Hatena::ブログ(Diary)

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2008-11-28

芸人と観客のいじりあい

J-CASTニュース : 太田総理「殺害予告」犯人 驚愕の「言い分」[↑B]

この番組は見てなくて、後から存在を知ったんだけど、ビートたけし氏の発言が興味深かった。番組は見てはいないので、あくまでこの番組紹介から考えた自分の想像の部分が大きいことは前置きしておく。

また、殺害予告が「ユーモアだった」という点に対して、出演者のビートたけしさんは、「ユーモアのセンスがない」「太田光をいかせという方がユーモアを感じる。そういう余裕がないからつまらない」などと反論した。

ビートたけし氏といえば、人間の生死などセンシティブな話題を使ったブラックジョークで著名になったが、そのような人が、「殺害予告は、笑いというパフォーマンスだった」と説明している人に対して、「センスがない」という曖昧な表現で切り捨てるしかなかったというのは、なかなか考えてしまう光景だった。

芸人たちはこれまで一般人をいじっていたが、観客はネットというツールを使って芸人をいじるようになった。殺害予告がいじりかどうかというのは議論がわかれるところだが、ビートたけし氏は老人などのように個人ではないが、特定対象の生死をネタにしていたのは事実だ。具体例は思い出せないのだが、有名人もそういう生死ネタの対象にしていたのではないだろうか?

ブクマコメントでも言われているように、観客側には芸人のような覚悟はないため、そこに違いはあるのだろうが、「覚悟」なんてのは問題が起きてからでないとわかりにくいんだから、そもそも芸人側にあるのか?という疑問もある。

※ネットで書いている側は匿名だから、芸人と違い、その時点で「覚悟がない」という判断は確かにできる

2008-11-22

あなたの自意識の当たり判定はどのぐらいですか?

ネットで文章を公開していると、さまざまな反応がありますが、その反応を気にする度合いは「自意識の当たり判定」と言えます。ここでいう「当たり判定」とは、ゲームで主に使われる言葉で、特に弾を避けることが非常に重要なシューティングゲームにおいては、この当たり判定の大きさが重視されます。

当たり判定が大きい人は、観客という弾幕を見て、つい反応を返してしまいます。弾幕は大きな当たり判定を面白がるので、弾幕が増えます。このような行動を取ってしまう人の性格を「劇場型性格」といいます。

劇場型性格 - ARTIFACT@ハテナ系[↑B]

当たり判定が大きい人は、しばしばブクマコメントやコメント欄、TrackBack2ちゃんねるなど各種の反応を見ない宣言をしますが、そんなことはないことを観客はよく知っているので、観客席(ブクマコメントや2ちゃんねる)でニヤニヤします。

ネットにおいては、自意識の当たり判定を弾幕シューティングのように中心1ドットぐらいにするのが理想ですが、自意識の当たり判定が大きい人が、そこまで自意識を小さくすることは大変難しいです。

しかも、当たり判定が大きい人ほど、自ら巨大弾幕に飛び込むのが好きとしか思えない人が多く見受けられます。自意識の残機もそうそうある訳ではありませんよ? 大きな弾幕だと思ったら、その弾幕を避ける努力はしましょう。乗るしかない、このビッグウェーブに!なんて思わずに、これは自分が飛び込んでも避けられない弾幕だと考え、ネットからしばらく離れるのです。

当たり判定が大きい人は、そもそもネットで文章を公開しないほうが幸せです。当たり判定が大きい人がネットから消えてしまうことは、当たり判定が大きい人が大好きな観客(自分含む)にとっては残念な事態ですが、当たり判定が大きい人は次から次と出現するから安心してください。

※元ネタ

http://twitter.com/kanose/status/1016034387[↑B]

自意識の当たり判定を、弾幕シューティングのように中心1ドットくらいにしないとネットは生きていくのが大変。自意識の当たり判定が大きいと観客が増えるけど

※「自意識の当たり判定」はある人の言葉なのだが、聞いた瞬間、絶望先生っぽい!と思った。

2008-11-18

空気を読む文科省には、非専門家の安易な教育論は無視しろと言えばいい

『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想 - ARTIFACT@ハテナ系[↑B]

への反応で、気になったものがあったので。

空気読み国家の国民は「日本語が亡びるとき」をやっぱり読んでおけ - 狐の王国[↑B]

どうだこれは。文部省は国民の空気を読んでカリキュラムの検討をしてる、空気が教育現場への圧力になる、そういうことではないか。

ということはだよ。そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないとか言ってる場合じゃないってことだよ。

だって文科省は空気読んじゃうんだよ? 声が大きい方が空気作っちゃうに決まってるじゃん。

トンデモだろうがなんだろうが声が大きかったらそれが空気になって文科省へいく。鈴木先生のような専門家が「ちょっと待ってくれ」と言わざるを得なくなる。

とにかく教育は誰でも経験してるから簡単に語りがちだなんていって遠慮してる場合じゃない。そんな思慮深さを持ってない「トンデモ」ばかりが跋扈するハメになる。

自分の記事が、「素人は遠慮して教育論を語らないほうがいい」というような発言だと思われたらしいのだが、どこをどう読んで「語らないほうがいい」と読めたのか? 「素人は教育論を簡単に語りがちである」というのは分析であり、「素人は教育論を語ることを遠慮したほうがいい」という行動の自制ではない。

自分の意見をあらためて言えば、「非専門家の安易な教育論には価値がないと考えているので、自分としては耳を傾ける必要を感じていない」「安易な教育論を語る人間を自分は評価しない」というものだ。教育論を語りたい人にはどんどん語って欲しい。個人のフィルタリングが簡単にできるので、自分としては助かるから。

また、明確に書いてはいないが、延長線上にある考えとしては「非専門家である自分は安易な教育論をしない」であり、「安易な教育論は批判すればいい」(前回の記事では安易な教育論への警戒を呼びかけている)ということになる。

非専門家の安易な教育論を文科省への余計な圧力にさせないために、安易な教育論は実際に有効でないという批判は必要であっても、自分自身が安易な教育論を語ることは必要ではないだろう。トンデモを批判する人間が、新たなトンデモを生む可能性はある訳だから。でも、ここで「対案のない批判は無効」ロジックを使われるとちょっと面倒そうだけど。

トンデモ教育論をはびこらせないために、『日本語が亡びるとき』を読んできちんと批判しようという意図があるのかも知れないけど、既にきちんと読んでいる人たちによる批判がある訳で、それほど興味のない人たちまで読まなくてもいいと考える。あと、この手の極論って、賛否両論含めて注目されること自体が重要なんだから、その注目されることに誰もが加担する必要はないんだし。

文科省にトンデモが作った空気を読ませるな!」という提案には賛同する。しかし、結論は同じなのに、なぜか、その結論を阻害する意見であるかのように扱われてしまっているのには困惑したので、この記事を書いた。

毎度思うのだが、「このような言動をしている人を評価しない」という価値観の表明が、なんで言動の禁止に読み取られるのだろうか?

価値観の表明が、なぜ強要や強制に見えるのか問題 - ARTIFACT@ハテナ系[↑B]

とかいろいろ書いていたんだけど、後から書かれた記事を見て納得した。

英語の世紀でガラパゴスを生きる日本 - 狐の王国[↑B]

この本を簡単にこれこれこうだから価値が無い、というようなことを書いている記事をいくつか見つけたのだが、そういう記事はたぶん信用しない方がいいだろう。

あー、前の記事はそういう「価値がない」と言っている記事だったから、否定材料に使った訳ね…。納得したけど、なんだかなあ。

素人の教育談義については、成松哲さんが詳しく書いている。

三十路でアニメ: ボクにも語れた教育論[↑B]

結局、今の学校の現状や「公」教育のあり方、お上の教育政策など、まるで知りもしないまま、めいめいの美しい(と信じ込んでいる)想い出と報道(の中でも自分に都合のいいもの)だけを根拠に私論をぶっているだけ。こんなもの、夜な夜な飲み屋の酔客どもがプロ野球やサッカーナショナルチームの采配を云々するのと同じ。あれも、ガキのころの草野球や体育の授業のサッカーの経験とスポーツ新聞の記事をもとに、プロフェッショナルの仕事に対して知った風な口を利いているだけなんだから。

あと、年寄りの語る教育論は「今の若いモンは!」の置き換え語。イマドキの若者に不満があるから、その原因を教育に求めたがる。「オレらのころの学校はこうだったのに、今はああだから、若者がダメになっている。オレの生き方を見習え」って言いたいんだろう。そして、もうひとり、今現在、自分が不幸せだと思っている人も語りがち。今の不幸の原因を教育に求め、批判することで自分を慰めたいんだろう。教育オナニーだ。

凶暴両親 (ソフトバンク新書)

凶暴両親 (ソフトバンク新書)

成松さんが売れてないと嘆いていたので宣伝宣伝!

2008-11-11

『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想

普段から、読まずに感想を書くエアレビューはよくないよ!と思っているんだけど、トンデモ本系だと、今までよくある主張の繰り返しだからエアレビューってしたくなるよね! という訳で、この記事は「うーん、読んでも自分のためにならなさそうな本だなあ…」と思っている自分の中での認識整理であって、第三者に納得してもらおうという文章ではないよ!と前置きをしておくよ!(保険保険)

梅田氏は“この本にこめられた、日本語を愛する水村美苗の「心の叫び」が、できるだけ多くの日本人に届くことを切に願う”と記事を締めていたが、これは「日本語」の部分を「日本の近代文学」に変えれば、妙な誤読は受けなかった。著者の水村氏は今の日本文学は幼稚になっている!と言うのだから、すべての日本語で書かれたものを愛している訳ではないんだから。しかし、最近の日本文学を読んでない著者が、日本文学が幼稚になっていると断言するのも、かなりのエスパーぶりだ。

この手の近代文学はもっと読み継がれないと! 今の日本文学は幼稚になった!なんてのは、文芸界隈を見れば当然いっぱいある主張なので食傷気味。ところが、そこに「英語超重要!」というパーツが入ったから、さあ大変。英語での活動が多いIT系の人たちからすれば、技術ドキュメントなどでの日本語の地位の低下は日々実感しているから、そこにすっぽりはまった。導入部の海外在住の体験記は経験者を共感させる下地作りには最適だったようだ。

この本すごい!と言ってる人たちは、英語超重要!という主張に主眼が置かれていて、別に近代文学を読ませる教育をすべき!という主張にはあまり主眼を置いてないのではないか? 質問してみたいんだけど、別に日本の近代文学がどうなろうとあまり心配してないでしょ? 別にわざわざ心配しなくても、英語の重要性は認識されており、英語教育の必要性は自然に高まっていくんだろうから、近代文学を読ませる教育が必要!なんてアレげな意見に与しなくてもいいと思うのだが。

文芸評論家である仲俣氏は、この本を言語ナショナリズムだと痛烈に批判している。そりゃそうだろう。だって、文芸界隈だとよく見かけた光景なんだもの。

「読んだ人たちの感想」がいっぱい出たんだし、梅田氏はそれに対して反応したほうが良いと思うのだが、難しいよなあ…。今まで自分が築き上げた信頼ポイントをどう扱うかというのは、当然個人の問題だし。

近代文学危機論自体は陳腐なのだが、そこを日本語危機論というパッケージングにして間口を広め、英語圏での生活体験や英語が主要言語になっているというパーツによって、海外在住経験のあるIT技術系との妙な出会いが起きて、すごい化学反応が起きた!というのが、自分の中で大変興味深かったので、思わずまとめてみた。

基本的に非教育分野の人が「教育で○○すべし」という教育論系の書籍はトンデモまじっていること多いんで、まず読まない。書籍だけではなく、そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないんで、いいフィルタリングになってる。教育論って、別に専門知識なくても、誰でも何か言えちゃう分野だから、そういう人が混じりやすいんだろうけど。

この本は「読まなくていい」の箱に入れたので、この本の内容を支持する人は僕を「この本を読まずに批判するバカ」「本を読まずに内容がわかるエスパー」という箱にいれておいてください。

※今回読んだ記事

水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan[↑B]

梅田望夫「紹介・水村美苗『日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。[↑B]

水村美苗氏 英語の覇権憂う書 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)[↑B]

水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea[↑B]

「日本語が亡びるとき」なんか読む暇があったら「あたし彼女」でも読んどけ - Thsc[↑B]

未来志向の懐古趣味「日本語が亡びるとき」。 - Out of Order.[↑B]

バベルの塔の奴隷たち。 - Out of Order.[↑B]

例の本(書評というか感想文) - 思索の海[↑B]

※追記:そういう点では、一定の支持者を得て、アジテーション、あるいは何らかのアジテーションに利用される「知識人」の言説としては成功するような気がします(僕の中では内田樹氏と同じ箱に入れたい感じ)。ちょうどこの本をはてなで最初に賞賛した方の発言が多くの批判や反発を受けながらもAmazonの在庫切れという事態を引き起こしたのと似て。

この注釈が面白かったので引用。「内田樹氏と同じ箱」ってひどい評価だこと(笑)。

※「英語教育超重要!」を「英語超重要!」に訂正

2008-11-02

931SHの動作速度

3.8型ハーフXGAのタッチ液晶搭載フルスライダー「931SH」[↑B]

世界初、3.8インチハーフXGA液晶搭載の“FULLTOUCH”ケータイ―― 「AQUOSケータイ FULLTOUCH 931SH」 - ITmedia +D モバイル[↑B]

ハーフXGAと画面サイズを聞いて、まず最初に気になったのは動作速度だったんだけど、この動画を見ると、そこそこの速度で動くようだ。ただ、923SHを触ってから、シャープの携帯電話のフルブラウザにはあまり期待できなさそう…。おそらく922SHや923SHに搭載されているのと同じNetfrontなんだと思うのだが。

ソフトバンク冬モデル発表〜前編〜 タッチパネル式端末を拡充 3.8型AQUOSケータイ&OMNIA登場:動画サイト BPtv[↑B]

さりげなくGPSも入って全部入りだし、923SHでは4GBだったmicroSDも8GB対応と上がったし、ハイスペック端末としては素晴らしいのだけど、913SHや921SHみたいな大型ディスプレイのスライド型って、ディスプレイの方に重心があって片手の時に持ちにくかったので、931SHでも同じだとちょっと残念。

auのW64SHはコンセプトがほぼ同じだけど、ディスプレイがフルワイドVGAとスペックは931SHより下なのに、重量は931SHが130gで、W64SHが144gと大きく違う。auってシャープに軽視されてるんだろうか?と思ってしまった。

3.5インチフルワイドVGA、スライド型のAQUOSケータイ「W64SH」[↑B]

初心者に勧めるオフ会

はてなハイクで、初心者はこういうオフ会のほうがいいんじゃね?論議をやっていたんだけど、自分が以前から考えていることをまとめたほうがいいと思ったのでメモ。ここでのオフ会は最低7,8人程度は集まることを想定している。

  • 目的意識のあるイベントがお勧め
    • イベントや、どこかの店に行くなどの、明確な目的のあるイベント
    • またボードゲームや麻雀といった遊びも。あまり準備に手間がかからないものがいい。
    • イベントや店舗でのオフの場合、二次会があることが多いが、大人数で入れる店は少ないので、幹事は近場で二次会に使えそうな店舗を事前に調べておく
  • 話主体の場合、明確な話題(ライトノベルについて話すというぐらいの絞り込みで)を決めておいて、その主旨に賛同している人を集める
  • 明確な話題がなく、その上で飲み屋を選ぶというのはあまり勧めない
    • 飲み会は店がうるさかったりして、話すことに向いてないことが多い。また飲まない人にとって、飲み屋は割高に感じる。4人程度の集まりならいいが、それ以上の人数で飲み屋を使うのなら個室を勧める
    • もともと同じ話題を共有している人同士で集まるというのなら別
  • 話主体のオフでお勧めはカラオケボックス、喫茶店の会議室
    • カラオケボックスは夜だと高くなるが、土日でも昼間ならかなり安いことが多い。たとえばカラオケ歌広場[↑B]なら19時までなら30分140円でソフトドリンクが飲み放題、カラオケ館[↑B]は1ドリンク制で30分79円。
    • 喫茶店の会議室は都内では銀座ルノアール[↑B]が多く展開している。3時間ぐらい借りても飲み物一杯ぐらいで一人1000円ぐらいで済む。電源があり、テーブルもカラオケボックスと違って高いので、ノートPCを使ったり、メモなどを書くのも便利。ただし、大きな部屋は結構はやく埋まるので最低2週間前に予約すべし。
    • 各人の名前がわかりやすいように名札か、可能ならばネームプレート(名札はちょっと遠いと見えないので)があるといい