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09年05月31日(日)

猿猴川

猿猴川河岸

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大洲を西に、猿猴川の北岸から、府中大川との合流点を見る。

川の上を広島高速の高架が、所々に青いネットをまといつつ、南へだんだんと低くなる。

f:id:kanototori:20090531234412j:image

こっちはこっちで、大洲第一公園のあたりで護岸工事があり、迂回路が指示されている。期間は平成20年10月10日〜今年5月14日までなので、この区間の工事と通行止めは解除へ。事業全体は平成24年度完了予定。

f:id:kanototori:20090531234020j:image

この「猿猴川高潮対策工事」については広島県のホームページ内の、京橋川・猿猴川高潮対策事業を参照のこと。

09年05月30日(土)

県道164号

交差点の工事

f:id:kanototori:20090530200856j:image

その新大洲橋西詰も、高速2号線建設に伴って改良工事。

誘導する矢印があちこちに置いてあったり、臨時のガードレールを設けて歩道をくぎったりする風景。

4月初めに見た看板には、「平成21年5月31日まで」で、時間帯は「当面の間8:30-17:00」という予定となっている。

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09年05月29日(金)

南区大洲

広島高速2号線

府中大川の西岸を見ると、広島高速2号線「府中仁保道路」の高架が建設中。

北の府中方面からJRを越えて延びてくる。

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新大洲橋西詰で高架が向き合う形。さらに南、猿猴川に沿って仁保に至る予定。

広島高速道路公社のページ内の「写真で見る広島高速道路」で、この現場を上から見た写真が見られる。

09年05月28日(木)

府中大川

府中大川

府中大橋から上流を見ると、二本の川が合流しているのが見える。

左が府中大川で、馬木・温品から南下してくる。右は府中町内を流れる榎木川。上流に水分峡がある。

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橋の東詰に大きく「1級河川 府中大川」とある。太田川支流の猿猴川の支流なので。

『角川日本地名大辞典』で「ふちゅうおおかわ」の項を見ると、「→温品川」を参照するように示される*1。その措置のおかげで若干「ぬ」の記述量が増えることに。

『藝藩通志』では「府中川」と書かれる。「温品、府中二村を過ぎ、仁保島ろかど*2にて、海に入る」とあるように、当時は猿猴川の支流ではなくそのまま海に注いだ。

*1:「公称は府中大川」

*2:露霞渡

09年05月27日(水)

安芸郡府中町

県道272号

272号「上宮町新地線」は、府中町内を南北に通る。南はマツダ等工場の立ち並ぶ一帯、北半には交番・役場・小学校・資料館・多家神社などが隣接する。

前項と同じ交差点を川下(南)からみると、直進した先には大きく「府中町役場」。84号から曲って役場を目指す人よりは、町内の人が直進するほうが多いかもしれない。道幅は細いけれど。

左は広島駅方面(新幹線口)。橋の南で頭上に見えるのは山陽新幹線

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09年05月26日(火)

県道84号

府中大橋東

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安芸郡府中町、県道84号を広島方面から府中大橋を渡った所。県道272号との交差点になっていて、標識には三方の主な目的地が示されている。

左折するとすぐに府中町役場へ、右折すると県道164号「大洲通り」に交わる。

直進すると「海田」ではあるが、84号「東海田広島線」をそのまますすむと山中を曲折して「甲越峠」を抜ける道で、海田に行くには遠回り。なので「2.5t以上通行困難」。

84号の途中で県道151号「府中海田線」と交差する。そちらは府中-海田間の「船越峠」を抜ける比較的短距離の経路。古代山陽道にあたる。

09年05月25日(月)

竹原市竹原町

竹原の東西

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国道185号は、三原方面から海岸沿いを通って竹原市内へ北上する。

警察署前の交差点で国道は左折し、市の中心部、さらには呉・広島へ。

ここもまた直進の道は細い線で注意を促す(若干右側寄り)。

右折の道は県道75号「三原竹原線」。「本郷」と書いてあるのは、75号の途中から分岐する県道369号「南方竹原線」の方面のこと。山の中をくねくねと抜けていくので「大型車通行困難」となる。

09年05月24日(日)

北広島町

大朝I.C附近

嘉助原橋とかの、船峠方面から新庄に向かうと、浜田自動車道の大朝インターチェンジがすぐ右手に見える。

こちらの標識はさすがに左右対称の配置ではない(大朝の先のI.Cは島根県に入る)。

直進すると、新庄大橋を経て新庄高校近くで国道261号に合流する。国道は北へ延びて島根県に入り、邑智郡「川本町」へ。

東西に伸びる県道5号「浜田八重可部線」は、西は遠く島根の「浜田」と、すぐ隣の「大朝」へ。東は遠く可部の属する「広島」市方面に。

09年05月23日(土)

千代田町蔵迫

蔵迫

『角川日本地名大辞典』では「くらざこ」の読みを示し、「農業地帯だが、蔵迫商店街は農平町*1の一部をも商圏として、八重・壬生の両商店街を補完する機能を果たしている。」との現況*2を記す。

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志路原川をはさんで西に国道261号のバイパスができたので、商店街のほうは旧道となった。主な路線バスは旧道のほうの「蔵迫バス停」を通る。バス会社別に二つの標示がならんでいたりする。

西の国道433号から蔵迫方面の標識を見ると、

f:id:kanototori:20090524001803j:image

道幅が狭いので旧道は省略され、300m先のバイパスが左右に通る。北(左)には「江津」「大朝」「大朝I.C」、南(右)には「広島」「可部」「千代田I.C」が示されていて、距離はともかく左右対称が意識されている。

*1:豊平町の誤り

*2:1987年当時

09年05月22日(金)

北広島町

カタカナ語の変換

そんなふうに、千代田町巡回バスの停留所の表示は「漢字かな表記」「アルファベット表記」「かな表記」を並べている。

では、バス停名にカタカナが含まれているときはどう読みを示しているか。ちょうど二つのパターンを見かけた。

インターチェンジに隣接する道の駅にあるバス停「千代田インター」は、「CHIYODAINTER」「ちよだインター」。それぞれ英語綴りとカタカナのままのルビ。

f:id:kanototori:20090523000214j:image

f:id:kanototori:20090523000212j:image

新庄方面と海応寺方面の分岐点にある「バイパス蔵迫」は、「BAIPASU-KURASAKO」「ばいぱすくらさこ」。ローマ字綴りに統一してハイフンで区切り、ひらがなに統一。

09年05月21日(木)

北広島町

北広島町役場と中央公民館

千代田町有田の「北広島町役場前バス停」は「中央公民館バス停」から名前が変わったもの。

公民館前であることに変りはないので、見せ消ちみたいな修正で構わないのでしょう。

ローマ字表記は「CHUO KOHMINKAN」の「U」「O」「H」に長音を示す横棒(マクロン)を付す。

こおぉ、というか、こぉhー、というか、念の入った伸ばし方で。

09年05月20日(水)

合同庁舎入口

合同庁舎入口バス停

広島市中区上八丁堀「合同庁舎入口バス停」は、合同庁舎東側にある。

南側の城南通りには「合同庁舎前バス停」があり、そちらは広島駅と各方面を結ぶ路線が何種類も通る。

「入口」の方は、牛田と江波を結ぶ一種類の路線が南北に通る。なので経由地・目的地は「八丁堀」「市役所」「江波」が表示されている。

右端に「広島駅」と「幟町」に「八丁堀」が貼り付けられており、広島駅方面の路線の名残を見せている。いや、見せたいわけではないのか。

09年05月19日(火)

県病院前

県病院前バス停

同じく南区の県立広島病院(宇品神田一丁目)最寄りのバス停。

病院の北側を東西に県道86号(黄金山通り)が通っている。

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東の仁保から来た路線バスは北上して、「御幸橋」「八丁堀」「牛田本町」を経由して「戸坂町」へ向かう。

もう一つ「牛田■■」とあるが、「牛田本町」から「戸坂町」の間に「牛田新町」を経由することになるけれど。はて。


追記

■■は旭町。

09年05月18日(月)

広島市南区元宇品町

シーサイド病院入口バス停

宇品島プリンスホテル方面に広島バスの路線がある。島に渡ってすぐのところにあるのが「シーサイド病院入口バス停」。

病院に用のある人が降りるのはもちろん、島の東西の分岐点にあたるため、西の海岸を歩く場合もここで降りることに。

かつて西の海岸に水族館があった時は「水族館入口バス停」であった。そのころの事は知らないけれど。

09年05月17日(日)

南区出汐

大学病院入口バス停

段原から南下して、比治山の南端のあたりにあるのが「大学病院入口」バス停。

そのまま南へ通過する路線なら、ここが最寄りのバス停になり、病院が終点の路線なら、さらに進んで病院の敷地内のバス停へ。

「吉島病院入口」と「吉島病院」のバス停と似たような関係。

09年05月16日(土)

比治山トンネル

比治山トンネルと路線バス

平和大通りの東端が鶴見橋で、そのまま東へ道は延びて比治山トンネルへ。

そこを通る路線バス3つはいずれも大学病院を主な目的地とする。

広島バスは2路線。

広島駅から南下してトンネルを通り、段原-大学病院-広大附属高校-県病院-県立大学というルートと、

横川駅から東の基町以南の市内中心部を通って、平和大通りからトンネル-大学病院というルート。

広島電鉄は1路線。

西広島駅から少し南寄りの観音本町-舟入本町-加古町を通り、竹屋町から平和大通りに出てトンネル-大学病院へ。

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比治山より東と南の公共施設と駅を結びつつ、途中の商業地や住宅街もまんべんなく通る、という形。


参考

広島バス株式会社 http://www.hirobus.co.jp/

ひろでんアベニュー http://www.hiroden.co.jp/

09年05月15日(金)

比治山

浮き彫り指差し

市内電車比治山下から比治山に上がる坂道。

ちょうど比治山の中央にあたる地点、道が南北に分かれる所に道しるべが立っていて、

正面に大きく「陸軍墓地」と、その方向(南)を示す白い指差し。旧軍だけに軍手であるか。

他の面にはそれぞれの方向の地名・施設名が彫ってある。

比治山を越えた所に「東 段原村東部」。

f:id:kanototori:20090515215435j:image

まんが図書館奥の広場が「北 舊御便殿」。

京橋川にかかる「西 鶴見橋」で、石碑が建てられたのが、「大正四年晩秋 御大典記念」として。

09年05月14日(木)

土師ダム

対岸むすぶ

久保橋を渡って少し下流に立っているのが「危険区域(始点)」のしるし。

川の両岸に立っていて、互いに指さしした絵を向けあっている。

下の写真で言うと、橋名板の向こうにかすかに見える白い柱。

f:id:kanototori:20090515021120j:image

09年05月13日(水)

立入禁止区域

ダムの前後

土師ダムのすぐ下流、立入禁止の表示とともに地図があり、貯水池と江の川のうち、立入禁止区域を(消えかけの)赤で示してある。

ダムの上から見た湖面いっぱいと、

f:id:kanototori:20090514004343j:image

見下ろした川の久保橋までがその区域。

f:id:kanototori:20090514004610j:image

09年05月12日(火)

八千代湖

八千代湖

土師ダムの貯水池の名が八千代湖。

  • "土師ダム" に一致する日本語のページ 約 22,500 件
  • "八千代湖" に一致する日本語のページ 約 3,400 件

さすがにダム名よりは件数が少ない。

よく検索される組み合せをみると、

行楽は行楽でも、楽しみかたが能動的か受動的かで前面に出てくる名前が違ってくるらしい。

f:id:kanototori:20090513001303j:image

09年05月11日(月)

高田郡八千代町

八千代町のシンボル

千代田町の東には旧八千代町(安芸高田市)。

そこで見られる蓋もまた、町章を真ん中に据えてある。ただ、町の花のランがかぶさっている。

「町のシンボルテーマ「森と湖の活き活きタウン」の図案化。湖と町民の和、大空に伸びる森と町の表徴」*1とのこと。

上辺には町の鳥のウグイス、左右には町の木のサクラがある。

同じような材料を使いつつも、マンホールの蓋(坂町)の場合、町章なし、左右非対称となる。というのを思い出した。

09年05月10日(日)

北広島町

千代田のシンボル

合併前、千代田町の頃からのマンホールの蓋。

中心に町章があり、周りを6つのサツキの花がとりまく。

町章の意味は、「町の頭文字「チ」をはばたく鳥に図案化、円は町民の和と団結を表現、伸びゆく町の躍進と発展を象徴する」*1

蓋の中心だと向きがよくわからなくなりそうだが、「汚水」の字と向きを揃えると、町章の向きも合う。多分。

09年05月09日(土)

北広島町

千代田町の案内図

千代田町の中心部、芸北民俗芸能保存伝承館の前に設置されている「歴史と文化の里 北広島町」の案内図。

地図とならんでひときわ大きく描かれているのが「古保利薬師」。

北広島千代田ライオンズクラブの15周年記念の寄贈による。

昭和48年*1に千代田ライオンズクラブが結成されたので、その15年後、昭和63年のころの地図ということに。

わかりやすいのは、「中国横断自動車道(予定)」となっているあたり*2

f:id:kanototori:20090509231857j:image

平成20年、改称して「北広島千代田ライオンズクラブ」となった。案内図もそれにあわせて寄贈者名と町名の部分が更新されている。


参考

09年05月08日(金)

豊平町海応寺

3町の中心

史跡公園の入口にある中世遺跡周遊マップ。

オレンジ色で大朝町・緑色で千代田町・黄色で豊平町の範囲を示す。

吉川元春館跡や製鉄遺跡が豊平町に、万徳院跡や今田氏・二宮氏の城館跡が千代田町に、駿河丸城跡・小倉山城跡が大朝町にある*1

そのほか、要所要所に開かれた市も示されている(新庄・吉木・下石・壬生など)。

まだ4町が北広島町になる前の設置なので、三つの教育委員会が名前を連ねる。

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*1:日の山城跡は大朝と千代田の境

09年05月07日(木)

吉川元春館跡

海応寺跡

天正14年*1吉川元春が亡くなる。戒名は「随浪院殿前駿州大守四品海翁正恵大居士」。

ということで没後は「海翁(応)」と呼ばれることに。

(略)海翁御証判之旨遣置候(略)天正拾五年十月朔日 経言

「吉川経言安堵状」

館の西隣に(写真奥の山林)埋葬され、天正十九年以降、菩提寺「海応寺」が建立された。

木立と茂みの中に「海応寺跡」という表示が立っている。

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この平坦面は未発掘で、南北40m・東西25−35mの範囲が推定されている。

『藝藩通志』の「海應寺村」の項に「古は貝會寺*2の字を用ふ、村内に寺址あり」とある。

寺院名が揺れるというよりも、村名に拡大したために馴染みやすい文字になったということだろうか。


参考

*1:1586年

*2:かいあふじ

09年05月06日(水) 九百日目

志路原川

海応寺の川岸

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国道433号を東に、志路原川とともに進むと海応寺に入る。

通りかかったときは川の両岸の工事中で、青と黄のショベルカーが見えた。

南岸には史跡公園として整備された吉川元春館跡*1が広がり、

北岸にも八町馬場・松本屋敷などの遺跡がある。

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*1墓所や海応寺跡など含む

09年05月05日(火)

豊平町

志路原との合流点

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町道は国道433号と合流し、船峠川はすこし東に離れて志路原川と合流する。

上流から運ばれた土砂も合わさって、「下ヶ原」「志路原川原」などの平地となった。

船峠から北に流れても南に流れても結局は日本海へ注ぐ。志路原川は冠川*1とともに千代田町で江の川(新庄から流れてくる)と合流する。

*1広島市との境から北に流れる

09年05月04日(月)

船峠

船峠川

「電子国土の地形図」を見ると、町道船峠線の最高地点は485mとなっている。

なだらかなのでどこがそのポイントなのかよくわからず通り過ぎ、

f:id:kanototori:20090504211604j:image

南の志路原方面に流れる川も「船峠川」。

支流あり田畑集落ありで、新庄方面より規模が大きい。

こちらでは町道と交差することが少ないので橋らしい橋は見られない。そのため小字名に出合う機会が無い。

すでに

はてなハイク

に載せたが、川の途中には砂防ダムがあり、

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砂がこんもりとたまっている様子が見える。

09年05月03日(日)

町道船峠線

一文水橋

また馬頭観音のあたりに戻り、すこし南にあるのが「一文水橋*1」。

「いちもんみず」は東に聳える日の山城に関わる地名として伝わる。

又船峠より用水一荷をお城に擔ぎ上れば一匁の報酬金を得たりとて一匁水の舊称今に残る。

名田富太郎『廣島縣山縣郡史の研究』1953

昭和53年*2の『大朝町史 上巻』は、中世のたしかな事実というよりも「里伝」とことわったうえで、

また西の鮒峠(船峠)川よりも取ったとみえ、一匁水、二匁水、三匁水等と称する水場がある。

と載せる。二匁・三匁と並べると報酬金云々の話ができなくなってしまうのかもしれない。

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*1:いちもんみずはし

*2:1978年

09年05月02日(土)

嘉助原橋

嘉助原橋

馬頭橋からさらに新庄方面に3分ほど歩く。

道路の右手になっていた船峠川が左手に曲る。そこに架かっている橋が「嘉助原橋*1」。

馬頭橋よりやや早く、昭和62年3月に架設された。

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この道路がアスファルトで舗装される前、『大朝町史』*2に載せる昭和31年の町道一覧を見ると、

名称延長巾員状態
船峠線3334m*33.0m砂利道・良

という規模だった。

そこに架かっていたのは船峠1号橋〜5号橋という名称の、橋の延長3〜5m、巾員4m、負荷限度6トンの木橋だった。

*1:かすけばらはし

*2:昭和57年発行

*3:豊平町との境まで

09年05月01日(金)

北広島町

馬頭橋

観音堂から北にすすむとすぐ、昭和63年竣工の「馬頭橋*1」を通過する。

橋の西から東へ流れる「船峠川」は、北に向って大朝町の新庄で江の川に合流する。

道路の幅が狭いころならもっと存在感のある川だったのかもしれない。

f:id:kanototori:20090502004657j:image

*1:ばとうはし