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2012-06-19

気になる本『東京満蒙開拓団』

満蒙開拓団のさきがけは、1932年の東京のルンペン開拓団であり、最後の開拓団も1945年東京の疎開開拓団であった……。

多くの悲劇を生んだ満蒙開拓団のなかで、その史実が空白となっていた東京からの開拓団を追った本格的研究。5年の歳月をかけ、書籍、新聞はもちろん公文書まで調査し、また聞き書きを加え、東京からの満蒙開拓団の全貌をあきらかにする。

社会福祉団体が牽引した「天照園移民」、エリート養成を目指した「満洲鏡泊学園」、宗教団体が関わった「多摩川農民訓練所」、大量移民期に対応する「東京府拓務訓練所」、新島の「分村」、女性の立場から見た「大陸の花嫁」、戦時体制の被害者である「転業開拓団」、戦争末期に現れた「青少年義勇軍」、「報国農場」、空襲被災者の「疎開開拓団」、幻の「小河内村開拓団伝説」など、多くの事実を発掘。

満州の開拓団といえば、地方の農家を中心にしたという印象があるが、東京からも1万人ほど送り込まれたそうだ。日本の棄民政策ともいえるような移民政策に関心があるのでチェックしたい。

編集部便り一覧 - ゆまに書房[↑B]

 そんなことに思い至ったのは、今、『東京満蒙開拓団』(ULULA叢書5)という本に関わっているからだろう。(8月刊行予定)

 その企画内容を、著者の「東京の満蒙開拓団を知る会」の方々から伺うまでは、東京からの開拓団の存在は、ほとんど知らなかった。長野県の開拓団の話や、農山村から過剰人口を分村移民として送り出したといったことは、何となくどこかで読んではいたが、東京と開拓団は結びつかなかった。しかし、日本全体で、満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍とであわせて約32万人が移民として満洲へ渡ったとされており、その内の1万1千人余りが東京から行ったと言われる。決して小さい数字ではない。

 本書は、「東京の満蒙開拓団を知る会」のメンバーが、2007年から5年のあいだ調査研究を重ねた成果である。書籍、雑誌、新聞の調査、体験者や関係者へのインタビュー、そして、多くの公文書の調査により、東京から多くの人々がなぜ満蒙開拓団として大陸へ渡ったのかという謎の解明を試みている。詳細は、本書を開いていただければわかることであるが、ルンペン移民、中小商工業者移民、大陸の花嫁、疎開移民など、時代の動きや政府の施策と密接につながっていることが興味深い。

 開拓団の結末は、苦難の逃避行、残留孤児や残留婦人ということになる。日本近代史にちょっと関わっている者としては、日本の「近代」の結末が、満洲における「棄民」がであったのかと、残念に思えてくる。実は、田中宏巳著『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録』に関わった折にも、ニューギニアにおける「棄兵」について、同様の感想を持った。なお、小社では、残留婦人を取り上げた班忠義著『近くて遠い祖国』(在庫僅少)という本もある。

 1936年、広田内閣でその計画が決議され、満洲移民は国策となった。しかし1945年8月9日ソ連が参戦したとき、満洲の広野に人々は残され、それを決め、進めた人達はそこにはいなかった。そして、2011年3月に破綻した戦後の大きな国策についても、思わざるを得ない。

 池袋西口公園にさざめく人々を見ていて、ここから250キロほどのところにある壊れた原子炉のことが、気になってきた。

東京満蒙開拓団/農民訓練所あった/失業者ら中国に送り出す/実像の一端判明[↑B]

2011-08-09

第二次世界大戦の日本の戦没者の半分は餓死や病死だった

餓死(うえじに)した英霊たち

餓死(うえじに)した英霊たち

戦没者というと、敵軍の攻撃によって死んだ人というイメージがあるだろう。しかし第二次世界大戦において、日本の戦没者の半分は餓死や病死だったというのは意外と知られてない様だが、もっと知られてもいいのではないか。当然、そんな戦争は歴史的に珍しい。

※補足。病死が多い戦争は多いという指摘はあったが、餓死者が多い戦争は珍しい

この辺りの研究としては『餓死にした英霊たち』があるそうだが未読なので伝聞情報なのだが、日本政府によれば軍人軍属の戦没者は230万人で、著者の藤原彰氏によれば、餓死や病死は140万人前後と推定している。推定ではあるが、6割、少なくとも半分が戦闘による死亡ではなく、餓死や病死といえるのだ。

※参考にした記事

ニュースは踊る 戦没者の6割は餓死

大本営が補給を考えない作戦ばかり立てるからこんなことになったのだが、こんな作戦を承諾した責任者の多くは靖国に合祀されている。

死者の考えていることを代弁して政治利用するというのは、靖国関連だとよく見られてうんざりするが、それにしても、英霊といわれている一般の兵士たちが自分たちを餓死や病死に追いやった軍上層部の人間と合祀されていることをどう思っているかは考えてもいいとは思う。

以前、NHKの靖国の討論番組で、A級戦犯合祀問題について、合祀賛成派に対して、合祀反対派がこの点を指摘したら、合祀賛成派がだまりこんでしまったのが印象的だった。

※関連

ARTIFACT@ハテナ系 - 近代史の認識話の基礎として秦郁彦の本はお勧め

2008-12-21

満州からの日本人引き揚げはアメリカのおかげ

NHKスペシャル|引き揚げはこうして実現した 〜旧満州・葫蘆(ころ) 島への道〜[↑B]

録画していたこの番組を見たけど、終戦直前の8月14日に、日本政府は海外の日本人居留民を帰国させずに現地に定着させるという電報を出していたのを知って驚いた。棄民するつもりだったとは…。

中国国民党の蒋介石が、満州で勢力を伸ばす中国共産党に対抗するため、アメリカに兵力輸送の協力を希望するが、当初は中国の内乱にアメリカは加担するつもりはなかった。しかし、中国共産党の勢力がどんどん伸びていき、共産主義に対する危機感のあったアメリカは、輸送力を提供することを決定する。

アメリカは、戦車揚陸艦などの100隻ぐらいの輸送船を提供し、1日1万人の規模で日本人を帰国させる計画を立てる。こうして、上海から満州の葫蘆島へ国民党の兵士を輸送、満州から日本に日本人を輸送、日本から中国に日本にいた中国人を輸送というトライアングルができたそうだ。最後は朝鮮人の帰国では?という気もするんだけど、図では日本から中国になっていた。

葫蘆(コロ)島からの引揚げ[↑B]

この番組を見て書かれたと思われる記事では、朝鮮人の帰国としている。

朝鮮人送還事業では、帰国希望者が減少したあとも、日本側は帰国させたがっていたというのが興味深い。のちの北朝鮮帰国事業で、日本政府が在日朝鮮人を帰国させたがった事情に繋がるなあ。移民政策とともに、日本政府はとにかく人口を減らしたがっていたというのがよくわかる話だ。

引き揚げ話は、日本の輸送艦や商船などに乗って…みたいな話ばかりだったので、普通に日本政府が引き揚げを担当していたと思っていたけど、満州に関しては日本ではなく、アメリカの事業だったとは。もし、朝鮮戦争がもっと早く勃発していたら、引き揚げの輸送に割く艦船がなかっただろうから、引き揚げできなかったのかも知れない。

その時歴史が動いた[↑B]

ちょうど去年の12月の「その時歴史が動いた」でも取り上げていたみたい。

nozawa22: 戦後満州引き揚げ 故郷への道[↑B]

引き揚げ者の女性の中には望まぬ妊娠をしていた人が多かったので、大規模に堕胎手術が集団で行われていたのか…。

2008-10-31

「日本の民主化・非軍事化」に逆行する動きを指す「逆コース」は読売新聞由来の言葉だった

逆コース - Wikipedia[↑B]

逆コース(ぎゃくコース)とは、1950年以降の日本における、「日本の民主化・非軍事化」に逆行する政治・社会・風俗の動きのことである。呼称は読売新聞が1951年11月2日から連載した特集記事に由来する。

Wikidpediaの「公安調査庁」の項目に「逆コース」へのリンクがあったので見てみた。てっきり朝日・岩波辺りで出てきた言葉だと思っていたので意外。この頃の読売は違うんだろうか。

渡邉恒雄 - Wikipedia[↑B]

1977年編集局総務(局長待遇)に就任する。1977年2月18日付の読売新聞社説は百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いていたが、1981年7月8日付紙面では一転し、二審判決の統治行為論を支持して裁判所の政治介入を制限する主張に変わった。読売新聞が渡邊の主張を取り入れて、中道から保守に傾斜して行く。

この辺りが変換点?

1952年 日本共産党山村工作隊の取材で奥多摩のアジトに潜入し、拘束される。無事解放されるが、このとき隊のリーダーだったのが、「生きることの意味」の著者、高史明であったという。このスクープが認められて政治部に異動。

渡邉恒雄氏の行動力すごいな! 山村工作隊は共産党の武装闘争のための非公式組織。

渡邉恒雄 VS 高史明[↑B]

当時の新聞記事や、インタビューされた高史明氏の発言などの紹介。

有田芳生の『酔醒漫録』: 渡邊恒雄の「私の履歴書」が面白い[↑B]

2008-04-14

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる太平洋戦争

※書き手は日本帝国海軍。友人は日本帝国陸軍

ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと言い訳をするのが好きで、理屈を説明するのが好きだったんです。

でまぁ、当時も今と変わらず石油がなくて、

男友達と飲みながら「石油がない、だから作戦行動できないんだ」と文句言ってたのです。

御前会議で。


したらまた、この友達が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今からハワイに行こう」と。

奇襲作戦なんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。

でも友達は、少し遠くで飲んでいる真珠湾の戦艦と巡洋艦を指さし、「あそこ行ってドンパチやろうぜ」と言い、天皇に上奏しようとします。

オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。

友達は「嫌がられたらすぐ和平交渉すればいいんだよ」と言ってましたが、オレが動こうとしないので行くのをあきらめました。


「じゃあ、ハワイじゃなくて、インドネシアを占領しているオランダ襲うか?」と友達は言います。

「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。

「でも石油がないんだろ? だったら奪うしかないだろ」

「そうだけど、もっと普通に経済交流したいっていうか」とオレ。

「なに、普通って?」

「貿易とか、同じ経済ブロックとか、そういう…」とハッキリ言えない自分。

「じゃあ、オレが今から総理大臣になって、それでお前に占領作戦を紹介したらいいか? それも国の方針だよな」

「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。占領で手に入れた国って反日分子が多いとか」

「は?」

「その…」

「…反日分子じゃねぇよ。ノリが良い子だよ」

「あ、そうだったね。…でもオレ、ノリの良い子、少し苦手だし。そこまでして石油が欲しいってわけでもないし…」


友達はオレの顔をじっと見つめながら、一言、

「だせぇ」

と言いました。


ごちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん


彼は言います。

言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、

勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。

戦争起こす勇気もないやつが、石油がないとか言うんじゃない。


どうせ日本海海戦に行けば「バルチック艦隊は遠洋航海で弱体化していて…」って言うし、

第一次世界大戦につれていけば「ああいう場のノリは苦手だし、そういうところに来る国と仲良くなれそうにない」とか言うだろうし、

大東亜共栄圏のかわいい国を狙えって言えば「いや、その国では地層が違って石油が出ないし」って何かにつけて言い訳するんだろ?

だったら「自分には戦争を吹っかける勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。

そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、

つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。


あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。

その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、呉に帰ったら彼の顔とセリフが思い浮かんで、

旗艦長門の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。

オレにはオレの事情があるんだ、時代は大艦巨砲主義じゃないんだ、しょうがねぇじゃんかよって。「海行かば」聞きながら(笑)


ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。

※改変元

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51[↑B]

※発想元

(id:guri_2)さんの記事になんでこんなにブックマークが集まるのか問題について、やっぱり世の中ポジティブ教徒が多いのかなあと思うんだけれども、そんなに簡単な話もないような気がするのでなんかダラダラと書いてみるよ。 - orangestarの日記[↑B]

kanose 心理 日本帝国陸軍はポジティブ教徒ということで

できない理由ばっかり探しちゃって…(女の子のイラスト付きで) - chanbaraの断片 - 断片部[↑B]

ymScott 社会, 視点 「できない理由ばっかり探して」「要は、勇気がないんでしょ」 ←なんせ軍部がこの言葉を駆使して太平洋戦争に突入した国だからな。この日本てのは。世論にバーサク効果なんだからマジックワードどころじゃない。

re: お前はビビりだ!要は勇気がないんでしょ! - ls@usada’s Backyard[↑B]

これはかなりの汎用性がある。具体的には、「〜をやらないとは、お前は勇気がない」「ビビり」「腰抜け」「情けない」「かっこ悪い」などと非難する事で、まるでそうするのが当然で、そうしない事は人間として許されないかのような圧力を、一切本題に言及する事なく、インスタントに作り出す事ができる。「〜をやらないのは、人間としてどうかと思う」「普通はそうする」「みんなやってる」等に代表される、人間性メソッドと大体同じ効果が出ている(勇気メソッド?)。

映画『靖国』に対する小林源文ファンと小林源文氏の温度差

http://www.genbun.net/cgi-bin/bbs.cgi?book=gb

No.2390 (2008/04/04 14:33) re映画「靖国」

Name:通りがかりの源文ファン

映画「靖国」はあくまで、言論統制された共産国の中の映画監督がとった映画であり、政治宣伝的要素が強い映画です。

ドキュメンタリー映画と呼ばれているものはどんな映画であれ、監督、編集者の主観が入ります。つまり純粋な「記録(ドキュメント)」は人間が作る限り存在しません。映像編集をし、無数にある写真などを選択し、ナレーション原稿を書き、音楽をのせ・・・制作行程を踏むたびに記録ではなくなっていきます。

優れたドキュメンタリーとは、作家自身がどれだけ社会的制約や先入観から縛られないかにあるとおもいます。この中国人は共産党の言論統制下にある人間です。メディアリテラシーを持ってみるべきです。

また現に靖国神社は存在します。映画「靖国」のようなバイアスのかかった物で判断するより、ご自分で訪れてみる方が一番いいとおもいます。

[Re.1] ドラえもん(2008/04/04 22:22)> まあ、確かに・・・。

[Re.2] 小林源文(2008/04/05 08:06)> まあ、確かに・・・。 じゃーないぞ。どうでもいい情報に流され過ぎ。日本人はマスコミの情報操作で戦争を始めたんだぞ。ひたすら一等国になろうとして、日清、日露戦争。朝鮮半島から大陸へ。満州国の建国へ。ついでにノモンハン事変起こしたり、中国と戦火を交えて国際社会から糾弾されると、マスコミが騒いで日本の一般大衆が騒いで、国際連盟脱退へと進んで太平洋戦争が始まったんだ。正しい日本史と日本人って何だ?と理解してから掲示板への書き込みをしましょう。思い込みで書くのは、君もマスコミに躍らせられているんだぜ(笑

小林源文氏もサヨク!と罵倒されるんだろうか。