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2006-03-09

体験せずに猫知り顔で語る奴らに泥団子を投げろ!

※この記事は3/10にアップしました

日日ノ日キ - これから音楽に出会う若い人たちへ〜ダッシュ君、そしてダッシュ君と同じ気持ちの人に向けて〜

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060306/1141648272

この話、別に音楽に限った話じゃないよ。文学でもテレビでもなんだっていい。誰かの語った評論だけ読んで、実際の作品に触れずに何もかも体験するまえから、わけ知り顔をするよりは、どんなに稚拙でもちゃんと出会って、向き合って、そして自分の言葉で語るほうが絶対に生きてる感じがする。断言する。そうしていれば、誰かに洗脳された世界でおきざりにされるなんて感情はなくなる。血を流す勇気がなければ多分、それはわからない。誰かの書いた架空の設定の連中やら世代やらぼくらなんていうふうに責任の所在を曖昧にしているのはきみの嫌う匿名の人たちと同じことじゃないのだろうか。今の自分の経験を体験を語って欲しい。

「私信」だそうだけど、すごく良かったので。もともとは音楽の話題だけど、そこを抜かしても、文化に強い興味のある人は読むのをお勧め。

ネット時代は、ある作品が他人にどう語られているのかがすぐわかり、つい猫知り顔になってしまうことが多い。他人の言葉に自分の趣味や価値観が左右されやすい。

ユリイカ増刊の『オタクvsサブカル! 』(ISBN:4791701372)を編集した時に、テーマとして考えていたのは、受け手からの歴史を語りたいというものだった。文化の歴史というと、作り手からの歴史で考えられやすかったけど、作り手の意図とは違う歴史。受け手は自分が作品をどう受容したかを自分で体系化していって、歴史観を作っていくのだというのが伝わればいいなと思っていた。


音楽という話にしぼるとこれだなあ。

ARTIFACT@ハテナ系 - なぜ音楽はセンス競争が一番強力に働くのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050623/musicsense

なんで、音楽であんなにセンス競争をするのか、音楽素人にはよくわかりません! 坂本真綾聴いていてたって別にいいじゃん!*1

この話題に関する直接の言及。

オオツカダッシュ - 勘違いする余地がないのは、幸せなことか、不幸せなことか

http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060226/1140888403

そもそもの発端。この話題に言及する人は、一番話題になっている吉田さんの記事自体に反応してるみたいだけど、この記事、そしてコメント欄でのトニオさんとChurchillさんの対話をよく読んで欲しい。

もともとは、ある人が他人にどう受容されるかということに対して、他人が注文をつけるという行為だったのだ。人から「あなたの趣味はわかりやすすぎて他人に理解されやすぎる! もっと複雑になれ!」なんて言われたらどう思う?

翌日〜この日記をブックマークするとしにます

http://d.hatena.ne.jp/testcard/20060226#p3

日日ノ日キ - 私のほうがもっと上もっと変もっと詳しいもっとセンスがいい

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060304/1141461766

オオツカダッシュ - 聞くことの忸怩

http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060304/1141466851

死に舞 - センス競争は悪か?

http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060304/p2

Krafty | 私的抑圧

http://krafty.jugem.jp/?eid=119

想像力はベッドルームと路上から - 「渋さ知らズ」で踊り狂う小学2年生は果たしてサブカルなのだろうか・・・

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060306/1141651941

chemchem - 渋谷系の時代(仮題)

http://d.hatena.ne.jp/BEBE/20060306#p1

刺身☆ブーメランのはてなダイアリー - id:amiyoshida さんは良いはてな学級委員ですね

http://d.hatena.ne.jp/a666666/20060307/1141726759

Krafty | 人は全てを見渡すことは出来ない

http://krafty.jugem.jp/?eid=122

純粋なココロ 2.0: 「どんな音楽聴く?」と聞かれれば「何でも聴くよ」と答えるような、つまらない人間の戯言

http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/03/post_733b.html

瀬戸風味@はてな - 音楽の話なんて毛程もわからないのだけれども

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20060307

そしてそこでわかった事は、平凡な話なのだけれども、「上には上がいる」と。そしてそれは「どうせいるんでしょ」では全くなくて「すげえ奴らがいる」という感情なのだ。そう考えると諦観と表現したのは正しくない。下手に例えると、自分なりのマラソンを走っていたら、その先を走るランナーの走りを見ることがどうしようもなく魅力的に見えてしまったのだ。第二集団のジレンマ(今作った。意味はまだ無い)。いないだろうが、自分と同じような感性を漠然と持っていて、あの文章を読んで一欠けらの不安感や違和感を持った人がいてこれを読んでいたら言ってあげたい。それでいいのだと。第二集団、あるいはもっと後ろだったとしても、「プレイヤーそのもの」にはなれなくても、「プレイヤーであること」は可能なのだ。

すごい人は確かにいる。それに対して「先人に永遠に勝てない」と思うか、「少しでも近付こう」と思うかという違いか。

自分の場合、すごい人から面白い話をいつも聞かせてもらってるなあ、自分も拙いながらも自分の考えを人に伝えたいなあと思ってやっていて、ずっと第二集団だと思っていたら、いつのまにか第一集団に見られているという感じ。


自分の中で関連している記事。

ARTIFACT@ハテナ系 - 田舎臭い優等生

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040914/countrysmell

ここでも紹介した江島氏の記事を再度引用。これは読んだ当時、はてなダイアリーでのことを言ってるに違いない!と勝手に思っていた。

CNET Japan Blog - 江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance:ネット・リテラシーと民主主義と

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/001052.html

特に精神的なタフさをまだ身につけられていない若い人たちがサブカルチャー的なサイトや匿名掲示板などに安易に傾倒してしまい、そこで一喜一憂しているのを見るにつけ、そういう時期もあった方がよいと思う反面でいつ卒業するのだろうかなどと説教臭いことをも思ってしまうわけである。スノッブたちのシニカルな文章が飛び交うこれらのコミュニティは、言葉による虚構の人格を構築する半分オトナ半分コドモのためのゲームあるいはカルトである。そのことをわきまえた上で、割り切って楽しむべきは楽しみ、済し崩し的に見えざる宗教に染まらないように適度な距離を保つべきではないか。染まるならむしろ確信犯として堂々と染まって欲しい。と、そのような勝手な期待を抱いてしまうのだ。(このあたりはあくまで私の偏見である)

同じく、この記事で紹介したブログ時代になってレビューが増えたことに関する考察。

A CLOCKWORK GRUNGE - インターネットで今誰が対決しているのか

http://d.hatena.ne.jp/importer/20040325#p1

レビューは印象に残るし、参考になるんだけど、書き手の印象が薄い。かつて「自分を都合良く理解してくれるコミュニケーション」が目的で、文章を手段としてのみ利用している人たちが「物書きを目指しています」と発言する度に覚えていたのに似た違和感を、最近のレビューに覚えてみたり。

なんていえばいいのか、今度は消費が目的で、レビューが手段みたいになってるんですかね。歯止めの利かない消費生活のトランキライザーとしてレビューがある、みたいな。すみません、今背伸びしてちょっと偉そうなこと書きました。

でも絶対あると思う。「俺レビュー書いてるもん。これは消費じゃなく創造ですよ」っていう言い訳で無意識に自分を正当化してる部分が。一日中テレビ見てて学校にも行ってねえ、フリーター街道まっしぐらだけど、俺レビュー書いてるもん、これクリエイティブだもん、みたいな。

*1:貶している訳ではない。自分も好きなので

bigburnbigburn 2006/03/11 14:52 栗林みな実はキワキワじゃなくて完全に“あっち側”なのですね…。

RegretRegret 2006/03/11 15:12 いくらなんでも「もっと複雑になれ」というのは単純化し過ぎでしょう。

このケースで言えば(churchillさんが実際にどうだったかは別にして)好みが明瞭なカタログの引き写しであるように見えたので、そこに不確定なものと遭遇するアクシデントが存在しないという、そういう危惧が念頭に置かれていたはずです。

長々としたコメントを記すのも恐縮しますのでこれ以上は慎みますが、一口で言えば好みを分かりやすいと難じるにはつまりある種の危惧と真っ当さがあったと私には映るのです。それを知るためにも是非、トニオさんとチャーチルさんの対話は(加野瀬さんの解釈を一旦カッコに入れて)読まれるべきだと考えます。