔は五社明神と呼ばれた海に面した神社で、安永元年(1772)の封内風土記によると、康平3年(1060) 源頼義・義家父子が東征の際、常陸の国村松(茨城県東海村)に勧請した神社とされています。永享7年(1435)足利持氏(関東公方)が常陸国を攻略の際兵火に罹かり、新たに藤塚の地に遷座したとされています。
 宮城県史によると伊達政宗公が遊猟の際ここに立寄り、「筏に乗った五社(五柱ごちゅう)の神がこの浜に漂着した」との由来を聞いて社殿を改築し、その後藩主の忠宗・重村公によって造営されたことが棟札に記されているそうです。
 明治41年明治政府の神社合祀令により、井土浜の八坂神社、種次の稲荷神社を合祀して、天照皇大神春日神社・賀茂神社の五社をお祀りしています。
 また、今は切り株だけになっていますが、かって境内にはご神体を乗せてきた藤蔓を埋めたところ根をつけたという藤の木があり、すべてが左巻きの蔓をくぐると疫病封じになるといわれていました。このフジが藤塚の地名の起こりといいます。(サイト「六郷を探る会」参照)」
・藤塚 五柱神社の由来
http://legend.main.jp/50-wakabayashiku-023-fujizukanoyurai-00-a.htm

 お地蔵さんかな 石仏が一つ残っておりました。 合掌

◎地元学が盛んに行われていた地域です─「六郷を探る会」藤塚編
http://www.stks.city.sendai.jp/citizen/WebPages/wakachu/archives/sagufuji.pdf
・五柱神社被災航空写真(仙台市役所ロビー展示写真より)
木立のところです...

http://d.hatena.ne.jp/kanjisin/20110402
・藤塚地区航空写真
http://higasinihondaisinsai.blog39.fc2.com/blog-category-7.html

NPO宮城資料ネット作成 東北・関東大震災 津波浸水域マップ(仙台市沿岸)http://www.hanadataz.jp/td/saigai2011/01sendai/sendai.htm 
 
・被災文化財毎日新聞
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110602dde018040006000c.html
●3.11東日本大震災・大津波─歴史遺産とともに復興を(前稿改題)
http://d.hatena.ne.jp/kanjisin/20110515/p1

           人類は荒ぶるカミとともに生きる

          静まるや 荒ぶるカミの 藤の浜